稲村行真 Yukimasa Inamura ブログ「旅してみんか」

「伝統文化の魅力」を広めています。日本の伝統的な木造建築の古民家とその街並み、山奥の少数民族の村、過疎地どこでもフットワーク軽く旅をしております。

自分の中の「違和感」から長所を見つける、旅の視点

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長所の見つけ方って色々あると思います。性格診断(ネット・本)、占い、仲の良い友人に聞く、などなどです。そんな中で、個人的には自分の中にある「違和感」に着目してみるのが良いのではないかと感じています。


長所は他人と自分の相対評価

まず、長所について考える上で前提としてよく思うのが、いつでも「相対評価」であるということです。極端なことを言えば、100人がテストを受けて99番目の成績だったとしても、100番目の人よりは勉強が得意であり、それも長所と言えるでしょう。だから、99番目の人は100番目の人に対して、「勉強を教える」という関係性も成り立つわけですし、それが仕事になることだってあります。だから、99番目の人に対して100番目の人は勉強が得意である(=長所)と言えるでしょう。


何に対して違和感を感じるか?

長所は相対評価だという前提で話を進めてみます。僕は飲食店、運送業、塾講師など業種問わずに30個以上の様々なアルバイトを経験しました。我ながら、好奇心が強すぎますね(笑)。その道のプロともお会いする機会にも恵まれたので、そのことについて書いてみます。


例えば、飲食店のキッチンにいた時は、ミスなく、順序を間違えず、焦がさずに料理を3つくらい同時に作って出すという、料理人の「臨機応変」と「視野の広さ」に感動しました。逆にそれができてない人に対しては、徹底的に注意をしていました(僕もたくさん怒られました)。


また、茅葺職人に弟子入りした時は、丸太をバランスよく肩の上に置いて素早く運ぶ職人の「体の使い方」に感動しました。そして、運動ができる人というのは2パターンの人がいて、「体力がある人間」「体が使える人間」は別であるということを初めて実感した出来事でした。訓練すればできるようにはなるけど、本当に体の動かし方を知らない人はこの仕事は向いてないかも...とお話をされていました。


また、建築事務所で働いていた時は、正確に数値を測って少しのズレもない建築模型をつくる、建築士の「手元の正確さ」や「きめ細かさ」に感動しました。ほんの少し1mmのズレでさえも違和感を感じるようで、徹底的にやり直しをさせるというのが普通でした。


いろんな仕事を経験してみると、各業界のプロがなんでプロなのかが見えてきます。他人の仕事に強い違和感を感じるならば、それは長所である可能性が高いということでしょう。


ささいなことでも、自分は何に違和感を感じるか

それでは、逆に僕は何に対して違和感を感じるかということについてです。よくよく考えてみたのですが、facebookとか、instagramとかの画像の構図や色の配置や文字の配列とかが異様に気になります(笑)。


それは、街を歩いていても同じ。ここの店の色の雰囲気変えたいとか...この場所の色味が好きじゃないから立ち去りたいとか...無意識に感じてしまうようです。つまり、視覚的な雰囲気に敏感なのかもしれません。単なる些細な発見ではありますが。


だから、少なからず今取り組んでいる「アート作品の制作」や「文章を書く」ということは、自分の長所を生かした活動ができているということだと感じます。


旅先でも違和感に敏感に

旅行をしていても考え方は同じ。街を歩いていて、なにを感じるかってとても重要です。ただ呆然と旅をするよりも、あ!これいいな!とか、これ違うな!とか、考えながら旅するとより旅が面白くなるでしょう。


とくに、違和感に対してアンテナを貼ることで、裏返すと長所を発見することにもなります。そして、仕事や人間関係などこれからの人生に生かせるような重要な発見があるかもしれません。

【2019年4月】石川県加賀市・獅子舞の写真撮影まとめ

2019年4月13日

獅子舞の祭り「大聖寺桜祭り」に向けたしめ縄づくり

加賀市大聖寺で行われる、桜祭り(獅子舞が披露されるお祭り)の準備のお手伝いをして来ました。まずは、しめ縄を道端の家と道路の間に張っていく作業をします。これは神輿が通る神の道を俗世界と分ける「結界」というものを作るためです。自分の家の前の結界は自分で作るのが基本です。藁と紙とを交互に取り付けて行く作業をして行く中で、近所の人との交流も自然に生まれます。

こちらが取り付けている様子。明日の獅子舞がとても楽しみです。

 

激しい退治型の獅子舞!塩浜町

青年団の副団長を務める浅井さんのお話

 

次は獅子舞のお話を伺うのと、撮影をさせてもらうために塩浜町へ!青年団の副団長をしている浅井さんにお会いして来ました。塩浜町の獅子舞は暴れ獅子で、獅子舞を退治する型の獅子舞です。獅子を退治する役の棒振りは薙刀と、火に見立てた赤い布を巻きつける棒の2種類を用いて行うのだとか。海側の地域の特徴としては、やはり激しい獅子舞であるというのがポイントです。荒々しい海を鎮めるなどの意味合いがあるのでしょう。あまりの激しさから、耳は取れてしまうから最初からつけずに、軽めの獅子頭を持って踊るのだそうです(僕も下の写真のように、踊り方を教えてもらいました)。後継者不足で、団員数は9名ほど。本番の9/14.15に向けて練習を行うようです。もっともっとこの地域の獅子舞の魅力を伝え、後継者が増えるように頑張ろうと決意を新たにしました。


ps. 移住定住のサポートをしているぶなの森の山田さんもこのプロジェクトに興味を持って一緒について来て下さいました!獅子舞の各団体がどう工夫して、人員不足などの課題を乗り越えて来たのか、展示の時に見せられると良さそうということなど、様々な面白いアイデアまでいただき感謝です!今後巻き込んでいくメンバーも増えそうで、これからがさらに楽しみになりました。

(こちらはデザイナーの鮒池さんのご紹介で取材が実現)

 

2019年4月14日

大聖寺桜祭り当日

失われゆく危機感の中に見える発信の重要性

石川県加賀市で行われた大聖寺桜祭りを観て来ました!午前中は、獅子舞、午後はお神輿と一日中楽しめるお祭りです。

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やっぱり、動いているものを撮影するのは、とても難しいです。それでもなんとか良い写真をいくつか撮ることができました。大聖寺錦町のらくやき体験工房を営まれている荒木さんに案内していただいたこともあり、合計で約8地区も獅子舞を見学することができました!本当に出会いに感謝です。
大聖寺錦町の獅子舞に関する情報はこちら。 >【2019年2月】石川県加賀市・獅子舞の写真撮影まとめ

親子孫3代で獅子舞の踊り手を務めるという地域愛

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らくやき工房の荒木さんは近年、親子3代で踊り手を務めたことがあるようで、その時のことを話してくださいました。なんと子供さんが上海から踊りのために駆けつけ、親子3代が実現したんだとか。会場は大いに盛り上がり、拍手喝采だったようです。本当に地域を愛する気持ちがないとなかなかできないことで、とてもすごいエピソードだと感じました。
だんだん年をとってくると、神様に近いようなものが山から降りてくるのを感じられるようになるともおっしゃっていました。土地に感謝する気持ちが年々芽生え、若い頃とは全然違う見方ができるようになったそうです。
今の時代、土地に対する愛着というものは年々薄れつつあります。そして、僕のように旅をしながら生活をしている人間もいて、複数の土地を拠点にしている人も多いです。インターネットの発達で情報が溢れすぎていて大事なものを見失いがちになることもあります。そのようなライフスタイルの中で、大事にしたいひと、もの、ことに対する愛を持っている人は素直にとても美しいです。荒木さんの目はとても生き生きしていて、僕もそういう気持ちを大事にしようと改めて実感しました。

 

失われゆく危機感の中から生まれた感情を、どう読み解くかが求められている

この地域愛の背景、逆説的に言えば、インターネット世代の台頭で個人間の結びつきが強くなり、失われゆく危機感の中から生まれた感情なのかもしれないとも思いました。僕は「古民家鑑定士」という資格を持っていますが、日本の伝統建築について見直されるようになったのは、西洋建築の台頭が契機となっています。それと同じ現象が、獅子舞の進退を巡るせめぎ合い(地域間コミュニティ優位と個人間コミュニティ優位の争い)にも生じているという可能性は高いでしょう。
実際、獅子舞は地域の結びつきを強くする役割をになってきたところがあるのは確かです(祭りの役割についてはこちら)。しかし、踊り手などの担い手が不足していて、近年獅子舞の実施が困難になっている自治会も多く、地域の結びつきが弱くなっているのも事実。そんな中で、僕らはなぜ獅子舞が衰退しているのかと、なぜ必要とされているのかをもう一度見つめる必要があるでしょう
衰退している理由は、「続ける意味というのがわかりにくいから」「楽しみが他にあるから」「実際踊ってみると疲れるから」など様々です。一方で、必要としている理由も「地域の繋がりが希薄だから」「上下関係を学べるから」「地域を大事にする心が育まれるから」など、様々に存在するといえるでしょう。
そう考えると、観察者であり発信者としての僕の役割は、失われゆく危機感に目を向けて、そこに複雑に絡み合う紐を解いて、考え抜いた先の選択肢を選びとっていただくことなのかもしれません。その先に情報過多社会において、迷いのない生き生きした目をもった愛を知る次世代がどれだけ増やせるか、という視点がとても重要なのかもしれません。獅子舞という文化に目を向けることは、実は誰にでも本質的に関わりうる命題に目を向けること。これからも、情報発信の質を高めていけるようにブログを更新していきます。

 

2019年4月15日

大聖寺桜祭り2日目

様々なところから担い手が集まる、中町の獅子舞

中町の獅子舞は午前8:00ごろに始まり、午前10:00ごろに終わりました。青年団全員が太鼓や踊り手などの全ての役職をこなせるようで、皆器用だな!!!と感動。団員約10名ほどで各家を回っていると、ご近所の方々も見学でぞろぞろ集まって来て、獅子舞に関心ある人が多い!という印象を持ちました。


この青年団は20歳前後の人で構成されており、若い人ばかり。他の地域に住んでいる人が踊り手になることに対しても寛容であるため、踊り手の数も比較的多いという印象を持ちました。(青年団の吉本さんに御誘いいただき、撮影が実現。僕にも以前、獅子舞の踊り手のバイトしてみる?と声をかけてくださっていたのですが、今回は練習に参加できないため撮影に集中することにしました。)


このように、中町をはじめ大聖寺では、獅子舞を地域として盛り上げていくことに積極的な人が多く、よその人に対しても寛容であることがわかりました。

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他の自治会の獅子舞にも、たくさん出会うことができました。

こちらは、荒町の獅子舞です。

ファミマ×獅子舞、新しい組み合わせ(笑)

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あとは、大行列のお神輿を追いかけたり、屋台に行ったりするのも、なかなか楽しかったです。

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大聖寺桜祭りに参加して考えたことまとめ

個人的な意見にはなりますが、大聖寺桜祭りの面白さは、

8町の獅子舞が同時にいろんな道端で暴れまわっている!!!

というところです。

獅子舞の気持ちはこんな感じでしょうか(笑)

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車はたくさん通っていますが、道路の半分くらいまで獅子舞の胴体がはみ出ていて歩行者天国的な寛容さがあります。そして獅子舞に加え、午後からはお神輿も登場して、カオスなところがまた面白いと感じました。


うろちょろ町を散策してみて、宝探しならぬ「獅子舞探し」に明け暮れるというのも一種の観光として面白いです。獅子舞を探す途中で、こんな良さげなお店あったんだ!などと町の魅力に気づけると感じました。


興味を持った方は、来年ぜひ来ましょう。

おしまい。

民俗学の系譜について。

民俗学とは?

これまでの国史といわれるものにただの一頁も跡をとどめなかった名もなき民の過去の姿を現在の民間伝承によって復原し、時の流れの中に正しく身を置くことによつて、今日の生活に対する反省と、未来への判断のよりどころたらしめようとする民俗学という学問

民俗学研究所発足の言葉より)

 

つまり、歴史学がカバーできなかった民衆の歴史を探求して、

今日の生活を反省して、未来の人の幸せに生かそうという学問である。

 

民俗学の特徴

「在野の学問」

民俗学研究とは世の中のあらゆる分野に関わることでもあり広義的である。自らの調査体験の積み重ねや隣接諸学との交流の中で方法論を磨いて、独自の民俗学研究の境地を開拓していく。

(僕は学生時代に30個以上バイトをやったいわゆる飽き性であるが、これは民俗学的に言えば理想的な状態。フェアトレードの事業立ち上げも古民家活用も全部この民俗学的アプローチ。)

 

 民俗学の着眼点

分布状況

どのように研究対象は伝播していったのかを見る。

多様な変化系

どのように伝播の過程で変化していったのかを見る。

バリエーションの存在

各地方ごとにどのようなバリエーションの違いがあるのかを見る。

(ex.方言とかが例えとしてわかりやすいかも。古民家でも一緒。)

 

これは、たぶん交差交換や相転移ともつながる考え方。

要は、水が冷凍庫の中だと氷になったり、沸騰したら蒸気になるのと一緒で、

環境が変われば状態が変化するということ。

 

 

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民俗学に関係する人物の特徴をまとめておく。

 

民俗学までの系譜をになった人>

本居宣長(1730~1801)

国学の研究者で、「古事記」や「源氏物語」の研究などを行った医師・文学者・教師民俗学的な観点を持っていたが、実地調査をしなかった点が特徴。民俗学を創設した柳田國男は、民俗学の系譜の第一人者を本居宣長とする。

 

菅江真澄(1754~1829)

旅人で、旅日記・随筆・地誌といった文章を書き、絵を描いて暮らした。最後にたどり着き定住した秋田で書いた著作は民俗資料として高く評価されている。また、国学、医学、本草学の知識が深かったと言われている。

 

平田篤胤(1776~1843)

オカルト研究の第一人者。やりたくもない雑用に耐えながらも、体力がすごかったようで、作家としての道を切り開く。帰納法を重視した柳田國男とは異なる演繹法のアプローチで研究。最大のテーマは、生と死の世界に存在する霊魂のことであった。

 

坪井正五郎(1863~1913)

日本の人類学の先駆者であり、考古学の開拓者。日本の石器時代の人はコロポックルアイヌの伝承で登場する小人)であったという説を唱えた。柳田國男南方熊楠を結びつけた人物。各個別の文化に着目するのではなく、どうやって成り立っているのかという仕組みを大きく捉える点が、民俗学と異なる。

 

民俗学創始に関わった3人>

柳田國男(1875~1962)

日本の民俗学創始者。研究者でありながら、農務官僚、貴族院書記官長、枢密顧問官なども務める。歴史学から端を発し、民俗学を民の歴史として生活に役立てようとした。

 

折口信夫(1887~1953)

柳田國男の一番弟子であり、民俗学者・詩人。マレビト論争で柳田との対立があったように、学者としての道を貫きつつ、民俗学の基礎を創る。

 

渋沢敬三(1896~1963)

渋沢栄一の長男であり、銀行員。大蔵大臣も務める。柳田と出会い、民俗学に傾倒。常民文化研究所や民俗学博物館建設を行うとともに、漁業史の分野で功績を残した。

 

<周辺領域で友好関係にあった人>

新渡戸稲造(1862~1933)

農学者、教育者であり、国際連盟の事務次長も務める。東京英語学校、札幌農学校をでたのち、アメリカに行く。そこで書き上げた「武士道」がベストセラーになり、各国語に翻訳され、ルーズベルト大統領の目に留まる。その後台湾で、サトウキビの改良や市場に関する意見書を提出し、財政の独立に貢献。その後、国際連盟の事務次長になる。

 

南方熊楠1867~1941

博物学者、生物学者(特に菌類学)、民俗学者。粘菌・キノコ・藻類・コケ・シダなどの研究、高等植物・昆虫・小動物の採集などを行う。学生時代は日本で過ごしたのち、イギリスで研究を行い「ネイチャー」に51本の論文をのせる。これは単著としては歴代最高記録である。帰国後は柳田國男との交流を深めながら、雑誌に論文を掲載。大学を退学、フリー研究者として旅をして、サーカス団でお金稼ぎ、暴力事件、酒飲みなど数々のエピソードがある。孫文昭和天皇からも高く評価される。

 

 

 

などなど、紹介しきれないくらいたくさんの人が

民俗学に関わってます。

 

 

青梅の秘境カフェ「ニウギ二」でパプアニューギニアの話を聞く

東京都青梅市にカフェ「ニウギニ」というお店がある。ここは知る人ぞ知る名店で、パプアニューギニア歴20年のアポさんご夫妻が運営されているお店だ。

www.facebook.com

 

パプアニューギニア ってどこ?という方向けに、こちらのグーグルマップを貼り付けておく。この地図を見ての通り、パプアニューギニア には行きたいところが多すぎて、僕のグーグルマップには緑色のチェック(行ってみたいマーク)ばかり入っている(笑)。

 

あまりにも現地情報がなさすぎて、国立国会図書館で手当たり次第資料を探してみてもよくわからなかった。だから今回、日本で最もパプアニューギニアについて詳しく知る人の一人であろうアポさんに会いにこのカフェを訪ねてみたのである。

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このカフェの場所は、JR青梅駅から徒歩9分の清宝院というお寺の真横である。大きな道から外れたところにあり、まさにTHE隠れ家という感じである。一見、普通のお家だが、この立て札がお店の目印。「あっと驚く」の文字に、カフェの店内にはどんな世界が広がっているのだろうか?とワクワクする。

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中に入ってみると、日本では決して見ないであろう仮面の数々!これはパプアニューギニア に存在すると言われる少数民族の1つ、マッドマンの仮面である。

 

マッドマンはかつて周囲の部族と対立を繰り返してきた。逃走中に泥にはまり、全身が泥まみれになった姿を敵方に見せたところ、亡霊が現れたと勘違いされて身を守ることができたという逸話を持つ。つまり、マッドマンにとって、この仮面は身を守るための道具なのである。

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少数民族写真で有名なヨシダナギもマッドマンを撮影している。

tabippo.net

 

他にも、棚には様々な仮面の数々が!仮面に囲まれながら、食事を楽しめるのである。

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さて、食事は何にしようかとても迷った。ネパール料理やパプアニューギニア 料理が多かった。僕が一番気になった料理はこちら、「アポカレー」。

 

このカフェのオーナーであるアポさんが得意とする料理で、毎年パプアニューギニア に行った時に村の人々に振る舞うのが習慣になっているとのこと。つまり、パプアニューギニア の人々の好みの味付けになっているようである。

 

面白いのが、カップラーメンが入っているところ(写真左下)。カレーにカップラーメンを入れている人を初めて見た...!味は意外と他の具材ともマッチしていて美味しかった。

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食後に、アポさんにパプアニューギニア に関する情報を伺ったので、以下に情報をまとめておく。ちなみに、アポさんはこの写真に写っている男性である。

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①現地の最大の見所・お祭りについて

パプアニューギニア で最も盛り上がるお祭りは、毎年「特別な日」とされている9月16日の前の金土日に開かれる「ゴロカフェスティバル」である。たくさんの民族が衣装を身にまとい、得意の演技を披露するそうだ。

 

その他にも、7月のラバウル・マスクフェスティバル、8月のマウントハーゲンショーなどが大きな祭りのようである。

 

②見所のエリア

今回は、ポートモレスビーから飛行機でいける「ゴロカ」「セピック」と、ゴロカからバスで1日のところにある「マウントハーゲン」について伺った。少数民族を手軽に見たいなら「ゴロカ」と「マウントハーゲン」がお勧め。

 

一方で、裸族を何日もかけて探し出す、石器時代に潜り込んだようなディープな旅をしたい場合は「セピック」まで行く必要があるとのこと。ここを旅するには、ウエワク方面からセピック川を上流に向けて船で漕いで行く。船で一週間旅をしようと思ったら最低20万円も必要とのこと。ただし、これは船あたりの料金なので、大人数で行って割り勘するのがベストかもしれない。

 

③現地ガイドや宿について 

パプアニューギニア はとてもディープな場所。知らないことだらけなので、日本語が喋れるガイドがいたら心強い。「PNG」という日本語対応の旅行会社があるようで、そこに頼むのがベストとのこと。

 

首都のポートモレスビーの空港や、最も有名な少数民族の宝庫・ゴロカのバードパラダイスホテルなどで手配できるようだ。日本にも、横浜や九段下にオフィスがあるそうだが、現地の詳しい情報が聞きたかったら、もう現地で聞くより方法はないようである。ツアーの最安値は1万円とのこと。

 

宿は、例えばゴロカでは、「ゴロカロッヂ」がお勧めとのこと。値段は1泊約4000円で、物価が高いと言われるパプアニューギニアの中では最安値に近いようだ。普通は1万円を超える宿が当たり前のようで、それと比較すると格段に安い。首都のポートモレスビーは治安的に危ない(特に夜)ので、ゴロカなど比較的安全な地域に早く移動して、宿を確保するのが良いようである。

 

また、例えば「セピック」方面だと、「ニューウエワクホテル」がおすすめとのこと。この宿は珍しく日本人が経営しているようである。

 

ホームステイは「縁の世界」と言われており、現地の人と一緒に生活してみたい場合は出会った現地の人と仲良くなって家に招いてもらうしかないようだ。補足で、仕事を探す場合も同様にコネが重要で、他に方法はないらしい。

 

④安全性について

主に気をつけるべきは「ボイル」という感染症と、スリ、紫外線のようである。まず、「ボイル」について。これは蚊やダニに刺されて、そこにハエが群がることにより生じる感染症で、身体中がだるくなるとのこと。もし万が一かかった時は、薬局でクスリを処方してもらう必要があるようだ。とくに「セピック」では注意が必要で、1~5月だと気温が低く安全のようだ。

 

スリはよく外国人が狙われやすいそう。一緒に行動していた人がいつの間にかお金をたくさんせびってくるというのも普通のようである。とくに夜が狙われやすいので、その時間帯はホテルにこもってしまうのが良いようだ。

 

また、赤道近くということもあり、紫外線が強い。すぐに真っ黒に日焼けするので、注意が必要である。

 

⑤参考文献

パプアニューギニアについて知る上でオススメの本もたくさん伺った。

 

辻丸純一写真集「シンシン」(シンシンとはお祭りのこと)

www.amazon.co.jp

 

諸星大二郎「マッドメンの世界」

www.amazon.co.jp

 

 とても詳しいヒアリングができてよかった。パプアニューギニア に行くなら、十分な金銭的な余裕と、団体で動くのが良さそうだと感じた。今後の計画の参考にする。

 

東京都青梅市の秘境カフェ「二ウギ二(NIUGINI)の基本情報

住所:東京都青梅市柳町1203
電話番号:050-1282-1799
アクセス:JR青梅駅から徒歩9分

2019年3月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

tabelog.com

 

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自分で調べてみたこと

 

パプアニューギニア への行き方>

時期によって変動ありで、最安値の表示。東京か関西(安い方)からパプアニューギニアポートモレスビーへの行き方とする。これをみると、②ケアンズ経由が最も安くていけそうである。

 

①や③の場合、直でポートモレスビーに行くと高くなるので、インドネシアパプア州にあるセンタ二空港を経由して、そこから船でパプアニューギニア 入国の流れになる。ただし、アポさんの話によればこの船に乗るにはヒッチハイクに近い感覚なので、本当に乗れるかはわからないという。④直行便だと、少し高くなってしまう。

 

①バリ島経由:約5万円?

東京デンパサール 20000

デンパサール→センタ二 30000円

そこから船でバニモへ渡り、パプアニューギニア入国?

 

ケアンズ経由:約4.5万円

関空ケアンズ 25000

ケアンズポートモレスビー 20000

 

ジャカルタ経由:約4.6万円?

関空ジャカルタ 17000

デンパサール→センタ二 29000円

そこから船でバニモへ渡り、パプアニューギニア入国?

 

④直行:約5.5万円

関西→ポートモレスビー 55000円

 

パプアニューギニア 内での移動は、基本道路がないので空路となる。エアニューギニやPNGエアの2社の航空会社がある。ポートモレスビーからゴロカは約1.2万円、ウェワクまでが約1.7万円などである。

【2019年2月】石川県加賀市・獅子舞の写真撮影まとめ

2019年2月18日

白山市獅子吼」で獅子舞のルーツを知る!

獅子ワールド館視察

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・獅子舞のルーツ

 アジアではかつて神とコミュニケーションする手段とされてきた。人が舞い踊る時、神様と出会えると信じられている。儀式は観光化される一方で、全く人の目に触れない形で執り行われる場合もある。より幸せに生きるための厄払いの意味は当初から変わらなかった。

 日本初の獅子舞の仮面は9体あり、正倉院に保管されている。まずは、仮面舞踊劇として仏教とともに伝わったそうだ。

 612年2月に百済味摩之(みまじ)が伎楽舞(くれうたまい)を伝え、その伎楽舞で獅子頭が使われたようで、752年の東大寺の大仏殿開眼供養の際に演じられた記録もある。日本人の「外から来た文化を自分たちなりに変化させて取り入れる」という性格によるものだ。のちに舞楽が伝えられ伎楽舞は衰退したが、獅子舞は引き継がれるようにして残った。

 

・獅子舞の種類

 おもに「一人立ち」と「二人立ち」に分かれる。1つの頭につき1人で踊るのが「一人立ち」、1つの頭につき2人以上で踊るのが「二人立ち」である。

 「一人立ち」の場合は三匹で踊る獅子が特徴なのと、獅子以外の動物に変化したもの(鹿、カモシカ、龍、猪、熊など)もあり、バラエティに富んでいる。

 「二人立ち」の場合は胴体が布でできた幌型(ほろがた)というものと、毛で覆われたぬいぐるみ型というのがある。幌型は2人入るものと大勢ではいるもの(大獅子)に分かれる。

 

・日本全国に獅子舞が広まったわけ

 西日本に獅子舞を伝えたのは、伊勢の御師(おし)たちの役割がとても大きかったと言われている。御師とは神宮における宣伝部のような役割で、日本各地を歩いて回るとともに、伊勢まで行かなくてもお参りを叶えられるように祈祷やお札配りをしていた。その人たちが獅子舞を伝えていったのだそう。

 一方で、御師と並んで神楽師(かぐらし)という職業もあった。この人々は獅子頭御神体として「神楽」と呼ばれる輿の上に乗せ、獅子舞を奉納して回った。各村人にとって獅子舞はありがたい神の使いであり、数少ない村の娯楽であったため、自分で演じて見たいという人も多く出てきた。

 東北は山伏によって、獅子舞が伝えられた。山伏は獅子舞のことを権現様と称して、各家の土間で披露を行なった。どこからともなく現れ、自分たちのことを救ってくれるかのような技を披露してくれることは、人々にとってありがたい存在と考えられた。

 

・加賀獅子の始まり

加賀獅子の始まりは、経済的に裕福な金沢の町人たちのコミュニティだったという。金沢市の上野八幡神社の古文書には天命8年(1787年)8月に「棒振装束新出来」「棒振面二ツ」という記述があり、これが最も古い記録とされている。江戸末期から明治にかけて、町人や農民が自由に武芸を習うことができるようになったことと、失業した武士が「棒振りを教える」という仕事を始めたことによって石川県各地で爆発的に盛んになった。しかし、「多数の人員」と「巨額の経費」が原因で、徐々に廃れてきて民俗芸能のドーナツ化が叫ばれるようになった。そんな中で、昭和40年に加賀獅子舞保存会結成、11月に金沢市指定文化財となり、翌41年6月に金沢市観光会館で獅子頭展が開催されるに至った。金沢中心部での上野町と龍王組の復活は象徴的な出来事で、「勉強の妨げになる」などの反対意見をよそに、獅子舞を成功させる。「地域コミュニティづくり」「晴れ舞台への出演」などの経験が地域の人々を活気づけるに至った。加賀獅子の大まかな特徴としては、獅子殺しが見られることと、獅子頭や胴が大きいことであると言われている。

 

知田工房の知田清雲さんのお話

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 石川での全体的な獅子舞の起源は、加賀藩前田家が職人を奨励して、産業を活発化させたことによる。石川県で最も古い獅子舞は小松にあるもの(ちなみに、日本一古いのは法隆寺に展示されている)。古い獅子の特徴は、獅子頭に角がついていないこと。江戸時代以降に角が出てきた。

 石川の各地区は隣の地区と獅子舞について競い合い仲があまり良くなかったため、隣の地区が獅子吼に獅子頭の発注をしたら、その隣の地区は富山の井波に頼むなどして棲み分けができていった。富山の獅子頭の特徴は、眉毛が2段になっていることと、目の玉の中心と外円が黒い「蛇の目」を持つという特徴がある。

 知多工房の歴史は70年前に始まった。前代が工房を立ち上げ、今は2代目の清雲さんが工房を継いでいる。前代は金沢から習って、白山市の現在の場所に工房をつくった。かなり参入障壁が高く、軌道に乗せるには時間がかかるのがこの獅子頭制作の特徴。多くは彫刻などのビジネスとの兼業で行なっており、日本全国でも獅子頭制作専門の工房はないという。

 獅子頭制作は完全に分業制となっており、知田工房はその取りまとめ役として獅子頭のデザインの企画を行うとともに木の部分だけ掘って、その他は知り合いの職人に任せるという。漆職人や飾り職人などその獅子頭の一部分をどんどん他の職人に任せるという形をとるようだ。木は桐を用い、一木を削るため木を継いで作ることはない。木を倒してから5年以内に制作することで、乾いて木が硬くなって掘りにくくなるのを防いでいるようだ。高価なものだと削った木の上から、鹿の皮を貼るらしい。

 

石川県加賀市黒崎」で多文化混合型の獅子頭に出会う!

黒崎の青年団団長を務められた野口さんのお話

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黒崎は、獅子頭のデザインがとても特徴的。富山や石川のデザインがごちゃごちゃに混ざっている。制作費は100万円代後半で、かなり制作費もかかっている。制作費が賄えている秘訣としては、獅子舞が各世帯を回る際のご祝儀がかなり高いという特徴がある。最低でも、5000円払ってくれる家庭が多いようで、これは加賀市の中でもかなり高い方だという。

 

2019年2月20日

石川県加賀市大聖寺錦町」で商人町の獅子舞を知る

青年団発足に携わった荒木実さんのお話

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 昭和3年昭和天皇即位式の際に、日本中がお祭りムードになった。これが、大聖寺の獅子舞の始まりの時でもあった。錦町は下福田から獅子舞の踊りを習ったことが直接の契機となった。ここの獅子舞は農民文化ではなく商人文化から生まれたものであるため、豊作祈願というよりは商売繁盛の意味合いが強く、春のこれから商売が盛んな時期に差し掛かる時に演技の良い獅子舞を執り行う。雌獅子には獅子殺しがつかず、雄獅子にのみ獅子殺しがつくという形で発展していった。その後、獅子舞は一時断絶した。

 いまから約50年前に青年団が発足して、獅子舞が復活した。備品は昔のものが残っていたので、金銭面で発足に問題はなかった。約45年前に中学生が獅子舞の担い手として参加しだして、そこから大人と中学生で2チームができるようになった。その後、大人が指導役で中学生が担い手になる時期もあったが、現在は大人と中学生で2チームに戻った。

 現在獅子舞が残っているのは、大聖寺33町のうち7町しか存在しない。残っているのは錦町、越前町仲町、福田町、弓町、下屋敷町、関栄町の7つである。その中には、「親子獅子」で有名な関栄も含まれている。錦町の世帯数は180世帯と言われており、4月のさくら祭りの2日をつかって全世帯を回る。ご祝儀の金額は2~3000円が平均である。獅子頭の制作は白山市・獅子吼の知田工房に頼んでおり、太鼓や鉢、蚊帳などの周辺の小物は松任の浅野太鼓に頼んでいる。

 さくら祭りの当日の流れは、獅子舞→踊り→囃子方の順番で行われる。囃子方のみこしの担ぎ手は、厄年の人が行う。近年は、担い手不足でみこしを担ぐのではなく、台車を引く形をとっている。猿田彦が先導を務め、下駄で歩くのが基本となっている。宰領(さいりょう)と呼ばれる人が各地区の囃子方の順番を決めて演目を順番に始めるため、宰領はとても重要な役割を果たす。加賀神明宮をスタートして、1日目は水森社(仮宮)へと向かい、2日目に加賀神明宮に戻る。普段お仕事で疲れている神様に女神と楽しんでもらうという意味が込められている。

 

石川県加賀市塩屋町」で荒々しい獅子舞を知る

青壮年団の皆様のお話

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 塩屋町は港町の獅子舞。自然を相手にする漁師たちの間で生まれた獅子舞なので、とても荒々しく「暴れ獅子」と言われる。

 74年間のほとんどを塩屋町で過ごした片野さんによれば、塩屋町に獅子舞を伝えたのは安田さんという方で、明治時代のことだったという。安田さんは塩屋町出身で、金沢のお菓子屋で働いていた際に獅子舞の踊りを習い帰郷してそれを伝えた。塩屋町は当時貧しい町だったため、備品を最小限に留めた。棒振りや笛はなしで、獅子と太鼓のみで獅子舞の演目を構成した。また、獅子舞は「奉」の字を描きながら踊るという特徴もある。あまりに激しいことから、獅子頭は重くて高いものを使う(桐のものが多いが、イチョウのものを頼んでみたら重すぎて大変だったそう)。富山・井波の荒井さんに頼んで獅子頭を制作してもらっているという。

 獅子舞の担い手である青壮年の会は、中学生から40歳までの男性で構成される。しかし、近年は担い手不足もあり45歳まで所属団員の年齢が伸ばされた。基本的には、みな自分の意思で獅子舞の担い手になりたいと言って入った人ばかりで、強制的に入らされるということはない。小学生の時から子供獅子を体験しているので、きちんと小さい頃から獅子舞に触れる機会があり、地域の人はそこでまずはじめに獅子舞に対して興味を惹かれるようである。現在の団員は25名ほどだという。本番は春と秋の2回にわたって開催。春は1週間前、秋は2週間前から練習を開催する。

 

2019年2月21日

石川県加賀市田尻・橋立・小塩」で祭りの絆を知る

青年団の団長の皆様のお話

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 石川県河北郡内灘町の人が移住してきて、この地域に獅子舞を伝え、それを三谷へ伝えたと言われている。

 この地域の青年団は20代後半までの人が大半で、田尻町は25名、小塩町は20名ほどの団員が所属している。獅子舞の開催時期は9月中旬ごろで、田尻、小塩、橋立の3町が同時に開催される。若者同士もめているというのがある意味祭りの醍醐味であり、3町が競い合う感じが良い意味で相乗効果を生んでいる。

 祭りの当日は、訪問先の家で食事をご馳走になったり、路肩のホースで水を飲んだり、お酒をガンガンに飲んだり、けっこう柔軟に楽しくワイワイ当日を迎えている感じが良い。大漁旗がたくさんたなびく中で獅子舞を踊るのは、何年経っても鳥肌が立つほど感動するものという。

 また、この地域の祭りはとてもハードで担い手の気力の強さが際立っているように感じた。小塩町の獅子舞練習は、夜の24:00頃まで行われる。当日は朝の3:00にスタート、夜の23時に終了して、それを3日間続けるという。しかも、この地域の獅子頭は日本有数の大きさでかなり重く、1つの獅子につき9人も胴体を運ぶのに必要なことからも筋肉への負担が半端無いことがうかがえる。基本的に年功序列で大変な獅子頭を持つ人は若い人のようだ。

 小話として、20代前半の男は獅子舞の担い手になるともてるらしい。普段の出会いの場は足湯らしいが、こういうハレの場は恋愛にもつながる良い機会になるようだ。

 

2019年2月22日

石川県加賀市荒谷」で今はなき獅子舞を再現

獅子舞の担い手になったことがある宮さんのお話

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 荒谷の獅子舞は25~26年前に正木さんという方によって復活したが、3~4年で途切れた。笛の名手がいて、その人がいたから続けることができた。しかし、その人ありきになってしまっていた。長続きさせるのは難しい。

 獅子舞が行われていたのは、荒谷神社。御神体である霊峰白山の方向を向いており、本殿と拝殿が別れている。近くには滝もあり、自然崇拝のもとで獅子舞が舞われたとも言える。

 基本的に棒振りは小学生が行ったそうで、化粧をして踊る小学生は可愛らしかった。獅子を持つことができたのは中学生から。

 5年前くらいに、重要伝統的建造物群保存地区(貴重な歴史的な街並みとして選定され、保存されている地区)の全国大会が荒谷で開かれ、その際に近くのエリアで活動している山中青年団に頼んで獅子舞を踊ってもらったことがあった。

 (今回は、公民館から荒谷神社に獅子舞の小道具や頭を移動していただき、獅子舞の動きを再現しながら撮影させていただいた。)

 

2019年2月23日 

 石川県加賀市山代」で獅子舞の詳しい話を聞く。

山代の服部神社の野尻さんと、山代倶楽部の小林さんのお話

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 まずは、獅子頭の特徴について。獅子頭の髪をことを「しゅんが」 と呼ぶ。髪の毛の色は白と紺を配しており、着る物にも白と紺を入れているため、対になっており呼吸を合わせるという意味になる。獅子舞を踊るときは鼻の穴を見せないそう。鼻の穴を見せると可愛く見えてしまうので、睨みつけるという本来の意味と異なるようだ。獅子頭は、外部の人が触ってはいけないとのこと。カビ取りなどしっかりして、保存状態を保っている。獅子頭の渦巻き模様は「雲、火炎、魂」などを意味する。頭は1つあたり30kgくらい。

 次に小道具について。薙刀や棒は小学生が持つ。これらは「橘木工所」というところで作っている。

 獅子舞が始まったのは、江戸時代に金沢から田中半兵衛流というのが伝えられたことに由来する。妻獅子は寝獅子がメイン、雄獅子は倒す系がメインと、踊る形態も異なる。この服部神社の獅子舞は倒す系の獅子舞で、加賀前田家が農民でもできるように武芸鍛錬を踊りに取り入れたことからはじまった。

 山代倶楽部が獅子舞の担い手で、30人(稼働しているのは20名ほど)であり、18~35歳までの人が所属している。年長者がまとめるのが基本。上級者は「わたりとんぼ」の模様の服をきて、黒い袴を着る。祭りの当日は、AM6:00~22:00まで1000軒の家を2つの獅子で回るので、とてもハードだ。ご祝儀は平均的には1000円〜5000円で、5000円から出張する仕組みとなっている。ルートを回っていく中で、1000円を手渡しする人もいるが、そのような人の家に実際に獅子舞は立ち寄らない。

 本番は8月1日の八朔祭。意味は、豊作祈願というのが強い。お神輿がないので、神様をお連れするというのとは違う。神様に報告する(奉納する)という考え方で祭りを執り行う。

 追加で、宮司について。宮司になるには、世襲制が多い。世襲じゃなければ基本大きな神社に入るべき。能登では100軒くらい兼任しないとなかなか稼げないけど、加賀だったら14社くらいで稼げる。

(こちらはルロワさんのご紹介で取材が実現)

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撮影した獅子舞の写真はこちらのinstagramアカウントで発信しています。まだフォローしていない方は、ぜひフォローしてみてください♪

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2019年1月の獅子舞撮影の記事はこちら♪

ina-tabi.hatenablog.com

 

【2019年1月】石川県加賀市・獅子舞の写真撮影まとめ

石川県加賀市の獅子舞の魅力を発信する

「KAGA SHISHIMAI project」を開始!

このプロジェクトは石川県加賀市の民俗行事である獅子舞がとてもかっこいいので、この魅力を多くの方に知っていただけたらという思いで始めました。東京近辺で普段生活する自分にとって、獅子舞の文化はとても新鮮です。獅子舞を研究し、自分なりの新しい視点で、アート表現(写真・絵画・漆作品)によって魅力を発信していきます。まずは、写真の撮影とヒアリング調査から。撮影した獅子舞の写真は、こちらのinstagramのアカウントで発信しています。

 

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<作品の解説>

獅子舞は普段、獅子頭の鼻を観客に向けて演技することがタブーとされています。本来厄を払う獅子舞は、怖い佇まいで悪を威嚇するという目的を持つからです。このプロジェクトの意図は、怖い獅子舞が可愛く見えることによって逆にスタンダードの怖い部分を意識することができ「本質への回帰」というプロセスと、可愛さを内包しているという違った一面をさらけ出すという「規範や縛りからの解放」というプロセス、いわば日本文化のハレとケをも意識させるのが本作品です。さらに、中央集権的な日本を一括りにするのではなく、地域の最小単位を見つめることで地域の個別性を理解できるいわばコレクション的アート作品を目指しており、これが個人の幸せを最小単位の社会で最適化していくことをも連想させるような作品が生まれたら本望である。今後の作品の展開に任せることで新しい意味合いが生じることを楽しみにしながらも、現在の志向をまとめておくこととする。

 

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<石川県加賀市各地域での獅子舞調査>

 

2019年1月15日

子供が地域とつながる石川県加賀市「三木・熊坂」の獅子舞

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三木の青年団の井出さんのお話

本番は9月16日で御木神社で行い、約100軒もの家をまわる。練習はお盆明けから開始。獅子舞は年寄りも子供も多世代で仲良くなる場となっている。9月頭には「みきのこ」の活動で子供の獅子舞体験も開催しており、子供が獅子舞に憧れ地域に関心を持つきっかけづくりになっている。昨年は大聖寺錦町の獅子舞を呼んでコラボしたら、いつもとは違うメンバーで獅子舞が楽しめてよかったとのこと。結婚式の余興で獅子舞を披露するなど、活動の場や関わる人も多様化してきている。

 獅子頭は鶴来や井波で100万円ほどで作ってもらう。メンテナンスはお金がかかるので自分たちで釘などを使って修繕する。

 

熊坂の青年団の北出さんご夫妻のお話

 本番は9月11日だったのが、9月第2土曜日に変更。金曜日のうちに小学校など公共施設は回り終え、土曜は5:00~18:00まで一般宅を回る流れ。この祭りに向けた練習は、8月末から開始する。町内新年会の高砂会で獅子舞を披露するなど、他にも獅子舞を披露する場は広がっている。

 28歳で定年のはずが人手不足もあり、40歳でもやっている人がいるのが現状。色々な地区の方が来るが、自分のところの獅子舞が一番よい!と皆感じていて、自分の街への誇りや担い手をかっこいいなあと感じている。

 

2019年1月16日 

石川県加賀市「山中」で革新的な取り組み行う青年団へ!

青年団長の上野さんのお話 

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地域のインフラ系の企業「株式会社マルヰ」と獅子舞の担い手「山中青年団」の提携は日本初の革新的な取り組み。山中青年団の地域で築いてきた信頼感が大きな提携に繋がった。株式会社マルヰの電気プランの新規顧客獲得を山中青年団が支援することで、一件あたりで300円の収益になる。年間でいうと30万円、1000人の顧客獲得を目指す。100万の獅子頭をどうやって購入してきたかといえば宝くじのととの支援金に当たるかに依存してきた。継続的な収入はこのような大きな投資にも効いてくる。また、最近は企業に呼ばれて3万円ほどで獅子舞を行うこともあるようで、徐々に金銭面では安定しつつある。これらの仕組みによって、継続的な獅子舞文化の継承が可能になる。もしや法人化をするのでは、と思いその点も尋ねてみたが、考えてはいないそう。文化には余暇が必要で、仕事とは別の文脈で獅子舞文化を残していきたいそうだ。

(ご紹介はムラタフォトスの村田さん)

 

2019年1月17日

寝獅子で有名な石川県加賀市「潮津」の獅子舞

 獅子舞保存会の神尾さんの話

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 基本情報としては、まず獅子舞が行われるのが9月の第4土曜日。そのほかには、「ゆのまつり」や、南陽園の「ふれあい祭り」、うきうき縁日などのイベントでもステージでの演技があるそうだ。演目は、「なぎ」と「棒」を用いて、7種類ほどとバラエティに富んでいる。そして、何と言っても獅子が寝る仕草をする「寝獅子」という形をとっているのが特徴的だ。

 獅子舞保存会を作ったのは4年前。獅子舞保存会がある自治体もなかなか少ないと言う。それまでは青壮年団という枠組みで活動していたので、45歳までと年齢制限などもあったが、保存会にしてから様々な人が活動に関わりやすくなった。その上、補助金も獲得しやすくなったのだとか。

 保存会発足後に獅子舞に「ひょっとこ」を取り入れるようになった。「ひょっとこ」とは、獅子舞の動きに対して逃げる動きをする人間のことで、寝ている獅子を起こすという役目もあるそうだ。基本的に獅子舞は雰囲気で動くようで、途中お酒も飲むので、テンションがハイになって気持ちよく踊るようだ。ただし、決めているのは獅子舞の終わり方で、3回大きくジャンプするという動作が入るとのこと。

 練習は4月と早くから始まり、月2回と着実に進めていくようだ。8月になると、平日の月〜金曜日は全て練習するようで、公民館の前の駐車場を練習場所としている。

 

獅子舞の歴史に詳しい枷場(はさば)さんの話

 獅子舞は基本的に、伊勢から始まったと言われている。そこから各地方に伝播していったきっかけになったのが、お伊勢参りだ。お伊勢参りでご利益を受けるともに、獅子舞を習い、地元に帰ってそれを伝えたと言われる。

 獅子はもともと大陸の文化のライオンが元になっていてあまり身近ではないので、日本では各地方における暴れん坊、すなわち熊や鹿を踊りに取り入れる地方も現れた。また、自然の脅威に対する祈りを込めて、「なまはげ」や「アマメハギ」のように、妖怪を取り入れる地域も現れた。

 そんな中で、石川の獅子舞は、富山の方から流れてきたと言う説がある。忘れてはいけないのが、山口半次郎という能登のたずら浜出身の人物で、建具職人を通して獅子舞が加賀の方に伝わったと言う説がある。潮津の寝獅子は、小松の串茶屋からの流れを組むと言われている。

 獅子舞にはコミュニティを活発化させるという意味合いが大きい。キリスト教イスラム教などの宗教は日曜学校というものがあるが、日本には神棚が家の中に配置されているため拝むために集まるという風習がなかった。そんな中で、祭りが人の集まりを活性化するという機能を果たすとともに、非日常的な一種の祈りの形でもある。

 また、加賀の祭りについて考えるのに欠かせないのが、意外にも出雲との関係性にある。出雲の人が「輝かしい風が吹く地方」と述べた記述があり、これを元に加賀という名前がついたと言われる。そして、出雲の人は加賀のぐず焼き祭りをヤマタノオロチ伝説と重ね合わせて考えたと言われていることからも、両地域は密接な結びつきがあることがうかがえる。(白山市にある白山比咩神社の祭神が出雲の神様であるイザナギイザナミの仲を取り持った菊理姫であることを知っていたため、出雲と加賀の縁を感じずには居られない。)

 

獅子舞保存会の中谷さんのお話

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主に、獅子舞の当日の様子について。薙刀や棒振りの本数はご祝儀の額による。ご祝儀は3000円〜5000円の場合が多く、1万円以上だと棒振りもかなり豪華なものになるとのこと。最も豪華なのは、神主さんのところで執り行うものだという。当日回る家の数は約200軒で、AチームとBチームに分けて回る。中学生は笛や太鼓、小学生は棒振りを担当することが多い。獅子頭は持っていると疲れるので、たまに持っている人を交代していく。昔は3月15日に春を迎える春祭りというのをやっていたが、最近は行なっていないそう。基本は9月の第4土曜日の秋の祭りがメインになってくる。

(以上片山津エリアは山口美由紀さんによるご紹介)

 

活動はこれからも発信していきます!

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谷中の16:30は「名物時間」?古民家・街歩きをグッと楽しく!

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画:稲村行真

 

東京谷中はかつて商人や職人の町として栄えました。東京都心では珍しく震災や空襲の被害を逃れたため、現在でも昔懐かしい古い街並みが残っています。そんな癒しの町・谷中で、ひときわ古い暮らしをイメージできる素敵な古民家があります。それが、「旧吉田酒店です。もとは酒、砂糖、醤油などが量り売りで売られていた場所で、現在は資料館となっています。法被を着て記念撮影をしたり、様々な展示を見学できます。谷中の地域の歴史を知るきっかけになります。そして、この古民家では16:30に何かが起こるのです!その結末は、この記事を読んでからのお楽しみ。東京谷中の古民家「旧吉田酒店」にきてみんか?

 

<旧吉田酒店の基本情報>

住所:東京都台東区上野桜木2丁目10番6号

電話番号:03-3823-4408

営業時間:9:30~16:30(月曜祝日・祝日と重なる場合は翌日)

アクセス:地下鉄千代田線根津駅から徒歩10分、JR日暮里駅から徒歩10分

 

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