【2022年1月】石川県加賀市 獅子舞取材 大聖寺瀬越町(追加)

2022年1月18日

19:00~ 石川県加賀市大聖寺瀬越町

竹の浦館の入船さんのお父さんにお話を伺った。同行は北嶋夏奈さん。

 

「お祭りの賑わいは北前船による経済基盤があるから」

瀬越町の獅子舞の特徴は何と言っても、3年に一度行われる大祭があることだ。獅子舞と神輿がそれぞれ町内を回り、最も賑わいを見せる祭りとなる。北前船の交易によって潤った豪商が今でいう3000万円ほどの神輿を一人で購入したとか、祭りの予算が100万円かかるだとか、周辺の地域と比べても格段に裕福であるという町の様子がうかがえる。経済的な基盤があってこそ、祭りは豪華に派手にできる。そのようなことを改めて実感した。

 

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由来

蓮如上人の時代には、数軒しか家がない時代もあった。江戸時代以降に北前船の船乗りが住み始めてから栄えるようになり、若い者や頭の良い者は大阪など外に出て仕事をするという文化があった。比較的新しい町なので、伝統というものが数多く残っているような町ではなく、獅子頭の作りも比較的どこにでもありそうな安いものを使っているという特徴がある。明治20年生まれの人によれば、菅生石部神社から川を伝って流れてきた縄があり、それに神様がくくってあったという言い伝えがあり、それをお祀りしたのが瀬越町の白山神社の始まりだ。その白山神社にいつしか獅子舞が実施されるようになった。昭和の初めには坂下さんという方が能登半島から棒振り獅子を伝えて、笛、棒振り、獅子、太鼓がいる獅子を舞っていた。しかし、地域の長男達が戦争に駆り出されて過疎化し、一時期は5~6人ほどで回る時もあったほどに担い手が少なくなった。50年くらい前に中断してその後に、棒振りや笛のない獅子と太鼓のみの獅子舞が始まった。

 

舞い方

奉納の奉の字を手元を震わせるように描きながら、豆拾いをしてから、最後にダッシュするという獅子舞で舞い方が1種類しかない。手元を震わせない獅子を「赤べこ」と呼び、獅子が生きている感じがしないので、しっかり震わせる事が大事である。塩屋町大聖寺の中心部の獅子舞と大きく違うところは、一直線上を前後に移動して舞うことである。大聖寺の多くの獅子舞は三角獅子と呼び、三角形を描くので、左右への移動が行われる。ただ、足がすり足なのは大聖寺の中心部のものと似ている。昔と比べると太鼓の叩き方が早くなっており、昔は叩き方がゆっくりだが緩急が見られた。

 

担い手

5~6人の時もあったので、今の方が担い手は多い。かばん持ちの人がいる他に、小学生から30代の人まで所属しており、「子供が大きくなるまで青年団はやめられん」と言う人もいる。昔、女性は獅子舞に参加することができなかった。その理由は、「獅子舞を触らすこと=汚れを触らすこと」と考えられていたからである。今は繋いでいくということが重要視されているため、女性でも参加可能ということになっている。

 

祭りの様子

瀬越町には、正月、春祭り、秋祭り、収穫感謝祭の4つの祭りがある。その中でも、春祭りと秋祭りに獅子舞が登場する。

春祭りは航海の安全祈願の意味合いが強い。昔、春祭りのことを起舟祭(きしゅうさい)と言った。1月か2月に実施しており、北前船の漁が活発になる少し前の時期に実施した。明治時代にこの祭りが大祭という名前に変わり、今に至る。毎年やっていた時もあったが、それが閏年に一回になり、今は3年に1回になった。1日目の獅子舞と2日目のお神輿の両方が出される。獅子舞は朝の7時から17時くらい、神輿は9時半から20時くらいまで実施する。最後の方はイライラしながらもせっかくの機会だからと夜遅くまでお宮さんでお神輿を見守る。お神輿には祈祷料やお酒、ごちそうなどを出すので最低でも2~3万円がかかり、お神輿を止められる人は商売をしている人や新築の家を建てた人など10軒ほどである。お神輿の先導役は猿田彦が務め、小さな子供神輿はひょっとこが先導する。昔はザルでお金を数えるほど裕福な人たちがいて、神輿も現在の価格で3000万円くらいするものを1軒の家が寄付してくれる事さえあった。大祭となると1回開催するのに100万円ほどかかるため、その負担を軽減するために毎年ではなくなっていった。100万円には、食費、飲み物代、神主さんの祈祷料、衣装代、修理代など様々なものが含まれる。近年は行列に参加してくれる人が減ったので、その分お弁当代が減った。お弁当は豪華な懐石に近いような料理を出す。また、神輿が家に当たって家が壊れたということもあるので、保険代をかけなくてはならない。

秋祭りは田畑の実りなどに感謝する意味合いが強い。このお祭りでは、神輿は登場せずに獅子舞がメインとなる。ご祝儀は少なくとも3000円、多く出してくれるところは5000円などだ。町内のすべての家を一軒一軒回る。秋祭りの日程は昔、吉崎町、瀬越町、上木町という風に、1日ごとに日にちがずれていた。この時、瀬越町は9月13日に開催ということに決まっていたが、今は9月の秋分の日になっている。学校や会社を休んで参加する届け出が認められなくなって、休みの日にしようということになった。

 

獅子頭

4つの獅子頭が残されている。最も新しいものは白山市の鶴来で作ってもらい、他の古いものは、福井の加藤太鼓で既製品として売っていたものを購入した。獅子頭は被ってあるものもあるので、取っ手がついていない状況で、新しくTの字の取っ手をつけてもらった。昔は非常に重たい獅子頭を使っていた。「1軒回るだけで疲れた」ということもあり、練習用で使うようになったものがある。獅子頭をぶつけたら、修理は漆器工場に行って自分たちで直した。漆の仕事をしている人に直してもらったこともある。獅子頭が割れてしまったら新調するしかないが、それを酔って石にぶつけるのと舞い方に迫力を持たせるのとで壊し方の印象は異なり、舞っている途中で壊れるのは健全な壊れ方だという意識がある。

 

神様の夜這いについて

菊理姫を祀る白山神社を持つ吉崎町と瀬越町の繋がりは深く、神輿が瀬越町から吉崎町にいったこともあって、それを同類の神様が遊びにいくと捉えるか、男の神様が女の神様に夜這いに行くと捉えるかは地域の人の中でも意見の相違がある。今回お話を伺った方は、神様が同じなので夜這いはないのでは?というご意見をお持ちだった。ただ、合河町には男女一対の白山神社が存在し、それと照らし合わせて考えると謎はより一層深いように感じられる。

 

コロナ禍の状況

春の大祭が今年は中止になってしまったので、延期ということになった。今後の開催を期待して、祭りを拝見できる日を待ちたい。