【岩手県遠野市】クリエイターレジデンス4~5日目・早池峰神楽撮影・鹿猟の現場を見て鹿鍋を食べるなど。

毎日充実しすぎて、ブログがまったく更新できていないイナムラです。つくる大学のクリエイターインレジデンスに参加しています。鹿踊を始めとした伝統芸能を写真で表現すべく滞在中。今日も地域の民俗芸能やそれのモチーフになった動物に関して聞いた話を忘れないように、ざっくりと箇条書きで書いておきます。

 

7月7日(火)

①自転車 伝承園〜角助のお墓〜山崎のコンセイサマデンデラ

▼伝承園

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・伝承園はオシラサマがあまりにもぎょっとする。1000体のオシラサマにかなり狭い空間で360度囲まれ、見つめられるという経験はなかなかできるものではない。背中の方にゾッとする意識が向けられ、馬と一緒に空に旅立った女の人の遠野物語のエピソードが頭の中を駆け巡る。祈りの言葉が一体一体オシラサマに書かれているのだが、人の苦労とか悔しさとか悩みとかそういうものが結集していることを思うと、非常に空気の密度が重くてのしかかってくる。

・角助は遠野にしし踊りを伝えた人物。とてもひっそりとでも立派なお墓がある。そこに至るまでの道でフサフサの草をかき分けて進んだのだが、それが鹿の毛に思えて仕方がない。自分の足に絡みついてきたのが印象深い。

コンセイサマは生死のマンダラが隠されているようだ。男性の精器(コンセイサマ)が生の象徴、背後にある賽の河原が死の象徴である。一度は埋まったが、発掘されたというエピソードから、昔の人はこの山崎の地に生と死の究極のマンダラを埋め込んだのではないか。

・自転車で回るのはとても時間がかかったが、約6時間で回りきれた。最後にデンデラ野に到着。昔は口減らしといって、貧しい農家では年寄りに食べさせるものを少なくすべく、昼は労働、夜は隔離という生活をさせたようである。この時の死ぬ間際の人が住んでいた家が再現されていたので、入ってみることに..。中に入ると細く響く風の声のようなものが聞こえて、急に外に出る。晴れていたにも関わらず大雨が降り出す。顔が硬直して震えが止まらなくなったので、早急にチャリで帰路へ。道中ミミズを踏んでしまい、なおさらぎょっとして足が鉛のように重くなる。遠野駅の方まで来ると、何事もなかったようにけろっとしている。おかしい。やはり、遠野は神様がいるように感じられる土地である。

 

ps.大学生の小松さんの話

蓮台野といって、生きながら極楽浄土で暮らせるという意味がデンデラ野にはあったそうだ。また、突然雨が降るという現象の時、河童が現れることがあるようである。

 

早池峰神楽の撮影

▼神楽の撮影風景

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つくる大学のななさんの所属する早池峰神楽を夜に撮影。早池峯神社周辺は暗闇に包まれている。山門から拝殿への直線の先には北極星があるといい、マンダラがここにも存在するようだ。蛍が飛び交い、呼吸している木立に土地の力を感じた。練習は19時台から22時ごろまで続く。根気強く汗びっしょりになって練習する人々の姿が印象的だった。権現様やお面、踊りなどを神秘的な空気感を大事に撮影させていただいた。権現様やお面を掘った職人の方のお話を少し共有(方言が聞き取れず、一部のみ。方言に触れるというのは心地よい。)

・昭和51年に初めてお面を作った。

・お面は桐の木を掘って作る。理由は木材の中でも軽い種類だから。

・ニカワで塗る作業を行う。

・自分で作り方は考えた。

・神楽は山伏が伝えたものだろう。

・神楽の担い手は5~85歳くらいまでの15人ほどのメンバーがいる。

撮影終了後、宿泊場所まで送ってもらう際に、アナグマを2頭見た。この呑気な田舎の動物たちとそれを見て呑気に構える遠野人にいとおしさを覚える。

 

7月8日(水)

猟師のおさむさんの猟場を撮影

宮守の猟師、高橋さんに猟をしている場所や名所を案内していただき、鹿の肉を食べさせていただいた。

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・宮守には眼鏡橋という橋が2つあり、1つは観光用だが、もう1つは知る人ぞ知る橋である。後者の橋は宮沢賢治が『銀河鉄道の夜』のとある一場面の着想を得た場所で、現在は林道を下らないと全貌が見られない。林道の入り口に昔エロ本の自販機があったそうで、林道を入るとエロ本を買う人に間違われるから、寄り付く人がいなくなったそうだ。宮沢賢治を語るには非常に重要な場所であるにも関わらず、エロ本のおかげで注目されずにひっそりと眠る橋。あまりにも魅力的すぎて、これからも誰も訪れて欲しくないと思った。

・開拓民が住む土地がある。3人の家族が移住して、山を切り開いて住み始めたようだ。今は、食用の牛を買うなどして生活している。枯れた栗の木が復活したとのこと。あまりにも広い土地をわずかな人数で開拓して汗水流して働く人々がいることにびっくりした。こんなにたくましい現代人がいたとは...。馬舎の脇から、茶色の顔をした作業着の男の人がヌッと出てきた。あの表情がなかなか忘れられない。同様に、遠野りんごをつくる人々が開拓民として森に入り、生産量は急増した歴史がある。しかし、生産しただけで、それをブランド化しようという動きはないよう。それで、遠野といえばりんごとなる人は少ない。しかし、遠野のりんごは隠れた優良産業かもしれない。リンゴジュースを飲ませてもらったが、うますぎた。

・道端に小屋型の木箱をよく見る。これは積雪時に土を溜め込む箱だそうだ。雪が降り積もり、凍ってしまえば、一見無限のように思える土を手に入れることも困難になってしまう。雪国の暮らしを思い知らされる。

・林道を奥へ奥へ進むと猟場が存在する。猟場はUターンしなくても入り口と出口が異なるので、問題ない。山の数だけ林道がある。その中でもかなり舗装された道を軽トラで走ってもらったのだが、かなりそれでもガタガタする。かなり、運転の経験も磨けそうだ。冬は除雪機でガーと進むらしい。途中、森の中にいくつか平地が見られる。これは、昔牧草地で馬や牛が買われていたり、田畑があったところ。今では、鹿がよく現れる場所になっているものもある。崖になっているところを軽快に登っていくのは鹿。ところどころ、足跡が存在する。草の分け目の繊細な違いを読み取り、こんな生き物が通った跡だ!などと教えてくれるおさむさんの直感は鋭い。食べれる山野草についても、道中フィルター付きの目を持つかのように判別していく姿は野生そのものである。ノビルスポットは草刈りが入ってしまっており、今回は収穫ができなかったので残念だ。

・最後に、スーパーで買い出しをして、罠を見せてもらってから、おさむさんの家で鹿肉をいただいた。今回は腿の部分を1kgほど。まずは表面部分を「トリミング」して、薄い肉を剥ぎ落として、それを豆と一緒に煮て、きゅうりを乗せて食べる。その後、ステーキ風に焼いた肉を塩胡椒のタレと、マスタードのタレでそれぞれいただく。最後にジプロックの中に山椒のタレと肉を入れて鍋に入れたものを後から取り出して切っていただく。どれもシェフのおさむさんの腕が良すぎてめちゃうまかった。玄関には熊の毛皮のマットが置いてあり、びっくりした。鼻の部分や爪がとてもリアルだった。中は鍵付きロッカーに保管されているので、通常見ることはできない。

・猟について。現在、猟友会では37歳で最年少。次が50代だから、年配者がとても多い。昔映画の影響で狩猟ブームがあって、かっこいいということで狩りをする人口が急増したが、それ以降は減少の一途。現在若い人はゲームをやっているから、それで興味を持つ人が少しいるという感触がある。基本的に狩りをする人は土地に根をはる人が多いが、当然人が足りていない地域もあるので、出張型の狩りも一定数存在する。特に北海道では多く、オットセイの狩りを頼まれることもある。また、電力会社の鉄塔周辺で狩りの依頼をもらうこともあるが、そういう仕事は基本給料が高く1日3万円くらいもらえる。年配者の人間関係がある人にそういう仕事は回ってくることが多い。狩猟免許を取るには銃器や資格取得など合わせて25万円くらいの初期投資で始められる。狩りは自分の食べるものが獲れれば良いという人と、仕事にするというスタンスの人で全く考え方が異なる。おさむさんはいつも親について行って熊を取っていたので、自分で引き金を引いて仕留めることがなかったが、初めて一人で熊を獲った時は味わったことのない感情があったそう。熊獲ったぞという高揚感よりも、獲ってしまったという感情が優った。だから、今でも自分の食べる分以上は無理に獲ることはしないようだ。一方で、仕事で狩りをするという意識がある人は、そこらへんは割り切っているそう。狩猟関係の貴重な本まで頂いて、本当に至れり尽くせりでありがたい。充実した日だった。

▼おさむさんのくま脂と蜂蜜

www.furusato-tax.jp

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<今日のまとめ>

遠野の信仰に関わる様々な側面が少しずつ見えてきた。滞在すればするほど、とにかく遠野は奥深くて見えない世界が広がっていることを思い知らされる。少しずつ作品制作も進んでおり、7月12日の午後に写真の展示を行う準備も進行中だ(Commons spaceで開催予定)。