富山県の獅子舞研究旅、職人、獅子舞、研究者との出会い

富山県は獅子舞が盛んな地。獅子舞に関するまだまだ調べきれていないことがたくさんある。そこで、2024年1月28〜29日で、現地を訪れる機会を得た。ここで、獅子舞職人、研究者にお会いしたり、獅子舞演舞を拝見したりと大充実だった。日記的に振り返る。

英雄伝説、名付けはいかに?「小川寺の獅子舞」

28日の午後は雨だった。小川寺で火祭りが開催されるとのことで、射水市から車を走らせた。果たして、火祭りは開催されるのだろうか?実際に現地についてみると、閑散としている。お、これは祭りは中止か?と思い、宿坊の中をのぞいてみると、なんと大勢の靴が置いてあり、人が出てきた。「祭りやりますか?」と聞くと、「中でやるから入っていいよ」とのこと。それならばぜひということで、お寺の宿坊の中に入っていった。そこにはお膳がずらりと並べられていて、ここで、お弁当が振舞われている。その間を縫うように、間も無く獅子舞が登場した。ひたすら長い廊下を往復するだけで、数分で終了してしまったが、面白い獅子舞を見ることができた。いつも外でやる小川寺の獅子舞といえば、カメラマンがぞろりと待機しており、なんだかうっとおしいような感じなのだが、今回はこじんまりと地元の人だけで、おそらく檀家だけで開催されているような感じだった。それでもカメラマンは数人きていたが、それでもまだマシな状況である。

小川寺の獅子舞は「行道獅子」の形態であり、舞うと言うよりは祓いながら歩くという言葉が似合う獅子舞だ。獅子頭は平坦で小さく、蚊帳はカラフルである。立山の麓、修験道が盛んで宿坊がいくつも軒を連ねるこの一帯では、信仰を背景として、古くからの獅子舞の形態がそのまま受け継がれている。富山県内では有数の伝統的で歴史ある獅子舞と言えるだろう。獅子と共に歩くのはオカメ、テング、ビッチャル、クソタレ。英雄伝説が絡むらしいがこの名前の由来は不明。小川寺の獅子舞を見終えた後は、温泉に行って射水市へと戻った。

高岡の工芸、その根幹を支える職人の姿

高岡の大國屋を訪れた。はオーダーメイドではなく既製品もあり、大量発注できそうな雰囲気。ものづくりへのこだわりは多くないが、しっかり経済を回してその基盤を築いている感じがする。高岡の祭り文化を支えている祭り道具屋だ。おもちゃの獅子頭が確か2万円代、これは安いと思った。

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次に山本染業にも訪れた。お話を伺ったのは29日の午前中。その日に電話してすぐに直行という流れ。突然の訪問だったにも関わらず、受け入れてくださり、とてもありがたかった。「仕事が早く終わったんだ」とそこには獅子の蚊帳が干されていた。奥様がコーヒーを入れてくださったが、短時間で10分ほどお話を伺うことができた。コロナ禍で獅子舞ができない時期に、新しいニーズを作ろうということで、染めの技術を生かした獅子舞の模様が入ったショルダーバッグなどのグッズを開発し、クラファンで販売していたというエピソードが大変興味深かった。86万円、56人の支援があったようで、このモデルは学ぶべきものが多い。金沢の奥田染物が密にならない小さい蚊帳を作って貸し出すということをしていたのも思い出した。現在は生産していないようだが、もし興味があればお問い合わせをとのことだった。

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山本染業の蚊帳は30万円以上で、作っているらしい。模様は伝統的な柄をそのまま取り入れる。基本は富山県の百足獅子が多いが、小さい蚊帳を作ったり、北海道の方から注文があることもあるという。高岡ならではの柄はよくわからないが、富山や井波は美術的でリアルな表現になる。また、新湊はカラフルな表現になる。獅子の蚊帳以外だと、祭りの半纏や神社仏閣の幕などを染めることもある。メインは蚊帳だけれども、それだけではなかなか成り立たないので、他の仕事も組み合わせるようだ。年間で15~16の蚊帳を作った年もあった。図案ができている状態で、染めのみであれば、2週間くらいでできるらしい。香川県では高岡の加賀獅子のように麻ではなく絹を使うことが多いので化学繊維の使用が増え、それでインクジェットという選択肢も出てきているように思うが、高岡ではそのような動きはないようだ。

「次の世代に伝える場ってあるんですか?」と聞いてみると、「小さい蚊帳の風呂敷作りなどの体験ができる場を作って行きたい」って話をされていた。新しい人が学びに来るというのはなかなかないようで、世襲で行なっていることが多いらしい。

浦幌と繋がる移民の足跡を探す「氷見市立博物館」

氷見市にはしっかり、獅子舞の展示がある博物館がある。ひみ獅子舞ミュージアムは、獅子舞に特化しているが、この氷見市立博物館もあった。これは友人の紹介で知った。ここには獅子舞コーナーがあり、数頭の獅子頭が展示されている。十二町(坂津)が伝播のハブになった場所らしいので、ぜひ氷見市の獅子舞を見に行くときは、坂津の獅子舞も見たいと思った。

そして、氷見と浦幌の獅子舞の類似はとても興味深い。浦幌町立博物館に行った時に、笹川平次郎という方が氷見から浦幌に獅子舞を伝えたという話を聞いた。これに対して氷見獅子研究者に尋ねたところ、「笹川という姓を探るのが近道な気もしており、大浦というところに1軒笹川性があるそうですが、旧家かは不明です。」とおっしゃっていた。  あとは北海道への獅子舞を伝えた記録があるのは、 十二町(坂津)→岩見沢、論田→? 触坂→長活町、氷見→五箇山→北海道風蓮  氷見市吉池→北海道赤平市住吉神社  あたりが気になる。あとはもともと、氷見市の薮田との交流事業をしていたが、 その詳細は不明 。演目から探るか 、伝来者の苗字から探るか 、浦幌開拓民の故郷を探すか、これからも探求を続けたい。