ケチャ、バロンダンス...バリ島芸能を堪能!観光化とその先にある芸能のあり方は?

2023年10月6日から8日までインドネシアのバリ島を訪れた。この島はリゾート化が進み、芸能が観光化されているものの、ハードルが低くインドネシアの芸能に触れることができるのが魅力だと以前から思っていた。そういうわけでまずは獅子舞研究をしている身として、それに類似する芸能であるバロンダンスをぜひ見ておきたい、あわよくばケチャなどのダンスも見ておきたいと思い、この土地への訪問を決めた。

まずは10月6日午後にバンコクドンムアン空港からバリ島・デンパサールのングラライ空港に移動した。空港に降り立ってすぐに、かなり芸術的な雰囲気が溢れる空港だと感じた。バロンも展示されており、さあインドネシアに来たぞという感覚がじわじわと押し寄せてきた。観光ビザの発給に5000円かかったのは高いと思ったが仕方がない、その先のゲートをくぐり、いよいよ入国である。

観光客と地元民が分離した島

入国後、バリ島では移動に大変苦労した。公共の鉄道がなく、公共のバスは専用カードが必要とかでのれず、タクシー(grab, gojek)は配車アプリを事前に入れるのを忘れてしまい、電話番号が海外で使用できないSIMなのでSMSメールを受け取れずにアプリを入れることができなかった。ひとまず現地の人との口頭での交渉をしていたら、20分1500円、30分2500円程度の金額を請求してくるので、かなりの観光地価格である。しかし、10月7日(2日目)以降に現地人に頼んで配車アプリでバイクを呼んでもらったら、30分で360円と桁違いだ。なるほど、バリ島はとにかく観光客向けにたくさんお金を取るのが当たり前の島だということがよくわかった。その分、10月6日の夜にローカル屋台で食べた食事・ナシゴレン(約200円)は非常に美味しかったし、風呂場の電気もつかず、wifiもコンセントも使えず、ちょっとシミがついた布団すらも我慢してまでも泊まった宿(600円)はなかなかに地元感が味わえた。観光客向けのリッチなサービスと地元向けのサービスがくっきりと光と闇のように分かれているのが、バリ島の現状なのだと思った。

祈りが日常の中にある風景

さて、10月7日から町歩きをする機会が増えた。タクシーの配車アプリが入れられないので、炎天下の中でタクシーを呼べずに1~2時間歩き続けるということが何度も必要になった。しかし、それらを通じて僕はバリ島のローカルな魅力について知ることができた。町歩きを通じて発見したのはまず、バリ島の地域民にとって祈りが毎日の習慣だということである。バリヒンドゥーの「チャナン」と呼ばれる祈りが行われているのだ。朝、昼、晩の3回、自分の家の前や近くの祭壇などにお供え物をする。葉っぱの皿のようなものの上にカラフルな数種類の花を置く。これによって、神への祈りを捧げるのだという。時折バイクの下などに置かれていることがあるが、これは故障や事故を防ぐためのものらしい。これらのお供えは、女性の仕事とされている(参考:https://bali.joshi-tabi.info/culture/canang/)。

そのほかにも、なかなかにカオスな光景が見られた。仏教寺院の中に茅葺き屋根の家があり、その寺院の門を隔てるようにして、遊び用具がずらりと並べられている。さまざまなものが一箇所に集められ、それが渾然一体となっている。寺院の機能のようなものすら問い直すような光景に思える。

そのほかにもフラミンゴの大きな置物が目立つアンティークショップもあった。なかなかにインパクトが強すぎるお店である。

フクロウや蝶々など儀式に使う飾り物が売られているお店があった。儀式で使うようだが、何の儀式かどうかまでは言語の壁があり聞くことができなかった。

こちらは狛犬ならぬ狛ガエルのようである。カエルが守り神になる世界観ということかもしれない。

善悪両義的なバロンの存在

さあ、いよいよバロンダンスについてである。10月7日の朝9時半から約1時間実施された。バロンは今は季節問わず毎朝実施されている。お客さんの有無にかかわらず実施するある種のプロ集団による芸能となっているのだ。

この芸能の根底にあるのは、善悪はこの世に永遠に存在するという考え方である。善のバロンと悪のランダという役柄同士の戦いは永遠に終わりがない。このコンセプトは日本でいう芸能の太陽と月であり、人間と鬼であり、獅子舞と獅子殺しであり、さまざまな日本の芸能の共通点を感じさせるものであった。ガムランの楽器の音色は、お囃子の賑やかさ、音の高さ、楽器の多さなどから、日本の香川県の獅子舞を連想させる側面もあった。ストーリーがはっきりしているため、歌舞伎や狂言などにも近い気がした。決定的に違うのは、衣装や道具類の装飾の派手さであり、金色や光るものが多用されていたということだろう。

バロンダンスの衣装は、どこか黒とグレーの四角い形が縞々で交互になっているものをよく見かける。これは道端にある祠にかけられた布と同じデザインをしていた。これが何を意味するのかは不明である。以下にバロンとランダの写真をそれぞれ貼らせていただこう。

そういえば10月7日の午前中にバロンダンスに向かう途中で、バロンダンスの道具を売っているお店を偶然にも発見することができた。このお店の主人は職人をしているらしい。バロンダンスに使われる頭は4,500,000ルピア(約4.5万円)らしい。その横にあった猪のような頭の仮面は4,000,000ルピア(約4万円)と少し安いようだ。それにしても金色に光っており、非常にきらびやかな装飾が特徴的だと思った。このお店のインスタグラムを教えてもらったら、1.2万円のフォロワーがいる非常に人気なお店のようである。また、ロール紙のように巻かれているのは、牛の皮だそうだ。これが芸能の道具に用いられているそうで、牛はバリの人にとって身近な生き物をこのような形で使用しているのだ。


Umah Tari
https://maps.app.goo.gl/jZp3hW4cFefJf4Cv5

火に突っ込んでいく呪術的な踊り「ケチャダンス」

10月7日の夜の18時半から約1時間程度、バトゥブラン寺院でケチャダンスが行われた。ケチャダンスが行われたバトゥブラン寺院は結構有名な場所なので、観光客が多く、日本からの団体の旅行客も来ていた。両手を上に上げながらのケチャの大合唱は迫力があり、神とつながる感覚やトランス状態になっていくような感覚があるんだろうなと予想した。ケチャの始まりは20世紀前半と言われており、それほど歴史が古いわけではない。バリの古代から伝わる「サンヒャン」というう呪術的な舞踊をベースとして成立したと言われている。舌が非常に疲れそうで、ケチャ以外の拍子を入れていく役柄の人などはより息継ぎしながらも進められそうだと思った。ケチャのリズムが途中から拍手に変わったのは口を休ませるためだろうか。最後に火を踏み潰すような所作があり、火傷しそうなところを果敢に立ち向かう役の人は鍛錬が必要かつ、勇気がなければならない。終盤目がうつろでこの世の人間とは思えない表情になっていったのは、観光化されているとはいえ本物の所作だと思えた。ただ、途中から入ってきたヨーロッパからの観光客がケチャの合唱を信じられない...と言い鼻で笑うような場面があって、退屈そうにあくびもしており、これは民俗芸能を鑑賞する立場としてはなんか勿体無いなと思ってしまった。

観光化が進むバリ島

インドネシアの芸能というのは、ケチャにしろバロンにしろ、完全に観光化されており、150000ルピアで入場料が統一されている。日本円にして1500円。現地価格からしたらとても高い金額だ。演じる内容は観光客向けにわかりやすくなっているし、猿のキャラの男性器を触る(実際は尻尾だった)というストーリーは完全に下ネタだ。笑っているのは地元のインドネシア人しかいないというシュールな喜劇...。ときおり、ヨーロッパから来た若い女性に質問を投げかけたり、劇の一部を英語にしたりと、欲望丸出しでアピールしている。これが伝統的な民俗芸能の姿なのか?この問いかけは非常に重要だと思う。

観光向け劇場型の芸能というのはどんどん市場経済に飲み込まれていっている。これが経済効果をもたらしているなど、いろいろと効用はあるのだろうからなんとも言えないが芸能が改変されることで土地の文脈と切り離されたウケ狙いを誘発していくという可能性があり、これはやはり慎重に考えねばならない問題と思う。このような理由もあってモヤモヤしていたため、次の日の朝に予定してたBarong Sahadewaでのバロンダンスは行かなかった。

10月8日の午前は宿が非常に綺麗だったので、そこで作業をしながら休養して、十分な充電期間を経てその日の夜の夜行バスでスラバヤへと向かった。インドネシアの旅はまだまだ続くのだ。