【2021年12月】岩手県虎舞・権現舞取材 2日目 宮古市

2021年12月5日 

10:00~ 津軽郷土芸能祭取材

岩手県には芸能祭を実施するという文化がある。各地域バラバラに伝承されてきている民俗芸能を一堂に会して、披露し合うというものだ。これは近年震災復興の社会的背景から始まったものもあれば、もっとずっと昔から伝統的に実施されてきているものもある。今回は宮古市津軽石小学校という場所で行われた津軽郷土芸能祭を取材した。郷土芸能が小学校を拠点に披露できるというのもなかなか他の県では実現するのが難しい場合が多く、そういう意味で岩手県は民俗芸能の地位が高いようにも思われる。

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今回、津軽郷土芸能祭に出場した団体とそのスケジュールは以下の通りだった。

9:50 開会行事 会長挨拶 中嶋勝司様

9:55~10:10 栄通り太鼓

10:10~10:25 津軽石新町太神楽

10:25~10:40 法の脇獅子舞

休憩10分

10:50~11:15 山田境田虎舞

11:15~ 11:35 根井沢剣舞

11:35~11:55 津軽さんさ踊り

 

津軽郷土芸能協議会の舘下光利さんにお話を伺うことができた。協議会発足の経緯としては、核家族化しているか地方の人口減少によって、民俗芸能について世代間格差が生まれつつある。地域で芸能を伝えていくような機会を設けなくてはいけないということで、津軽石公民館の館長さんにお話をして、そこから活動が広がっていった。宮古市教育委員会で市史編纂室の刈谷さんにも掛け合った。新里村、河合村にはあったが、宮古と田老にはなかった。元々は持ち回りで様々な地域を回ろうとなったが、津軽石で毎年やることになった。宮古市郷土芸能祭では全ての団体が出られるわけではなく、選抜された団体しかできない(35団体中5団体くらいしか出場できない)。そのような経緯から、津軽石という地区単位でも芸能祭が必要になったという背景もあるようだ。小学校に昭和45年の岩手国体のタイミングでさんさ踊りを小学校に教えにいって、そこから50年経った。最初は45分間どうやって歴史まで喋ろうかなどと考えて知識的なもの含めて教えた。伝統として長々とやっていることなので、それをつないでいくには小学校で教えていくしかない。そのような思いもあるようだ。今回お話を伺っていて、小学校と民俗芸能の結びつきは非常に強いように感じられた。

また、津軽郷土芸能協議会の中嶋勝司さんにもお話を伺うことができた。5年前から津軽郷土芸能祭は始まった。旧津軽石村の範囲で、津軽郷土芸能祭を実施している。市の地域創造基金のような予算と地区ごとの予算を活用して、コミュニティを繋いでいくという役割を担うイベントとなっている。東日本大震災や人口減少からコミュニティに対する帰属意識の高まりなどもあり今に至っている。お互いの団体から学び合うことで自分たちも頑張ろうということで結束することにもなる。それを応援する親やおじいさんおばあさんも、多世代が交流できる。コロナ禍での開催ということでどうしようかという葛藤はあったが、名前書いたり体温を測ったりと手間をかけて開催に至ることができた。例年より見学者が少ないイベントとなったがそれでもとても盛り上がっていた。宮古市全域でも民俗芸能の動画を撮影・保管していくような取り組みも始まっている。

また、境田虎舞の会長 小原裕毅さんにお話を伺うこともできた。10月初めに岩手県民会館で公演、11月下旬には山田町の郷土芸能祭があり、コロナ禍でありながら順調にイベントも回復して出演の機会も増えているようだ。若い人にとっては、地域の9月のお祭りがなかったので、その時に人材育成という意味で1ヵ月間練習をするのが恒例であるが、今年と昨年はそれができなかった。現在の中高生の次の世代をどう作っていくのかが今後の課題となるとのこと。今回披露いただいたのは、5頭の虎が踊り狂う大迫力の虎舞だ。これほど迫力のある民俗芸能はなかなか見たことがなかった。背の高い笹を食む様子や、巨大なステージをゆっくりゆっくりと登る様子はまさに虎そのものである。若い世代も多い印象で、激しい太鼓を叩く役を女の子も担っていたのは印象的だった。とにかく演者がかっこいい。皆やる気に満ちた目をしていた。こんなに感動できる虎舞を見たのは初めてだ。

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15:00~ 山口公民館内 黒森神楽展示室 見学

黒森神楽は12月第1日曜日に恒例の演舞が行われる予定だったが、今年はコロナ禍ということで中止になってしまった。ただし、公民館の中に黒森神楽の道具の展示や動画の上映を行う展示室があるとのことで、伺ってきた。写真撮影がNGというのは残念だったが、黒森神楽の特異性を改めて知ることができた。権現様も古い16頭あるうちの数体を拝見することができ、獅子舞を山伏神楽の形にするとこうなるのかということを再確認できた。ここでは、動画の解説をもとに知ることができた黒森神楽の特徴的なことについて触れておきたい。

2006年に重要無形文化財に指定された黒森神楽は、「神楽巡行」という形態を今に残していることが特に珍しいポイントである。現在でも黒森神社を拠点として南回りは山田町、大槌町釜石市を歩き、北回りは宮古市、岩泉町、田野畑村普代村久慈市を巡行する。江戸時代まで神楽は修験者の霞場の範囲内で活動が許されてきたので、それを超えた宗教活動は異例なのだ。黒森神社の歴史は非常に古い。黒森神社が8世紀に登場して以降、1190年の棟札も発見されている。16頭の県指定の獅子頭の中でもっとも年記銘が古いものは文明17年(1485年)のものであり、さらにその100年ほど前の南北朝前期と推定される獅子頭も残されている。黒森神楽の巡行が資料として現れるのが、元禄元年(1685年)に黒森神社の別当寺社奉行により授かった裁許状であり、本山修験派が羽黒修験の資源を支配下にしようとしたという書類で、黒森権現の采配するところは山伏が妨害してはならないという判決に至ったようだ。黒森神楽が他の山伏たちの霞場で広く活動できたのは昔から南部藩の庇護があったからとも言われる。黒森神楽は北回りと南回りを繰り返してきたことが資料的に明らかになったのが宝暦8年(1758年)の南部藩の資料「黒森権現書留」による。沿岸の山伏が不満を持った人々が訴えたものの、元禄元年の裁許状を元にしてそれが却下されたという経緯がある。明治時代以降に修験道は活動が禁止されてしまったものの、地域の信仰心に支えられて巡業が行われてきた。権現舞儀礼が非常に多いのも黒森神楽の特徴だ。地域の願い、それぞれ1つ1つに向き合ってきた結果だろう。地域の方々は権現様と神楽一行を親しみを込めて「黒森さん」と呼んでいる。

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p.s. 2021年12月3日 宮古市立図書館 展示館 電話取材

黒森神楽の権現様は、岩手県で最も古い権現舞かもしれない。早池峰神楽600年前?それより古いか否かわからない。最初に伝えてきた人は熊野修験関係とも言われる。「しきりゅうじ」という真言宗のお寺があり、そこが江戸時代に別当を務めてきた。今は「かわらだ」さんという家が別当になっている。昔から担い手は通ってくる担い手がいて、親方が誰を使うか上手な人を選んできた歴史がある。今は、保存会のメンバーが行っている。神楽衆が何人かいて、宮古市だと山口の北にある田代や、田老という地域の人が舞手として優秀な人々が排出されてきた印象がある。