バンコクは欲望が集結した大都市!その根底に潜むささやかな水への祈りとは?

2023年10月3日~10月6日の日程でタイのバンコクに滞在した。

思えば、さまざまな目的があって今回バンコクを訪れたのだが、その大きな目的の一つに、獅子研究というものがあった。タイの獅子といえば、中国系の獅子舞が旧正月に実施されるほか、東北部に白い鹿のような生き物が4月のPoy Sang Long Festival に登場するくらいで、それほど文化として類似する芸能が根付いている印象はない。しかし、今回、雨に対する祈りという意味で、新しい獅子文化の発見につながったのは大きな収穫であった。実際に何を発見したのか、ここで振り返っていこう。

飛行機から見たのは広大な田畑だった

10月3日、タイに3年半ぶりに降り立った。途中、飛行機から見たバンコク到着直前の風景は、永遠に続いていきそうな田畑であった。これほどくっきりとゾーニングされた平野はなかなか見たことがない。タイは農業大国であるという印象を強く持った。農耕文化が非常に発達しているのだ。大河や降雨など、さまざまな条件が揃ってこのような田畑の開発が進んでいったのだろう。

暴雨が祈りを生むと感じた

豪雨の中で始まった1日目。日本の何倍もの雨量がどさっと天からバケツをひっくり返すようにして降り注いできた。雨期は毎日こんな感じで雨が降る。しかも、それがあまりにも突然来るもんだから皆雨がくるという気持ちの準備ができていない。わあわあと走り出して雨宿りが始まる。もしくは、地下鉄に人が溢れ出して、なかなかチケットが買えなくなる。これが日常茶飯事だ。外を5分歩くのもきついというくらいの大雨である。道路は水浸しで、靴を脱いで裸足で歩く人が見られる。道端のヘドロが溶け出して黒い水たまりを裸足で歩くことに皆躊躇しない。土地床が低い立地の建物の中には水が入ってきて、とにかくその水を外に掃けようと必死でバケツに水を汲んでは外に押し出す光景が見られる。椅子は全部机の上にあげて、机の脚の部分しかぬれないような状態を作り出そうとする。こういう光景を見ていて、バンコクにおける祈りとは、水に対する祈りなのではないかと直感した。これはのちに、ワットプラケオでの大きな発見につながることになる。

ワットプラケオで「雨乞いの獅子」を発見!

10月5日、僕はワットプラケオというバンコクでも非常に有名な寺院を訪れた。ここで僕は「雨乞いの獅子」を発見することとなる。タイでの獅子研究の成果としては、日本との共通点として雨乞いの獅子の存在に気づけたのは非常に大きな発見だった。それはワットプラケオに溢れる仏教芸術の一つで、日本語訳で「祈雨神台」、タイ語表記で「Ho Phra Ghandhararat」と呼ばれる。

この造形物の説明書(QRコード読み込みで説明が読める)にはこう書かれていた。

祈雨神台(タイ語表記:Ho Phra Ghandhararat)

ラーマ4世は、毎年恒例の王室の間に蒔かれた米粒の祝福のために仏教の儀式で使用される雨を呼び出す態度で、ラーマ1世によって鋳造された青銅ガンダーラト仏像のために建物を建設しました。田んぼの繁殖のためのバラモンの儀式である耕作式。建物の外観は、地元で生産された黄色、緑、青の磁器タイルで飾られています。高いベースにトウモロコシの穂軸の尖った屋根を持つ独立したバックホールには、モンクット王子が仏教の僧侶だったときに北から降ろされた小さな古代の金銅のチェディが祀られています。モンクット王子はラーマ4世として王位に就いた2394 B.E.(1851)。

つまり仏教儀式の雨乞いのために、この建造物が王様によって建造されたようだ。この祈雨神台は高い塔の周りには狛犬のような獅子がずらりと並び、一つ一つ表情が違う。明らかに他の周りの建造物と比較しても獅子が多用されている。そして解説の通り、田んぼの五穀豊穣というテーマで獅子が多用されるということを知ったのである。これは日本の獅子舞でも各地で雨乞いの獅子頭及び獅子舞が作られてきたことを思い起こさせる。とりわけ関東圏の3匹獅子舞(一人立ち三頭立て獅子舞)には雨乞いの意味を含むものが非常に多いように思う。ここで1日目に、飛行機の中から広々とした雄大な田んぼが広がる光景を見たことを思い出した。そして「ああ、農業国家における雨乞いとは五穀豊穣なのだ」と感じた。

獅子の造形にも注目いただきたい。造形物(神様)から見て左側にマリを抱く獅子、右側に獅子の子どもが這い上がりそれを受け止める大人の獅子という構図が見て取れる。これは獅子をマリへと意識を向けさせて人に危害を加えさせないという話と、子どもが崖から這い上がる成長物語であり、どちらも日本の獅子狛犬に見られる造形である。しかも口開きと口閉じの阿吽の状態で作られている。海を超えて日本と繋がる感覚を覚えた。

ワットプラケオの造形から感じる日本との繋がり

ただし、他の獅子の造形を見ていると、阿吽の状態になっているものは珍しく、どちらも口開きの状態が多い。中国では昔からどちらも口開きが多かったはずなので、これと同じ文化圏の影響かもしれない。

また、のちに気づくことになるのだが、インドネシアの造形とも近いような顔が歪んだような表情をした獅子もいた。この獅子はどこか南方との交流の中で生まれたのかもしれない。まずこちらがタイの獅子の表情である。

そしてこちらがインドネシアのバリ島デンパサールで10月7日に発見した寺院の入り口を守る像の様子である。どこか険しい表情が非常に似通っているように思えるのは僕だけだろうか。いやそうではないと極力この2者のつながりの可能性を考えたいと思った。

このワットプラケオという寺院には8匹の鬼が門の前を守っていることも非常に興味深かった。その鬼はそれぞれ色や模様が少しずつ違っていて、鬼概念はタイにも息づいていることを知った。これらの鬼が入口出口を鐘馗様のように堂々と見守っている姿が印象的だった。鬼に仏様が守られているという構図だろうか。例えば写真左側の鬼は「Tosakirithorn」または「Tosagirithor」と言い、右側の鬼は「Tosakiriwan」または「Tosagirivan」という。この2匹の鬼は口を引き締め、ワニの目、象の鼻を持ち、花の形をした頭飾りがついた竹の苞を着ているという点が共通しているが色が異なる。日本とはやはり身の回りにいる動物が違うということもあるのか、鬼に対するイメージや情景が全く違うように思える。

参考URL
https://qrcode.royalgrandpalace.th/en/discover/architecture/1/giant-asura-guardians/4
https://qrcode.royalgrandpalace.th/en/discover/architecture/1/giant-asura-guardians/3

舞踊の観点から見たバンコク

芸能という観点から言えば、獅子は基本的にタイ独自の獅子舞のような身体表現は存在しない。しかし、10月3日のバンコクの滞在では、スーパーリッチタイランドというバンコク随一のお得な両替所に行ってから立ち寄った「エラワン廟」での衝撃的な踊りについて、大きな印象が残ることとなる。お金を払うと踊ってくれる煌びやかな踊り子達がいて、お金を払った人はその踊り子に背を向けて、廟に向かってただひたすら祈るのみなのだ。舞踊が見たいのではなく、何か神々しいものを味方につけながら祈っているような風景だった。

タイの人々の祈りの深さは、非常に強烈である。地上に土下座してひれ伏すように願う人もいれば、ずっと手を合わせてそこを動かない人もいる。とにかく祈りが必死で、タイの競争社会と、親のしつけの賜物なのではと感じる(これは国際交流基金バンコクで開設した図書館で拝見した田村仁, 星野龍夫著『タイ仏教遊行』(佼成出版社, 1989年)にも書いてあった気がする)

鑑賞者参加型の演劇

それから劇場で仮面劇を見る機会を得た。仮面劇ではさまざまなタイの中で見られるダンスを1時間に凝縮しているため、かなり短縮されていた。最後のサルが女性を追いかけていくシーンでは、客席に演者が飛び込み、どこいった?と何度も何度も観客に答えを求めていた。この演劇のあり方は単なる観賞ではなく、観客も自ら演劇の主体となる参加型の要素を含んでいたということもできるだろう。

生活の営みは歩道の上で花開く

そのほかにバンコクでの町歩きで感じたことについても触れておこう。10月3日、バンコクの歩き初めの印象は屋台がとにかく面白いということだった。夜ご飯はローカルフードを食べたいと立ち寄った屋台の肉炒め(80B)が辛すぎて舌の感覚がマヒしてきた。口に皮が溶け出しているような感覚になる食体験だった。そこでローカルだけど観光客レストランの隣にあるビーフン(50B)食べたら出しむき出しの味付けだったが、野菜がしっかり取れてよかった。締めはレーズンパン(20B)だ。基本的にローカルフードは店舗を持っておらず、歩道を占拠するように突如屋台が出現する。

店舗を持つということは、価格帯が高くないと固定費がかかるので厳しいのだろう。だから、店舗を持つお店はアメリカンバーやインド料理、イスラム料理など、ことごとく外国の食を扱うお店である。屋台は食だけでなく、木で作られた小さな船を売っている人や、車のフロントガラスを履けるような羽がついた箒のようなものを売っている人がいた。何れにしてもローカルな面白いものは全て歩道の上にあった。タイの生活は歩道の上で繰り広げられているといっても過言ではない。民俗的な観点で言えば、面白い行為、所作は歩道の上に生まれると言っても過言ではない。そう感じたバンコクでの町歩きだった。

バンコク、欲望と好奇心を掻き立てる町

総じて今回はバンコクを訪れた3年前と比べると、視点が大きく変わっている自分に新鮮さを感じた滞在だった。道端の露天商、雨宿りをする人々の会話、ローカルな屋台の出店位置、それらすべてが、新しい視点を僕にもたらしてくれた。何かテーマを持って訪問する必要はない。ただ歩いているだけで何かを気づかせてくれる。そういう町だ。バイクや車の量、風俗勧誘の多さや肌の露出、食べ物の屋台の膨張、これらは人間の欲望が集積した結果として生まれたようにも思える。バンコクは僕にとって、好奇心と欲望を掻き立てる土地でもあった。そして、他の国に訪問してわかったのは交通手段が、地下鉄、鉄道、タクシー(トゥクトゥク、バイク)など、さまざまであり、それらが観光客かそうでないかに関わらず非常に安価で本数も多いということである。交通が発達している都市はお金も人も動いていく。つまり、この大規模都市群が生まれた背景はこの交通手段の便利さもあると思う。

ps. 今年のバンコクデザインウィークのテーマは洪水

ところでタイ滞在のまとめとして、バンコク在住の方に面白い話をいただいた。それは「バンコクデザインウィークに出店をしてみませんか?」というお誘いだった。1月下旬から2月上旬にバンコクデザインウィークというデザインの祭典が行われる。テーマは「洪水」だそうである。タイの獅子には雨を降らせる祈りはあるけれど、洪水を止めるというのはない。まるで、東京の水止舞(すいしまい・ししまい)のようなものを連想させる。今回、大雨を滞在中に感じまくってきたので、ものすごいタイミングだと思った。ぜひ、アーティストとコラボして良きプランの提案ができたらと考えている。

床上浸水するお店が存在するのも当たり前なのが、バンコクの雨期である