【岩手県遠野市】 しし踊りと猟師取材 3日目 ~遠野の猟師達~

12/3(木)は岩手県遠野市に滞在して、猟師さんの取材と図書館での資料調査を行った。しし踊り関係者や猟師への取材を通して何を伝えたいかを考える良い機会となった。

遠野市 猟師取材

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猟師のようぞうさんと佐々木さんにお話を伺った。猟をするのは害獣駆除で4月から10月まで。他の期間は行わない。ようぞうさん林業や農業と猟師を掛け持ちしている。約15年前から鹿が出始めて、駆除するようになった。年間100頭を獲る。約40年前から狩猟をやっている。20代の頃に狩猟免許を取得したが、当時は100人が一気に狩猟免許をとった。毎年100人ずつとったから一時期500人まで猟師が増えた。しかし、現在は67名しかいない。かなり若い人が少なくなった。昔はよく野ウサギや鳥を獲る狩猟を行っていた。基本的に鹿のような害獣がいなかったので、好きでハンターをやる人が多かった。遠くから車でやってきて旅館に泊まって猟をしに来る観光的な量も盛んだった。地域の人がその人々を山へ案内した。これはガイドツアーのようなものではなく、知り合って連れて行くような自然な流れだった。近年は遠野が岩手県の中でもとりわけ鹿が多い地域で、県の有害駆除だと8000円しかもらえないがそれに6000円上乗せして、鹿一頭獲ると14000円もらえるようになった。鹿は増えているけどハンターがいないのが現状である。

 

マタギは遠野にはいない。基本的に1人で山に入って犬に匂いをかぎ分けさせて熊を探して、穴や住処を見つけて仕留めた。接近戦になるので危険である。このような猟が盛んだったのが、秋田県岩手県の大槌などだ。今の遠野はもっぱら害獣駆除が盛んで、マタギのように生活をするために猟をする人はなかなかいない。獲る動物に対しては敬意を表することが重要だ。昔は四つ足動物はとってはいけないと言われていたが、今では熊を獲ることだってある。山を開拓して人里とクマの生息地が近くなっているし、熊が人里におりれば食料が豊富なことを知っている。それでりんご畑やらいろんなところを荒らすようになって、農業をやっている人から見れば作物を守るために熊を獲るようになったと言える。

 

熊をとったときは、祈りを捧げなければいけない。マタギの古文書、巻物には祈りの捧げ方が書いてあるが、それは見たことがない。基本的には猟期前に和尚を呼んで慰霊碑を拝んでから猟を始める。獲物を捕らえた際は、手を合わせて祈るものだ。そうでないと祟りが出てくる。祟りといえば、今から15年くらい前の話。熊をとった人がいて、解体場所を探して熊を持ち歩き、いろんな所に持って行って振舞った。それからすぐに仕事に使う木材が頭と足に当たって足の骨が折れてしまったという。これは熊の祟りだと言って騒ぎになったそうだ。自然に感謝して敬うという気持ちが大事である。お土産として熊の爪2つと歯2つ、参考資料をいただいた。とてもありがたい。雪の降る中で優しさに心温まる充実したヒアリングとなった。

 

遠野市立博物館 ヒアリング

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学芸員の前川さんにしし踊りと狩猟に関するお話を伺った。その中で見えてきたのが、サブシステンスというキーワード。日々の暮らしは単なる生命維持ではなく、社会生活の根底にある楽しみを追求する暮らしこそ意味があるのではないかと感じた。今、コロナ禍で人口が一極集中する都市で満員電車の中で通勤通学する生活にうんざりしている人は多いだろう。仕事をただこなすのではなく、今ここで仕事をする意味を再度見つめ直す必要がある。経済のみが生活を成り立たせるわけではなく、人と人との交流の中に価値の交換があり、お金に換算できない価値が存在する。多くの人は経済的指標(年収や資産)にとらわれすぎているように感じる。だから、今やるべきは都市の人々に新しい暮らしの提案をすることかもしれない。この文脈で、遠野の芸能や狩猟を伝承することは今までなかったように思う。両分野に共通して言えるのが、お金で測ることの出来ない価値が存在するということ。人との交流を創出したり、生きがいや楽しさを生み出したりするものである。芸能や狩猟を取材しているようで、実は暮らしの提案をしているというのも面白いと感じた。

 

長い歴史を見れば、芸能は形を変えてきた。奈良時代は祈りだったし、江戸時代には娯楽になったし、明治時代は工場労働者の束の間の休息だったし、昭和には戦後の地域の立て直しと交流の創出の意味合いが強まった。今、担い手が減って急速に消滅しつつある全国各地の芸能は一旦消えたとしてその後再開するのか形を変えるのか。それは地域の選択である。ただ、過去から学ぶ資料がなくてはならないということで、今ある芸能を記録する必要がある。そこで、自分が文章や写真で記録する意味が出てくるのだ。

 

自分はよそ者だからこそ、外のファンを増やさねばならない。外のファンが増えれば、内の人は自分たちが普段自然に行なっている芸能および暮らしの営みに対して自信を持つことができる。いわば、「価値の顕在化」ができるわけだ。そういうわけで、現時点ではサブシステンスをキーワードとして芸能や狩猟やの暮らしを伝えられる本を作ってみたいと考えている。参考資料として紹介していただいたのは下記の文献だ。とりわけ、『炎の伝承:"北上・みちのく芸能まつり"の軌跡』に書かれているしし踊りの起源が空也上人だとする説など、大変興味深かった。明日詳しく見ておきたい。

 

◯調べた文献

・留場栄,『山人炉端話』, 1988年

遠野市立博物館, 『佐々木喜善全集(II)』, 1985年

・北上・みちのく芸能まつり実行委員会,『炎の伝承:"北上・みちのく芸能まつり"の軌跡』, 1999年

岩手県立博物館,『第31回企画展図録 山人』, 1991年

・遠藤公男, 『盛岡藩御狩り日記―江戸時代の野生動物誌』, 講談社, 1994年