稲村行真 Yukimasa Inamura ブログ「旅してみんか」

「伝統文化の魅力」を広めています。日本の伝統的な木造建築の古民家とその街並み、山奥の少数民族の村、過疎地どこでもフットワーク軽く旅をしております。

台湾 桃園-新北 100km徒歩 「日本人探し旅」2日目

こんにちは、昨晩はクマのいる部屋で寝た稲村です。

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今日(11月22日)は、3日間の台湾100km徒歩の旅のうちの中日だ。雨に濡れ、その中に見た美しい文化の輝きと生と死の境について考えざるを得なかった名もなき遺産と人々の生活との物語についてお伝えしていくこととする。

 

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最初、歩き始めて初っぱなでコースを間違えた。全く逆の方向を歩いていた。しかし、偶然見つけたのがこの獅子舞の看板だ。僕は日本で獅子舞の撮影や研究をしているので、これも巡り合わせだと直感的に感じて訪ねてみた。 

 

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そこにあったのは、獅子舞の躍り手を育成する訓練所だった。「獅子頭」などが保管されていた。飛び跳ねるほど嬉しかったので、写真を撮りまくった。こちらの獅子舞は日本のものに比べて、断然ふさふさして可愛らしい容貌をしている。

 

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こちらが、獅子舞の訓練所にいた人物。私も若い頃に踊っていましたと言っていた。かなりお元気で、農作物を収穫するような袋を持っていたので、農業をやりながらも獅子舞の若手育成に取り組んでおられるようだ。台湾の言葉がわからないので、陳さんに色々尋ねてもらった。とてもありがたい。台湾の獅子舞は中国系で、沖縄のものにも似たところがある。後ろに見える棒は獅子舞の演技に使うものだ。

 

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それから間違えた道を戻り、1時間ほど歩くと、大渓の街並みに出た。賑やかな市が開催されていた。この街は日本の明治期にも似た建物の作りをしていて、日本統治時代があったことを思わせる。しかも、写真で撮影していて気づいたのだが、日本企業がたくさん存在する。日本の物産販売所も多く、日本と親和性が高い街だったことがわかる。昨日、インタビューさせていただいた近藤さんがこの町で、日本人向けに観光案内なども行なっているのが納得できた。

 

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それから、1回目の山越えを行なった。大渓から三峡までは田舎町を進んでいく。途中、チャリンコの人などにまみれて歩いた。道端には、道祖神のようなものがたくさん見られ、「南無阿弥陀仏」の文字がガードレールや、碑文やら、祠やらに刻まれていた。道中の安全を祈る風習は、日本も台湾も変わりがないことがわかる。途中、ボロボロの廃墟もたくさん見られ、「人口減少」という問題を抱えるのは、日本の地域だけではないことがわかる。

 

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途中、迫力満点の幼稚園が出現した。獅子に守られた幼稚園。通っている子供と親は何を考えて、この幼稚園を選んだのだろう、そして毎日この2体の獅子を見て、何を想うのだろうか。とても気になる。僕が逆の幼稚園児の立場なら、泣くだろう。しかし、肝っ玉が強い人間が育ちそうだ。

 

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 実はこの幼稚園、正面から見ると仏像がずらりと並んでいる。日本ではあり得ないような圧倒的規模感と物量に迫力を感じた。

 

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 途中、日本人が建設に関わったモニュメントがあった。その後も日本のモニュメントは続くことになる。まさに、台湾と日本の思い出が「道」を作っていたのだ。

 

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 山間部を抜けると、次は三渓の古い街並みが出現。ここも、赤レンガを多用していて、明治期の日本の建築を思わせる。

 

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 このエリアでもっとも有名な観光名所が、三渓祖師廟。めちゃくちゃ豪華だ。台湾の廟は基本的に豪華絢爛で極彩色な場合も多く、色彩感覚の鋭さをビンビン感じた。日本の宗教建築は、もっと地味で侘び寂びを重視するので、台湾のお寺を見るとこれは宮殿か?と疑うほどのまばゆさを実感する。


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 スクールボーイ、アンドスクールガールを発見。この街は、学生たちにとって歴史を学習する場であり、色も充実したたくさんの魅力溢れる街なのだろう。

 

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 僕らも、同行の陳さんとともに三渓で昼食を食べることにした。このピッグスープはつみれ汁のようで、ウインナーが入ったポトフを思い出すような独特の味わいで、なぜか思い出深い。

 

 

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それから、三峡の街を後にする。とんがりコーンのような休憩所が整備され、欄干には狛犬が所狭しと並べられている。この風景は、沖縄のシーサーや日本の狛犬にも通じるような馴染みやすさがある。

 

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雨降ってきた。旅が面白くなる証拠。黒い分厚い雲は青い空を覆い隠し、大量の雨粒とともに大地を圧倒してくる。少し歩くと道端の家の中に、赤ちゃん誕生のお祝いのため大量の水が入ったペットボトルが山のように2メートルくらい積まれているのを見かけた。こんな風習があるとは知らなかった。そういえば、先ほど豪華絢爛な葬式を見て、写真を撮ろうとして、同行の陳さんに止められたことを思い出した。とにかく賑やかに朗らかに、でも静粛に行うのがこの国の生死への向き合い方らしい。

 

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 途中、3時間ほど歩いて小学校の前を通った。手形のアートや、絵が描かれていて、どうやら卒業制作らしい。台湾の小学生は皆、かなり個性的な絵を描くのだということを知った。自分が自分であるために、自由に人生を模索できる環境は素晴らしい。日本の小・中・高・大・就職と続く、スクリーニング的な縦社会から逃げ出したいと思ったことがある自分にとって、台湾の小学生の絵はかなり響いた。また、その卒業製作作品群の横にある病気の猫の絵から、僕は人間社会の動物との向き合い方を考えざるを得なかった。大半の猫、実は処分しちゃうらしい。

 

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あっという間に夜は更けた。雨の中、歩き続けている自分が何をしているのかよくわからなくなり、ぼうっとしてきた。道路と歩道、ともに所狭しとひしめき合うバイクと車の群れをかき分けながら今日の目的地へと進む。

 

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 途中、市場があり立ち寄ってみた。肉に風をあてるとともに、おそらく蝿を払うためであろうリボンのようなものが回転する様に誘われて、動物の肉を解体もせずに丸ごと並べられている生き物感溢れるディープな空間へと足を踏み入れた。死んだ鶏は頭を垂れて地上を見つめ、また、売り子は手を血に染め上げて、声を高らかに客引きをしている。人間の欲望がこんなに素直に露呈している場所などなかなか存在しない。僕は、ひたすらその瞬間の煌めきを写真に収め続けた。台湾は茫漠と生き続け、日本と比べるとその熱量を肌感として感じやすい。人工知能と同居して、動物としての人間を忘れてしまいそうな自分に対して、もう一人の自分は抵抗して、ただひたすらこの場所にいることを望んでいた。

 

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僕らは、もう時間切れだった。ゴール手前の小学校で今日の旅路を締めくくった。後々聞いたところによると、この小学校は、日本軍が台湾原住民であるタイヤル族との境界線を引いた隘勇制度(あいゆうせいど)の拠点があった場所のようだ。陳さんがタピオカをおごってくれて、その後、メットさんが僕と陳さんとを迎えにきてくれて、しゃぶしゃぶに連れて行ってくれた。台湾の写真家の方も一緒にきて、4人で食事ということになった。徒歩の旅の道中、こんなに美味い飯が食えることに本当に感謝だ。自分も、誰かに飯代を出せるような懐の大きい人間になりたいとふと思った。

 

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今日は、やや長い道のりだった。道中、様々に頭の中で考えを巡らす機会にも恵まれた。路上観察から日本との共通点などのインスピレーションを得ることが多く、何も日本人にインタビューしないといけないなどと、そこに固執する必要はないように思われた。日本と台湾との関係性を考え、それと同時に日本を外の目線で捉えることができれば、今回の目標は達成できる。旅は答えがどうなるかわからないから面白い。明日からの旅も柔軟に楽しもうと決意を新たにした。

 

本日のルートはこちら。

 大渓-三峡 16km

 

三峡-新店 20km(安坑国小まで歩いた)