富山県でとくに古い行道獅子!?小川寺の獅子舞を取材、その歴史的系譜を振り返る

◎日本における行道獅子の始まり

612年に百済味摩之が伝えた伎楽が、無言で滑稽味を帯びた仮面劇として持ち込まれ、その一部に師子児が先導する形で、行道の獅子というものが存在していた。東大寺大仏殿の開眼式などで披露され、地方の大寺院にも伝えられたが、広まらなかった。元々が俗楽であるため、滑稽味を帯びた仕草が多くて宮廷や大寺院の楽として適さなかったからである。そのため後に伝来した舞楽にその地位を取って代わられてしまった。しかし、伎楽の形態は滅びたものの、師子は清浄を重んじる日本人の祓いの思想に適応したためか、後々まで伝えられ、日本の各地域で様々な発展をするに至った。

富山県における行道獅子

行道獅子は富山県内だと高岡の御車山行事、二上射水神社の築山行事、伏木気多神社の祭礼、魚津市小川寺地区の祭礼、射水市の下村加茂神社のやんさんま祭、立山町の浦田山王社の春季祭礼で見られる。これらの行事に共通する点は、箱獅子を使用すること、御旅の行列を先導すること、本殿の周回をすることなどが挙げられ、いずれも芸能化されていない。ちなみに、富山県内で最も古い年記銘を持つ獅子頭は八尾町布谷の紫野社に伝わる文明13年銘(1481年)のもので、これも行道獅子の形態を持つ箱獅子である。箱獅子の特徴は頭の頂部と鼻の頭の高さが変わらないことで、見かけは平べったいことだ。また、鼻が長くて一見竜に見えるので、竜頭とも呼ばれる。

小川寺(おがわじ)の獅子舞

ここで、富山県の行道獅子の例としてよく挙げられる小川寺の獅子舞について触れておこう。2022年3月12日にこの獅子舞を見てきた。魚津市小川寺地区の祭礼では、1月の火祭り、3月の春祭り、10月の秋祭りで神輿の渡御を先導する形で獅子と天狗が練り歩く。

獅子は2人立ちで地を這うように右や左を見回しながらゆっくりと歩く。右に3度歩いたら左に3度歩くという風に、交互にリズムよく歩いていく。これに対して師子児から発展した「獅子あやし」の役には4名が登場する。それが、天狗、婆々面(ベッチャリ・クソタレ)、姉まの4名である。ちなみに、ベッチャリとクソタレは村に実在した英雄の名前だそうだ。天狗の飛び跳ねる仕草はとても印象的だった。また、囃子方は横笛2人、太鼓2人、幟数名、総代3名であった。獅子頭の特徴は目が非常に大きく、歯並びが粗い箱型の獅子である。

獅子の行列は白山社から観音堂に進み観音堂を合計7回り半回る。まず4回はミヤンモリの舞いが行われ、ゆっくりとした笛の音に合わせて巡る。それから3回半はオカザキの舞いが行われ、笛の調子が早まる。合計7回り半を巡る所作は神の降臨を願う所作である。その後、神輿が白山社に帰り、獅子が見物客の頭を噛んで終了するという流れである。神仏混交の行事が現在に伝承される良い例である。これらの内容について、小川寺獅子舞保存会の大森様にもお話を伺うことができた。

小川寺は魚津市最古の村で103世帯がある。布施川の谷底盆地に位置し、数百年来宗教集落として栄えてきた。小川寺は真言宗の古刹として16坊が存在したが、現在は光学坊、心蓮坊、蓮蔵坊の3つしか残っていない。開祖は行基で746年以来の歴史がある。元々は山岳信仰が根付いており、僧ヶ岳の山頂に山の神が鎮まり、それが田の神となって里に降り家々の田を守護し、田植えが終わると再び山頂に戻るという信仰があった。後に仏教が伝来し、仏像に信仰が集まるようになると、夏に仏像を僧ヶ岳の頂上に置き、10月には冬で雪が被らないように小川寺村にお迎えして、春祭りで仏像を神輿に乗せて地域の家々を渡御し、終われば僧ヶ岳の頂上に再びお送りするという循環が生まれた。つまり原初的な山岳信仰の風習を踏襲しながらも、仏教伝来後は神仏混淆の形でそれをうまく地域に馴染ませながら伝来させてきたというわけだ。つまり、古いものを新しいものと融合させるのに長けている人々だからこそ、神仏混淆の行道獅子という非常に稀な形態を現代に伝えているということかもしれない。

▼獅子と婆々面

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観音堂を周回する獅子

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◎芸能獅子の始まりについて

行道獅子が中世に一度衰退し、近世中期以降に芸能獅子が盛んになったことを考えると、そこには時代的な隔たりがある。富山県内の芸能化した獅子舞の始まりは、最も古い記録で放生津新規町(現新湊市八幡町二丁目)が放生津八幡宮に奉納した獅子の道具箱に記された「文政十一歳子八月改」(1828年)である。「改」ということは、それ以前にも獅子舞が行われていたことを示している。『新湊市史』によれば、天明の頃(1781~1789年)に放生津全町に18もの獅子舞があったと『野村屋記録』に記されており、江戸時代の中期から末期にかけて獅子舞が始まったと見るべきだろう。

獅子舞の伝播はまず経済的に豊かで戸数が多い村から始まり、明治時代の中期(明治20~30年代)に爆発的に増加して現在に至る。時代背景としては明治10年代に松方デフレによる不況が起こりその不況を脱し、日清・日露戦争に勝利して、気分の高揚した時期であったことが伺える。また、出稼ぎ文化が未だ発達しておらず、村の中に若者が留まっていることが多かった。そのため、獅子舞に限らず、盆踊り、草相撲、盤持ちなどの農村娯楽も盛んな時代であった。

<参考文献>

富山県教育委員会富山県の獅子舞ー富山県内獅子舞緊急調査報告書』(昭和54年3月)

富山県の獅子舞活性化マスタープラン研究委員会(富山県教育委員会文化財課)『富山県の獅子舞芸能と祭礼ー獅子の芸能と行事の現状ー』(平成18年3月)

富山県教育委員会富山県の民俗芸能ー富山県民俗芸能緊急調査報告書ー』(平成4年3月)