北飛騨地域の「金蔵獅子」の系譜を辿る、自然界との獣との対峙する里人の暮らしとは

4月13日(土)、北陸圏での獅子舞を探していた。そこでたまたま獅子魂というサイトで1週間前に更新された情報を確認していると、神通川流域の富山県岐阜県の県境付近3箇所(町長、楡原、岩稲)で獅子舞が開催されることがわかった。このうち、時間の関係で町長と楡原しか見られなかったが、この訪問を通じて、「金蔵獅子」という獅子舞の実態、北飛騨の獅子舞が富山県の獅子舞にもたらした影響がよりクリアにわかってきたので、ブログを更新しておきたい。

富山駅まで夜行バスで移動。そこからJRで楡原駅まで電車に乗っていった。市街地の風景から徐々に山を縫うような谷を進んでいくようになると、目的地はもうすぐだ。岐阜県境にも近い、富山県富山市の楡原駅に着いた。桜はまだしっかりと咲いており、エメラルドグリーンの川をボートが降っていく。そのボートの通り過ぎた滑らかな線が美しくて、ずっと眺めていたいと思った。さて、今回は太鼓音を頼りに獅子舞の場所を予測し、訪問していった。

楡原の獅子舞

楡原の獅子舞は電車に乗っているときにかすかに楡原八幡宮に人が集まっていることがわかったので、ここかもしれないとあたりをつけて、楡原八幡宮に8時50分ごろにたどり着いた。すると、8時から始まった獅子舞が依然としてまだ行われていた。ものすごく長い奉納演舞だなと思ったし、ずっと拝殿の中で行われていた。肩車をする所作や、蛇を咥えて振り回す所作など非常に興味深く、アクロバティックなものばかりだった。このアクロバティックさは伊勢大神楽三重県)や角兵衛獅子(新潟県)に通じる所作があると思った。そこから表お宮、上行寺まで付いて歩いた。

それから一度町長の獅子舞の方に移動してそれから戻って図書館に行って、15時前にたまたま楡原の獅子舞の太鼓音を聞いた。この周辺で演舞するようだ。小中学校が統合された場所でも獅子舞が舞われる場面があったが、意外と子どもの数が多くてびっくりした。子どもとアネマが対峙する激しい1人獅子がものすごく格好良かった。

町長の獅子舞

町永の獅子舞は町長八幡宮での演舞を11時から観ることができた。青いブルーシートを敷いて、その上に緑のシートやゴザを敷いてその上で演舞が行われていた。ブルーシートは写真写りで獅子頭に青みが出てしまうので、これはもったいない。おそらく獅子舞の時に履物を脱ぐのが一般的なので、そこで一番手軽なブルーシートが用いられることになったのだろう。

今回演じられた演目はキンゾウジシ、ヘビジシ、アネマジシの順番で3演目行われた。獅子は2頭で男獅子と女獅子のようである。キンゾウジシの時は男獅子。金蔵は苦戦を強いられるが、持っている槍で獅子を刺し、そして仕留めた獅子を縛り上げて、獅子頭を抱えて退場する。子どもだからこそ迫力はそこまでではなかったが、その分可愛らしさが感じられるような演舞だった。ヘビジシの時は女獅子。蛇を噛み踊り狂う所作は獅子にとって喜びの演舞だ。しかし、キンゾ、ササラ、カネスリが最後に槍で獅子を退治して引き摺り回して退場するという流れである。最後のアネマジシも女獅子だ。獅子が牡丹の花に戯れ、しまいに寝てしまう。それをオドリコが花束で叩き起こす仕草などがあった。

またそれぞれの演目が始まる前に、花笠を被った女の子が2人出てきてオドリコが行われた。11時に始まった町長八幡宮は50分も演じられ、それが終わったら、皆いなくなって、担い手たちは住吉神社への奉納をするべく、広々とした田んぼみちを通ってから山を登り始めた。それにしても田んぼのあぜ道の美しい姿が印象的である。地域の祭り見物客は車通りの多い道路の方よりも田んぼのあぜ道の方を積極的に通っていたのがどこか印象的だった。

金蔵と獅子

蛇を咥える獅子

アネマと獅子

祭りは獣のものでもある

町長の獅子舞を観に行った際に、地域の重役さんか何かが「あそこに動物がいるよ」と教えてくれた。たぬきか穴熊の類だろう。水路からひょこっと顔を出して、太鼓の音がする方向を眺めていたが、僕らの存在に気づいたのか、水路の下に頭を引っ込めるようにして出てこなくなってしまった。このように、祭りは人間だけのためのものではなく、そこに生きる野生生物にとっても大事な存在なのかもしれないと思った。また少し歩くと、大きな一軒家の庭木に猿が登っていて、その木の花をむしゃむしゃと食べまくっていた。くちなしの木の花のような花びらだった。自分もサルと目を合わせながらも、ひらひらと舞い降りてきた花を食べてみたが、苦かった。猿と会話できた気がした。獣との対話が進む場所、山に囲まれた谷間に、自然と人間とのささやかな接触があった。それから細入図書館でこれらの獅子舞の理解を深めるべく、いろいろ調べてみた。

金蔵獅子とは何か?

改めて金蔵獅子とは何かについて考えていきたい。

槍で獅子を討ち取る主役を金蔵ということから、「金蔵獅子」と言われている。獅子あやしが多様なことが特徴で、槍を持つキンゾ、狩衣・烏帽子に日の丸の扇子を持つサンパサ、大黒頭巾や花笠を被った二人組で簓やスリガネを持つササラ、花笠を被ったオドリコなどが登場する。

金蔵獅子はもともと、伊勢大神楽の熱田派系が北飛騨で取り入れられて、獅子を討ち取るという演目に独自の発展を遂げたものである。今回訪問した地域一円の獅子舞のハブは、小羽地区の小羽、葛原あたりだろう。そこから習ったという場合が多い。この2つの村は村境に八幡社があり、共通の氏神として祀っており、4月の春祭りで両村から獅子舞が出る。この獅子舞は明治初年に飛騨の広瀬村(現国府村)から伝習したものであり、20人ほどの若者が荷車に米俵と釜をつけて習いに行ったと言われている。また飛騨から直接入ったと伝わるのが東猪谷や楡原であり、これは近世末まで歴史が遡る可能性がある。

金蔵獅子の基本演目

金蔵獅子には、キンゾ(金蔵獅子)、カグラジシ(神楽獅子)、ヘンべ(蛇獅子)、キョクジシ(曲獅子)の4つの基本演目がある。金蔵獅子は激しい獅子舞なので、獅子頭は小さいという特徴がある。金蔵獅子は昔のものほど目が大きくて彫りがシンプルで俗に猫獅子と呼ばれることがある。越中金蔵獅子は、飛騨の金蔵獅子とも少し異なる顔立ちである。また、祭礼行列の最前列に五色の流れ旗を立てる。

御幣を持って舞うカグラジシが本来の伊勢大神楽のお祓いの演目だ。一方でキョクジシは後足役の上に前足役が乗って高く見せるタケツギや、後足役と前足役が抱え合って宙返りをする胴返しや逆抱きなどのアクロバティックな所作もあり、これは観客を楽しませるための演目だろう。

鳥毛の分布は村境意識からくる?

キンゾは金蔵が槍で獅子を討ち取ることが特徴的だが、山で熊や猪を獲る生業の中から生まれた形態とも言われる。金蔵は鳥毛(キジの羽)をつけていることもあり、これは飛騨地方の民俗芸能であり、祭礼の時に輪になって鉦を打つ「鳥毛打ち」から来ている造形だ。この鳥毛が見られるのは、富山県内だと岐阜県境近くに限られており、今回、楡原には見られなかったが、町長では見られた。これはある種、「鳥毛」の境界があったのかもしれない

生きることと殺されることの連鎖

またヘンべは獅子が蛇を探し出して食うことが特徴的であり、猪の所作を表しているとも言われている(「蛇を楽しませる」と言う地域もあるため、その意味は一様でない)。ヘンベは北飛騨方言で蛇を意味しており、西日本各地の「餌取り系」の獅子舞の一種である。蛇を捉える猪、そしてそれを捉える人間。この食物連鎖か、はたまた弱肉強食の世界とも言うべきか。生き物の関わり合いの連鎖を表現するこのヘンベの獅子舞は非常に面白い要素を含んでいる。

 

参考文献

大沢野町史編さん委員会『大沢野町史』平成17年2月