【長野県】古民家の宿場町(妻籠、奈良井、木曽平沢)の素朴な暮らしの魅力とは?

長野県の古民家の宿場町を巡る

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長野県の中央西線沿いには、江戸時代に整備された宿場町(※)がある。前々からブータンを連想する桃源郷のような懐かしい街並みと谷に惹かれて、いつか訪れたいと感じていた。先日、8月24日に取材で訪れることができたので、その特徴と感じたことをまとめておく。実際に訪れたのは、妻籠、奈良井、木曽平沢という3つの宿場町だ。南アルプスに囲まれた谷と川の恩恵を受けながら、その桃源郷のような美しい集落の人々はどのように暮らしているのだろうか。

 

※主な宿場町に、中津川宿、馬籠宿、妻籠宿、三留野宿野尻宿須原宿、上松宿、福島宿、宮ノ越宿藪原宿奈良井宿贄川宿などがある。

 

①街並み保存の最先端地域「妻籠宿」

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ここは、日本全国でも最も早い時期(1968年)に集落保存に着手を始めた場所である。生活と保存を一体化させ、住民、行政、学者の三者一体となり進めたところに特徴があった。寺下地区を中心に26戸を解体復原工事。その後、国指定の重要伝統的建造物群保存地区に指定された(1976年)。

 

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このエリアには多くの神様が祀られており、寒山拾得(かんざんじっとく)や叶ぴんころ地蔵などが見られる。前者は道祖神の一種で、禅僧を模した石仏であり、寒山智慧、拾得は行動を意味する。後者は長寿地蔵尊とも言われ、この地域は長寿の人が多いようだ。地産地消の素朴な食生活、勤勉さ、信仰の深さなどがその要因とされている。

 

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このエリアで印象に残ったのは花を生ける習慣だ。多くの家の格子戸に木をくりぬいて作られた花瓶のようなものが結わえつけられており、そこに花が挿してある。これを見たとき、インドのパキスタン国境にいる少数民族・花の民の村を訪れたことを思い出した。生活文化に花を添える、とても美しき文化を持った人々であると感じる。

 

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あとは、食文化も豊富だ。五平餅とおやき、蕎麦が定番メニューである。他の宿場に比べると、食べ物の値段が安く、漬物やお茶を出してくれるなどサービス精神が旺盛だ。山間部とあって味噌が美味しい。あと初めて食べたのだが、赤飯饅頭。饅頭の皮で赤飯を包んだもので、甘いわけでは無い。南木曽駅の観光案内所の方が、「あれはおやつではなく、ご飯がわり」という話をしていた。

②計画性と賑わいを感じる「奈良井宿

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戦国時代に武田氏が定めた宿駅で、江戸時代に中山道が通った。南北両端に神社があり、街並み背後の山裾に5つの寺院が配置されている。しかも一本道の宿場町であることから、非常に計画的に設計されているように感じる。この点が妻籠との違いかもしれない。なぜ、奈良井が賑わったかというと、中山道最大の難所・鳥居峠に向かう人が休む場所だったからだ。

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家は低い2階建てで、屋根勾配が非常にゆるく、奥行きが長いという特徴を持つ。昔は石置き屋根が多かったようだが、現在は鉄板葺きが主流となっている。二階正面に袖壁(※)を持つ家もある。昔、中津川宿に行った時に見たウダツとは防火構造が少し違う。

※上記写真の丸印の部分で、建物の外部に付きだした壁のこと。防火上の目的で設けられることが多いが、構造耐力を負担する壁にすることもできる。 外壁が建物本体からベランダへと延長されるときの、ベランダ部分の壁。ウダツも同様に防火構造だが、装飾性が強い。

 

③静かな漆器の街並み「木曽平沢宿」

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奈良井宿からは徒歩40分ほどで到着する。奈良井川が大きく歪曲した河川敷に発達した集落で、成立は1598年の周辺地域を結ぶ道の整備時と考えられる。この地域にはとても多くの漆器屋さんが見られる。近世前期は「木曽物」という漆器奈良井宿で生産されていたが、近世後期はこの地を舞台に「平沢塗物」が非常に盛んになったとのこと。現在でも日本有数の漆器の産地として名高い。

 

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この地域の家は街路と一定の空地(アガモチ)をとって配置される。山加荻村漆器店の方に、家の作りを詳しく教えてもらったところ、基本的に「間口は狭くして税金を安くしてもらう」とのこと。京都の町屋のように、土間が奥に長くて中庭がある。奥には漆職人の作業場であるヌリグラや納屋、物置があり、山加荻村漆器店の場合はギャラリーもある。ヌリグラは漆器生産に適した形で開口部を広く取り、湿度や温度を保ちやすい設計となっている。中二階建てで、切妻平入りが伝統的な形式だ。昔は板葺き石置き屋根だったとのこと。

 

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また、山加荻村漆器店に漆器生産の現場についても伺った。現状は後継者不足で厳しいとのこと。世襲で行なっている店が多く、若い人が経済基盤を求めて都会に出てしまう傾向があるようだ。もともと木曽平沢漆器は旅館やホテル、料亭むけに、大きなサイズの漆器生産を行うことで有名だったという。基本的に営業はせず知り合いの繋がりの中で仕事がまわり、他の店が入っているところには手出しをしないという縄張り意識の元で成立しているそうだ。昔はどの店も伝統的なものを作っていたが、最近は店ごとに個性も出始めており、料理人とコラボして制作した現代風の漆器も見せていただいた。また、変わったものとしてはセミ型の花挿しや蒔絵の入った兜形の作品もあった。

 

▼山加荻村漆器店のHP

www.yamaka-japan.com

 

 

 

【岩手県遠野市】しし踊り撮影をして1ヶ月、自然との対話を通して作品作り

最近考えていること。僕は写真や文章を通して、地域の魅力を伝えていきたい。ただし、自分がやっていることについて、あまりよくわからないという方も多いと思う。やはり、きちんと自分の言葉で噛み砕いて伝える必要を感じる。そこで、現状を簡単にブログでまとめておく。

 

先日、遠野でクリエイターインレジデンスに参加。遠野の神秘的な空気感に引き込まれ、その魅力を肌で感じながら、写真の作品を作った。タイトルは「しし踊りの記憶」。人間はどうして、民俗芸能を生み出したのか。その原点を探りたいと思い、しし踊りの担い手を訪ねるとともに、その踊りのモチーフとなる鹿と対峙する猟師を訪ねた。これは言い換えれば、人間は如何に自然と対峙してきたかを掘り下げることになると思った。 

◆◆◆◆◆

 

思い返せば、自分は自然がとても好きである。

雲の様子とか、太陽の光とか、川の流れとか、自然の表情から、

美しさや繊細さを教えられた。

大学2年生の時に、農業やら林業やら地方の現場を見て歩き、

アルバイトやインターンシップを経験して、

自然とともに生きる豊かさを知ることができた。

しかし、自分は手と足を器用に動かして、自然と直接対峙することの難しさを感じた。

物を運ぶとかレジ打ちをするとか人が当たり前のようにできることが、

不思議なくらいにできない...

一方で、写真や文章を使って何かを表現したり、経験を共有したりすることは楽しいし、

多少は褒めてもらえることも多かった。

 

それで、大学卒業して1年半後に紆余曲折あり、写真を学ぶ学校や、ライターの養成講座に通って、今の生き方に繋がった。

 

◆◆◆◆◆

 

最初は、旅をしながらその場限りの驚きとか出会いを、写真や文章に残すという形が多かった。しかし、後に残るのは虚しさばかりである。その場で感じたことが果たして、本当の理解に繋がっているのだろうか。笑顔で一晩泊めてくれた人や路上で出会った人が自分に十分心を開いてくれただろうかと考えてしまう。相手が赤の他人であると感じながら撮ると、自分よがりで瞬間を盗むような写真しか生み出されないように感じるのだ。それで、僕にとっての表現は対話であることを知った。長い時間をかけて、その被写体、あるいは地域に向き合うことによって、生み出されるものがある。それによって、人にも何かを感じてもらえるではないか。

 

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そのように考えた僕が、最初のフィールドに選んだのが、石川県加賀市だった(2019年〜「KAGA SHISHIMAI project」)。この地域は、日本全国の中でも獅子舞が多く実施されている地域。五穀豊穣など自然に対する祈りや、厄払いの意味が込められ、何より獅子頭のデザインに惹かれた自分は、これをたくさん撮影してみようと考えた。加賀市の獅子舞は伝来経路が多様であり、石川県内や富山、伊勢など、様々なところから伝わった。そのため、獅子頭のデザインもバラバラで非常に奥深い世界が広がっている。人に会うたびに発見があり、どんどんのめり込むほど世界が広がっていく感じが面白い。海、山、川、城下町、温泉街と多様な地形が存在し、中心地の定まらない地域特性を作品作りの過程で体感できた。そして、この特性から育まれた民俗芸能を撮影することで、地域を再発見しようと考えたのだ。

 

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一方で、今回滞在した遠野もしし踊りという「民俗芸能」に注目しているが、アプローチが異なる。加賀では、自分が水平方向に地域の多様性を感じ面白さを表現しようと試みているのに対して、遠野では垂直方向に対話を行う。盆地を中心に山に囲まれた地形の遠野では、言わば神域と俗世を行き来するような感覚があるのだ。しし踊りのモチーフである鹿が地域内に存在するので、山にいる鹿という生き物<神域>と、里に伝承されるしし踊りという芸能<俗世>を双方に深めることで、その境目を見出そうという発想になってくる。例えば、鹿が踊っている姿を見てしし踊りを発想したのかもしれない。実際はそこまで単純な話ではないのだが、その踊りの源流を遡れる面白さがあることは確かだ。

 

遠野では、今後何をやりたいのかという話をしておきたい。

①まずは猟師の方に、鹿を打つ瞬間、それを裁く現場、それを頂く食卓、あるいは自然に還す現場を案内していただき、自然との対話を深めて、より自分ごとにしていく。

 

地域の伝承や実体験(自然に対する畏怖など)に基づく小道具のデザインや踊り方について事例をたくさん集めていき、写真で表現してみたい。例えば想像の話だが、鹿が顔を左右に振り回しながら走っていたのをみて驚いたから、しし踊りにそういう動きを取り入れたとか。山で遭難していた時に、鹿の通る道を跡をつけたら里に帰れたから、その道で感謝の念を込めたしし踊りを開催するようになったなど..。ある出来事があって、そこに畏敬の念や感謝が生まれて、しし踊りにつながったという過去をよりリアルに辿ることで、自然と対話する感覚を示せるのではないか。

 

 

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③あともう1つやってみたいのは早池峰山の山頂から遠野駅までを歩いて下ること。単純に遠野市内の一番高いところから一番低いところまで一筆書きで歩いてみたら、先ほど書いた神域と俗世の境目を身体で体感できるのではないかと考えるからだ。人は山で自然の脅威を感じ畏怖の念を持ち、里に帰ってそれを共有することで物語が生まれた。それならば、自分が写真家として物語の語り手になってしまおうという考えである。これはまだ雪が降らない次回の滞在の時(9月)に実施したい。

 

昨今、新型コロナウイルスの流行や環境問題の深刻化などが叫ばれる中で、人間のもっとも大きな問題の1つに自然との向き合い方があると感じる。過剰に森林を破壊すれば、多くの生き物の住処を奪い空気を汚すことになり、人間もしっぺ返しを食らう。しかし、貧困や食糧供給など多くの問題が複雑に絡み合い、解決は非常に難しい。自分にできることは小さなことだが、表現の世界で人の心に残るようなものができたらと感じている。

 

結局、写真の作品は現場をそのままお届けすることはできない。世界を直接捉えることはできず、撫でることくらいしかできないのだ。アートの視点は受け手に委ねられているとはいえ、まず注目してもらえるようなモノを作らねばと思う。分厚いけど手に取りたくなるような写真集を何年かかけてどどーんと作りたいという妄想はある。あとは、つくる大学での講座をさせていただくなどして、地域の方との出会いを大事にしていきたい。今、急いで何か作るのはやはり時期尚早だ。今はまず、様々な撮影を試してみたい。

 

▼前回、初めての遠野滞在(7/4~12)は写真展を開催しました。次回の滞在(9/3~8)では、引き続き写真の作品づくりを考えています!(※新型コロナウイルスの影響も考えて、場合によっては日程変更も視野に入れながら行います。)

 

 

【2020年7月】石川県加賀市・獅子頭の写真撮影まとめ

2020年7月の獅子頭撮影をした際に見たこと、聞いたことをここにまとめておく。ブログ記事というよりかは一次資料に近い形で、とりとめもなく情報を羅列しておきたいと感じ、ここに記す。

 

2020年7月14日撮影

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大聖寺大新道(加賀神明宮・太田真也さん)

・加賀神明宮の中に1頭保管されている。拝殿内で撮影。

 

大聖寺魚町(加賀神明宮・太田真也さん)

・加賀神明宮の拝殿の神棚の右に設置してある獅子頭箱に1頭保管されている。拝殿内で撮影。

 

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③④⑤片山津温泉2~4区(末友哲二さん・山口美幸さん同行)

・5区の集会場に保管されている。2~4区は共同の獅子頭が1つあり、それで地域の獅子舞を行なっていた。現在は、小道具が残るのみ。

・後に2~4区は5区と合体された。

 

片山津温泉5区(末友哲二さん・山口美幸さん同行)

・5区の集会場に保管されている。集会所は一見、民家でわかりにくい所にあるが、もともとは芸妓さんが練習などを行なっていた場所。

・踊り手の着物が真っ白で、巫女さんのような印象を与える。

・子供への化粧がとても手が込んでいる。目元がはっきりした印象。

・獅子舞に関する会計の記録は毎年一冊ずつ帳簿にまとめて大事にとっている。

・ホテルでお客さん向けに獅子舞を踊っていた時代があった(32年前の写真あり)。各旅館の浴衣を来て踊った。尻に獅子がかぶりつくような演技があった。

 

2020年7月15日撮影

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大聖寺弓町(区長の中野さん・地区会館中村さんの紹介)

・弓町の公民館に保管している。

・雌獅子がある。ずっと子供の頃から獅子を見ている。

・どこから獅子が伝わったのかは不明。

・耳が大きめの獅子頭が1頭ある。

獅子頭は鶴来で作っている。

・小学校五年生の時に獅子舞を始めた。その時は子供獅子があり、大会もあった。3位になったことがある。

・法華坊とかの方が華やか。

・菅生の人に獅子舞を教えてもらった。

・一番初めに寝ているところから獅子舞が始まり、狩りをするという獅子の動き。

・太鼓の名人がいないと獅子が生きてこない。リズム感が必要。

 

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大聖寺菅生町(区長の中野さん・地区会館中村さん紹介)

・公民館がないので、郵便局に飾られている。

・一方向に穴が空いている箱に入っている。

・獅子は顔が縦長で昔のデザインを彷彿させる。文政3年3月に制作された。

 

大聖寺関栄町(区長の加藤さん・地区会館中村さん紹介)

・関栄(せきえい)親子獅子保存会が行なっている。青年団がない。

 ・親子の獅子頭と古いもの1つの合計3つが保管されている。昭和30年代のものでも、かなり綺麗な状態で保存されている。毎年塗り直しているそう。

・胴幕が緑で、子供が使う。鈴がついている。

・子供を一回崖に落とし、崖から這い上がっていくという逸話があり、それにまつわる小道具を使っている。崖に花が咲いているような衝立のような小道具がある。

・藩政時代には関所があったので、この地域は関町という名前になった。関所の人に獅子を習ったと言われている。

・基本的には座敷の獅子で、外では舞わない。イベントでやってほしいという依頼がある。

・子供獅子の背中が虎のような模様になっている。

・この地域の獅子舞は連獅子をアレンジしたとも言われる。

 

2020年7月16日撮影

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片山津温泉1区(はさばさん・山口美幸さん同行)

・明治の後半に、能登田鶴浜から山口半次郎が伝えた。建具職人で、幼い頃から獅子舞を習っていたものと思われる。

能登の獅子は富山や井波などの関連性が高い。昔盛んに行われていたのは石動(いするぎ)付近の獅子かもしれない。そこら辺から能登に伝わったのだろうか。

・鼻には紐を通して、すり減らないように保護している。同様に、耳にも耳あてをしている。

・目が小さくて鼻が高い印象。

・井波で作っている、加賀獅子らしい顔。

・子獅子と大獅子の2つがある。

 

※荒谷町獅子舞

荒谷の獅子舞は途絶えてしまった。なぜ途絶えて、そこに人々のどのような思いがあったのかを探るべく、林さんのご紹介でかつての舞手を務めた宮啓二(1950年生まれ)さんにお話を伺った。以下、インタビューの一部をそのまま書き起こして掲載する。

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稲村「獅子舞が途絶えたことに関して伺いたいです...」

宮「僕が小学校6年くらいに途絶えて、平成元年ごろに復活。しかし、平成8年ごろにまた途絶えてしまった。小学校5年から中学校3年の人が少なくなったので、若い棒振りができる人がいなくなった。」

稲村「復活した時は何人くらいでされていたのですか」

宮「子供3人、笛吹く人、結婚した人...。30人くらいおったかもな。私が38~9歳くらいの時やわ。その時、陶芸家のマサキさんが復活させたんやわ。」

稲村「その時復活させようとしたのはどういう経緯だったんですか。」

宮「マサキさんが若かったし、外から入ってきた人で3〜4年経った時になんか寂しいなあということで、昔の芸能を年寄りに聞いてやろうということになった。マサキさんは私が何でも準備するということで... .絵が描ける人だったから、半紙に獅子舞を描いて東谷の8ヶ村にポスターとして貼って宣伝した。笛を吹ける人がなかなかいなかったから、滝町のあんちゃんに頼んだ。あとはカヤに入る人や太鼓を叩く人は荒谷の人が務めた。8月のお盆、12~14あたりの日にお宮さん(荒谷神社)に集まった。それから、荒谷と今立の一軒一軒をぐるっと回った。それから、毎年やっていたが、横笛を吹ける人がおらんようになった。横笛は縦笛と違ってなかなか難しい。大抵息が切れるから、2人は必要なんじゃが。それで、徐々に獅子舞ができんようになった。子供も減ってきてしまった。獅子舞は60歳くらいまでしかできん。笛が2人、太鼓が1人、頭が1人でそれも入れて中に入る人が4~5人、棒振りが1人くらいは必要。最低でも合計8人は必要やわ。」

稲村「もっと昔の獅子舞について知っていることはありますか」

宮「昔、荒谷は林業が盛んやった。明治の終わり頃から40年くらいの時に、能登の方から木を伐採する木こりが出稼ぎに来ていた。炭焼きをして、木を植えて30~40年くらい生かして、それを伐採した。その木こりの何人かが(荒谷で)獅子舞を始めた。酒飲むだけじゃつまらん、ということで自分たちの地元の獅子舞でも舞おうということになった。最初はそのグループの中でやっていただけで、地域で始まったというわけではない。」

稲村「その獅子舞はいつまで続いたんですか?」

宮「それはかなり続いたんやわ。大正、昭和くらいまで続いたんじゃないかな。昭和の戦争(第二次世界大戦)で木こりさんは戦艦を作るために忙しかった。昭和35.6年まではやっとったんじゃないかな。徐々に獅子舞は地域のものになってった。でも、石油とかガス、電気の時代になってきて、昭和30年ごろから炭焼きの需要もなくなってきて、人が都会に出て行くようになってしまった。」

稲村「獅子舞の衰退と林業の衰退は同じ時期だったのですね。」

宮「昭和45年くらいには、炭焼きをやるもんもいなくなってしまった。」

稲村「(宮さんが)中学校ぐらいまでは獅子舞が行われていたのですね。」

宮「そう、それくらいまで(昭和35.6年)はやっていたんだわ。そのあと私は大聖寺に働きに出てしまった。ちょうどバブルの弾けた昭和50年に結婚した。それからはずっと大聖寺に住んでいる。」

稲村「いま荒谷の住民はどれくらいいるのでしょうか。」

宮「10人くらいかな。私が小学校の時は50軒くらい(家が)あった。明治の頃は100軒くらいあったんじゃないかな。減少の一番の影響はその燃料の需要がなくなったこと。炭焼きをして人工林を植えるサイクルができていたから、炭焼きの人がいなくなって森を綺麗にする人がいなくなってしまった。昭和50年に最後の人工林が植わった。人工林は15年手をかければ、ほっといても自然に育つ。でも、もう40年もそれらがほったらかし。クマが木の皮を剥いで、蜜を舐めにくる。冬眠の時に手についた蜜を舐める。木は荒れている。」

稲村「獅子舞には、木こりの森に対する畏怖の念もあったんでしょうか。」

宮「そうそう。お宮さんで山まつりというのもあった。能登にはあえのこともある。」

稲村「獅子舞の動作には、森に対する畏怖の念が込められているのでしょうか。」

宮「荒谷の獅子は退治型。獅子は悪いことをするやつということで、それを退治するのが荒谷の獅子や。牛若丸が棒振りで、弁慶を操ったようなものだ。それから、神社には男と女が祀ってある。白山が女の人の白い体に似とるということで、加賀には女の神様がより多い。荒谷のご神体は白山や。人間の弱さかな。なんかにすがるというか。なんかにすがらんと生きてかれん。だから、信仰が生まれるんや。拝むことでよし明日から頑張ろうっていう張りが出てくる。私は今仕事をしていないが、信仰がなかったら人間がダメになってくる。そこらへんの石ころでもいい。拝むことで、自分の精神を奮い立たせられる。(森ならではの獅子舞というのはなさそうで、典型的な加賀獅子の話をしている。ただし、宮さんの考えはアミニズムにも近そうだ。)」

 

以上、インタビューは約1時間半続いた。宮さんの力強く熱のこもった故郷への思いに感激した。そして、今はなき獅子舞の話を聞いて、産業の衰退と並行して信仰や暮らしの衰退がおこるという気づきを得た。

 

2020年7月17日撮影

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11動橋(振橋神社神主さん・平井さん同行)

・五十鈴流で伊勢の獅子。棒振りがない(はさばさん談)。

・橋立から踊りを習った。北前船との関連の中で、交流が活発だったのかもしれない。

・鶴来で獅子頭を制作したようだが、個人的には岩手県の海岸沿いの犬のような風貌の獅子に似ているように思える。

・獅子の歯がかけないように、入れ歯のようなプロテクターが歯に装着されている。

・この周辺は土質が良くないので、橋をかけても振れたことから「振橋」という名前が生まれた。「振れる」は現地の方言で「いぶる」なので、動橋(いぶりばし)となった。北前船の歴史も関連しており交易が行われたことから、北海道にも「胆振(いぶり)」という地名がある。

 

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12中島町(平井さんと山口美幸さん同行)

・地区会館の調理室にて撮影。

・獅子に耳はあるけどすぐ取れるので、取って舞う。

富山県の井波で獅子を制作している。

 

<今回の滞在で学んだこと>

・やはり加賀市の獅子は多様で、由来や歴史を遡るのが面白い。2020年版の獅子頭撮影の写真集を作成する予定だが、獅子頭のストーリーをまとめた小冊子か本の最後に文章を多めにつけたい。

・一人一人のアポ取りで撮影していってもあまり広がりが出ないので、一対多の場所により多く顔を出していきたい。例えば各地域のまちづくり協議会に出席して、本や活動の紹介、獅子頭の撮影地域を募集していくとか、地区会館のような場所に問い合わせるなど。

 

今回の撮影はほぼ全て山口美幸さんの人脈の中で実現しました。急な訪問にも関わらず、本当にありがとうございます!そして、16日夜にご馳走してくださった陶芸家の山下一三さんや、アジフライを食べさせていただいた塩屋のとやまさん、ビールの差し入れをくれた北出さん、アポ取りをたくさんしてくださった大聖寺地区会館の方々、影で支えていただいているあくるめ財団関係の方々など、滞在中には本当にたくさんの方にお世話になりました。これからも加賀の獅子舞の魅力を発見できるようプロジェクトを頑張ります。撮影した写真は、こちらのインスタのアカウントに載せていきますのでご確認ください(下記写真は2020年7月18日現在)。

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https://www.instagram.com/kagashishimai/

【岩手県遠野市】クリエイターレジデンス8~9日目・早池峰神楽&長野しし踊り撮影と写真展の開催<最終日>

イナムラです。つくる大学のクリエイターインレジデンスに参加しています。鹿踊を始めとした伝統芸能を写真で表現すべく滞在中。今日も地域の民俗芸能やそれのモチーフになった動物に関して聞いた話を忘れないように、ざっくりと箇条書きで書いておきます。

 

早池峰神楽再撮影(7/11 夜)

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今回は、前回とは撮影方法を変え、窓への写りこむ姿や、室外から窓ガラス越しに映る姿にも注目して行った。練習終わりに飲みが始まり、そこで聞いた話を書いておく。

・昔は篝火を焚いて舞っていたが、最近は火の扱いに注意する必要がある。1000年前からやっているので、昔は篝火がないとできなかった。最近はろうそくをつけてやることもある。

・昔は32演目もあり、出店が立ち並び、早池峰神社の祭りは遠野祭りのように賑わっていた。現在は消えてしまった演目も多い。

・お供え餅を拝み、それをお神輿に入れて、階段から転がしてから、餅を奪い合うという祭りもあった。これらの動作は魂の再生も意味したようで、蘇民祭とも近い。

・喧嘩は祭りの花。お祭りは出会いの場でもあり、そのためにやってやるぜ!と男が喧嘩するような雰囲気もあった。

 

②長野しし踊り撮影(7/12 午前〜お昼)

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・埼玉県白岡市獅子舞博物館主催で、コロナや災害の退散を祈願して全国一斉獅子舞演舞というイベントが行われた。全国8団体が参加し各地で獅子舞&しし踊りを披露。岩手県からは2団体が参加して、その1つが遠野の長野しし踊りだった。

・当日は10時ごろから準備を開始。カンナガラの交換を主に行っていた。

・カンナガラは大工の人が作る。カンナで木を擦った時に出来るものに形が似ていることから、そう名付けられた。供給地は限られている。

・12:30頃に長野地区コミュニティ消防センターで踊りを開始。今回は、花のお礼のナメクサと、ハシラガカリと、トオリオドリの3つの演目を行った。初めてしし踊りを踊っている姿を見た。大きい動きにとても迫力があり、背丈がとても高く見えた。

・今回はコロナ感染防止などもあり無観客で行われたが、岩手IBCや沖縄のNHKテレビなど、様々なメディアが駆けつけており、企画はとても注目を浴びていた。

Twitterで発信することで多くの方に注目をされており、発信の重要性を再確認した。

 

③写真展&トークショー(7/12)

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・1週間の滞在の中で集大成となる写真の展示は7/12全日、トークショーは15:00~15:30の時間で行った。トークショーには10数名の方が来てくださり、つくる大学と僕のfacebookページ両方でも配信。写真展のみを見に来てくれた人も合わせると、今回の活動をかなり多くの方に注目していただくことができた。

・写真の展示は「ししの記憶」というタイトル。しし踊りはどうやって始まったのだろうと想像しながら撮影を行い、作品を仕上げた。地域の人は見慣れているものを、外側の人の目線で撮影したので、視点を面白がってもらえた。特に、踊りの衣装を脱いだり着たりしている写真などは好評だった。おそらくお祭りの本番を写真で撮る人は多いが、華やかな部分だけに目を向けるのではなく、違う部分に注目していくことも大事だと再確認できた。

・展示は写真を半分に縮小して、7月下旬まで飾っていただくことになった。まだ見られていない方は、ぜひ岩手県遠野市の遠野駅近くにあるコモンズスペースにお立ち寄りいただきたい。

 

今回の滞在は7月12日で終了。次回は、9月に滞在を予定しており、今後が楽しみだ。次回にやりたいことリストを作ったので共有させていただく。

・今回の撮影した写真でポストカードや冊子を作って販売

・地域のしし踊り団体の人とのコラボイベントの実施

・神楽やしし踊りの職人さんの仕事風景の撮影(長野、張山、早池峰など)

・回れていない場所を散歩

・神楽やしし踊りの本番の撮影(長野、張山、早池峰など)

※冬は鹿猟の同行もしてみたい...

現状では、これらを実施してみたいと考えている。今後どのような展開になるのか楽しみだ。今後ともよろしくお願いします。

・ポストカードや冊子の販売
・地域のしし踊り団体の人とのコラボイベントの実施
・神楽やしし踊りの職人さんの仕事風景の撮影(長野、張山、早池峰など)
・回れていない場所を散歩
・神楽やしし踊りの本番の撮影(長野、張山、早池峰など)
現状では、これらを実施してみたいなと思っています!

・ポストカードや冊子の販売
・地域のしし踊り団体の人とのコラボイベントの実施
・神楽やしし踊りの職人さんの仕事風景の撮影(長野、張山、早池峰など)
・回れていない場所を散歩
・神楽やしし踊りの本番の撮影(長野、張山、早池峰など)
現状では、これらを実施してみたいなと思っています!

・ポストカードや冊子の販売
・地域のしし踊り団体の人とのコラボイベントの実施
・神楽やしし踊りの職人さんの仕事風景の撮影(長野、張山、早池峰など)
・回れていない場所を散歩
・神楽やしし踊りの本番の撮影(長野、張山、早池峰など)
現状では、これらを実施してみたいなと思っています!

 

 

 

 

 

【岩手県遠野市】クリエイターレジデンス7日目・しし踊りの撮影とヒアリング

イナムラです。つくる大学のクリエイターインレジデンスに参加しています。鹿踊を始めとした伝統芸能を写真で表現すべく滞在中。今日も地域の民俗芸能やそれのモチーフになった動物に関して聞いた話を忘れないように、ざっくりと箇条書きで書いておきます。

 

①張山しし踊り撮影・新田さん(富川さん同行)

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家の中に保管されているしし踊りの小道具を、日常の風景の中で撮影させていただいた。トラクターや田園風景などと一緒に並ぶシシはとても大人しく見えたが、これがまた面白い。実際に祭りの盛り上がりの中にいるより、日常の中で保管されている方が圧倒的に時間が長いので、ある意味シシの素顔を見た気がした。また、芸能人のオフショットを撮影したような気持ちにもなった。コロナ渦でシシも自宅待機をしており、外出自粛をしているのだ。以下、伺った話を一部抜粋。

 

・学校で子供達にしし踊りを教えているが、若い担い手は少なくなっているのが課題。

・しし踊りは江戸時代にお伊勢参りや金毘羅様の土産物として、奈良の春日大社から伝わった。この際に遠州掛川も通ったため、そこでもしし踊りに似たものを見たと思われる。元をたどれば、九州の高千穂の天の岩戸が発祥となっている。

・カンナガラはライオンの毛に似ている。

・しし踊りのデザインは白幕なので、踊る際に汚れやすい。

・太古からしし踊りの歌がある(?)

・最近は東京に公演に行くが、20分くらいしか踊れなくて残念。昔から比べると、踊る時間が短くなった。

 

②佐比内しし踊りヒアリング・佐々木さん(一倉さん同行)

▼佐々木さんのブログ

blog.goo.ne.jp

・遠野の駒木からしし踊りが伝わったと言われている。

・古老の口伝によると、その昔南部公時代に城屋敷に上がり踊ったという。この時に、シシの幕に染めている「丸に九曜紋」を頂いた。

世界遺産の橋野高炉建設から3年後、万延元年(1860年)に佐比内高炉建設の際、山の神祭に下村の佐比内しし踊りを踊ったと言われており、これ以前から伝来していたことがわかる。

・鹿は薬になるということで昔から食べられており、それを供養したり五穀豊穣を祈ったりするためにしし踊りが始まったと言われている。

・佐比内しし踊りの一番の特徴は、「かえし首」があること。横を向いた時に必ず正面に頭を戻す動作を行う。また、三角形を基本とした「サンバ」というステップで踊る。

・50年前から踊りに参加している。踊りに参加する目的は、子供にとって小遣い稼ぎ、大人にとってお酒と娯楽だった。子供達は昔、1000円でももらえたら喜んだ。大人にとって田植え休みのような感じで、会社を休むこともできた。

・国内では、富山県射水市熊本県菊池市に行って踊ったこともあった。バス代だけで120万円もかかるが、それは自治体から予算が出る。観光気分で行くことができた。海外公演を頼まれることもあるが、メンバーが休みが取れないのでなかなか行けない。

・演目の歌を全文見せていただいた。春日山、松島、奈良、京都区間の唐絵、加賀の菊酒、鹿島、天じくなどの場所を表す語が散見される。しし踊りの起源を遡る手がかりになるかもしれない。また、歌詞の意味は理解できないが、先祖が後世に伝えた隠されたメッセージがあるかもしれないとも感じた。

 

<今日のまとめ>

今日、張山にて初めてしし踊りの撮影ができてよかった。また、佐比内については事前にたくさんの資料まで用意していただいて、起源に関することがとても詳しくわかってよかった。さて、今回の滞在も残すところあと2日。写真展とトークショーに向けて、準備を頑張ります!ぜひ皆さん、コモンズスペースにお立ち寄りください。

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【岩手県遠野市】クリエイターレジデンス6日目・地域の信仰を撮る&写真展準備。

毎日充実しすぎて、ブログがまったく更新できていないイナムラです。つくる大学のクリエイターインレジデンスに参加しています。鹿踊を始めとした伝統芸能を写真で表現すべく滞在中。今日も地域の民俗芸能やそれのモチーフになった動物に関して聞いた話を忘れないように、ざっくりと箇条書きで書いておきます。

 

遠野市立博物館

 

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宮沢賢治『なめとこ山の熊』を読んだ

貧しい猟師の暮らしを描いた物語。毛皮を町で売ることで、わずかばかりのお金をもらうことしかできない生活をしている小十郎が主人公だ。熊をやっつけた小十郎は、町の商人にやっつけられるという貧しさの連鎖。それが、熊を前にして本当に打つ必要があるのかという問いにつながる。熊には熊の生き方がある。やり残したこともあろうと情が先に立つ。最後に小十郎は「殺す気などなかったのだ」と言われながら熊に殺される。厳しい暮らしをたくましく生き抜いた猟師は、熊を撃ち落とすという使命を終えた時、逆に自然に飲まれたとも捉えられる。これこそ、人間と自然との対話を象徴的に描いている作品と言える。

 

宮沢賢治鹿踊りのはじまり』を読んだ

粟や稗を作る農家の嘉十(かじゅう)が出会った鹿の物語。嘉十が歩いているときに芝草の上に手ぬぐいの忘れ物をしてしまい、取りに帰った。戻ってみると、鹿たちがその周りを踊っていたそうだ。鹿たちは言葉を話し、これは生き物なのか?などと囁いている。一匹一匹それが何かを確かめ合う。また、横に嘉十が置いていた栃の団子も少しずつ分け合って食べている。踊り狂い、最後に整列して鹿が太陽を拝むシーンは印象的である。嘉十が草むらから出ると、鹿は驚いて逃げてしまう。鹿の暮らしを美しく描いた作品で、しし踊りの起源を描いたものだ。これを宮沢賢治は秋の風から聞かされたものだと述べており、「風」というのが重要なキーワードにも思える。しし踊りはそもそも風をきる表現という言い伝えもあるからだ。

 

・門屋光昭『鬼と鹿と宮沢賢治』を読んだ

菅江真澄の「けふのせば布」によれば、しし踊りの由来をこう捉えている。夜祭後の朝に笛鼓の音に浮かれて、鹿が放牧の馬に混じって、角を振りたてて踊りまわっていた。しかし、それを見た子供が叫んだので、鹿は木の茂った山に飛び込んでしまったとのこと。これはかなり宮沢賢治の話にも似ている。さらに、老爺が世の中に行われる獅子舞は鹿の踊りをみて始まったものだろうと話したことが書かれているようだ。

 

②自転車 五百羅漢〜程洞稲荷神社

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江戸時代は今より平均気温が3度も低かったらしい。高冷地の遠野はしばしば凶作や飢饉が起こり、犠牲者を出したと言われる。その供養のために掘られたのが五百羅漢。僕は五百羅漢の造形が、限りなく自然に近い人工物であることにとても興味を持ったので行ってみた。巨石の塊が忽然と姿を現し、光が差し込んだ風景はかなり幻想的だった。また、五百羅漢に行く途中に知ったのが、程洞稲荷神社。ここは全く行く予定がなかったが、山深い霊力に誘われて行ってみた。なかなか拝殿に辿り着かず、4回鳥居をくぐるとそこにあったのは、拝殿とたくさんのコンセイサマ。カラスの絵が描かれ、そこにキノコがお供えしてある。この組み合わせは何を示すのだろうか。一人で訪れる孤独感と、未知なる神秘を感じた。(ps.かなり道が険しく、油断はできない。チャリがパンクしてしまったのでチャリ屋のおっちゃんに直してもらった。)

 

③最終日写真展の打ち合わせ

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もう滞在もあと3日です。最終日には、今回の滞在の成果を発表すべく、写真展とトークショーを実施します。遠野の魅力(民俗芸能等)を僕ならではの視点で表現した写真作品をぜひ見にきてください。

 

<写真展&トークイベントの概要>

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7月12日(日)

11:30~17:00 遠野滞在中に撮影した写真の展示

15:00~15:05 アナウンスとゲスト紹介

15:05~15:15 稲村行真さん自己紹介とこれまでの活動 

15:15~16:05 遠野の滞在中に見たものとそれにまつわる話

  ・遠野滞在中に撮影した写真の紹介

  ・遠野で見たものや感じたものについて

  ・今後の活動について

16:05~16:15 質疑応答

◆場所:つくる大学キャンパス Commons Space(遠野市中央通り5-32)

◆参加費:無料

◆お申込み:トークイベントへのお申込みは、以下のリンクからお願いします。

https://tsukuruuniv.stores.jp/items/5f070d36ec8fd31d21b01ec3

 

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写真のプリントはこちらの写真館に頼むことにした。試し刷りもうまく行ったし、美味しいお茶を出してくれて、お菓子までもたせてくれた。

sudo-photo.com

 

【岩手県遠野市】クリエイターレジデンス4~5日目・早池峰神楽撮影・鹿猟の現場を見て鹿鍋を食べるなど。

毎日充実しすぎて、ブログがまったく更新できていないイナムラです。つくる大学のクリエイターインレジデンスに参加しています。鹿踊を始めとした伝統芸能を写真で表現すべく滞在中。今日も地域の民俗芸能やそれのモチーフになった動物に関して聞いた話を忘れないように、ざっくりと箇条書きで書いておきます。

 

7月7日(火)

①自転車 伝承園〜角助のお墓〜山崎のコンセイサマデンデラ

▼伝承園

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・伝承園はオシラサマがあまりにもぎょっとする。1000体のオシラサマにかなり狭い空間で360度囲まれ、見つめられるという経験はなかなかできるものではない。背中の方にゾッとする意識が向けられ、馬と一緒に空に旅立った女の人の遠野物語のエピソードが頭の中を駆け巡る。祈りの言葉が一体一体オシラサマに書かれているのだが、人の苦労とか悔しさとか悩みとかそういうものが結集していることを思うと、非常に空気の密度が重くてのしかかってくる。

・角助は遠野にしし踊りを伝えた人物。とてもひっそりとでも立派なお墓がある。そこに至るまでの道でフサフサの草をかき分けて進んだのだが、それが鹿の毛に思えて仕方がない。自分の足に絡みついてきたのが印象深い。

コンセイサマは生死のマンダラが隠されているようだ。男性の精器(コンセイサマ)が生の象徴、背後にある賽の河原が死の象徴である。一度は埋まったが、発掘されたというエピソードから、昔の人はこの山崎の地に生と死の究極のマンダラを埋め込んだのではないか。

・自転車で回るのはとても時間がかかったが、約6時間で回りきれた。最後にデンデラ野に到着。昔は口減らしといって、貧しい農家では年寄りに食べさせるものを少なくすべく、昼は労働、夜は隔離という生活をさせたようである。この時の死ぬ間際の人が住んでいた家が再現されていたので、入ってみることに..。中に入ると細く響く風の声のようなものが聞こえて、急に外に出る。晴れていたにも関わらず大雨が降り出す。顔が硬直して震えが止まらなくなったので、早急にチャリで帰路へ。道中ミミズを踏んでしまい、なおさらぎょっとして足が鉛のように重くなる。遠野駅の方まで来ると、何事もなかったようにけろっとしている。おかしい。やはり、遠野は神様がいるように感じられる土地である。

 

ps.大学生の小松さんの話

蓮台野といって、生きながら極楽浄土で暮らせるという意味がデンデラ野にはあったそうだ。また、突然雨が降るという現象の時、河童が現れることがあるようである。

 

早池峰神楽の撮影

▼神楽の撮影風景

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つくる大学のななさんの所属する早池峰神楽を夜に撮影。早池峯神社周辺は暗闇に包まれている。山門から拝殿への直線の先には北極星があるといい、マンダラがここにも存在するようだ。蛍が飛び交い、呼吸している木立に土地の力を感じた。練習は19時台から22時ごろまで続く。根気強く汗びっしょりになって練習する人々の姿が印象的だった。権現様やお面、踊りなどを神秘的な空気感を大事に撮影させていただいた。権現様やお面を掘った職人の方のお話を少し共有(方言が聞き取れず、一部のみ。方言に触れるというのは心地よい。)

・昭和51年に初めてお面を作った。

・お面は桐の木を掘って作る。理由は木材の中でも軽い種類だから。

・ニカワで塗る作業を行う。

・自分で作り方は考えた。

・神楽は山伏が伝えたものだろう。

・神楽の担い手は5~85歳くらいまでの15人ほどのメンバーがいる。

撮影終了後、宿泊場所まで送ってもらう際に、アナグマを2頭見た。この呑気な田舎の動物たちとそれを見て呑気に構える遠野人にいとおしさを覚える。

 

7月8日(水)

猟師のおさむさんの猟場を撮影

宮守の猟師、高橋さんに猟をしている場所や名所を案内していただき、鹿の肉を食べさせていただいた。

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・宮守には眼鏡橋という橋が2つあり、1つは観光用だが、もう1つは知る人ぞ知る橋である。後者の橋は宮沢賢治が『銀河鉄道の夜』のとある一場面の着想を得た場所で、現在は林道を下らないと全貌が見られない。林道の入り口に昔エロ本の自販機があったそうで、林道を入るとエロ本を買う人に間違われるから、寄り付く人がいなくなったそうだ。宮沢賢治を語るには非常に重要な場所であるにも関わらず、エロ本のおかげで注目されずにひっそりと眠る橋。あまりにも魅力的すぎて、これからも誰も訪れて欲しくないと思った。

・開拓民が住む土地がある。3人の家族が移住して、山を切り開いて住み始めたようだ。今は、食用の牛を買うなどして生活している。枯れた栗の木が復活したとのこと。あまりにも広い土地をわずかな人数で開拓して汗水流して働く人々がいることにびっくりした。こんなにたくましい現代人がいたとは...。馬舎の脇から、茶色の顔をした作業着の男の人がヌッと出てきた。あの表情がなかなか忘れられない。同様に、遠野りんごをつくる人々が開拓民として森に入り、生産量は急増した歴史がある。しかし、生産しただけで、それをブランド化しようという動きはないよう。それで、遠野といえばりんごとなる人は少ない。しかし、遠野のりんごは隠れた優良産業かもしれない。リンゴジュースを飲ませてもらったが、うますぎた。

・道端に小屋型の木箱をよく見る。これは積雪時に土を溜め込む箱だそうだ。雪が降り積もり、凍ってしまえば、一見無限のように思える土を手に入れることも困難になってしまう。雪国の暮らしを思い知らされる。

・林道を奥へ奥へ進むと猟場が存在する。猟場はUターンしなくても入り口と出口が異なるので、問題ない。山の数だけ林道がある。その中でもかなり舗装された道を軽トラで走ってもらったのだが、かなりそれでもガタガタする。かなり、運転の経験も磨けそうだ。冬は除雪機でガーと進むらしい。途中、森の中にいくつか平地が見られる。これは、昔牧草地で馬や牛が買われていたり、田畑があったところ。今では、鹿がよく現れる場所になっているものもある。崖になっているところを軽快に登っていくのは鹿。ところどころ、足跡が存在する。草の分け目の繊細な違いを読み取り、こんな生き物が通った跡だ!などと教えてくれるおさむさんの直感は鋭い。食べれる山野草についても、道中フィルター付きの目を持つかのように判別していく姿は野生そのものである。ノビルスポットは草刈りが入ってしまっており、今回は収穫ができなかったので残念だ。

・最後に、スーパーで買い出しをして、罠を見せてもらってから、おさむさんの家で鹿肉をいただいた。今回は腿の部分を1kgほど。まずは表面部分を「トリミング」して、薄い肉を剥ぎ落として、それを豆と一緒に煮て、きゅうりを乗せて食べる。その後、ステーキ風に焼いた肉を塩胡椒のタレと、マスタードのタレでそれぞれいただく。最後にジプロックの中に山椒のタレと肉を入れて鍋に入れたものを後から取り出して切っていただく。どれもシェフのおさむさんの腕が良すぎてめちゃうまかった。玄関には熊の毛皮のマットが置いてあり、びっくりした。鼻の部分や爪がとてもリアルだった。中は鍵付きロッカーに保管されているので、通常見ることはできない。

・猟について。現在、猟友会では37歳で最年少。次が50代だから、年配者がとても多い。昔映画の影響で狩猟ブームがあって、かっこいいということで狩りをする人口が急増したが、それ以降は減少の一途。現在若い人はゲームをやっているから、それで興味を持つ人が少しいるという感触がある。基本的に狩りをする人は土地に根をはる人が多いが、当然人が足りていない地域もあるので、出張型の狩りも一定数存在する。特に北海道では多く、オットセイの狩りを頼まれることもある。また、電力会社の鉄塔周辺で狩りの依頼をもらうこともあるが、そういう仕事は基本給料が高く1日3万円くらいもらえる。年配者の人間関係がある人にそういう仕事は回ってくることが多い。狩猟免許を取るには銃器や資格取得など合わせて25万円くらいの初期投資で始められる。狩りは自分の食べるものが獲れれば良いという人と、仕事にするというスタンスの人で全く考え方が異なる。おさむさんはいつも親について行って熊を取っていたので、自分で引き金を引いて仕留めることがなかったが、初めて一人で熊を獲った時は味わったことのない感情があったそう。熊獲ったぞという高揚感よりも、獲ってしまったという感情が優った。だから、今でも自分の食べる分以上は無理に獲ることはしないようだ。一方で、仕事で狩りをするという意識がある人は、そこらへんは割り切っているそう。狩猟関係の貴重な本まで頂いて、本当に至れり尽くせりでありがたい。充実した日だった。

▼おさむさんのくま脂と蜂蜜

www.furusato-tax.jp

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<今日のまとめ>

遠野の信仰に関わる様々な側面が少しずつ見えてきた。滞在すればするほど、とにかく遠野は奥深くて見えない世界が広がっていることを思い知らされる。少しずつ作品制作も進んでおり、7月12日の午後に写真の展示を行う準備も進行中だ(Commons spaceで開催予定)。