加賀未来市開催!石川県加賀市で9団体が演舞、獅子舞が集い新幹線延伸を祝う

 

2024年3月16日、北陸新幹線延伸を記念して、「加賀未来市」を開催!石川県加賀温泉駅前の芸能ステージでは「獅子舞演舞」が行われ、加賀市の獅子舞が過去最高の9団体が出演しました!今回出演したのは、塩屋町山代温泉大聖寺下屋敷町、山中温泉、動橋町、合河町(毛合・川尻)、南郷町大聖寺関栄という8町9団体でした。

このステージにて僕が所属する加賀市獅子舞を応援する会は、獅子舞演舞の企画・運営や、獅子舞グッズ販売などを行いました。当日は新幹線走行の音を聴きながら、地元の方や観光客など大勢の方々で賑わいました。お越しいただきありがとうございました!  (以下、司会文章を添付させていただきます。)

 

塩屋町 11時30〜45分  

最初に演舞いただくのは塩屋町です。漁師町の獅子舞です。太鼓と獅子が対峙する舞いで、寝るところから始まります。演舞の途中に色々な動作がありますが、起き上がる前のあくびというものがあります。徐々に荒々しくなり暴れ獅子となります。9月中旬秋祭りで神社で行われる獅子は「揚げ獅子」と呼ばれ、神社の参道を拝殿まで走る様子が、とても迫力があります。それでは、塩屋町の皆様よろしくお願いします。    

山代温泉 11時45分〜12時  

山代温泉の獅子舞は温泉地の獅子舞です。金沢から加賀獅子の形態を受け継いでおり、棒振りが獅子を退治する「獅子殺し」という勇壮な舞い方を継承しています。胴体である蚊帳がとても大きく、木彫りの迫力ある獅子頭も見どころです。    大聖寺下屋敷町 14時30分〜40分  商業地であり、城下町で発展した獅子舞です。昭和の終わり頃に、熊坂町の住人が故郷の獅子舞をそのまま伝えたと言われています。太鼓と獅子が登場し、4月の大聖寺桜まつりの時に町内を舞い歩きます。    

山中温泉 14時40分〜50分  

激しい棒振りと獅子との掛け合いに見所があり、温泉地らしく初めて見る人でも親しみやすい獅子舞です。獅子神輿が祭りで練り歩いたり、飾り獅子の文化があったり、町に獅子舞が溢れています。最近は大獅子を常設展示する「ししがしらんど」が完成し、それに合わせて山中温泉獅子祭りも開催されました。    

動橋町 14時50分〜15時  

宿場町として栄えた動橋町は、伊勢の五十鈴流の獅子舞を伝承しています。獅子舞を継承しています。2対1組の特徴的な獅子頭を持ち、太鼓と獅子で舞います。獅子が鳴き声を上げるなど、特徴的な場面も見られるかもしれません。    

合河町毛合・川尻 15時〜15時10分  

毛合と川尻は元々、2つの村に分かれていました。それが一緒になって合河町になったという歴史があります。毛合は雌獅子、川尻は雄獅子です。川尻は獅子、1人太鼓、笛という構成です。一方で、毛合は獅子、1人太鼓、笛という構成であるのに加えて、獅子退治の「棒振り」と獅子をなだめる「三番叟」の2種類の舞い手が獅子と対峙する。    南郷町 15時20分〜15時30分  次に演舞いただくのは南郷町です。南郷町は農村の獅子舞で、古くからの舞い方を継承しています。太鼓でドンと鳴って獅子が起こされて、頭を上下に振ったり、「ガタイチガンガン」という太鼓の音とともに、獅子頭を持っている人がジャンプをするという場面が見どころです。近年は保育園の夏祭りに向けて子どもたちと獅子舞作りをするなど、担い手育成に関して精力的な活動をしてきました。それでは、南郷町の皆様よろしくお願いします。    

大聖寺関栄 15時30分〜15時50分

 最後に演舞いただくのは大聖寺関栄です。もともとはお座敷獅子であることから、ゴザを敷いてその上で美しい足さばきが行われるのが見どころ。子獅子が崖から這い上がり、母親の乳を飲み、蝶々を追いかけるなど、成長していく物語となっています。長い伝統は脈々と受け継がれ、大聖寺の非常に古い舞いを今に残します。それでは、大聖寺関栄の皆様よろしくお願いします。



 

大獅子展示から獅子舞演舞まで!地域の繋がりを感じる祭りとは?石川県加賀市 山中温泉獅子祭り

2024年3月10日、石川県加賀市にて山中温泉獅子祭りを開催。僕が所属する加賀市獅子舞を応援する会は、「獅子舞演舞3団体」「獅子頭展示9体」「獅子頭作りワークショップ」「グッズ販売」の担当をした。10時から16時の時間帯、昨日までの雪がからっと晴れ、とても賑わった。山中温泉の獅子好きな想いとか、団結する力、結びつきの強い地域性を感じた。今回の祭典は山中温泉が主導となって大獅子展示常設施設「ししがしらんど」の完成を記念したもので、普段倉庫に眠りっぱなしの大獅子を山中温泉のど真ん中で常設展示を開始したのは大きな一歩だった。ハレだけでなく、ケの場でも大獅子は生き続けているのだ。

獅子舞演舞は山中温泉中島町、小塩町の3団体に舞っていただいた。どれも棒振りが登場する勇壮な獅子で、中島町山中温泉菅谷町に獅子舞を伝えた。また、小塩町は山中温泉北側に位置した桂木団に獅子舞を伝えたとされる。 昭和以前の話なので、地元が普段意識しないような地域同士の「繋がり」を感じ再編集する機会になった。

 

▼ししがしらんどに入る大獅子

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ps. 山中温泉獅子祭り演舞文章(司会:稲村)

「みなさんこんにちは!ここからは加賀市の獅子舞を盛り上げる活動をしている「加賀市獅子舞を応援する会」が担当させていただきます。みなさん獅子頭がいくつ残っているかご存知ですか?加賀市内には127町で日本全国でも有数の獅子舞の数と種類が豊富な地域となっています。今回演舞いただくのは、山中温泉中島町、小塩町の皆さまです。

山中温泉

激しい棒振りと獅子との掛け合いに見所があり、温泉地らしく初めて見る人でも親しみやすい獅子舞です。また、獅子舞のみならず、獅子神輿が祭りで練り歩いたり、飾り獅子の文化があったり、町に獅子舞が溢れています。漆塗りの技術があるという背景もあり、地域としてこれだけ盛んなエリアは珍しいです。

中島町

棒振り同士のキビキビとした激しい打ち合いが見どころです。棒振りが薙刀などを使って獅子を退治するという「獅子殺し」の形態です。獅子は棒振りを映えさせるような役割もあり、あまり動きません。白色の蚊帳に赤い獅子頭です。このような獅子舞は加賀市の中でも非常に珍しい形態です。この獅子舞は大人気となり、昭和の頃に山中温泉菅谷町の人々は中島町に何度も通い、獅子舞を習ったと言われています。

小塩町

全国的にも珍しい白色の獅子頭です。笛、太鼓、棒振りは小中学生が担い、総勢35名での演舞です。獅子舞は明治時代に流行したコレラウイルスの影響で石川県内灘町から移住した漁師たちによって伝えられました。棒振りが獅子を退治する獅子殺しの演舞があり、とても勇壮な獅子舞です。また昔、山中温泉北側で活動していた獅子舞団体「桂木団」に獅子舞を伝えた町のひとつです。
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コミュニティ獅子舞の実践

獅子舞をとある特定のコミュニティに生息させる試み。獅子の歯ブラシは地域を対象とするのに対して、この獅子舞の作り方はもっぱらコミュニティを対象とする。

3/3 しょくやぼ農園(神奈川県横須賀市)

ひな祭りの日に神奈川県横須賀市のしょくやぼ農園にて「わわわ祭」開催!獅子舞研究家として、ゲストで呼んでいただいた。獅子舞×土壁職人のコラボで、和文化、これからの暮らしを考えるイベントになった。当日は家族連れを中心に20名ほどの方にお越しいただいた。

まずは午前中に体験WS。土壁は日本の伝統建築に使われており、自然素材としての泥や藁を混ぜて作られる。これを職人さんに教わりながら、竹小舞に塗って土壁を作った。個人的には泥の色の多様性にめちゃくちゃ驚いた。

また、土地によって泥の色が違うようで、それを泥絵の具としてダンボールの獅子頭や白い布の胴体に塗って、模様を描いたり手形をつけた。みんなで獅子舞を作る達成感とそれに入って舞い歩く楽しさを共有できた。

最後にトークセッションが行われ、土壁職人の親方と僕と会場の皆さんで、住まい方について考えた。日本の伝統的な古民家って、免震構造地震が来たらそれに沿うように揺れるのだとか。その時に土壁も同時に剥がれることを想定しながら、塗るのだそうで。土地とともに住まうことを意識した。

また、獅子舞が舞いやすい家って、伝統的な古民家の開放性にあるのではないかと!囲炉裏があってそれを囲む、ある種のパブリックな場が生まれたり、襖を取っ払うと広い空間ができたり、縁側を通じて地域とつながる感覚。これこそ、地域の信頼感を醸成する交流インフラのようなものなのではと思う。

さて、僕はこのように獅子の歯ブラシのアート活動としての獅子舞づくりだけでなく、地域ではなくもっと焦点を絞った空間やコミュニティを対象とした獅子舞作りもしている。ぜひ獅子舞コラボできそうな方はまたお声がけいただきたい。

▼わわわ祭詳細
SYOKU-YABO農園
https://www.instagram.com/syokuyabo/?hl=ja




3/10 横浜国立大学IUI(神奈川県横浜市)

横浜国立大学で獅子舞を通して都市を考えるWS「獅子舞で都市と接続せよ」を開催した。参加者は横国をテーマに、キャンパスを歩いて素材を集め、獅子舞を実際に作って舞った。

今回は総勢11名で、大学生を中心にご参加いただいた。獅子の歯ブラシとは異なり、1週間で作っているものを半日で作り切るというハードさ。フットワーク軽くリサーチから制作、演舞までを行った。このプロセスで、獅子舞の思い通りにならない原初体験のようなものを得たのが面白かった。皆がやりたいことをやり始めて、偶然何かができていく。獅子頭建築学生が使っていた模型を使い、そして獅子頭の開閉構造は傘の上下運動によって起こる、まさにカラクリ獅子舞とも言うべき仕組みのイノベーションが起こった獅子舞となった。

舞い方の探究には時間が足りず、獅子舞制作がメインとなった。これは半日ではなく1日のワークショップだったなと思った。それでも最もコンパクトな形を目指した。大学で獅子舞を生息させるという試みもなかなか斬新だったと思うが、春休み期間なのであまり人が歩いていなかった。それゆえ目撃されることもなく進んでいくどこか空砲を打つような感覚があった。本来的には賑わいを作り出す獅子舞は日中に行われることが多く、一方で儀式性を帯びた獅子舞は夜にやることも多い。今回は賑わいを作り出す獅子舞なのに、夜の帰宅時間帯に行ったもんだから、今回のような時間感覚の逆転現象が違和感をつくりだされたのだろう。

▼詳細
https://ygsc-studio.ynu.ac.jp/news.html



獅子頭制作9日目

茨城県石岡市での獅子頭づくり。今回で9回目だ。まだまだ半分くらいいったかどうかというところ。ゆっくりと着実に進めていきたい。

本日の作業は前回取り付けた頭頂部をひたすら丸く削るというもの。かつてないほどに木屑が大量に出た。また、頭頂部の木が薄かったので内側に木を継ぎ足した。木工品が釘無しでピッタリ合うみたいなことはこういうことか!と思った。

今日はノミをハンマーで打つ、ノミだけで削る、小刀で削るという3種類の使い分けをした。特に教わるわけではないが、その都度自分にとって掘りやすいやり方を選択していく。ガッとたくさん削りたい時は、ノミをハンマーで打つ。それから少し手づる程度ならノミのみ、小刀は最終調整で美しい表面に仕上げる。なかなか気に沿ってスムーズに刃物が入れられないこともあったが、やっていくうちに「音がいいね!」と褒められた。ノミをハンマーで打つ時は特に音やリズムで良し悪しがわかるというのは面白い視点だと思った。

最近は師匠②に教わることが多い。師匠は汗かきなので、すぐ汗が垂れてくる。こんなに寒い冬なのによくこんな暑そうにしてるなと思うが、それだけ懸命に彫っておられるということだろう。帰り道、車で送ってくれた。「私は伝統工芸士を持ってなくて、プロではないような感覚です。だから、自由に美術展に出たり仕事を受けたりもしやすいんです」とのこと。普段は壁掛けの平面的な獅子を彫ることもあれば、小さいサイズの5万円の獅子頭を彫ることもある。彫刻の技術はさまざまな仕事に生かされるようだ。

自分も頑張ろうという良き刺激を受けた1日だった。


内側に板を足す


師匠②の彫りは滑らかだ

獅子頭制作8日目

本日は眉毛の彫りと獅子頭の頭頂部への木の貼り付けを行った。

寄木づくりの獅子頭は全体的に角張った木の塊を丸くしていくことが必要になる。その丸い角度や刃物を入れる深さなどをしっかりと見極めていかねばならない。その塩梅が難しいのでまず右で師匠のお手本を彫ってもらってから、左はそれを真似て自分で彫ってみるという流れで行った。微細な動きが必要になったので、小刀やノミがスムーズにいかなかった。もう少し慣れていきたい。

ところでもう1人の師匠は昔、先輩の家に泊まらせてもらった時に、午前3時に起こされて飲む水がないから吉祥寺駅のホームまで取ってこいと言われて、切符を買って取りに行った話をしていた。昔は飲料水が気軽に買えるご時世ではなかったそうで、吉祥寺駅のホームの水が1番うまいと評判だったそうだ。電車に乗らないのにホームに行くから切符も買わなきゃなんない。「こんなことも俺は乗り越えてきてるんだから」というさすが人生の師匠!とも言わんばかりの面白エピソードを話してくれたのだった。

和歌山県民俗芸能祭、ここにもあったか!素晴らしい獅子舞たち

和歌山の獅子舞ってどんな特徴があるの?という疑問とともに、2024年2月18日、第17回和歌山県民俗芸能祭を訪れた。もともと三面獅子という全国にも珍しい形態があることから、その取材をメインに、現地を訪れた。

野中の獅子舞(和歌山県田辺市)

始まりはなんと南北朝時代に遡る。吉野朝の護良親王が援兵を募った際にら駆けつけた郷士たちの指揮を鼓舞したのが、この獅子舞の始まりとのこと。熊野九十九社である継桜王子や近野神社、近露王子などに奉納することから、熊野信仰と深く関わっている。主要演目としては剣の舞があり、獅子が野に出た際に剣を見つけ、恐る恐るそれを咥え、八方位の悪魔を祓うという物語が込められている。そのほかには、道中神楽、お神楽、乱獅子、花がかり、うかれ獅子がある。剣の舞を実際に舞いを拝見した感じだと、まさに伊勢大神楽の獅子舞に似ていたので、おそらく後世に伊勢大神楽の影響を強く受けているだろう。剣を抜くときに観客に当たるかどうかみたいなスレスレを目指す感じがスリルがあった。

寿式三番叟(滋賀県長浜市)

唯一県外団体としてゲストで来ていた寿式三番叟。江戸時代後期に阿波の人形座が借金の代わりにと置いていった人形を使い始めたのが始まりらしい。その人形の非常に美しい装飾はひときわ目立っていた。この団体の後継者育成には目を見張るものがあり、海外からの学生を招いてサマープログラムを2003年から受け入れて以来、17年で400人余りの経験者がいる。海外ファンが多く、それらが伝承者となる未来もあるかもしれない。上演内容自体はけっこう長くゆったりとしておりなかなかストーリーを把握しづらいという個人的な感想をもったが、師匠のような人物がとても人形座への想いを強く持った方で心を込めて厳粛な表情を浮かべながら人形を操る姿が、万物を理解するかのような眼差しに思えて感動した。

顯國神社の三面獅子

三面獅子はオニ・ワニ・獅子の三面が登場する非常に珍しい獅子舞だ。オニは天狗のように鼻が長く、ワニは牙が鋭いという特徴がある。この三面獅子の始まりは定かでないものの、江戸時代以降にいくつか記録が散見される。「樫の木」で作られた獅子頭には、享保11年(1726年)の銘がある。また嘉永四年(1851年)の『紀伊国名所図会続編』等で三面獅子舞が登場した記録がある。オニ、ワニ、獅子という形態については、南隣の広川町に伝わる「広八幡の田楽」(国選択無形民俗文化財)など周辺地域でいくつか見られる。江戸時代以前の記録はないが、中世に祭りの先導役と厄祓いを主として担った「行道獅子」に似たような形態を持つ獅子だ。またオニは天狗あるいは伎楽の鼻高面、ワニは伎楽の崑崙にも似ているように思えるが関連性を示す資料は見当たらない。また「獅子退治」の形式を持つ獅子舞は他に、北陸方面に見られる加賀獅子や金蔵獅子の「獅子殺し」などがある。

上野の獅子舞(和歌山県紀伊田辺市)

この獅子舞が今回の芸能祭のトリとなった。室町時代から伝承されている獅子舞である。ただ昭和29年に古文書が大火で紛失したとのことで、詳細がわからないのは惜しまれる。こちらも伊勢大神楽の影響を強く受けている獅子舞だ。御神楽、弊の舞、乱獅子、くぐり、神ばやし、ごしゃく、花がかり、扇の舞、剣の舞、道神楽という演目がある。実際に拝見してみて、花がかりが特に印象的だった。木になる花に背伸びしてまでもどんどん向かっていく獅子の姿が優美であり、華やかな演目だと思った。この演目は岩手県のしし踊りに登場する柱がかりを若干彷彿とさせるほか、石川県沿岸部(とりわけ石川県金沢市内灘町加賀市橋立地区)に伝わる花棒によって雌獅子を誘い出す舞いと類似していると感じた。この上野の獅子舞は雌獅子だろうか?

和歌山県の獅子舞は三重県伊勢大神楽の影響を強く受けて発展したことがわかる。これは野中の獅子舞と上野の獅子舞を見て感じた。また、奈良や大阪、京都という飛鳥時代から平安時代にかけての芸能の中心地も近く、その影響も受けている。それゆえに芸能の歴史も非常に古いという印象である。三面獅子はおそらくこの飛鳥時代以降の伎楽の影響を少なからず受けている。このように周辺地域の獅子舞の特徴が少しずつ伺え、それらが集合して今日の和歌山の獅子舞文化ができているように思える。

東京都板橋区 諏訪神社の田遊び。千年続く素朴な神事で、獅子舞を発見!

田遊び神事の獅子舞は非常に素朴で東京の中にあってはどこか貴重で珍しい獅子舞と思った。
2024年2月13日、国指定重要無形民俗文化財、赤塚諏訪神社の田遊び神事を訪問した。この民俗芸能のことをつい最近までずっと知らなかった。都市祭礼というよりは農村祭礼が、なんと池袋にも近い板橋区の赤塚諏訪神社にて実施されたのだ。当日の様子を振り返ろう。

19時に神事が始まるとのことで赤塚諏訪神社に到着した。人だかりはできていたが、30分くらい何も起こらなかった。それで動きがあったのが、鳥居の外から鉄の棒をガラガラとひき、または提灯を手に持つ神事の担い手たちが境内に入ってきた時だった。

神輿が出てきてそれが、鳥居の外に出て、浅間神社のお祭り広場まで移動した。

何もない空地はどうやらお祭りで使う重要な場所だったようだ。広場の中では次々と舞が行われた。今回拝見した獅子舞は左右に頭を大きく振るような激しさがあった。悪魔払いの意味があるという。

広場に入る時と出る時に、花籠を立ててからすぐに天狗が大声を出すというのが印象深かった。

それからまた赤塚諏訪神社に戻って再び獅子舞が行われた。ここで行われた獅子舞は「九字の舞」といわれる。

それから寿の文字が書かれた神様が来訪して、あとは「太郎次」と「やすめ」という、どこかひょっとことおかめを連想させる2人が現れた。

その後に最終的な田遊びの歌が行われた。これが行われたのは拝殿前に設置されたモガリという名の舞台である。モガリ上方の装飾は非常に興味深かった。ギザギザした三角模様はカカシを示すという。赤い的のようなものは太陽だろうか。花籠もここに設置された。

これは田んぼでの五穀豊穣を祈る予祝の芸能とのことである。その後、篝火でいろんなものがお焚き上げされて夜空に明々と炎が舞い上がっていた。

また、田遊びの歌を歌う時には、牛と鞍が登場する。鞍は餅でできている。また杵に入れられた木の枝は、鍬を表すという。この手作り感がとても良かった。

素朴な形態を残すのは、こういう道具のつくりだったり、夜に実施される神事的な側面だったりということなのかもしれない。昔は明かりなんてないところでやってたのだろうけど、今ではカメラマンが撮影しやすいようにライトを持参していることからしてもなんだか神事から見せる祭りへの変遷が伺える。こちらはひょっとこのような役の背後に照らされた強い光。

篝火の消化にあたっていた消防士。狛犬は焦げないように保護され、神事の後には水をかけて冷やされていた。こういう細かい裏方の仕事もとても大事である。

この赤塚諏訪神社の田遊び神事は長徳元年(995年)から受け継がれている神事であり、実に1000年以上の歴史がある。平安時代から脈々と受け継がれるこの神事。近年開発が進んだ住宅地で拝見したのはどこか考えさせられるものがあった。昔はもっと多くの土地が田園地帯だったのだろう。神社の立て看板によれば、正保年間(1644年〜48年)には4900俵(840トン)のお米がこの地域一帯の「徳丸ヶ原」で生産されたという。それが明治9年の大開墾もあり、大正5年には352ヘクタールの水田から14000俵(840トン)のお米が生産された。今では住宅街も多くなったが、その中でも行われる田遊び神事。土地の暮らし、民俗の歴史をを色濃く伝えてくれている。池袋から電車ですぐの郊外にこれほどまでに厳かな農村行事が残っていたとは驚きであった。