稲村行真の旅してみんか。

個性的な旅をしております。

多摩地域の自治体の空き家・空き店舗対策についてメモ書き

自治体が空き家を紹介するときは、すぐに売れちゃう空き家だと不動産屋が入ればいいので、それ以外の空き家を取り扱っている。賃貸価格や初期投資が抑えられる場合が多いことが魅力で、あとは立地的にどう人を集めるかというところ。

 

◯東京都日野市

都市計画課が、空き家を把握して、使いたい人と大家さんをつなげてくださっている。基本的には、地域に開かれた形での活用を推進している。地域活動については、地域協働課に相談することができ、助成金も条件によってはもらうことができる。

(http://www.city.hino.lg.jp)

 

◯東京都八王子市

市役所は空き家把握段階にあり、とりわけ空き家活用が進んでいる印象はない。ただ、株式会社まちワイが、空き家・空き店舗等活用に積極的に取り組んでおり、カフェ兼イベントスペースの古民家「となりわ」がオープンしたばかりだ。

(https://tonariwa.jimdo.com)

また、まちワイは、一坪チャレンジショップも運営しており、新しく事業を開始したい人が気軽に借りられる場所を整えている。(http://www.shopper.jp/w/2017/07/07/空き店舗を活用した一坪チャレンジショップ-「は/)

 

 

◯東京都昭島市

市役所は都市計画課が、空き家を把握調査中。空き店舗は、駅近くの商店街でのみ、いくつかお店としての利用で物件紹介をしている。

 

◯東京都奥多摩町

空き家バンクが立ち上がっており、HPで使用可能な物件を紹介している。ただし、居住することが条件となっており、例えば事業として利用したい場合は、借主がその空き家に住まなくてはいけない。(http://www.town.okutama.tokyo.jp/kurashi/sekatsu/sumai/akiya_bank/index.html)

 

今後も引き続き、多摩地域の自治体の空き家活用に対する取り組みについて、情報を集めていく。

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場づくりする中で、「自己紹介」について考えてみた。

場づくりに必要なのは、まず自分を知ってもらうってことがとても大事と感じる。

 

先週木曜日、友人と立川の子ども未来センターでのワークショップ「ワクつくクラス」に参加してきた。

コミュニティをデザインすることについて、参加者同士考える会だ。

注目はレゴブロック。

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なんと、このレゴブロックで自己紹介するという。どうやってやるのか。

 

まずは、タワーを高く作る。参加者同士制限時間内に高い塔をつくる。誰が一番高く作れるか熱くなる。そして、なんと僕のタワーは一番低かった。ここでテンションやや下がったが、土台をしっかりつくる人です、などと言い訳をする。(No photo)

 

その次に、「未来から来た生命体」をつくる。作り終わった後に、「それは今の自分を表しています」と言われ、なるほどと思う。いい自己紹介だ。土台しっかり、でも羽みたいなのが片方生えているちょっと非合理的な面白さも追求したくなっている自分に気づく。

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で、最後に今日来た理由というテーマで作品を作る。僕の作品はこれ。明るい気持ちで、1ステップ成長するっていうシンプルな作品。

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自己紹介がレゴで行われるってのはすごく良いと感じた。なぜなら、言葉よりも視覚的な情報の方が心に残りやすい。自己紹介も一人一人の特徴を長期的に鮮明に覚えていられる。コミュニティや場づくりをするときに、自己紹介を工夫することはとても重要と感じる。

 

それから、ゲストトーク、対談形式の内容あったが、そこまで印象に残らなかった。そして、イベントが終わってからある気づきがあった。

ゲストの方と話したときのこと。

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コミュニティデザインってソフトな部分ばっかりで、予算つきにくいイメージですが、最初どうやって仕事を軌道に乗せたんですか?

これってよくある場づくり界隈の議論だ、と思いつつも聞いてみた。

 

そしたら、このような答えが返って来た。場づくり界隈で、場を持つ人は受け身になりがちという。確かに、場を使いたい人に基準を説明して場を使ってもらうのがメインだ。場自体に興味を持って、お客さんがやってくるから、場づくりしている人は営業が弱い人が多い。

でも、この方、前職での営業経験があったから、ワークショップを企画するとか、場を作るとかするときに、自分にしかできないこと・魅力を人に伝えるのが得意で、顧客開拓できたようだ。企画も通りやすい状況が作れたらしい。

 

それこそ、さっきの自己紹介の話じゃないけど、自分はこういう人間ですと相手に的確に示すことができるってすごく大事と感じた。的確な自分に合った表現方法を取り入れたい。

 

最近ハマっている読書。

この前読んだのは、加藤諦三著「自分に気づく心理学。」

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まずは、自分に気づくことが大事だ。そして、それを的確に相手に伝えていくこと。よくありがちなのが、抑圧されて我慢して生きてきたマジメな人、人当たりが柔らかくていつも笑顔でニコニコしていて嫌なことを嫌と言えない人。他人と自分にウソをつかないことが本当に大事だ。

 

NMBの須藤凛々花が、恋愛禁止!が鉄則であるアイドルでありながら、一番大事な大舞台である総選挙で結婚宣言をしたのは記憶に新しい。いま、情報過多な現代において、ウソをつかない生き方というのが注目されている。

自分は何者なのか?ということを改めて見つめてみたい。

 

食は味よりも量を優先する、食べ盛りな僕がこの前食べたラーメンはこちら。

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デザインセッション多摩2017で学んだコミュニティデザインの方法

多摩地域のデザイナー、表現者が一気に集結したデザインセッション多摩に参加した。デザイナーは、遅刻するという格言があるようだが、その格言通りにはならなかった。

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自己紹介と地域とは何かという、得体の知れない問いから始まった。

様々な答えが出たが、
僕は共通言語の存在なんじゃないか、と答えた。ほっとけば人は無関心でも、話題があったり、繋がりのようなインセンティブがあったりすると話をする。そうやって共同体が出来ていくものなのではないか。

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多摩地域を良くするためのプランを考えた。僕らの班は、学生から社会人、それぞれやりたいことを表現しているプロ。コミュニティデザイナー、イラストレーター、などなど。

 

多摩地域で課題感を持っているターゲットを考えた時、真っ先に高齢者と子どもが挙がった。高齢者は老後の楽しみや安心感を求めて人と繋がれる場所を探しているし、子ども及びその親は安心して遊べる場所と仲間を求めている。特に多摩地域では、全国平均よりも顕著なのが、子育て世帯が多いということ。だからこそ、子供は多いのに場の整備、及び情報発信できていないというのは、この地域特有の悩みだろう。

 

そこで、「わらしBeプロジェクト」というプランをみんなで考えた。まず、子どもがノートと交換したいものを持ち寄る。そして、だれとどんなものを交換したのかをノートに記入していく。

最初はコミュニティスペースに集まることからはじめて、徐々に一般宅訪問に切り替えていく。まるで、「トリックオアトリート!」。子どもがモノを介して仲間や地域と繋がるという流れだ。やはり、多世代をつなぐというのに大事なのは媒介するもの「共通言語」が必要なのではないか?

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お昼のお弁当が、美味しすぎた!

kizagisuの杉崎さんのお弁当。

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午後はゲストスピーカーの話と、プランの発表。1番印象に残ったのは、赤と青のリストバンドをする話。赤が正常、青が困った状態。道端で青のリストバンドをしている人を見つけたら赤のリストバンドをしている人は助けなくてはいけない。とてもシンプルで暖かいコミュニティができると感じた。リストバンドが人と人とを媒介するものということだ。

もう1つ、自治会の回覧板の話。回覧板に漫画を描くというもの。なにげなく日常にあるつまらないものを面白くする、という発想もいいなと感じた。

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地域の人と人とが繋がることは、生きがいに繋がると常々感じる。あとは、高齢者にとっても、子供にとってもそれは確実に言えること。それをよくありがちなざっくりとくくる感じではなく、それぞれに対して必要な活動を作っていけたらと感じた。

 

 

 

 

 

金沢市の空き家活用とコミュニティ作りについて考えてみた。

石川県金沢市の市役所に行ってきた。

自分の活動ともかなり近い、空き家に対する補助制度、コミュニティづくりに関する補助制度について知りたいと思った。

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空き家補助は売買が中心のようだ。

扱っているのは、住宅政策課。

そこに不動産屋が仲介でかんでいるらしい。不動産屋とは別に、不動産流通にのらない空き家を扱う自治体もあるので、こういうタイプの行政サポートもあると知る。

 

中心市街地に一軒家が多く、マンションが少ない土地だけに、空き家事情も特殊。ほっとくと荒れてしまうので、とにかく住んでくれる人が欲しいようで、あまりコミュニティづくりの場としての空き家活用という発想には結びつかないようだ。

 

水道局の調べによると、3割の物件のライフラインが1年以上止まっているとのことで、賑わっているように見える金沢市の中心部も課題は山積みなのだと実感。意外と高齢化も顕著で、どう若者を入れるかという所に知恵を絞っている。「学生の街金沢」と打ち出しているのもなんとなくわかるような気がした。

 

そして、コミュニティづくりについて。

こちらも、学生の活動はスポットライトが当たるが、他の市民活動は市役所 も把握していない模様(そういう活動がないのか、スポットが当たりにくいのか)。

東京都日野市など、市民活動が盛んなところは、地域活動、例えば子供の居場所づくり、高齢者の居場所づくりに関する活動に助成をしたり、サポートしたりしていくが、基本的にそういう制度はないようだ。そのかわり、集合住宅の集会にお金を出しているというから、とにかく住んでくれる人を増やしたいという部分がクローズアップされてくる。

金沢中心市街地の図。

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それから、午後は、郊外の過疎地域と呼ばれる金沢市内の集落を見学した。

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金沢市内の郊外の過疎地域は、空き家問題というよりも空き室問題に困っていた。

 

いつもお世話になっている、袋板屋町の宮村さんとお話しした。

袋板屋町は、市街化調整区域で、新築を建てることができない。

それに加え、大家族の世帯が多く、高齢化が進むにつれて、町の活気は少なくなるけれども、空き家も全然増えない。袋板屋町の空き家はたった1軒しかないようだ。

若者が住みたいと思ってもなかなか受け皿がない。周りに大学が多く、金沢中心市街地までも車で30分ほどとそこまでアクセスが悪いわけでもない土地で、もったいない。

また、袋板屋町の特色として、大家族ゆえに空き室はよくできるという。ただ、その部屋を若者に貸すというのは心理的にもハードルが高く、現状厳しいようだ。

 

これから空くであろう数少ない空き家や、現状1件空いている空き家を活用して、大学に通う若者が住めるシェアハウスを作りたいという話があり、今後もそのプロジェクトに関わっていきたい。

また、このように袋板屋町は東京や金沢の大学生が集い、バーベキューイベントや音楽祭なども開催している。今後も様々なプロジェクトが生まれ、活気が出て来るに違いない。

(袋板屋HP→https://www.fukuroitaya.jp)

 

一見すると都市部に空き家は少なく、周辺部に空き家が多いと思われがちだが、金沢市のようにそれが逆転している地域もあり、事情は様々で複雑だ。これからも金沢市の空き家活用とその地域に必要なコミュニティづくりに関わって、地域に貢献していきたい。

 

 

新しい空き家活用の形「アルベルゴ・ディフーゾ」について学んできた。

アルベルゴ・ディフーゾ。

それは、イタリア発祥の分散型の宿泊を推進する考え方。

そこにある空き家などを使って街全体をホテルとして捉える考え方である。

(参考資料はこちら→https://prtimes.jp/a/?c=15916&r=52&f=d15916-52-pdf-0.pdf)

 

日本でいうと、個人的には、兵庫県篠山の城下町ホテルや、東京都谷中のHagisoがコンセプトとしては似通っているように感じたが、どうやら相違点は、過疎地での村再生という視点であるように思われる。

 

過疎地の村は、空き家活用の自由度が高いというところが、村全体を宿泊施設とするコンセプトとの親和性と言えるのではないか。

 

それに関していうと、実体験として面白い話がある。

先日、八王子のまちづくり会社に遊びにいった時に、八王子の商店街から空き家発掘は至難の技だと話をしていた。

なぜならば、第一に、権利関係が厳しいからだ。だれの空き家ともわからず、活用することはできない。

そして、第二に、基本賑わっているところは困ってないので、空き家になってもなかなか貸してくれない。家賃をとにかく高く請求してくる。別に空き家を所有していても困ることなんかないからだ。

そして、第三に、東京オリンピック前なので、基本建築費が高く、建て替えを検討している人にとってはダメージが大きい。だからこそ、空き家をそのまま手を加えずに塩漬けにしておいて、オリンピック後に地価が下がってきた時に建て替えようというニーズがあるようだ。

これらの理由から、空き家活用をすでに賑わっている地域でやるには相当な根気とタイミングが必要で、あまりオススメできない。だからこそ、賑わいの少ない過疎の村で空き家を群として一気に活用しまくっちゃおうというのが、アルベルゴ・ディフーゾの狙いなのではないか。

 

しかし、それにしてもプロモーションの壁は否めないだろう。自然流入が少ない過疎地に観光客を呼ぶにはコンテンツ力が必要であることは明白で、そこをどう考えているのかは自分にとって考えるべきポイントであった。

 

今日は、イタリア文化会館にて、

アルベルゴ・ディフーゾ協会会長のジャンカルロ・ダッラーラ氏が来日したということで、お話を聞きに行った。

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旅行マーケットからの逆算ではなく、土地そのものを発信するという考え方をとても大事にしていた。

それは、内に対するプロモーション(インアプロモーション)でもあり、そこが出発点。内側の人間が変わっていけば、徐々にコアな旅行者を獲得していけるということ。

そのためには、地域の人、一人一人が、それぞれの作り手意識を持って誇りある資源を見つめていく必要がある。

 

そして、結局最後は美しさに帰属する。

街全体を観光客受け入れという方向性に舵をきるためには、まずその村の美しさが引き出されなければならない。

そこを大事に、景観に対しても結局は縛りを設けて行くべきなのではないかという議論をしていた。

古民家でも重要伝統的建造物群保存地区という区域には景観規制が設けられるように、美しい村という単位でもそういったことが必要になってくる未来もあるのでは?ということである。

 

ここまでくると、個人的には、クリエイティビティを阻害する要因でもあると思うので、あまり好きな考え方ではないが、伝統的方向性でいくのか、クリエイティブの方向性でいくのかを選ぶのはその村自身であり、今後の展開に注目したい。

 

いろいろと考えてもみたが、なんだかんだ言って、アルベルゴ・ディフーゾは、少なからず空き家活用と、コミュニティ形成の方向性に大きな影響力を持たせる考え方でもあり、世界を席巻しうる活動である。日本にアルベルゴ・ディフーゾの波は来るのか。これから、どのような展開があるのか、本当に楽しみだ。

 

 

 

「ユーラシア料理」という謎多き料理を食べてきた。

オリラジのあっちゃんの本を読んだ。

天才とは、自分を生かせるフィールドを見つけてそこに集中した人間だという。

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友達と、新代田の元祖日の丸軒という店に行ってきた。目的は「ユーラシア料理」という謎の料理を食べに行くためだ。店を予約しないと怒られるという前評判があったので、友達に店を予約してもらっておいた。

 

こちらが、店の外観。

妙に薄暗い。

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ぐちゃっと雨に濡れてシワが寄った看板が、どこかディープな雰囲気をそそり、同時に、只者ではない料理が出てくる予感をさせた。

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店の中をガチャっとあけるとそこは、誰かの家のようだった。

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書斎に散乱する書類。なんでもありなカオスな空間かと思いきや、どうやら好きなものをとにかく集めた結果、自分好みの空間ができていったとのこと。

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オーナーはペペアンドレさん。
年齢は不明。髪を振り乱し、太い唇に、大きな顔。圧倒的にインパクトがある雰囲気を醸し出す。他の人の話によると、出身は兵庫らしい。しかし、僕が改めて質問してみたら、出身は岐阜と答えた。一体、何者なのか。

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ペペアンドレさんの写真を撮りたいとおもったがその勇気もなく、席に案内される。そこは、薄暗い芸術的な空間だった。安土桃山時代に到来した南蛮文化を表現した模写の絵などが飾られている。

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これは、どこかの民族の服だろうか。

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飲食店に行くと、必ずトイレに入る。

すごい店は、トイレにその世界観が現れているとつくづく感じるからだ。

トイレで魚を飼っている店、DIYでものすごくおしゃれに改装している店、などなど色々な面白いトイレに遭遇してきた。その度に、飲食店はトイレに世界観が現れるとつくづく感じた。

 

そして、今回はどうか。。。

「トイレに行きたいんですけど」

とペペアンドレさんに言うと、

「はい、そこで待っててください」

と言われる。

待つこと、3分。トイレが目の前にあるにもかかわらず、なぜかトイレに入れない。中に人が入っている様子もない。

待つこと、5分。もういいか、とトイレに入る。ドアが壊れていて、頑張ってしめる。そこにあったのはちっちゃな便器。面白いトイレだなと思う。

結局、トイレに入っちゃったのに特に怒られず、なんで引き止めたのかなどと不思議に思う。

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さて、メニューの注文をする。

一番安いセットメニューで、1人1000円くらいのものを頼む。すると、「そんな安いものは頼まないでください。」と言われる。あれ、メニュー表に書いてあるのに、、と不思議に思う。

それではと、1人2000円のセットメニューを頼む。そしたら、

「はいわかりました。では飲み物はどれにしますか?」と言われたので、

「水をください。」と言うと、

「水なんてものを頼むところではありません。」と言われ、

飲み物を頼まされた。

相当プライドをもって飲食店を経営しているように思える。最初の1000円のセットメニューはもはやダミーなのではないかとさえ思えてきた。1000円のセットメニューを頼む人を断って、店の価値を上げているのではないかという錯覚に陥る。

 

最初に出てきたのは白ワイン。

どこのどんなワインとも知らないが、鋭い後味に美味さを感じる。

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次に出てきたのがターメイヤ。

エジプトの料理で、草のコロッケみたいな感じ。「ユーラシア料理」のはずなのに、いきなり、かつてユーラシア大陸ではなかったエジプトの料理が出てきた。ユーラシア料理とは果たしてなんなのか、謎は深まるばかりだ。

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緑色の草はこんな感じ。見た目ではよくわからないが、普通にうまかった。

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それから、出てきたのは、ラム肉。

デカデカとした肉が3つ。お2人様用のセットメニューを頼んだのに、肉は3つ。謎すぎるが、肉はとてつもなくうまかった。この赤いタレをつけるとものすごくうまい。

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それから、出てきたのがこちらの草がたくさん入ったカレー。食べたこともないカレーに謎は深まるばかり。

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それからすぐにナンが出てきた。

これはナンというか、パンのような感じでもあったが、ナンと言われればそうか、とひとまず納得した。

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これで全メニューが終わった。

ガツガツ食べた感じでもないが、料理を味わって美味しく食べられた。

 

食後に、ペペアンドレさんに話しかけてみた。32年もこのお店をやっているという。歳をとるごとに自分好みの空間がわかってきて、自分の好きなものを集めて、この空間を作ったらしい。教授と名乗るお客さんがたくさん出入りするそうで、そういう分野の人にひょうばんのよいお店のようだ(本当に教授かは謎)。

 

そして、本質をつく質問を1つ投げかけてみた。

「ユーラシア料理ってなんですか?」

すると、ペペアンドレさんは、首を傾げて答えた。

「それが自分でもよくわからないんだ。」と言う。

 

この非合理的なカオスでよくわからない謎めいた空間がとてつもなく異彩を放っていて、興味をそそる。店を予約してから、店を出るまでが全てエンターテイメントなのかもしれない。ペペアンドレさんにしかできないこと、それがこのお店に現れていると感じた。

 

さて、ぼくも好きなことを追求して、自分の得意なことを生かせるフィールドで、自分にしかできないことをこれからも追求し続けていこうと決意を新たにして、店を出た。暗い道をトボトボ歩きながら、これからの自分について物思いにふけった。

 

 

 

「交流」という言葉を安易に使うべきではない!?

【シェアハウスでの交流の意味とは?】

今やっていることは、築150年の古民家で、その開放的な空間を生かして、シェアハウスと、イベントスペースを企画・運営している。

 

つまり、シェアハウスという交流ある暮らしの中に、さらにイベントスペースというものが加わることで、「交流する」という特色がさらに強まった形だ。

 

「交流する」ということは、我慢しなくちゃいけないこともある。いま、掃除機をかけたいけど寝ている人がいるからできないとか、ものが散らかって共有スペースが汚くなっていたり、自分のものがなくなっていたりということもよくある。一人暮らしの方が自由で良いという人はたくさんいる。

 

一方で、交流ある暮らしの良さは、このようなことが考えられる。

 

①生活コストが安い

家賃はもちろんのこと、食べ物や家具、洗濯機や、冷蔵庫などをシェアすることによって出費が少ない。やはり、皆最初はこれを求めてシェアハウスを選ぶ人が多いように感じる。

 

②寂しくない

一人暮らしをしていて、家に帰ると誰もいないというのが寂しいと感じる人は多いのではないか。誰かと住む人がいないなら、シェアハウスに入れば、人と繋がっているという実感が持てる。

 

③様々な価値観との出会いがある

自分が常識と思っていたことが、実は少数派であると気づかされる。食べ物の味付けが薄い人もいれば、濃い人もいる。家にずっといる人もいれば、あまり家に帰ってこない人もいる。静かで何も言わない人もいれば、たくさん喋りたい人もいる。自分の住人の間における立ち位置とか、強みとか、そういうものが色々と見えてきて面白い。自分は、残飯処理係になるほど大食いの立ち位置は小学校以来変わらない。自分の知らない習慣を持っている人と生活を共にすることそのものが、とてもクリエイティブで、何かお互いに学びがある。

 

一般的にみれば、こんなところか。

ただ、もちろんこれらの要素もあるとはいえ、もっと考えるべきことがある。

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【実現したいのはコミュニケーションを必要としている人に場を提供すること】

交流ある暮らしをぜひ古民家で実現したい。日本には昔、どこにでも存在していた地域コミュニティを、現代に合った形で再生して、古民家の「開放的な造り」を生かした人と人とが繋がることがプラスになるような場にしていきたい。若者のコミュニケーション障害や、孤食高齢者の孤独死のような社会問題が深刻になる中で、このような活動は世の中において少なからず求められている。

 

自分自身、人と人との繋がりを強く求めていたところがある。誰とでも広く浅く仲良くなれる反面、誰とも仲良くなれなかったのが、小学校から高校までの自分。友達はたくさん挙げられるけど、2人ペアを作ってと言われると誰を選んでいいかわからなかった。人を深く知れていないことが一番の悩みでもあった。

 

よく言われるのは、友達同士集まっても、ゲームやテレビの画面と対話をするだけで人と人との会話が生まれないこと。画面の話題について話が弾むでしょっていう人もいるけど、僕自身の考えからしてみれば、それはコミュニケーションではないと断言したい。コミュニケーションの定義とは、情報伝達ではなく、心と心が通じ合うことだと考えるからだ。

 

テレビやゲームの画面に向かい合っていると、心と心が通じ合う余白がないので、最初は友達と一緒に同じ画面に向き合っていても、友達と一緒にいるインセンティブが無くなるので、次第に画面が友達になってしまう。1人でも楽しめるじゃんということになって部屋にこもるようになる。

 

もちろん、テレビをみたり、ゲームをしたりするべきではないと言いたいわけではなく、そのような媒体が広がっている今だからこそ、交流がないことによる弊害を感じている人に、リアルな交流の場をつくっていきたい。ちなみに、例えばリアルな交流がないことによる「弊害」として、人によってはこのようなことが考えられる。

・異性と話をあまりしない

・自分がマイノリティで、同じ価値観を持つ人と繋がれていない。

SNSのつながりだと、最初にリアルな相手を知りにくい(空気感まで)ので、ファーストコンタクトとして使いたくない。

 

これらのニーズに応えていく場をつくっていきたい。ただし、それは、1つ1つに全て応えていくのではない。厳格な場ごとのコンセプトやルールを決めて、「管理」をしながらも、「企画・運営」をしていく必要がある。

 

現在は、様々な場づくりをイベントという形で、実験的に行なっているのが東京都日野市の築150年の古民家「ヒラヤマちべっと」という場所である。ときには、留学生が集まり、ときには学生が集まり、ときには高齢者が集まる。それぞれが、それぞれ思い思いの交流ができる場であればいいし、居場所であればいい。住人によって、関わる人によって、変わりゆく場所であり、研究所でもある。それが、「ヒラヤマちべっと」。過疎と言われている平山地域において、本場ちべっとのように皆が行きたくなる魅力を持った場所。

 

ただし、一歩間違えば「交流」とは思考放棄につながる。

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【多世代交流という言葉への疑問】

交流にもいろんな形がある。

異質なものが混ざり合うのか、同質のものが混ざり合うのか。

 

異質なものが混ざり合う場として多世代交流という言葉がある。一昨日、あるイベント参加者の方と話していて気づいたことがある。同年代には、共通言語があって楽しめるけど、多世代となると難しいようだ。なぜなら、普段、高齢者は健康のことで盛り上がりたい。でも、若者は恋愛や仕事のことで盛り上がりたい。つまり、話が相容れない。

若者は若者と、高齢者は高齢者としゃべりたがる。高齢者は赤ちゃんを見ると、元気がもらえるという。でも、赤ちゃんからしてみれば、高齢者をみても元気がもらえるわけではない。それと同じようなものだ。

 

そこで、ぼくはこのような形の多世代交流ならありえるんじゃないかと考えた。まずは、共通言語をつくること。「健康」は、若者にとって共通言語になりにくいもの。だから、世の中にとって普遍的なもの、例えば「食」とか、「自己実現」とか、そういう視点で場を作ってみたらどうか。例えば、「ラーメン好きが、ラーメンについて語り合う」というものだ。関心が高いものであればあるほど、つながる。さっき述べた③のような、価値観の共有を楽しく行える環境であれば良いと考えている。もはやこれは、多世代交流というよりは、ラーメン好きの交流である。それならば、多世代交流という文脈でなくても良さそうだ。

 

高齢者と若者が話をすれば、高齢者は自然に話しているつもりでも説教になってしまう。転ばぬ先の杖のようなことを話しされても、体感していないから全く意味がわからないのだ。小学校のときに校長先生の話を聞くのがめんどくさかったように、高齢者の説教が面白いと思う若者などいないし、実感がわかないというのである。しかも、高齢者は高齢者で、赤の他人である若者に介護の迷惑をかけたくないから、同じ屋根の下でシェアハウスに暮らすことなどできないという。なるほど、確かにそれはそうだ。

 

ある若者イベント参加者はこう話していた。「若者がもっとたくさんいると思ったのに、高齢者ばかりだった。」

(高齢者ばかり集まると話に入りにくいということを暗にほのめかしていた。) 

同年代が多い方が、なんだかんだ安心感があるし、盛り上がる。そういうものらしい。

 

まとめると、多世代交流という文脈で人が集まるインセンティブはない。そこで何をやるのか、誰に価値を感じてもらうか、ということが大事であると改めて思い知らされた。

 

より良い交流の形が自分の中でこれから洗練されていくのは間違いない。交流を暮らしの中でということは確実に不動産という分野からのアプローチで展開していく可能性が高い。暮らしとは習慣や生活と密接で、必要とされている交流をお客さんに感じてもらいやすい。単発的ではなく、それが習慣におとし込まれるからだ。

 

あとなんでもありは、誰も幸せにできない。ターゲットをきちんと各場において定めて行きたい。この人が住んでいるのになんで、こんな参加型イベントが行われているの!?みたいなアンマッチは避けたいところ。そこの場に集う人にとって、心地よい環境を作っていきたい。

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こちらは、築150年の古民家「ヒラヤマちべっと」の交流ある暮らしの写真

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