岩手県大槌町の虎舞を習いました〜三陸芸能短期留学に参加〜

本日、三陸芸能短期留学にオンラインで参加させていただき、岩手県上閉伊郡大槌町の「城山虎舞」の演舞を習った。普段は取材するだけなので、舞いを体験することは滅多にない。たくさんお話を聞かせていただいたので、記録を残しておく。

 

三陸芸能短期留学の詳細

虎舞といえば、僕が石川県加賀市で取材を行なっている獅子舞ともルーツが近いと言われており、以前から気になっていた。主に三陸を中心に行われている芸能で、虎の仮面を被って、太鼓や笛の音に合わせて踊る。

 

虎舞の由来

虎舞の由来は、中国の古い言い伝えが元になっている。中国では、龍は雲、虎は風を司ると言われている。風を原動力としている漁師の船にとって風は重要なもので、それを司る虎の舞いをするようになった。演目の中で、自らが虎になることで、航海の無事を祈願したのだ。歌舞伎の国姓爺合戦の演目を見て、船乗りが始めたとも言われる。

 

大槌町の虎舞

大槌町岩手県中部に位置し、わかめ、うに、アワビが特産品の漁師町である。町内には郷土芸能に関する団体が19あり、そのうち5団体が虎舞を舞う。また、5団体中、4団体で虎舞協議会という団体ができている。虎舞以外にはしし踊りや神楽などの団体もある。町内の人口1万人のうち、3分の1は郷土芸能に関わっている。小さい子供からお年寄りまで、コミュニティを形成する上で大変重要な行事である。9月中旬に大槌まつりが開催され、虎舞含め様々な団体が演舞を行う。虎舞に関しては依頼があれば、家を回って演舞をする「門内」というのもある。

 

▼虎舞協議会の演舞はこちら

www.youtube.com

 

東北の大震災後は避難所にながらも、虎舞の活動を少しずつ続けていた。震災前の気持ちに戻っていこうということで、避難所を元気付けるために虎舞を披露した。それによって舞う側も元気をもらうことができた。

演舞の内容

今回、三陸芸能短期留学の中で紹介していただいた城山虎舞の演舞は3つ。全て中腰の状態から舞いが始まる。③の笹で歯を磨くシーンは圧巻。今まで見たことのない舞いの形だ。

<遊び虎>左右に揺れる→逆さに揺れる→戻って左右に揺れる

<跳ね虎>リズムが急になる。8の字を描く。

<笹喰み>1匹が木の影から様子を伺うような反復横跳びのような動作→別の2匹に舞いを引き継ぐ→笹で歯を磨く→2体でじゃれ合う

 

▼基本パターンを教えていただき、実際に踊った。足の動きは以下のようであった。これ以外に手を震えさせたり、腕を円を描くように上下させたりする動きがあり、慣れないと難しい。

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若い人から見た虎舞の魅力

虎舞の一番の魅力は、「虎舞に携わっている皆さんが元気」とのこと。先輩が怖いというイメージはない。虎舞に参加したきっかけは、15歳の時に誘われたからとのこと。

 

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今回、虎舞を実際に舞ってみての感想

離れたところで、見ず知らずの人と繋がり、舞いを行う。それはインターネットならではの面白さだ。今回、実際に舞いを習ってみて、見るだけでなく身体化することが新鮮で、うまくいかないことも多かったが楽しむことができた。汗を流し、本当に良い体験だった。

 

 

 



 

 

【2020年10~11月】石川県加賀市 獅子舞取材18~19日目 別所町 七日市町 横北町

石川県加賀市の今回の獅子舞取材もいよいよ最終日となった。大土でのワークショップ参加や、高橋家での飲み会、山川さんの農業の取材など本当に濃すぎて書ききれないことばかりのラスト2日間をまとめて更新する。今回は獅子舞のことだけで恐縮ではあるが、3地域の獅子舞取材の記録を以下に記す。

 

①別所町 

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別所地区会館で青年団の方にお話を伺い、獅子舞の小道具を撮影。送迎と取材の様子の撮影は山口美幸さん。別所町の獅子舞は例年9月中旬の3連休の時に2日間行われ、460世帯を回る。これは、漆器関係等の事業所も含む。当日は奉納舞から開始して、各事業所・世帯を回っていく。舞の種類は棒振りありで1種類。青年団に所属するのは概ね高校生から29歳までだったが、6年前から中学生も参加するようになった。中学生(男子)でも獅子を舞う。合計、40人ほどの団員がいる。練習は概ね8月から始まり、お盆明けから本格的に開始する。子供達は基本的に学校行事が優先で、部活動が終わってから練習に参加してくれる。獅子頭は2体あり、白山市鶴来の知田清雲さんが製作されたものだ。薙刀は人間の平均的な身長よりも長い。

 

②七日市町

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白山神社宮司の野尻さんのご紹介で、収穫感謝の神事を見にいく予定だった。しかし急遽、獅子頭も撮影させていただけることになり、その場に居合わせた方々にお話を伺った。この地域の獅子舞は弓波町から伝わった。4~5年前まで祭りで獅子舞を舞っていたが、今は奉納の舞のみとなっている。棒振りや笛はなく、太鼓と獅子だけで大人しく舞う。舞の種類は2つで一曲目、二曲目と呼ぶ。獅子頭は雌獅子で、現在2体目である。昔の獅子頭はどこかに持って行ってしまった人がいたそうだ。カヤの中には3人入る。男の子は中学生から獅子舞に参加する。9歳の女の子によれば、獅子が向かってくるのが怖かったという記憶が残っているそう。昔、家に獅子舞が来た時は最後に玄関にダダッと飛び込んでくる動きがあったらしい。

 

③横北町

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区長の宮永和徳さんにお話を伺った。取材の様子の撮影は山口美幸さん。獅子舞は松山町から伝わったとのこと。中学卒業とともに、青年団に入る。所属期間は25歳までだったが、現在は30歳くらいまでに延長された。ここ何年かは人手不足で、踊りや回る軒数を減らしていたが、今年青年団で稼動できる人が1人になってしまった。去年までは5~6人いた。今、これから保存会を立ち上げるか、どうにか残せないかの話し合いをしている時である。舞の種類は全部で6種類の舞がある。青年団に入るとこれを徐々に覚えていく。最低でも獅子に3人、棒振り1人、笛が2人、太鼓に1人は必要。最近は笛が少ない時はカセットテープを使うこともある。ご祝儀の額によって舞の長短や本数を変えることは基本的に無い、ただ、区長さんのところは多めに舞う。3つくらいを披露する。獅子頭は昭和58年に白山市鶴来の知田工房で作られた。カヤはとても華やかな印象だ。祭りの本番は8/26の前後の近い日曜日。朝7時くらいから始まり、終わるのは15時ごろである。東谷口地区はなかなか獅子舞をやっているところが見つからず、最後の最後で取材させていただけて本当に良かった。

 

Ps. 山中の獅子舞について

ムラタフォトスの村田和人さんに、山中温泉の獅子舞について調べていただいた。朝風呂で地道に地域の方にヒアリングしていただき、以下のことがわかった。菊の湯(総湯)から見て、東西南北で4つの地区に青年団は分かれていたらしい。南の「南友団」、東の「東志団」、西の「西北団」、北の「桂木団」の4つである。一番大きかったのが南友団で80名もいた。東志団の獅子は東町の山中産業の倉庫に眠っている。団ごとにバス旅行や親睦会があり、団対抗の運動会もあったそう。当時は、青年団に入っていることが普通のことだった。山中のこいこい祭りの獅子舞は若い人がたくさん関わっておりとても勢いがあるが、それ以上にこんなに獅子舞があったことが驚きである。

 

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また、11/8(日)の北國新聞朝刊に、僕の獅子舞のプロジェクトに関する記事を載せていただいた。記者さんに詳しく取材してくださり、改めて本企画の今までについて振り返るきっかけにもなった。

 

今回の滞在は、今まで以上にたくさんの地域の方々にお世話になった。本の企画会議や、送迎、取材の様子の撮影とサポートしてくださった山口美幸さんや吉野裕之さん、宿泊場所を提供いただいたルロワさん、企画の後押しをしてくださっているあくるめ財団をはじめ、本当にたくさんの方々のご協力でプロジェクトを進めることができている。また、加賀に関わるきっかけにもなったPLUS KAGA projectの後押しもあってこそ、これだけ地域の方と深く繋がることができている。今回、改めてとても恵まれている環境にいることを実感した。次回の滞在は来年2月。来春の子供向けの獅子舞の本の制作のためにも頑張ります。

 

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昨年制作した獅子舞の本については以下からご確認いただけます。今年度はよりバージョンアップをして、子供向けの本を制作する予定です。

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https://wipty.thebase.in

 

 

【2020年10~11月】石川県加賀市 獅子舞取材17日目 天日町 大聖寺京町 大聖寺荒町

石川県加賀市での獅子舞取材。本日は3地域に伺うことができた。以下、お話を伺ったことをまとめておく。

 

①天日町

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天日町区長の小川津与志さんに天日神社の中腹にある倉庫へ案内していただき、お話を伺った。天日町の獅子舞の話を伺ったところ、何もわからないという。実は、今の区長さんのじいちゃんの代から途絶えており、かつてのことを話しができる人がいない。獅子頭を出したのも今までで初めてとのこと。獅子頭の箱はビニール紐できつく縛られ、中の獅子頭もプチプチの梱包材に包まれてかなり大事に保管されていた。中の獅子頭は、髪の毛が縮れており、顎が2つに割れてしまって、鼻も多少スレている。後、残っている道具といえば、尻尾とカヤと太鼓。カヤには少し焦げた跡がある。宴会でもした時に焦がしてしまったのかもしれないとのこと。笛や棒振りの棒は探せば出てくるかもしれないが、そもそも存在したのかよくわからないという。それにしても、なぜ獅子舞は途絶えてしまったのだろうか。謎に包まれている。

 

獅子が保管されているは天日神社の御霊は以前、作見小学校の方に移されていたことがあった。賽銭箱を守るためだという。それゆえ、拝殿の錠もかなり頑丈に作られている。神社の祭りはないが神事はあるそうで、服部神社の宮司さんに頼んでいるらしい。また、この地域は崖があるので、人が多く住めない。世帯数は13軒しかないので、祭りや獅子舞の担い手を確保できないという背景もある。それでも、かつての獅子を大事に保管されていることを想うと感慨深い。

 

Ps.天日町の獅子舞について

昭和61年に石川県教育委員会がまとめた『石川県の獅子舞 獅子舞緊急調査報告書』によれば、天日町の獅子舞は昭和35年にすでに途絶えていたという。始まりは明治初期に大聖寺敷地町から習った、と伝えられている。舞いの動作は、太鼓の音とともに左右前後に動き、豆拾いをして頭を持ち上げて終わるというものだったらしい。カヤの中には6~8人が入ったそうだ。昭和61年の時点でもわかっていることは以上のことだけである。

 

大聖寺京町

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京町区長の桶谷孝治さんにお話を伺った。送迎と取材の様子の撮影は山口美幸さん。この地域には町民会館がないので、PLUS KAGAが借りている町屋の隣にある倉庫に獅子頭や小道具が保管されている。獅子舞の運営は青年会で兄弟関係の繋がりもあり、5家族9人が行なっている。祭りの当日は、町内に加えて周辺の町も舞う。ご祝儀は2000円から5000円である。曲は1つのみで、「天下泰平」の文字を描きながら舞う。太鼓と獅子だけで舞い、棒振りはいない。ご祝儀によって長さを変えるということはしない。よその町でも舞うので、獅子舞が重複するところもある。祭り当日の流れとしては神社の奉納から始まり、朝9:00~17:00くらいまで獅子舞をした後に、栄楽寿しで打ち上げをする。獅子舞の練習は、祭りの1週間前から梅田畳店で行う。この地域には、日展作家が2点作ったうちの1点の飾り獅子がある。昭和38年(1963年)の獅子である。お話を伺った後に、梅田畳店の店内で獅子頭をじっくりと撮影させていただいた。とてもありがたい。

 

大聖寺荒町

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荒町区長の吉田昇一さんにお話を伺った。送迎と取材の様子の撮影は山口美幸さん。この地域の獅子舞は片山津から習ったものだ。日露戦争後、明治40年から始められたと言われている。戦争で一回途絶えたが、昭和24年から復活した。現在獅子舞は行われておらず、何十年か前に途絶えている。行われていた頃は、子供獅子で棒振りもいた。太鼓と笛は大人がやった。舞い方は三番叟1号(短棒2人)、三番叟2号(鉦2人)、チョウチョウトマレ(長棒1人)、コンコラコン(長棒1人)、チーコロ(長棒1人)、シャンシャン(長棒1人)の6つで、後半の2つは後ほど舞われなくなった。子供は1人1つ担当を決める形で覚えたので、人数もかなり必要だった。高校生の時は12クラスで1クラス50人以上いた時代である。高校生以上でも20人ほどメンバーがいた。太鼓は1人、笛は5~10人必要だった。ご祝儀の額について、平均的には500~1000円くらい出していた。収益は飲み会に使う一方で、子供に還元しようということで福井の三国や金沢などへ遊びに連れて行った。獅子頭は2代目と3代目のものが残っている。どちらもかなり綺麗で、保存状態が良い。平成22年6月にいずれかの獅子頭の髪の毛や塗装を修理した。昭和10年、昭和53年に獅子頭を制作したという記録がある。これは、1代目と3代目を制作したときのものかもしれない。

 

この地域の町民会館は水守神社の敷地にある。大聖寺の桜祭りの際には、御輿が一晩泊まりに来られるので、それを徹夜で番する。敷地内は駐車場になっているが昔は子供の遊び場で、サーカスが来たこともあった。問屋や織物など商人も周辺に住んでいた。獅子舞のことを聞いていると、もっと大きな地域の話まで知れるのが面白い。

 

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ps. 獅子頭の角

そういえば先日、大聖寺山田鍛冶町で何十年も前に獅子頭の角を新調したというお話を伺った。その角は出っ張りがあって変わった形をしていた。荒町の町民会館に今回行った時に、碁の盤の足がこれとそっくりで驚いた。もしかすると、サイズが同程度の碁の盤の足を獅子の角として使ったのかもしれない。

 

 

 

【2020年10~11月】石川県加賀市 獅子舞取材16日目 伊切町

本日は、伊切町の獅子舞を取材した。元伊切町区長の小蔵恵一さんに町や獅子舞の歴史や舞いのことなどについて詳しいお話を伺った。取材の様子の撮影の送迎は山口美幸さんにお願いした。

 

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伊切町の歴史について。まず福井の三国から来た人々が移り住み、塩づくりを始めた。伊切町と新保町は昔から助ける、助けられるという関係があった。昭和19年までは盆と正月に、役員や区長、区長代理がお互いの町を行き来して、どんちゃん騒ぎをして帰るという習慣があった。伊切町は新保町に対して、大きな恩を感じている。昔は伊切町と新保町で1つの小学校があった。また、砂の害で伊切町は2回移ったことがあった。新堀川を掘った時には畑をずらした。どんどん形を変えて移り住んでいく移民のような逞しい町民性があるのかもしれない。

 

次に、獅子舞の歴史について。昔、獅子舞は伊切町にはなかった。そこで、昭和33年に潮津町に習いに行った。潮津町は当時、地域の中心だった。その他にも、安宅や橋立にも習いに行った。一番最初に習いに行ったのは安宅だったという人もいるが、現在の獅子舞の太鼓の節は潮津町のものに近い。篠原町の節も潮津のものに似ている。当時、船大工の交流があった。地引網の船は橋立や安宅で作ってもらったので、それと同時に獅子舞も習わせてもらった。獅子舞を習いに行ったというのは、練習に混じらせてもらったという方が近い。

 

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獅子頭について。獅子頭は昔、白くて重たい橋立のような獅子だった。今では、赤い獅子に変わっており、新旧2体ある。古い方の獅子頭は金沢別院で昭和37に塗り替えてもらった時の署名が獅子頭の裏に書かれている。鼻が高くて目が大きいのが特徴だ。近くの柴山町の獅子頭も鼻が高い。また、家大工が作った練習用の獅子頭も2つある。

 

獅子舞について。舞いは壱番、弐番、参番、壱番から参番までの連続、アイボウ、シャンシャンという6種類がある。運営主体は青年団。今は昔より、太鼓や獅子の動作が早くなった印象があるが、メロディーに変わりはない。今はカヤの中に4人しか入っていないが、昔は6人入っていた。青年団は10人もいないので、OBが応援に入る。青年団の年齢は30歳くらいまでである。神社で舞う時と家を回る時で、舞の形態は同じである。お花代は区長は1.5万円、普通の家だと3000~5000円くらいである。区長さんの家では、壱番、弐番、アイボウ、シャンシャンの4つぐらいを舞う。壱番から参番までの連続は舞い手が疲れるから、めったに舞うことはない。弐番が一番舞う時間が短いので、踊る頻度が多い。昔、シャンシャンは最も格式がある舞いで、特別な家でしか舞わなかった。だが、今ではシャンシャンを舞う機会も多くなった。

 

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祭りの日程は、新保町は9月12.13日、伊切町は9月15.16日、柴山町は9月23日あたり。みんな祭りの日程がずれているから、お互いの祭りに出かけることができた。伊切町の祭りは9月15日だったが、10年以上前に15日近くの土日へ日程がずれた。祭りの当日は120世帯回る。昔は、1日目に町内を回って、2日目に伊切町の人が移り住んだ片山津の温泉街まで舞いに行ったこともあった。今では2日間かけて町内を回ることが多く、町外まで舞いに行くことは少なくなった。祭りの1日目は朝5時ごろに八幡神社の奉納舞いをすることから始まるが、最近は朝6:30~7:00頃に開始時間が遅くなっている。奉納舞の後は、区長さん、神社総代、神社総代に近いところという順番に回る。夜は19:00ごろまで舞っている。盆踊りをその後にやっていたが、最近はやることも少なくなった。2日目は朝8:00頃から舞い始める。また、伊切町の祭りでは小さい3mくらいの伝馬船の御輿があり、子供が持って町内を練り歩いた。

 

 

 

 

【2020年10~11月】石川県加賀市 獅子舞取材15日目 東山田町 奥谷町

石川県加賀市での獅子舞取材も残りあと1週間をきった。今日は東山田町と奥谷町の獅子舞を取材させていただいたので、伺った内容を以下に記す。

東山田町@東山田町町民会館 9:30~

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作見地区史編纂委員の角谷孝治さんに、かなり綺麗な公民館に案内していただいた。取材風景の撮影と送迎は山口美幸さんにお願いした。明治25年ごろに獅子舞が始まったと言われる。大聖寺の菅生町から伝わった。獅子頭をどこで作ったのかはわからない。小さめの鈴がついており、耳が垂れている。中学生から30歳まで、6~7人の青年団がいる。昔は、高校生からやっていたが、今では人数がいないので中学生からやってもらっている。また、厄のある数え年25歳までやっていたが、今では30歳までやる。昔は春祭りがあったが、今は秋祭りのみ。春分の日あたりの土日でやっている。昔は結婚式の時にお座敷獅子も少しやったらしい。

 

神社への奉納の意味を込めて、奉の字を書いて踊る。最初はゆっくりで後半激しくなる。また、豆拾いやのみ取りという動作もある。豆拾いは地上近くでパクパク獅子頭を動かす動作で、ノミ取りはそれを胸の前くらいまであげて同じ動作を行うことを言う。棒振りはいない。カヤには4人、あとは太鼓だけのシンプルな獅子。舞の種類は1つだけ。お花代によって舞の長さや本数を変えることはしない。お花代は3000~5000円。祭りの日は8時~15時まで、35軒を回る。それにしても、獅子頭の鼻脇に縦線の傷ができるのは何故なのだろう。各地域を回っていて、この獅子頭の傷をよく見る。

 

②奥谷町@奥谷町民会館13:00~

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奥谷町梨生産組合の岩山則生さんにお話を伺った。取材風景の撮影と送迎は、吉野裕之さんにお願いした。舞いは中能登から伝わったとのこと。先日伺った羽咋もそういえば天狗が出てくる獅子舞である。この地域は100年以上前にきこり(木挽きさん)がいた。家を作る時、製材所がなかったので職人さんを能登から呼んで地域の木を切って家を建てた。その人たちが獅子舞も伝えた。この獅子舞には天狗が出てくる。もともと天狗の話はこの地域にはないので、能登から獅子舞と同時に天狗も伝わったと考えられる。そういえば、大聖寺錦町も獅子の先導役として天狗が出てくる。関連性はわからない。

 

獅子舞は、奥谷町から三木町や周辺地域に伝えられた。三木地区内では現在、三木町と熊坂町しか獅子舞をしていない。奥谷町は平成30年が最後の獅子舞だった。その時の記念写真が町民会館に残っている。祭りをする神社は菅原神社。獅子舞のメンバーは棒振り1人、太鼓1人、笛1人、カヤ5人である。カヤの中に入るのは子供。舞いは三木町と似ていて、最後に天狗が出てくる。退治型の獅子である。棒振りの棒は先が槍になっている場合と、布がヒラヒラとついている場合がある。舞の種類は4種類ある。曲の名前は、宝達(能登の地名でもある)、山獅子、キュウブリなどである。

 

獅子頭は横幅が広い。目や眉毛は富山のデザインにも近いようにも見える。しかし、白山市鶴来で作ったとのこと。雌獅子である。今でもかなり綺麗な状態で保存されている。獅子頭の修理は作ってくれた人に頼んだそうだ。多分この獅子頭は2代目で、以前の獅子頭は残っていない。 大昔の事実は定かではない。

 

 

【2020年10~11月】石川県加賀市 獅子舞取材14日目  大聖寺下福田町犬澤, 大聖寺下福田町山岸, 大聖寺山田鍛冶町, 片山津町

昨日は、4つの地域の獅子舞を取材した。以下、伺った話をまとめておく。

大聖寺下福田町(犬澤/いんのさわ)10:15~

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(有)新谷金型の新谷浩二さんにお話を伺った。昭和3年獅子頭が1つある。今、小道具は八幡神社に保管されている。ここらは若連中が結婚式に舞いに行った。獅子を舞った後に、獅子の口の中を通して、新郎新婦が盃のやりとりをする。昔から、下福田は4つに地域に3つの神社がある。獅子も3つに分かれて舞われている。4つの地域は、犬澤組、ヤマギシ組、西組、東組といい、それそれを束れる人を組長と言った。犬澤の獅子舞が途絶えたのは、約20年前。お祭り自体はやっていて、勤労感謝の日などに神社にお参りをする行事などはある。獅子頭がどこで作られたかはわからない。舞い方としては、寝獅子。太鼓でドンと言ったらうるさいなあということであくびをして、そこから太鼓に向かっていく動作がある。どんどん激しくなっていく。6人がカヤの中に入ったので、足を合わせるのが難しかった。獅子の向く先は地上に対して斜め下に向ける、こうやった時が一番迫力がある。

 

大聖寺下福田町(山岸)11:30~

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下福田町民会館のご紹介で、町の鍵を管理されている永井満夫さんにお話を伺った。八幡神社(犬澤とは異なる)の拝殿に獅子が保管されている。神社は約50年前に建てられた。武田信玄上杉謙信の絵が飾られている。今年はコロナで獅子舞ができなかった。獅子舞は地域で死んだ人がいると獅子舞をしない。昨年は獅子舞ができなかった。祭りはいつも3月21日と11月21日にしている。年に2回やる。獅子舞は昔からやっていたが、いつ頃からやっていたかはわからない。太鼓と獅子で笛がない獅子舞をしている。大聖寺の桜祭りには出していない。若い人は今、外に出ているから舞い手をしていない。獅子頭の特徴としては、雌獅子で髪の毛が長いこと。獅子頭を作ったのは、京都(?)かもしれない。2~3人がカヤの中に入った。

 

大聖寺山田鍛冶町 14:00~

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本山瑞草園の本山琇司さんにお話を伺った。ここは鍛冶屋の町。山田鍛冶町の冶は治ではない。いつから獅子をやっているかはわからない。昭和26年に浅野太鼓で新調した太鼓がある。これが一番古い小道具かもしれない。獅子頭が2つある。1つ目は井波で獅子頭を作り、黒い雄獅子である。角がなくなってしまい、自分たちで作った。もう1つはどこで作ったかわからないけど、雌獅子である。獅子舞は30年くらいしていない。子どもの三番叟の舞いや棒振りがあった。2~3つの曲を舞った。獅子舞が途絶えた時は、少しずつ縮小していった。自然になくなっていくことに対して、大きな反対は無かった。いいものは残り、必要でないものは廃れる。神社と氏子の関係があり、神社からの要望ではなく氏子としてやろうということで獅子舞はやっていたらしい。ここの神社は加賀神明宮(山下神社)である。お花代は3000円だった。ただし、500円しかくれない時もあり、それを「アオタン」と言った。500円札の色が青色だったからだ。子供がきたら5000円出すこともあった。お花代によって、舞を変えることはなく、1つの曲を短くしたり長くしたりした。お祭りは2日間やっていた。三番叟は化粧が大変だったから、朝早くからはできなかった。獅子舞のことをやっていた人は学校を早びきできた。練習は本番の1ヶ月前くらいから始まり、夜2時間くらいしかやらない。晩飯を食べてから子供が寝る前の19:00~21:00まで練習をした。

 

ps. 2020年11月15日追記(山田鍛冶町の清水さんより)

山田鍛冶町は下福田町に獅子舞を教えてもらった。1948年生まれの兄の話によると8歳の春休みの時、公民館に習いに行った。その時のメンバーは、7,8歳が3人と13歳が4人、自転車屋さんの住み込みの人が2人という内訳だった。吉崎屋の自転車2台に4人と5人に分かれて乗って、公民館に向かった。半分ぶらさがったり、しがみついたりして乗ったとのこと。今、兄は70歳なので、62年前の話。まだ、自動車の普及が進んでいない時代の話である。

 

④片山津町 18:00~

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区長 坂本正治さん、青壮年部部長 廣瀬一也さん、 前青壮年部部長 橋本章宏さんにお話を伺った。撮影は山口美幸さん。まずは、獅子舞の小道具を撮影させていただいた。獅子頭は2つあり、どちらもかなり綺麗な状態が保たれている。そのうち1つの獅子頭に関して、『かたやまづの歴史』には「獅子頭は昭和24年(1949年)に青年団が区長から借金の上、代価3万円で富山県井波から購入したもので、桐の根株で作られており、やや重い。購入の際、代価の他に2000円を祝儀として要求されたが持ち合わせがなく、後で送金することにして帰った」という内容が書いてある。獅子頭以外の小道具もかなり綺麗な状態で保管してある。

 

片山津町の獅子舞の歴史としては、千崎町かどこかにまず獅子舞を教えてもらった。ただ、片山津の獅子は1975年くらいに獅子舞が途絶えた。その後、30年間途絶えていたが、秋祭りの盆踊りの時に、一回だけしたことがあった。しかし、その獅子舞についてはカメラや映写機などで写してはいなかった。基本的には、獅子舞を途絶えていたと考えて良い。2002年に湖城町から片山津町に獅子舞を教えて欲しいと話があった。その頃には、湖城町は片山津町湖城という地名だったので、次男や三男が土地分けをして住んでいるという背景があった。所帯分けをして住んでいる湖城町が獅子舞を始めたが、本家の片山津町が獅子舞をしていないという事態を憂い、翌2003年には獅子舞はみんなが楽しくなり上下の18歳から40歳までの年齢差を超えた交流も進むということで、復活させようという試みがあったが、実現しなかった。しかし、翌2004年には獅子舞が復活した。30年を経て、当時とは衣装も舞いも変わった。復活から16年経った今、コロナを機に人手不足の獅子舞を続けていくか否かの話し合いが持たれることになった。青壮年部は現在35人いるが、獅子舞に絡んでいるメンバーは10人で、そのうち6人が卒業してしまう。話し合いは昨晩、2020年11月4日(火)に片山津町公民館で行われ、大変貴重な場に同席させていただくことができた。

 

 

 

 

 

【2020年10~11月】石川県加賀市 獅子舞取材13日目 庄町・橋立3町ヒアリング

本日は、撮影なしで今まで訪れた地域の獅子舞をより深く理解するためのヒアリングを行った。訪れたのは庄町と橋立3町。山口美幸さんにヒアリングの様子の撮影をしていただく。以下、お話を伺ったことを記す。

 

①庄町@庄町民会館

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庄町獅子舞保存会の北村政樹さんと寺井章さんに地域の獅子舞の歴史について伺った。昔も今も獅子舞の運営に関わっているお二人。獅子舞の歴史をどう捉えてらっしゃるのだろうか。

 

まずは、舞いや当日の様子について。今は棒振りがない。昔は青年団が棒振りをした。青年団について歩く中学生は、太鼓を引っ張る者や、やかんにお茶を入れて持って歩く者、太鼓を叩いている人を扇ぐ者などがいた。子供達はこのようにして、徐々に青年団に親しんでいった。ついて歩いた小学生や中学生はアイスが食べられた。また、祭りのお昼は「ゆのくに食堂」で冷やしうどんを食べることが恒例だった。祭りの本番は朝8時から開始する。練習は3週間。お花代が5000円、区長であれば1万円とか。24歳までは青年団、25歳からは預金講、その後は町の区役や消防団が回ってくる。そのような町の繋がりや上下関係があった。

 

舞の種類は、以下のように整理できる。

・宮前:神社への奉納の舞

1番→玄関に獅子の顔を入れる

2番→棒振り2人で普通舞

※宮前の2番は8方位を意識して舞う

・道囃:笛や太鼓のお囃を鳴らしながら回る

・各家での舞い

1番→玄関に獅子の顔を入れる

2番→棒振り1人で以下を舞う

①普通舞:3000円くらいの時に舞う

②小太刀(おたち):~7000円くらいの時に舞う

③てんまり:派手な動き, 1万円以上のご祝儀で舞う

④かさのうら:地味な動き(①に動作を1つ加えただけ), 1万円以上のご祝儀で舞う

※ご祝儀の額と舞い方は必ずしも対応する訳ではない。

 

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明治43年(1910年)に現在の舞いが成立した。当時は北国街道があって、庄町は江戸の頃から絹織物が盛んだった。動橋からの海運もあった。七日市や八日市という地名が周辺にあるように、市も立っていた。集落としてもかなり大きかったと思われる。庄で盛り上がった絹織物は後に、大聖寺で作られることになる。それから、大火で周辺の家も焼けてしまった。その日が8月11日だったから、今の祭りは8月11日に行われることになった。つまり、弔いの意味が込められている。

 

江戸時代にも獅子舞があったと言われるが、かなり素朴なものだった。明治に入って梶井町の堤防整備が始まる。寺井の能美郡の人が来ていて、そこから獅子舞を習ってきた。でも、まだ太鼓も笛もなくて地味だった。明治43年に動橋と山代の間に電車を整備しようということで、富山の中田町から青年団の人が来ていて、その人から習った。それが八方位の獅子を舞っていて派手だった。新しい娯楽として、獅子舞が流行っている時期でもあった。その時に習ってきた時のメンバーで、荒川というじいちゃんがいた。その話が庄町の町史に載っている。

 

途中、人手不足のため棒振りがなくなったが、13年間のブランクの後に寂しいということで復活した。2014年から、人手不足で獅子舞の手伝いで声がかかった。2019年には、保存会にしようという声が上がった。ただ、青年団に人が入らないことがないように、あくまでも保存会は助っ人としてアドバイスや手伝いで獅子舞に関わっている。2020年は獅子舞をコロナ禍でも6~7人で4軒回った。今年辞めたら、来年もコロナだと言ってできない。それならば、保存会メンバーでやろう!ということになった。このように獅子舞実施の背景には、年配の人々が獅子舞に関わっていたことが大きいだろう。

 

庄町の獅子舞の歴史を教えてくださった北村さん曰く、「組織や踊りは借り物だが、形の伝統よりも組織が動いていて人が育っていることが重要なのではないか」とのこと繋がって盛り上がれる仕組みが大事だ。情報交換しあってどんな事が議論されているのかを共有していく必要があるかもしれない。僕自身、加賀の獅子舞は地域が個々に動いているが、それを集約する企画展や中心地の祭りのようなネットワーク、装置が少ないと感じている。より組織同士の交流が活発になれば、獅子舞についてもっと考える機会ができるだろう。

 

②橋立3町 @田尻町の山本吉弘さん宅

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約5年前から橋立3町(橋立・田尻・小塩)の獅子舞の魅力を伝えるべく、ポスターを制作をしているという山本さんにお会いしてお話を伺った。全てボランティアで制作されている。30軒ほどの場所でポスターを掲載。ポスターは主に3種類あって、北前船の里資料館前、橋立漁港前、両方で、それぞれの獅子が何時頃に見られるかを記載している。ではなぜこのような活動をされているのだろうか。ご自身は、小さい頃に獅子舞を舞ったことはないそう。お酒に強くないといけないし、当時は人が多かったから選ばれないと舞うことはできなかった。それでも地域の魅力として伝えていきたいと感じたという。残さなければいけないというよりかは、獅子舞が魅力的だから知ってほしいという方が近い。また、子どもたちが棒振りで楽しんでるのがとても嬉しいとのこと。後半は、2010年から撮影されている橋立3町の獅子舞の動画をたくさん見せていただいた。「金貨一千万両、御酒肴は,,,」という口上は、とても勇ましい。「どっこい、どっこい」という獅子が舞う時の掛け声が印象的だった。とにかく獅子頭やカヤは大きくて迫力があった。

 

Ps. 『明治12年江沼郡コレラ騒動記』を執筆した見附裕史さん電話ヒアリング(橋立町)

コレラが蔓延して漁業ができず、内灘から福井の三国と加賀の橋立へ移住した人がいる。その際に、若いうちに獅子舞の経験があった人が橋立に移住してきた。北前船は明治の中頃から衰退して、それから漁港へ発展していくことになる。『内灘町史』『橋立町史』を読むと詳しいことがわかる。また、現在住んでいる橋立の80~90歳のうち半分は内灘出身である。その方々に伺えば、獅子舞についてさらに詳しいことがわかるかもしれない。