茨城県石岡市は獅子舞の民主化が進んでいる

茨城県石岡市の獅子舞に非常に興味を持っている。獅子舞が町で根付くということを考えた時に、この街には何か大きなヒントがあるように思える。なぜそう思ったのかについて、2021年4月17日に現地を訪れた感覚をもとに、3つのポイントを述べていきたい。

 

①聰社宮と中心となる祭りが存在する

日本全国様々な地域に「聰社宮(そうしゃぐう)」というのがある。これは神社を取りまとめる神社という意味で、石川県等では一宮などという名称もよく聞かれる。この総社を中心として、16町の獅子舞と山車が一気に行列をなす『石岡のおまつり』(例大祭)というのが毎年9月15日に行われる。このような取りまとめ役のお祭りがあるというのが1つのポイントだ。これは岩手県遠野市を訪れたときや、大槌町の事例を聞いたときにも感じたことだが、地域の中心的な磁場が働く場所があって、そこに自然と祭礼、祭り、行事の類いが集まってくる。石岡にはかつて国府が存在しており、国分寺もあった。そのような土地柄で中心地としての性格が強いのだろう。このような場所があると、獅子舞の各地区の個性がやや弱まっているようにも思えるが、文化の伝承力は強い。そのようなことをまず感じた。

 

獅子頭製作の民主化

お祭りがあれば当然、道具作りは欠かせない。その中でも獅子頭の伝承の仕組みには特筆すべきことがある。まずは、獅子頭を作る人がプロではないということだ。例えば石川県において獅子頭製作は分業制で行われており、1人のプロデューサーが作業行程ごとに職人に仕事を発注する仕組みで成り立っているため、獅子頭を1つ作るのに25人ほどの職人が関わっていると聞いたことがある。これは金沢を中心に漆器などの伝統工芸品の文化が花開いて、獅子頭製作にも繋がるようなスキルを持ったプロが集住しているという地域特性によるものだ。

しかし、石岡ではプロじゃない人もたくさん獅子頭を作っている。それに加え、地域資源として桐をはじめとした獅子頭を作るための原材料がある。そこで、大工やら箪笥職人やら指物(家具)職人やらが自分たちの仕事道具を使って獅子頭製作を始めた。江戸時代頃の文書には、誰が獅子頭を作っていたのかという名簿が載っている。獅子頭製作に必要な作業行程もメモ書きのような文章が残されており、それを見て次世代が技術を受け継いだ。工芸的価値は比較的劣るが、祭りの継承という意味では素晴らしいコミュニティ形成がなされている。そう考えると一長一短である。

獅子頭の発注金額を見ればその差は歴然で、石川県で獅子頭を買おうとすれば100万円は越えてしまうが、石岡であれば5万円くらいから手に入る。なぜこんなに安いのかと言えば、「石岡のおまつり」の際に、獅子頭のアンテナショップのようなものが臨時で出店されてポケットから出せるお金の範囲内で縁起物として獅子頭を買う個人客がいるからその人たち向けに安くしないといけないそうだ。ただしおまつり本番で使うものは丈夫に作るため和紙などを貼り、数十万円は少なくともかかるようである。あとは、石川県では獅子頭に漆を塗ることが多いが、石岡市では純粋な漆をあまり使わない。さらに石川県では古い獅子頭は一木造りが多いが、石岡市では重さを軽くする等の目的で寄木造りで行うという。そういう材料費的な観点でも、コストは少し安くなっているのかもしれない。

以上の獅子頭の話を聞かせてくれたのは、常陸獅子彫刻伝習館の方である。この伝習館こそが、現在石岡の獅子頭製作を担うコミュニティの中心的な存在だ。この他にもいくつか製作コミュニティは存在するらしいのだが、ここは県などに申請して伝統工芸品展に出品したり、NPO などの法人格を取得したりと組織がしっかりしている。伝習館では毎週土曜日13:00から16:30の日程で国府公民館にて獅子頭製作教室を開催。会員には市外の人も含まれ、年配の男性が多い。宇都宮から通っておられる人もいるようだ。総勢30名ほどの会員数とのこと。初期費用がかかり、会費は月2000円。獅子頭の木を7000円ほどで調達して、ノコギリなどの道具を揃えれば、ひとまず加入できるそうだ。まずは1年かけて1つの獅子頭を製作させることに集中する。

2,30年前からこの活動が始まったようで、現在取りまとめ役の獅子倉さんは、10年間で60頭もの獅子頭を製作された。作る獅子頭はお祭りに使うものだけでなく贈答用とか縁起をかついで飾る用もつくる。あとは個人の趣味として家に飾る額の中に平面的に獅子を彫るということもされていて、「これをやっているのは私だけでしょう」という話をされていた。確かに、そのような話は今まで聞いたことがなく、とても興味深く聞かせていただいた。獅子倉さんがこの伝習館に加入したきっかけは、退職後の趣味を見つけるためだったという。獅子を彫ることに楽しみを見い出したようだ。

③町の至るところに点在する獅子頭

獅子舞は市民みんなのもの。そのような想いを感じたのは、街をぶらぶら歩いているときだった。まずはJR 石岡駅に設置されている観光案内所には常に「石岡のおまつり」のパンフレットがあり、そこには各町の獅子舞の紹介が軽く行われている。常陸獅子彫刻伝習館のパンフレットもある。また、まち蔵藍というお店では、獅子頭を模したティッシュケースや、ミニチュアの獅子頭、本物の獅子頭等が販売されている。獅子頭のマンホールカードなるものも売っている。石岡のマンホールには獅子頭がデザインされていて、それをカードにもしたというわけだ。また、常陸風土記の丘には園内や石岡市内を見守るように高さ16メートルもある獅子頭の展望台がある。そして、その展望台内部には獅子舞の写真等が展示されているというわけだ。これ程までに石岡市は獅子舞にとても力を入れているのである。

 

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石岡の獅子舞の由来

それにしても、なぜ石岡では獅子舞が人気なのか。その理由は紐解くのが非常に難しい。地域の図書館にある地誌や芸能史を読んでも、明治以降の話が多く石岡の獅子舞の発祥に関する話はあまり具体的に出てこない。石岡の獅子舞に関しての初見は、1854年の『香丸組御用届』に、「愛宕祭礼・・土はしは当年より定例大獅子」との記述がある。元々は行道の獅子としての悪魔祓いの意味が強く、民家を回ったり道路の魑魅魍魎(ちみもうりょう・お化けのこと)を呪圧したりするために行われたと言われる。舞う時に大口を開けるのは悪魔祓いのためである。冨田町のささらや土橋町の大獅子など様々な風流系の獅子が独自に祭りをやっていたものを、近代になってから聰社宮の例大祭に以降したと考えるのが自然だ。山車も富裕層の商人が後になって取り入れたものである。祭りをする必要性に迫られていた時代から、華やかさを競い合い観光要素が強くなる一方で元の意味が形骸化していく時代への流れは押さえておきたい。

 

石岡の獅子舞の特徴

獅子の特徴に関して触れるとすれば、石岡より北になるとささら系の獅子舞が増えるので、獅子舞文化圏における境目的な可能性もある。獅子頭のデザインを見ると眉が内側に向かってつりあがり、犬のような風貌にも見える。ギボウシ形の角(宝珠)がある獅子もあり、これは伊勢系の獅子であることの証と感じた。石岡では宝珠が仏教を、角が道教を表すと言われ、これをすなわち雄雌と呼ぶところもある。たまに髭がついている獅子もいる。ただ、基本的には角なし髭なしの雌獅子が多いように思う。石岡市内には、20以上の町で獅子舞が現在伝承されているようだ。

 

茨城県の芸能の起源

1890年秋に、高萩市向原古墳において、 6世紀後半のものと思われる埴輪が発見された。「大耳の男(笑う男)」と名付けられ、表情のある埴輪として注目されたのだ。伎人か楽人を模したと言われ、中央である大和政権との結びつきを感じさせる。また、1966年に勝田市鉾ノ古墳から6世紀後半の「踊る埴輪」が発見された。左手を上に右手を下に下げた格好である。この発見により、この時期には既に芸能を司る女性がこの地にいたことが判明している。

 

参考文献

茨城文化団体連合,『茨城の芸能史』, 1977年

常陸總社例大祭文化財指定検討協議会,『常陸總社例大祭 (石岡のおまつり) の歴史と現況 : 石岡のおまつり歴史実態調査報告書』, 石岡市, 2020年