新たなる獅子舞伝説!富山県魚津市「金山谷の獅子舞」、鉱山そして海外から舞いを導入

2024年3月17日(日)、富山県魚津市金山谷の獅子舞を訪れた。石川県に用事があり、その流れで訪れられる獅子舞を探していたところ、奇跡的に富山の東端、魚津市にて獅子舞を行う情報を得た。魚津市役所に問い合わせ、現地の人に確認してもらい、獅子舞がしっかり行われることを確認した。日程は12時から伝承館に始まり、村役の家などを数軒門付けして回って、神明社での演舞に終わる。「伝承館」がある地域は獅子舞に対して熱い想いを持っている地域が多いようにも思うので、個人的には期待値が高い。神明社での演舞は特に豪華で、13時に始まり、14時半まで次々と演目が披露された。

魚津駅からバスが走っていると思ったのだが、なんと日曜は休みらしい。それを知らずに1時間半かけて歩いて、現地に行くことになってしまった。タイムロスにより、現地に着いたのは12時20分ごろ。すでに獅子舞は始まってしまっていたらしい。道端を歩いていると車が次々と停まって衣装を着た担い手が出てきた。村役の門付けの途中のようだ。演目は1つで最後に「金貨一千万両、御酒肴は沢山…」というよく聞き慣れた北陸圏の口上を読み、次の家へと移動する流れを繰り返す。担い手はどうやら中学生から大人まで様々な年齢で、笛吹きには女性もいた。

13時からの神明社での舞いはとても感動的なものだったので、細かく振り返ろう。村祭りにも関わらず、市長や市議会議員が勢揃いして、司会進行役もいてテントも3つ貼ってあり、そして観光客も含めた人々が集った。この獅子舞は町のみならず、魚津市の宝になっているという印象だ。そもそも、市内に獅子舞団体は3つしかないから希少性が高く、人の集まりも集中的になる。さらに3月に実施する獅子舞というのは富山県内では珍しい。だから、富山のあちこちの人も駆けつける。そういう構造なのだろう。

演舞の前に市長さんや市議の挨拶、新入りの担い手の紹介をする。新入りは「〇〇の子どもの〇〇」という紹介のされ方をしており、後の演舞では「この舞いは親子共演です」みたいなアナウンスも入った。昨秋に取材した沖縄の操り獅子で親を敬うような担い手紹介があり、ここまで親と子どもを結びつける紹介があるもんかと思ったものだが、ここ金山谷でも見られた。地域だけでなく親子が繋がるのが、祭りという存在でもあることを再認識した。

演舞は非常に感動した。ねり振り、一足、七五三、バイ返し、二足、大天狗・小天狗、八ッ節、三崩し、よそ振り、一足、獅子殺しという11演目が行われた。

最後の獅子殺しの演舞は非常に感動して、動画を撮ってるスマホの手が震えた。アナウンサーは「獅子殺しは獅子を殺すのではなく、地域を守ってくれていた強い獅子に戻すために(神の使いである)天狗が考えた戦いを表現しています。荒ぶる獅子の魂を鎮めるために、天狗が獅子に挑む壮絶な対決をご覧ください」とのこと。実際の演舞は赤絨毯が敷かれた参道で、獅子がどんどん天狗に殺されそうになり動けなくて震えていく。それでも天狗に立ち向かう。最後は天狗が留めをさすのではなく、獅子の背中の上に乗って、肩車されながら、仲良く神明社の鳥居から外に出て終了となった。これぞ世界平和の精神と感じた。厄を内包しつつも、それと共存しながら諌め、否しながら、生きていく。それこそが人間の真の生き方なのだと確信した。

演舞が終了した後に保存会の方にお話を伺ってみた。「春の訪れを祝う舞」ですよとのこと。昔は結婚や出産などの祝い事があった時に家の前でまうこともあったようだが、近年は高齢者が増えてそのようなことがなくなっているという。担い手も高齢化は進んでいるが、中学生から獅子舞を実施している人もいて、若い人は中学2年生から実施しているという。親子で獅子舞に参加することで、若い人を取り込んでいるようだ。

また、オータルカカエタルとバツの役柄が大変特徴的である。オータルカカエタルはオカメがヒョットコを背負い、獅子舞が舞うところを先に箒で露払いをしておくという舞いだ。発音から推測するに、オータルは「おんぶ(背負う)」、カカエタルは「だっこ(抱える)」のことだろう。保存会の方ににあれは何を表現しているのか?と尋ねたところ、「起源は海外に戦争に行った兵隊が現地で習い覚えた舞いだ。オカメがヒョットコを背負うのが一人二役しているのが面白くて流行ったんだろう」とのこと。「海外がどこであるかは知らない。「南方」と聞いたのだが、台湾かどこかだろう」などというので、そこは謎に包まれている。近年は着ぐるみで何かが何かを抱っこするというものが見られ、確か格闘技イベントのブレイキングダウンでもそういう着ぐるみを着た選手が出場していたような覚えがあるが、今も昔も抱っこしたような様子がユーモアに繋がり、それを1人で操るということの面白みは普遍的なものなのだろう。

また、バツはたまに猫の手で背中を掻いているくらいで特に立っているだけである。たまに傘を刺していて、観客をその傘の中に入れてあげるなどの優しい一面も見られた。また、バツもオータルカカエタルも獅子舞経験者たちだ。獅子舞を演舞している時に、そのリズムに足を合わせるように乗っていたのが印象的だった。意外とノリノリなんだけど、みんな舞いの時に注目しない。そういうキャラクターなのかもしれない。

さて、金山谷の獅子舞の歴史にも触れておこう。この地名からもわかるように、ここは鉱山労働者と関わりのある町だったようである。獅子舞の始まりは明治15年(1882年)というから全国的には比較的新しい獅子舞だ。その伝来ストーリーは金山谷よりもさらに山手の河原波の人々が能登半島に仕事で出かけた時に現地で習った獅子舞を習い覚えたということのようだ。能登半島から河原波、そして金山谷へと次々に伝播したわけだ。他の地域も同じくらいの時期に河原波から習ったところがいくつかあり、河原波は獅子舞伝播のハブとなった地域のようである。河原波とは江戸時代から金山開発が進んだ場所だ。そして鉱山労働者は出稼ぎの民であり、獅子舞を伝播する民でもあったようだ。ちなみに金山谷の地名の由来は川で砂金が採れたことにあるという。

参考文献
魚津市役所『魚津市史 下巻 近代のひかり』昭和47年3月、巧玄社