2017年6月5日~19日 古民家冒険Project
2018年4月28日~現在
僕は旅の中で、
建築に興味を持った。
建築の視点で、
より解像度の高い旅をしたいと思った。
そのため、
ぼくは2018年8月4日に
日本に一時帰国した。
(台湾で建築がおもろいと感じた時のブログ)
現在、
京都府美山というところで
2018年8月9日~30日までの3週間、
アルバイトで滞在中だ。
自然がとても美しく、
自転車で疾走すれば、
うまい空気をたくさん吸える。
昔話に出てくるような古民家。
僕にとっては、
伝統的であることに大きな関心はなく、
自然から湧き出てくるようで
大きく息を飲み、
その美しさにすばらしさに驚きを隠せない。
ぼくがお世話になっているのが
という古民家の宿泊施設だ。
日経新聞の古民家の宿ランキングでNo.1を獲得したことがあるほど、
伝統建築の世界では有名。
style.nikkei.com
社長さんが茅葺職人さんなので、
宿泊事業に加えて
屋根の葺き替え事業も、
お仕事させてもらえるという、
僕にとってはめちゃくちゃいい環境!!!
今日、8月11日は
伊勢神宮系列の神社の屋根の葺き替え
のお伴をさせていただいたので、
そのことについて書く。
現場はこんな感じ。
7月から9月までの2ヶ月間の工程。
材料・工具・シートなどは
左端の台車で上にあげる。
人は右端の梯子から上に登る。
すすきは束になっているので、
紐を解いてから
丁寧に編みこまれてゆく。
横に支柱が通され支えとなる。
表の支柱と内部の支柱は
頑丈な紐で結ばれる。
結ぶ時すすきが手の甲に当たるので
怪我をしやすい。
いろいろ危険なので基本暑いのに
長袖長ズボン。
その上現場は高く揺れるし
足場も小さいので、
用心深く歩く。
編み込んだすすきは出っ張っている。
工具によって斜めに慣らしていく。
これを繰り返す。
何層も行うことで、
茅葺屋根の形をなしてゆく。
休憩は暑くて疲れるので
1時間に1回くらいはある。
水分は1日3リットル消費するので、
たくさん買い込んでおくことが必要だ。
この作業はまるで
人間がなにか大きなものに
立ち向かうようでかっこいい。
石川で農業のバイトを
やった時との交差点はここ。
大概は運動部出身の男が多い。
仕事のあとはサッカーをする
というので、
超元気でびっくりした。
茅葺きとは、
「建築における揺らぎ」
だとおもった。
他の素材ほど正確で緻密な計算は必要ない。
その分技が光る。
設計と現場の違い肌感を、
丁寧に読み解くことは、
双方の立場にとって必要なことだと、
改めて実感した。
さて。
僕にとって建築とは
人が集まる場に対して可能性を広げるものだ。
目的→場づくり
手段→建築
という考え方に行き着いた。
遡れば、
2017年4月〜2018年3月まで
東京都日野市の古民家「ヒラヤマちべっと」の管理人をやった。
イベントスペース、シェアハウス、宿泊などを行なった。
地域の人々が気軽に来れる場づくりにつながった。
https://www.facebook.com/Hirayama.Tibet/
ぼくにとって理想の場づくりとは、
場のコーディネート+α
の職能によって実現しうると考えた。
αによって、
相互扶助の関係を作るのだ。
場づくりを職能にしようと
もがけばもがくほど、
泥沼にはまる。
資金が回らないので、パブリックのお金を頼ることになる。
でも、究極の場づくりは
独自の財源を回すことで実現する
のではないかと考えている。
なぜなら場づくりは、
場にいる人以外の外部の力によって、
たとえ無意識的にも、
抑圧されるべきでないと考えるからだ。
そこにいる人が今を楽しむ!柔軟に!自由に!
が理想なんだと考えている。
そこで、僕は今回仮説として
+αの部分に建築をはめ込んでみた。
なぜ建築にしたかといえば、
単純に感動したから。
自分に少なからず適性があると感じたから。
の2つに他ならない。
別に建築の大学を出たわけでもないが
大学で学んでいないからといって無理に
選択から外すことはない。
なぜなら、自分自身の考えてきたことの集合体が
仮説的にも建築に一歩踏み出させたわけで、
1日の考えてきたこと(趣味性)の積み重ねの総和こそ
もっとも尊重すべき選択であると考える。
僕の場合、法学部だが、
古民家鑑定士なので建築の勉強はしたし、
卒論は古民家で書いたなどなどいろんな背景がある。
建築のニーズというのは、
形変われど永久になくならない。
ゆくゆくは、village (拠点)を持ちながらも、
自然的な建築によって集合的な様々なモノや概念を創出し、
人の心に残るものをつくりたい。
と考えながらも、
足元を見ればやることが多すぎるので、
まずは把握したい気持ちから現場を体験した
というブログでした。
おしまい。
僕は、困っていた。
手がかりは3つだけ。
①凱里市香炉山
②爬坡祭り
③7月31日
インターネットもなく、
言葉も通じない中で、
この祭りに強烈に興味を抱いたのだ。
中国の人から伝え聞いた。
なんだかよくわからないがおもしろい祭りがあるという。
観光地化されていない祭りだ。
中国旅のクライマックスにふさわしいと思い参加を決めた。
移動はベトナム国境の河口からまる2日。
泣いても笑っても
7月31日がラストチャンス。
なんとしてでも辿り着かねばならない。
僕にとって祭りとはこうである。
コミュニティにおいて、
どういう時にテンションが上がるか
エモいと感じるかを考える。
最も重要な瞬間である。
祭りの差し色とはなんなのか。
地域で最も大事にしているものを知ることでもある。
鉄道移動は長い。
丸一日かけて、貴州省の中心である貴陽という街に着いた。
駅前の人5人くらいに香炉山への行き方を聞いたが、わかる者はいなかった。
とりあえずバスターミナルにいけというのでバスに飛び乗る。
途中通過した大学に巨大で奇妙なマスコットがあった。
バスターミナルに着いてみると、果たして香炉山に行くバスはなかった。
しかし、貴重な地図を発見した。
どうやら香炉山がある凱里市までは電車が通っているらしい。
基本的に中国はバスより電車が圧倒的に安いので、貴陽駅まで戻ることにする。
電車に飛び乗り、
ついに凱里市までついた。
果たして香炉山という山は
どこに存在するのか。
いろんな人に聞いたところ、
バスはないというので、
タクシーに飛び乗る。
徐々に景色は美しくなってきた。
山の緑は青々として、木造の綺麗な家が立ち並ぶミャオ族のエリアだ。
タクシーにのること30分。
タクシードライバーは叫ぶ。
あれが香炉山だ!!!
なんだあれは。
オーストラリアのエアーズロック
ベネズエラのロライマ山
などを思い浮かべる一枚岩。
その山は予想外に堂々と神々しく映った。
祭り前日の午後15時。
周辺では着々と明日の祭りに向けて準備が進められていた。
タクシーは80元と高かったが、祭りの準備含めて観察できたのはかなりの収穫であった。
そして、なんと恐ろしいことに、
周辺の村では全ての家で犬を殺していた!!!
こんなに一斉に犬を食べる祭りは世界を見てもなかなかないであろう。
一緒に生活してきた大事な仲間を1年で最も神聖な祭りにおいてどんな気持ちで食らうのだろうか。
(※写真は撮りましたが画像省略します)
出店準備は着々と進む。
円形の広場があった。
ここではおそらく闘牛が開かれるのであろう。
赤い横断幕には、スポンサーかなんかの名前が書かれていた。
ステージが設置された。
歌手やダンサーでも呼ぶんだろうか。
妙に雰囲気のあるトイレ。
出店準備をしている人に、麺を食べさせてもらった。
うどんとラーメンを混ぜ込んだかのような料理はとても美味かった。
しかし、辛かったので腹は壊した。
外国人がよっぽど珍しかったらしく、タダで豆腐料理とかも食わせてくれた。
田舎の中国人は優しい。
香炉山に登ることにした。
山に登るとは、俯瞰的に周辺の土地を観るということでもある。
登山道からの景色はとても美しい。
周辺の村々では、農耕が盛んだと知る。
祭りが行われるメインロードは一本道。
明日にはどういうふうに変化するか楽しみだ。
はてさて、一枚岩の麓まで登った。
頂上まではどうやらいけないようだ。
途中の崖に寄り添うように建てられた社に登り、手を合わせて引き返した。
香炉山の麓の宿に泊まった。
宿の部屋の床には血みたいなものがたくさんついててヤバかった。
風呂はシャワーが出なくて貯め水。
しかも茶色に濁っていた。
新しい水ありませんかということで、青い桶の溜め水を用意してもらった。
床はカナブンだらけ。
カナブンと風呂は初めてだ。
けど僕はこの宿を選んで良かった。
宿泊客は僕1人。
隣には宿のオーナーの家族が寝てた。
どこまでも土地の暮らしに近い宿であった。
爆竹が鳴りまくって明日の祭りの盛り上がりを予告する。
さあ楽しみだと思って寝る。
朝8:00ごろ。
市場を散歩していると、昨日の犬が鍋になっていた。
市にも徐々に人が集まる。
犬と一緒にヤギも食べるところもあるらしい。
闘牛場では牛が足慣らし。
球を投げて、金に当てたらもらえるという射的だ。
一攫千金を狙う中国人らしい考え方と思った。
しかし、流石に屋台側が儲かる仕組みになっていることは誰でも知っている。
野球経験者でもなければ挑戦はしたくない。
あんま人がいなかった。
これもかけの一種だろうか。
午前10:00ごろ。
徐々に祭りは賑わい出す。
少数民族の衣装を纏うミャオ族も現れる。
犬の鍋をありがたくいただいた。
やはり流石に貴重な食品なのか、どの店も40元で販売していた。
味はアヒルの肉に近い感じで、骨も少なく食べやすくなっていた。
色々な部位が混じっているのをタレにつけて白ご飯と一緒に食べるのが主流。
個人的にはタレをつけなくても塩気があってそのままでも美味しかった。
闘牛場も準備は着々と進む。
牛にはスプレーで順番に名前と番号が書かれていく。
右の腹に名前、左の腹に番号という感じだった。
猿のお面をかぶった子供が、
お面を自慢してきた(笑)
一応写真でも撮ったるかと思って撮っておいた。
さて、12:00ごろ。
ようやく闘牛が始まった!!!
審判の男がかっこよかった。
牛と牛は激しくぶつかり合った。
ルールはなんとなく見ていてわかった。
要は日本の相撲とかなり似ている。
寄り切りするか、タイムアップで引き分けかが多かった。
寄り切りといってもきちんとした土俵があるわけでなく、
押しまくったら勝ち的な感じだった。
観客もぎゅうぎゅうで、この祭りの見所の中心となっていた。
14:00ごろ。
近くでは有名歌手によるショーが行われたり、ダンスが行われたりしていた。
この時間帯が、祭りの来場者数も最高であった。
爆竹は鳴りまくり、とてつもなく賑やかになった。
16:00ごろ。
そろそろ帰るモードの人も多くなってきた。
僕も次を目指すことにする。
しかし、この祭りの来場者数は2万人もいるらしく、
駐車場にたどり着くには山を1時間ほど歩かなければならない。
規模感が違うと思った。
もはや渋滞しすぎて交通機関がストップしていたので、
合計20kmくらいの道のりを凱里駅まで歩くことにする。
いい機会なので、歩くことについて歩きながら考えてみた。
僕は足の裏で物事を記憶するのだろうか。
歩いていた時の情景とか考えていたことは結構覚えている。
考えたことをまとめるとこうであった。
僕はあまり課題を解決しようと思ってない。
中国を見たらわかる。
課題なんて山ほどあって解決しようなんて思ってたら
人生いくら時間があってもきりがない。
むしろ僕がいなくても技術の革新などが解決してくれる。
それならば、発想を変えて心に残るものを作りたい。
これが原点ですとか、
今まで生きてきた中で最も感動したとか、
そういうことを言ってくれるようなものをつくりたい。
そうすることで、自分の生きる意味が見出せると思った。
凱里の街並が見えてきた。
かなり迷ったが、21:00には駅にたどり着いた。
もう広州への電車がないと思って、宿泊先を探した。
しかし、ここで衝撃な事実を知る。
凱里市の全てのホテルは外国人を泊めないらしい!!!
とても理不尽だったので、警察に話したが無理だった。
やむなくよくわからない場所行きの寝台列車を予約し、
野宿を免れた。
こんな風に、中国では毎日必ず理不尽なことがおこるものだ。
これも人口が多すぎることが大きな要因で、
始皇帝のような恐ろしい君主が生まれる理由もわかった。
・鉄道切符を買う列が長すぎて時間切れで買えない。
・バスが利用停止中で文字が読めず乗ろうとしたら影で笑われる。
・寝台列車は夜中じゅう子供が騒いでいて寝られない。
・英語がわかるにも関わらずわざと中国語で話してくる。
・道を尋ねても無視される。
・お札は汚いのを渡してくる一方で綺麗じゃないと受け取ってくれない。
などさまざまな場面に遭遇してきた。
その度に、大きすぎる国の苦悩を感じた。
ここまで旅をしてきて、
もう中国では見るものはないと思って一時帰国を決めた。
20000:1の状態で、中国の祭りに参加できたのは非常に大きかった。
これ以上中国の祭りに参加したとて、学びは変わらないと思った。
とにかく自分は人の集合が作りたくて、
それには建築とデザインが大きな力を握っていて、
自分もそれに向いていると仮説が立ったので、
だから日本に帰って少し勉強してから、
視点をクリアにして旅を再開したい。
人は生まれた時、
流れる時間に色などない。
ある日黒が一角に置かれた。
どんどん碁盤は黒に染まっていく。
黒の碁石の上から白い絵の具を塗ってみた。
でもすぐに絵の具なんて削り取られてしまった。
黒を爪で剥がそうとした。
ただ傷つけてしまっただけだった。
ただみんな忘れているだけなんだ。
白と白で黒は白になるし
黒と黒で白は黒になる。
細胞同士は互いに作用し合い、人間を作る。
人間同士は互いに作用し合い、エコシステムを作る。
弱肉強食。
正論を振りかざす先生など少数民族。
大きなうねりは、刺激と反応に隙間を作らず、
人間も、エコシステムをも食らう。
だからこそ、今一度考えたい。
世の中に単純な2項対立など断じてない。
世の中、白と黒だけじゃない。
世の中、男と女だけじゃない。
世の中、大学卒業したら就職する人だけじゃない。
だから、世の中面白い。
一人一人が今日を生きる意味がある。
僕が少数民族の村を何度も訪れる理由は、
誰もが本当に自分らしく生きるとはどういうことなのか
場という集合体において個性の発揮はいかになされるべきなのか
場という集合体が大きな国家や時の流れにいかに飲み込まれないか
ということをこの目でしっかりと確認し、
足で踏みしめ体で記憶し、
ローカルコミュニティをビジネスという形で体現しようとした自分の
明日を考えるためであった。
ベトナム人と中国人の入り乱れる街。
昼間歩いていると非常に蒸し暑い。
ここから、少数民族の宝庫であるベトナムへの玄関口・ラオカイ を目指す。
中国側はかなりセキュリティが厳しい。
河口に向かうバスの検問所で銃を持った警官に2回ほど引き止められ、
国境で最後の検問は長い時間を要した。
門を越えると、
ベトナム側はかなりセキュリティがゆるい。
すんなりと通れた。
排他と寛容のギャップを味わうのにこれほど適した国境はないだろう。
ベトナム人と中国人とヨーロッパ人が入り乱れる街。
ここに入るとまず驚くべき体験をする。
道ゆく人に次々に声をかけられるのだ。
これ買わないか。
タクシー乗っていかないか。
ホテル泊まらないか。
めちゃくちゃ遠くから声をかけるもんだから、
すごくフレンドリーな国民性を持っているとわかる。
しかし、一方でとても貧しい街という印象を持った。
お客さんが欲しくてたまらないという雰囲気が伝わって来た。
川沿いの階段で夜中にうたた寝をしていた。
夢ばかり見た。
最後に3度目くらいに目覚めた時に、
横に人が座っているのが見えた。
おそらく間違いだろうと思ってよくよく見ると、
やはり座っていた。
車のライトがぼんやりとそれを照らした。
それはとても不思議な光景だった。
同時に恐ろしくなった。
ぼくは何を思ったかその場を立ち去った。
立ち去る瞬間真横を振り向くと誰もいなかった。
あれは何を意味していたのだろうか。
旅をしていると時々、
こういう不思議な体験をする。
早朝に僕が向かった街は「観光地化」された、
ヨーロッパ人と少数民族の街だった。
僕が見たい少数民族の姿ではなかったが、
ただ観察してみた。
少数民族の衣装を身にまとったある少女は、
無表情で僕の方を見つめてきた。
僕はそれに応えるように笑顔で見つめ返してみた。
手作りのアクセサリーを薦めてきた。
僕は心の底から欲しいと思って一個買った。
売れたのに笑顔も見せず、
もう一個買って欲しいと言ってきた。
僕は心の底から欲しいと思っていないので断った。
ねだることしか知らないように見えるその少女を
ぼくは機械と思ってしまった。
A=Bがプログラミングされてしまった世界があることを
僕たちは忘れてはいけない。
ある少女が民族衣装を着て眠っていた。
見世物。
人々はこぞって写真を撮った。
マイノリティは見世物になってしまうのだ。
世の中にある縦関係とは、
時に人々に違和感をもたらす。
そこにあるのは、一見のどかな農村であった。
しかし、ぼくは徐々にテーマパークに見えて来た。
暮らしの場よりは観光地感が強い。
とある少数民族の人があとをつけて来た。
店に入ってかわそうとしてもついて来た。
走ってもついて来た。
どれだけ商品を買って欲しいのだよ!!!
その絶え間ない執着心に、
この周辺の村の現実を見て、
自分がどれだけ豊かな環境にいたかを知った。
もっと山奥に行かないといけないと思った。
ラオカイから3時間ほどバスに乗ってバクハ へ。
そこからまた2時間ほどバスに乗ってカンカウという街についた。
この村は土曜日になると市が立つという情報を耳にしたので、
早速バスを乗り継いで早朝から市を散策した。
そこは想像を絶するほど豊かで、
本当の意味で「自然」な暮らしをしていた。
この旅で見たいものに近いものが見られた。
牛がたくさん取引されていた。
田畑を耕したり、フンを堆肥にするためであろう。
不必要に牛をひどく扱うでもなく、
草を食べたいならそれを見守ってあげていた。
人と家畜はできる限り目線を合わせているようだった。
人々は自分好みの少数民族の衣装に身を固め、
とても生き生きと生活を送っていた。
その土地で採れた素材を生かした、
色も形も様々なデザインが見られた。
伝統を守りながらも、
それが自分の個性を押しつぶすでもなく、
むしろ生かしていると思った。
人々のその生き様は地球にキスをするかのように
とても輝いていた。
食事は豪華とは言えないが、
質素であっても貧しくはなく、
日本の美意識であるわびさびの美意識を感じた。
ここら辺の食事は、調味料や香辛料のレパートリーがおおい。
自分好みの味や素材の食を楽しめるのは良い。
鶏を捕らえて、村に帰る青年を見た。
その背中は堂々と、自由に、のびのびとしていた。
自然の命を腹のなかに収めるという本当の意味を
この若い青年は知っているように見えた。
人が豊かに生きるためには、
自然という莫大な資源が全ての根元に存在していて、
それをわずかばかりにでも意識して生きることが
大事だということを教えてくれた。
山はどこまでも深く、人々はそれを追求しつつも
どこかのんびりとそれを楽しんでいた。
村を巡っていて気づいたら、
靴は牛のフンと泥まみれで、
何がフンで何が泥かわからなくなった。
汚いという感情が
いつのまにか消えていた。
翌日、バクハ の日曜日の定期市にも行ってみた。
いくつか面白い食べ物はあったものの、カンカウほどの衝撃はなかったので省略。
この後、中国の河口に戻ることにする。
僕は、まず人々が集まる賑わいが好きである。
台湾の夜市巡りの時からそれは不動のものになりつつある。
その中でも、個性や独自性が発揮されている瞬間面白いと感じる。
集合と個性の発揮をどう満たせるかを考えている。
完全にそこはソフトよりの考え方。
ただし、そういう行為の周辺による影響力は拭いきれない。
カンカウの村も周辺の自然気候風土など周辺の環境や、住居や広場といった箱によって形成された行為であることはまざまざと感じた。
その上で、創作したくなる。
だから、自分の立ち位置を確認してみると、
最も人に寄り添い、
心地よい人の集合が作れるような
空間の構造や意匠、媒体のデザインを提供できる人間
になりたいのではないかと考えるに至っている。
しかし、まだ確証は得ていない。
ベトナムに入ってからいつのまにか、
観光地化されていない村を巡っている自分に気づいた。
少数民族とは村の中でたった1人の日本人。
すなわち僕のことだ。
また明日、100対1の楽園を個性的に遊歩していけたら嬉しい。
<今日ご紹介したエリア>
僕にとっての中国は、
心に残るものとの出会いがテーマだ。
自分の手の届かないもの。
何十年たっても忘れないであろうもの。
そんなものに1つでも巡り会えたら幸せだ。
何かを形にしていこうとする時に、
そういうものとどれだけ出会えるか。
中国の秘境で「少数民族」の実態を
捉えるべく旅をした。
最初の2日間の記録。
いきなり濃密な旅となる。
僕は中国雲南省に降り立った。
午前6時。
眠い目をこすりながら、地下鉄に乗った。
市内への地下鉄が地上に頭を出したとき、
僕は目を疑った。
視界は曇り、何も見えなかった。
誰かが魔法でもかけたのだろうか。
同時に、自分は何者なのかもわからなくなった。
昆明から建水へは電車で約3時間ほどの道のりだった。
市街地まではバス。
辺りは次第に木造の立派な建築物が姿を表す。
中国という大きな国が紡ぎ出す弾かれた歴史。
500年時が止まったかのごとく存在する街。
木造と街路樹と石畳が紡ぎ出すハーモニーが美しい。
こういうデザインは好きだ。
その中で、トランプや昼寝や碁に明け暮れる人々。
中国語しか通じない観光地化されていない独自の文化圏が
まるでユートピアに思えてきた。
建水から南沙まではバスで3時間ほどの道のりだった。
途中の道のりはガタガタできつかった。
タバコを平気で吸う人、
大声で叫ぶ人、
窓から何十回もゴミを捨てる人、
クラクションを鳴らしまくって見せつける運転手、
怒鳴り合いの喧嘩をする人、
もうバス内が激しすぎた。
全員の目がギラギラしていた。
誰1人かっこいいと思える大人はいなかった。
子供はこれを見てどう思うんだろう。
周りの美しい自然とは対照的なその情景は、
自然をも飲み込む気迫があった。
これこそが良くも悪くも、
中国の力だと思った。
南沙では宿を探した。
「酒店」か「住宿」と書かれているのが宿だ。
10件くらい回って一番いいところを選んだ。
人が暖かかった。
60元で手を打ってここに決めた。
何事も最後は「人」を見て決める。
晩御飯は、近くの出店に行った。
例のごとくど田舎すぎて中国語しか通じない。
いままで食べた中で3本指に入るくらいに、
激激檄激激激檄激辛な食べ物を口にした。
それは、焼うどんのようなものだった。
見た目は普通なのだが、
胡椒を丸ごと口にしたかのような味がした。
唇の皮が破けると思ったので、
甘いジュースで流し込んだ。
その土地のものはなんでも胃袋に収める。
これが、僕にとっての「観光」だった。
どこでもいつでも
まずは「食べ物」から観光は始まる。
僕はこの日、
自分の核心的なものに2回ぶちあたった。
それは「人々の集合」と「個性の発揮」
を満たすものであった。
1回目は南沙の早朝の市場。
2回目は新街鎮の夜の広場。
南沙の朝は早い。
6時に起きるともう市場は動いていた。
延々と続く人垣。
最初に目にしたのは牛の頭だった。
最終段階だった。
ナイフを持つ裸の男は牛の頭と対峙していた。
解体された牛の骨は、市場の人垣の足元に転がった。
人々は骨など気にせず平然と歩いていた。
肉は大きなテーブルに延々と並べられた。
そのほかにもアヒルやカエル様々な生き物が
食肉となっていった。
僕はそれを見て、
生き物と人間とが一体になったと思った。
牛=人間
アヒル=人間
カエル=人間
何も恐れることなく、
何気ない神聖なる日常に落とし込もうとした。
ほとばしる血が物語る。
ほとばしる汗が物語る。
人々は生き生きとこの市場に集まり、
想い想いのメシを手に入れる。
半分は民族衣装を着た女性。
数限りなく様々な色とりどりの民族が、
この市場に集合する。
こんな生き生きとした「市場」は初めて見た。
改めて人々がきらめく、
心に残る「場」を作りたいと思った。
ハニ族が集まるという新街鎮に行くことにした。
バスがないので、タクシーを拾って2時間。
やっとこさついた。
それから、ハニ族の本格的な田んぼが見たいと思って、
タクシーを拾って1時間。
方向が間違っていることを知る。
まあ、多少棚田の景色が見れたからいいか。
最近はストーリー中毒。
別に結果なんてどうでもよくなってきている。
泊まりは新街鎮。
新街鎮は坂の町だ。
山の斜面に作られている。
昇り下りは急峻で偏りがあるのか、
一部の通りが栄え、一部の通りが空き家街になっていた。
メインの通りの両サイドには商店街がずらりと並び、
ハニ族の衣装を売っている店が目立った。
どのように衣装を作っているのかがわかり、
伝統が大衆化されていると思った。
日本で着物を着るのは特別な時だけ。
でも、ハニ族は毎日着ているような感覚。
メインの通りはとある大きな広場へと続いていた。
夜、面白いものを見た。
ハニ族の人々が広場に集まり始めた。
若者が歌を自然と歌い始めた。
女性は踊りを始めた。
子供は遊具で遊び始めた。
出店もちらほら。
踊りの質は大したことないけれども。
皆が自然とその場にいることを楽しんでいた。
これには本当に感動した。
なんで?
イベントを仕組んだわけでもないのに。
祭りの日でもないのに。
ここに集まろうと決めたわけでもないのに。
自然と皆が集まって楽しめるのだ。
こういう日常の豊かさと
場の吸引力の強さに感動した。
中国のど田舎の辺境に、
僕の作りたいもの一端を見た。
市場も広場もそうだけど、
場によって、人々は幸せになると思った。
コミュニティでもなく、
サークルでもなく、
グループでもなく、
ここでは単なる場に対する面白さを感じた。
日本に帰ってからの
新しいアイデアも浮かんだ。
今日の自分は、昨日の自分よりもほんの少しだけ
発想の幅が広がった気がする。
<今回ご紹介したエリア>
前回の中国旅はこちら
We have 3 big problems in local community.
①Depopulation
(few young people, many eldery people)
②Economic growth
③Sustainability
How can we solve these problems?
The solution is by our skill.
We have an answer, but we have never noticed that.
What is my skill?
I have to learn new skill...
But, this is not the solution.
I already have the skill.
This is true.
Will I have to get qualification?
ーNo.
Will I have to see more local communities?
ーNo.
Will I have to do work in some companies?
ーNo.
I already have the skill.
I can say with certainty.
I can make a community.
The community is like a moving and international village.
People, goods and infomation is moving.
This community will solve social ploblems in each local community.
How can I solve these problems?
My journey will continue.
2018.7.21
The Pier-2 Art Center, Kaohsiung,Taiwan
台中のデザイン会社「好心地文創」。
僕は現在ここで仕事体験させていただいている。
今回は工芸品を作る村を訪れるツアーにジョイン。
ツアーの目的としては、
工芸品そのものをただ楽しむだけでなく
その村の全てを味わってもらおうというもの。
体験型のツアーに胸が踊る。
このツアーのスタッフの片隅に加えていただき、
今回は「石門」という山奥の村を訪問した。
今回も、いいカメラを持っているね!ということでカメラマン(笑)
→場所はこのリンク参照。
今回のツアー参加者は、子供からご年配の方まで様々で総勢50名ほど。
大半の人は、工芸品づくりのコミュニティに所属している。
今回の村視察を自分の村での活動に生かそうと考えている人が多くみられた。
海外メンバーは僕とマレーシアの人の2人。
あとは、台湾の比較的近い地域に住んでいる人が大半だった。
台中から長距離バスに乗って1時間ほど。
山奥の村・石門に着くと、まず祠に案内してもらった。
神聖なる祠である。
この土地の全てを見守っているとのこと。
一番左手のマイク片手に村を案内するのがこの村のリーダー。
村の様々な魅力的な場所に連れて行ってくれた。
甲高い声に、やさしい口調。
どことなくリーダーらしい感じの人だった。
この土地は自然豊かで、人々は自然とともに共生している。
熱帯ならではのみたことも聞いたこともないようなフルーツが盛りだくさん。
人々が「デザート」と呼ぶ食べ物の数々をいただいた。
まずは、これ。名前不明。
手でバキッツと割ると中に種がたくさんある。
これを手ですくい上げて食べるようだ。
果肉ではなく、種をメインで食するフルーツを僕は初めて食べた。
次はこの花。名前不明。
たくさん食べると、毒があるよ!という説明があったが、
みな普通にバクバク食べている(笑)
花びらを何もつけずに食べたのだが、意外とみずみずしくてうまかった。
この花を水に浸して置いておくと、ほんのり甘いジュースのような味になるようだ。
つぎにこれ。
日本人は見慣れているであろう、落花生。
ここで食べた落花生は、少し甘くて柔らかかった。
このスープは、日本でいうぜんざいみたいな感じ。
たくさんの甘い豆が入ったスープみたいな感じで、甘くてうまかった。
デザートを食べた後、僕らは周辺の森を散策した。
様々な種類の木に実がなっていた。
もぎ取って好きに食べていいよという感じだった。
これは、まるでブルーベリーのような味だったが、木が太いから違う。
日本人の僕には、木と実がまるで別物に見えてしまった。
木がイヤリングをつけるように、その実は異彩を放っていた。
美しい蝶もたくさんいた。
静かに羽を揺らし飛んでいた。
捕まえようと思えば、すぐ捕まえられた。
でも、僕は捕まえなかった。
その美しい羽を、ただただ見つめていた。
花のように見えるが花ではない。
この木の実の甘さは半端なかった。
砂糖を丸ごと口にしているかのような甘さで、
舌の上で瞬時にとろけるその果実は、
まるで宇宙からの贈り物に思えた。
さて、僕らはお昼ご飯を食べるために集会所に移動した。
バイキング形式で、様々なその土地のものを食した。
丼が1つで、その中にご飯もおかずもごちゃまぜで入れまくる方式だった。
味はどれも簡素ながら手の込んだ、ふるさとの味を思わせる。
こんな感じ。
ご飯の後は、リーダーから村についての紹介があった。
台湾語だった。
幸い英語ができる人が数人いたので、通訳してくれた。
と穏やかに、
でも力強く語っていた。
土地を愛し、仲間を愛し、自然を愛してきたリーダーに感銘を受けた。
そして、
「1年間365日、私たちはこの集会所に集う」
と言っていた。
年配の方が増えてきて、アルツハイマーを患っている人も多いらしい。
そんな中で、政府がデイケアのための資金を50万円の資金提供を行なった。
それがきっかけとなって協会が立ち上がり、今に至る。
活動内容は、
ツアー客を受け入れて文化体験を提供すること
伝統工芸品を制作すること
などがあげられる。
地域でともに支えあっていこうという小規模コミュニティだ。
リーダーによる村の紹介のあと、
村の人は自然と歌を唄いだした。
今日は私たちの村を訪れてくれたお祝いです。
という感じなのだろうか。
「石門填」はとりわけ誕生日とかお祝い事の際に唄う歌らしい。
みんな元気だ。
歌を歌うのは、数分にとどまらず、1時間くらい歌っていた。
本当にかけがえのない集い、そして喜びとはなんであろうか。
最後に石門の人々が制作している工芸品の数々をご紹介。
これに一番感動した。
一枚の布に、絵でストーリーが描かれている。
これはなんと一枚完結型のストーリーである。
言語が通じず、どのような内容を表しているかは読み取れなかった。
しかし、この写真の中だけでも、
12個分のストーリーが表現されていると思うと手が込んでいる。
おそらく、この土地に由来する話であろう。
これは、布で作ったコースター。
こんな布の使い方も。おしゃれ。
これは楽器のようだが、使い方はわからず。
でも、なんか可愛げがある。
台湾の山奥にあるとある工芸村。
食、工芸品などの驚きの数々は冒険心を掻き立てた。
そこは自分にとって未知の世界そのものだった。
このストーリーはかけがえのない経験として、
僕の中に刻み込まれた。
工芸品の高い安いはあんまり関係なかった。
そういう物差しで考えているとつまらなくなる。
高級品とはいわば、「位置エネルギー」のようなものである。
目に見えて数値化できる価値である。
奪われたり無くしたりして、言葉通り落ち込むだろう。
一方で、ストーリーとは一瞬のうちに固まる性質を持つ。
未来永劫価値は変動しない。
台湾の人々は口々に日本よりは質が高くないけど、、、。
と僕の前で話してくれるけど。
僕にとっては、その土地の空気を吸って、うまいものを食べて、人と触れ合って、
未知なる経験ののちに、手に取った工芸品は最高だ。
たとえその工芸品を無くしても、心の中で生き続ける。
キラキラした青春のような生き生きとした豊かさを、
いつまでも心に残る圧倒的な何かを、
旅の中で見つけて生きたい。
※好心地文創FACEBOOK
https://www.facebook.com/howdyInTw/
※前回の記事(好心地文創の紹介)はこちら。