稲村行真 Yukimasa Inamura ブログ「旅してみんか」

「伝統文化の魅力」を広めています。日本の伝統的な木造建築の古民家とその街並み、山奥の少数民族の村、過疎地どこでもフットワーク軽く旅をしております。

【2019年2月】石川県加賀市・獅子舞の写真撮影まとめ

2019年2月18日

白山市獅子吼」で獅子舞のルーツを知る!

獅子ワールド館視察

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・獅子舞のルーツ

 アジアではかつて神とコミュニケーションする手段とされてきた。人が舞い踊る時、神様と出会えると信じられている。儀式は観光化される一方で、全く人の目に触れない形で執り行われる場合もある。より幸せに生きるための厄払いの意味は当初から変わらなかった。

 日本初の獅子舞の仮面は9体あり、正倉院に保管されている。まずは、仮面舞踊劇として仏教とともに伝わったそうだ。

 612年2月に百済味摩之(みまじ)が伎楽舞(くれうたまい)を伝え、その伎楽舞で獅子頭が使われたようで、752年の東大寺の大仏殿開眼供養の際に演じられた記録もある。日本人の「外から来た文化を自分たちなりに変化させて取り入れる」という性格によるものだ。のちに舞楽が伝えられ伎楽舞は衰退したが、獅子舞は引き継がれるようにして残った。

 

・獅子舞の種類

 おもに「一人立ち」と「二人立ち」に分かれる。1つの頭につき1人で踊るのが「一人立ち」、1つの頭につき2人以上で踊るのが「二人立ち」である。

 「一人立ち」の場合は三匹で踊る獅子が特徴なのと、獅子以外の動物に変化したもの(鹿、カモシカ、龍、猪、熊など)もあり、バラエティに富んでいる。

 「二人立ち」の場合は胴体が布でできた幌型(ほろがた)というものと、毛で覆われたぬいぐるみ型というのがある。幌型は2人入るものと大勢ではいるもの(大獅子)に分かれる。

 

・日本全国に獅子舞が広まったわけ

 西日本に獅子舞を伝えたのは、伊勢の御師(おし)たちの役割がとても大きかったと言われている。御師とは神宮における宣伝部のような役割で、日本各地を歩いて回るとともに、伊勢まで行かなくてもお参りを叶えられるように祈祷やお札配りをしていた。その人たちが獅子舞を伝えていったのだそう。

 一方で、御師と並んで神楽師(かぐらし)という職業もあった。この人々は獅子頭御神体として「神楽」と呼ばれる輿の上に乗せ、獅子舞を奉納して回った。各村人にとって獅子舞はありがたい神の使いであり、数少ない村の娯楽であったため、自分で演じて見たいという人も多く出てきた。

 東北は山伏によって、獅子舞が伝えられた。山伏は獅子舞のことを権現様と称して、各家の土間で披露を行なった。どこからともなく現れ、自分たちのことを救ってくれるかのような技を披露してくれることは、人々にとってありがたい存在と考えられた。

 

・加賀獅子の始まり

加賀獅子の始まりは、経済的に裕福な金沢の町人たちのコミュニティだったという。金沢市の上野八幡神社の古文書には天命8年(1787年)8月に「棒振装束新出来」「棒振面二ツ」という記述があり、これが最も古い記録とされている。江戸末期から明治にかけて、町人や農民が自由に武芸を習うことができるようになったことと、失業した武士が「棒振りを教える」という仕事を始めたことによって石川県各地で爆発的に盛んになった。しかし、「多数の人員」と「巨額の経費」が原因で、徐々に廃れてきて民俗芸能のドーナツ化が叫ばれるようになった。そんな中で、昭和40年に加賀獅子舞保存会結成、11月に金沢市指定文化財となり、翌41年6月に金沢市観光会館で獅子頭展が開催されるに至った。金沢中心部での上野町と龍王組の復活は象徴的な出来事で、「勉強の妨げになる」などの反対意見をよそに、獅子舞を成功させる。「地域コミュニティづくり」「晴れ舞台への出演」などの経験が地域の人々を活気づけるに至った。加賀獅子の大まかな特徴としては、獅子殺しが見られることと、獅子頭や胴が大きいことであると言われている。

 

知田工房の知田清雲さんのお話

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 石川での全体的な獅子舞の起源は、加賀藩前田家が職人を奨励して、産業を活発化させたことによる。石川県で最も古い獅子舞は小松にあるもの(ちなみに、日本一古いのは法隆寺に展示されている)。古い獅子の特徴は、獅子頭に角がついていないこと。江戸時代以降に角が出てきた。

 石川の各地区は隣の地区と獅子舞について競い合い仲があまり良くなかったため、隣の地区が獅子吼に獅子頭の発注をしたら、その隣の地区は富山の井波に頼むなどして棲み分けができていった。富山の獅子頭の特徴は、眉毛が2段になっていることと、目の玉の中心と外円が黒い「蛇の目」を持つという特徴がある。

 知多工房の歴史は70年前に始まった。前代が工房を立ち上げ、今は2代目の清雲さんが工房を継いでいる。前代は金沢から習って、白山市の現在の場所に工房をつくった。かなり参入障壁が高く、軌道に乗せるには時間がかかるのがこの獅子頭制作の特徴。多くは彫刻などのビジネスとの兼業で行なっており、日本全国でも獅子頭制作専門の工房はないという。

 獅子頭制作は完全に分業制となっており、知田工房はその取りまとめ役として獅子頭のデザインの企画を行うとともに木の部分だけ掘って、その他は知り合いの職人に任せるという。漆職人や飾り職人などその獅子頭の一部分をどんどん他の職人に任せるという形をとるようだ。木は桐を用い、一木を削るため木を継いで作ることはない。木を倒してから5年以内に制作することで、乾いて木が硬くなって掘りにくくなるのを防いでいるようだ。高価なものだと削った木の上から、鹿の皮を貼るらしい。

 

石川県加賀市黒崎」で多文化混合型の獅子頭に出会う!

黒崎の青年団団長を務められた野口さんのお話

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黒崎は、獅子頭のデザインがとても特徴的。富山や石川のデザインがごちゃごちゃに混ざっている。制作費は100万円代後半で、かなり制作費もかかっている。制作費が賄えている秘訣としては、獅子舞が各世帯を回る際のご祝儀がかなり高いという特徴がある。最低でも、5000円払ってくれる家庭が多いようで、これは加賀市の中でもかなり高い方だという。

 

2019年2月20日

石川県加賀市大聖寺錦町」で商人町の獅子舞を知る

青年団発足に携わった荒木実さんのお話

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 昭和3年昭和天皇即位式の際に、日本中がお祭りムードになった。これが、大聖寺の獅子舞の始まりの時でもあった。錦町は下福田から獅子舞の踊りを習ったことが直接の契機となった。ここの獅子舞は農民文化ではなく商人文化から生まれたものであるため、豊作祈願というよりは商売繁盛の意味合いが強く、春のこれから商売が盛んな時期に差し掛かる時に演技の良い獅子舞を執り行う。雌獅子には獅子殺しがつかず、雄獅子にのみ獅子殺しがつくという形で発展していった。その後、獅子舞は一時断絶した。

 いまから約50年前に青年団が発足して、獅子舞が復活した。備品は昔のものが残っていたので、金銭面で発足に問題はなかった。約45年前に中学生が獅子舞の担い手として参加しだして、そこから大人と中学生で2チームができるようになった。その後、大人が指導役で中学生が担い手になる時期もあったが、現在は大人と中学生で2チームに戻った。

 現在獅子舞が残っているのは、大聖寺33町のうち7町しか存在しない。残っているのは錦町、越前町仲町、福田町、弓町、下屋敷町、関栄町の7つである。その中には、「親子獅子」で有名な関栄も含まれている。錦町の世帯数は180世帯と言われており、4月のさくら祭りの2日をつかって全世帯を回る。ご祝儀の金額は2~3000円が平均である。獅子頭の制作は白山市・獅子吼の知田工房に頼んでおり、太鼓や鉢、蚊帳などの周辺の小物は松任の浅野太鼓に頼んでいる。

 さくら祭りの当日の流れは、獅子舞→踊り→囃子方の順番で行われる。囃子方のみこしの担ぎ手は、厄年の人が行う。近年は、担い手不足でみこしを担ぐのではなく、台車を引く形をとっている。猿田彦が先導を務め、下駄で歩くのが基本となっている。宰領(さいりょう)と呼ばれる人が各地区の囃子方の順番を決めて演目を順番に始めるため、宰領はとても重要な役割を果たす。加賀神明宮をスタートして、1日目は水森社(仮宮)へと向かい、2日目に加賀神明宮に戻る。普段お仕事で疲れている神様に女神と楽しんでもらうという意味が込められている。

 

石川県加賀市塩屋町」で荒々しい獅子舞を知る

青壮年団の皆様のお話

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 塩屋町は港町の獅子舞。自然を相手にする漁師たちの間で生まれた獅子舞なので、とても荒々しく「暴れ獅子」と言われる。

 74年間のほとんどを塩屋町で過ごした片野さんによれば、塩屋町に獅子舞を伝えたのは安田さんという方で、明治時代のことだったという。安田さんは塩屋町出身で、金沢のお菓子屋で働いていた際に獅子舞の踊りを習い帰郷してそれを伝えた。塩屋町は当時貧しい町だったため、備品を最小限に留めた。棒振りや笛はなしで、獅子と太鼓のみで獅子舞の演目を構成した。また、獅子舞は「奉」の字を描きながら踊るという特徴もある。あまりに激しいことから、獅子頭は重くて高いものを使う(桐のものが多いが、イチョウのものを頼んでみたら重すぎて大変だったそう)。富山・井波の荒井さんに頼んで獅子頭を制作してもらっているという。

 獅子舞の担い手である青壮年の会は、中学生から40歳までの男性で構成される。しかし、近年は担い手不足もあり45歳まで所属団員の年齢が伸ばされた。基本的には、みな自分の意思で獅子舞の担い手になりたいと言って入った人ばかりで、強制的に入らされるということはない。小学生の時から子供獅子を体験しているので、きちんと小さい頃から獅子舞に触れる機会があり、地域の人はそこでまずはじめに獅子舞に対して興味を惹かれるようである。現在の団員は25名ほどだという。本番は春と秋の2回にわたって開催。春は1週間前、秋は2週間前から練習を開催する。

 

2019年2月21日

石川県加賀市田尻・橋立・小塩」で祭りの絆を知る

青年団の団長の皆様のお話

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 石川県河北郡内灘町の人が移住してきて、この地域に獅子舞を伝え、それを三谷へ伝えたと言われている。

 この地域の青年団は20代後半までの人が大半で、田尻町は25名、小塩町は20名ほどの団員が所属している。獅子舞の開催時期は9月中旬ごろで、田尻、小塩、橋立の3町が同時に開催される。若者同士もめているというのがある意味祭りの醍醐味であり、3町が競い合う感じが良い意味で相乗効果を生んでいる。

 祭りの当日は、訪問先の家で食事をご馳走になったり、路肩のホースで水を飲んだり、お酒をガンガンに飲んだり、けっこう柔軟に楽しくワイワイ当日を迎えている感じが良い。大漁旗がたくさんたなびく中で獅子舞を踊るのは、何年経っても鳥肌が立つほど感動するものという。

 また、この地域の祭りはとてもハードで担い手の気力の強さが際立っているように感じた。小塩町の獅子舞練習は、夜の24:00頃まで行われる。当日は朝の3:00にスタート、夜の23時に終了して、それを3日間続けるという。しかも、この地域の獅子頭は日本有数の大きさでかなり重く、1つの獅子につき9人も胴体を運ぶのに必要なことからも筋肉への負担が半端無いことがうかがえる。基本的に年功序列で大変な獅子頭を持つ人は若い人のようだ。

 小話として、20代前半の男は獅子舞の担い手になるともてるらしい。普段の出会いの場は足湯らしいが、こういうハレの場は恋愛にもつながる良い機会になるようだ。

 

2019年2月22日

石川県加賀市荒谷」で今はなき獅子舞を再現

獅子舞の担い手になったことがある宮さんのお話

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 荒谷の獅子舞は25~26年前に正木さんという方によって復活したが、3~4年で途切れた。笛の名手がいて、その人がいたから続けることができた。しかし、その人ありきになってしまっていた。長続きさせるのは難しい。

 獅子舞が行われていたのは、荒谷神社。御神体である霊峰白山の方向を向いており、本殿と拝殿が別れている。近くには滝もあり、自然崇拝のもとで獅子舞が舞われたとも言える。

 基本的に棒振りは小学生が行ったそうで、化粧をして踊る小学生は可愛らしかった。獅子を持つことができたのは中学生から。

 5年前くらいに、重要伝統的建造物群保存地区(貴重な歴史的な街並みとして選定され、保存されている地区)の全国大会が荒谷で開かれ、その際に近くのエリアで活動している山中青年団に頼んで獅子舞を踊ってもらったことがあった。

 (今回は、公民館から荒谷神社に獅子舞の小道具や頭を移動していただき、獅子舞の動きを再現しながら撮影させていただいた。)

 

2019年2月23日 

 石川県加賀市山代」で獅子舞の詳しい話を聞く。

山代の服部神社の野尻さんと、山代倶楽部の小林さんのお話

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 まずは、獅子頭の特徴について。獅子頭の髪をことを「しゅんが」 と呼ぶ。髪の毛の色は白と紺を配しており、着る物にも白と紺を入れているため、対になっており呼吸を合わせるという意味になる。獅子舞を踊るときは鼻の穴を見せないそう。鼻の穴を見せると可愛く見えてしまうので、睨みつけるという本来の意味と異なるようだ。獅子頭は、外部の人が触ってはいけないとのこと。カビ取りなどしっかりして、保存状態を保っている。獅子頭の渦巻き模様は「雲、火炎、魂」などを意味する。頭は1つあたり30kgくらい。

 次に小道具について。薙刀や棒は小学生が持つ。これらは「橘木工所」というところで作っている。

 獅子舞が始まったのは、江戸時代に金沢から田中半兵衛流というのが伝えられたことに由来する。妻獅子は寝獅子がメイン、雄獅子は倒す系がメインと、踊る形態も異なる。この服部神社の獅子舞は倒す系の獅子舞で、加賀前田家が農民でもできるように武芸鍛錬を踊りに取り入れたことからはじまった。

 山代倶楽部が獅子舞の担い手で、30人(稼働しているのは20名ほど)であり、18~35歳までの人が所属している。年長者がまとめるのが基本。上級者は「わたりとんぼ」の模様の服をきて、黒い袴を着る。祭りの当日は、AM6:00~22:00まで1000軒の家を2つの獅子で回るので、とてもハードだ。ご祝儀は平均的には1000円〜5000円で、5000円から出張する仕組みとなっている。ルートを回っていく中で、1000円を手渡しする人もいるが、そのような人の家に実際に獅子舞は立ち寄らない。

 本番は8月1日の八朔祭。意味は、豊作祈願というのが強い。お神輿がないので、神様をお連れするというのとは違う。神様に報告する(奉納する)という考え方で祭りを執り行う。

 追加で、宮司について。宮司になるには、世襲制が多い。世襲じゃなければ基本大きな神社に入るべき。能登では100軒くらい兼任しないとなかなか稼げないけど、加賀だったら14社くらいで稼げる。

(こちらはルロワさんのご紹介で取材が実現)

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2019年1月の獅子舞撮影の記事はこちら♪

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