【127日目】京都最終日!どうしても見たかった琳派のデザインに触れて、今後の活動のヒントを得た!

最近江戸時代の絵画グループの「琳派」に触れる機会があってので、

そのことについて書きます。

琳派?????

はてなマークがつく方もいらっしゃると思いますが、

江戸時代の狩野派、土佐派に並ぶ3大グループの1つです。

日本史の教科書には、俵屋宗達の『風神雷神図屏風』という絵画が掲載されていますが、これも琳派です。

調べていくうちに、驚きの事実がたくさん見つかったので、

ぜひシェアさせていただきたいと思い書きました。

 特に芸術系の方には読んでいただけたら幸いです。

 

 

琳派とは?

主に江戸時代に活躍した絵画の流派の1つ。

俵屋宗達本阿弥光悦が創始し、尾形光琳・乾山、酒井抱一らによって発展した。

江戸時代の初期、元禄中期、文化・文政の後期と3段階で盛り上がりを見せたのち、技法は明治時代の他の流派に引き継がれていった。

 

 

特徴は、

①世界のデザインは琳派に由来!?実は黒幕的存在。

琳派のデザインに最も影響を受けた海外の人物の一人として、グスタフ・クリムトがよくあげられる。また、琳派から変化した浮世絵はゴッホルノワールセザンヌなどの印象派に大きな影響を及ぼした。琳派の美学はいまや浮世絵にとどまらず、日本画、小袖などの衣装、茶道などの思想といった芸術全体の共通認識を支える存在となっている。いわば文化伝播の大元の一つだと考えられている。これは、琳派が芸術分野横断型のコラボレーション(例えば書道×絵画で作品を作るとか)によって発展したからであること、または庶民目線で発展したことが要因だと考えているが、まだ詳しい分析が必要なところだ。現代の「クールジャパン」という価値観や、アニメや漫画の「カワイイ」という美学も琳派にたどり着くという人もいる。まさに現代の芸術や文化の大きな原点とも言える琳派について詳しく見ていきたい。 

 

②デザインの発想の幅がめちゃ広い

絵画を中心としながらも、屏風、襖絵などのインテリアから扇絵から陶芸蒔絵、着物小袖まで「生活美術」をメインにしたため、デザイン性が豊か。日本のダヴィンチと呼ばれた本阿弥光悦の能力がそのまま流派の特徴として現れている。背景に金銀箔を用い、大胆な構図や壁紙、たらしこみ技法などが特徴。

 

③コミュニティと働き方に対して革命的な仕組みを持つ

琳派は基本的に家系での存続や、師匠と弟子という関係が存在しない。どういうことかというと、入門して絵を習うのではなく、先人の画風を見て自分で取り入れていくという独学による継承の仕方をとっている。これを「私淑(ししゅく)」の関係という。この証拠として、俵屋宗達だけでなく、尾形光琳酒井抱一もかの有名な「風神雷神図屏風」を描けたという。しかし、それぞれが少しずつ違っていて、自分のオリジナリティを大事にしたようだ。より自由度があり、個人の個性が生かされるこの流派は、技術の継承や発展のためのつながりを持ちつつも、お互いの距離感が保たれることで、個人が尊重されるようなコミュニティ形成につながった。まだまだ現代は縦関係でものを教える職人や絵画などのコミュニティ、広く括れば教育システムが存在していて、それはもちろんメリットもあるのだが、それらのデメリットの部分を取り除くためにこの「私淑」という考え方が生かせるかもしれない。狩野派、土佐派、琳派といった江戸時代の主要な絵画集団の中では、唯一家系での縦関係の継承をしていないのが、琳派と言えるだろう。 

 

8月31日京都。

時間ができたので、琳派関連の名所を観光してみた。

 琳派は、他の絵画のグループとの比較により、立ち位置が見えてくる。

とも思ったので、狩野派の襖絵がある西本願寺に立ち寄った。

早朝6:00に出向いたが、法要の日でなかったので、

狩野派の絵は公開していないらしく残念。。。

室町時代から江戸時代は、幕府の襖絵を描き続けた狩野派と、朝廷の襖絵を描き続けた土佐派という2つの絵画の流派が主流だった。

そんな中で、琳派は主に江戸時代に民衆に近いところから発生し、

民意の目線で発展を遂げたという特徴をまず押さえておく必要がある。

f:id:ina-tabi:20180901171450j:plain

 

琳派は、本阿弥光悦俵屋宗達の出会いから始まる。

宗達が下絵を描き、光悦が上から書を書いた。

その舞台が京都の金閣寺の北に位置する鷹ヶ峰という土地だった。

本阿弥光悦が57歳のときに芸術村を体現しようとした鷹ヶ峰

79歳でなくなるまで、20年あまり創作ざんまいの日々を過ごしたと言われる。

金工、陶工、蒔絵師、画家、筆屋、紙屋、織物屋、豪商、武士、公家、僧など広範な人々に呼びかけて、村の賑わいを作り出したと伝わる。

これは村づくりの手がかりがあるに違いない。

 

その本拠地となったのが、光悦寺(光悦村)と呼ばれる場所だ。

早速行ってみることにした。

美しい緑にかこまれた石畳が入口となっている。

f:id:ina-tabi:20180901171618j:plain

緑の絨毯は本当に美しい。

心が洗われた。

f:id:ina-tabi:20180901171701j:plain

途中から、村の境界に柵が出現する。

光悦垣と呼ばれる垣根だ。

とても美しい。

f:id:ina-tabi:20180901171736j:plain

こちらが、最奥にある本阿弥光悦がいたと言われる庵だ。

縁側に腰掛けて目を閉じると、風の音のみが残る。

自分の体が風に誘われて、心洗われる。

f:id:ina-tabi:20180901172315j:plain

光悦が作りたかった村は、まさに洗練された村だった。

とにかく美しさを徹底的に追求して作った最善の美がそこにあった。

ジブリの森のような自然のワクワク感と、

静けさが今はなき住人の生き様を思い起こさせた。

お堂に手を合わせた時、

自分が何か特別なものに対峙しているかのように感じ、

畏敬の念をどう表現すべきか自然と体に訴えかけていた。

 

ゆかりの寺をあと2つ訪れた。

こちらは源光庵。

「迷いの窓」と「悟りの窓」が有名なところで琳派とも関わりがある。

迷いの窓は四角くて、生、老、病、死の四苦八苦から人間の生涯を表現。

悟りの窓は丸くて、善と円通の心を表し、大宇宙を表現。

禅の境地が込められているという。

f:id:ina-tabi:20180901171457j:plain

こちらは常照寺。

本阿弥光悦が土地を寄進し、その子の光嵯(こうさ)の発願で、日蓮宗の寂照院日乾上人を招じて開創されたと言われる。

日乾上人に帰依した吉野太夫が寄進したとされる吉野門が美しい。

もみじと色合いがぴたりと合っていた。

f:id:ina-tabi:20180901171831j:plain

 

次に向かったのが、建仁寺だった。

建仁寺には、琳派に準ずる絵画が展示されている。

f:id:ina-tabi:20180901172638j:plain

この絵画はみなさん見覚えあるだろうか?

俵屋宗達の最高傑作「風神雷神図屏風」。

琳派の人々は、この風神雷神を皆描いたそうだ。

ただし、それぞれ少しずつ描き方に違いがあったらしい。

金箔でシンプルな背景と中心の三角の余白、左右非対称は大きな特徴としてあり、

雲のたらしこみ技法は共通の部分と言えるだろう。

たらしこみ技法とは、絵の具が乾かないうちに、他の色を垂らすことで2色が絶妙な加減で混ざること。簡単にいうと、芸術表現レベルの「にじみ」のことだ。)

f:id:ina-tabi:20180901172637j:plain

庭を見た瞬間、

あまりのすごさに息を飲んだ。

赤、黄、緑、色とりどりだ。

しかし、優しく押し付けがましくない。

僕の根底に眠っていた感性が奥底から研ぎ澄まされ、

これこそが自分の求めている、

自然から湧き出た美であると感じた。

f:id:ina-tabi:20180901172648j:plain

最後に見たのが、雲龍だった。

天をも切り裂くほど力強い龍は見る者を圧倒する。

日本画家の小泉淳氏の作品だ。

f:id:ina-tabi:20180901172847j:plain

 

琳派のデザイン性は、

私たちに大きなメッセージを残している。

既成の概念とか、

組織のルールとか、

縦社会などに縛られ逃れられないものもあるけど、

よりよく学び、よりよく表現する術を

必ず知っているはずだ。

鍵になるのは、コミュニティやコラボレーションと行った概念を

どう作っていくかだと思う。

基本的には目線を合わせた水平関係を築くことは大事だと思った。

そして、デザインの根底には全て自然(nature)が存在していて、

最も美しいものに到達する鍵を握っていると感じた。

 

 

*******************************

ps.「荘子」と「琳派の共通性」

日本の琳派の考え方は個人的には、中国の荘子の考え方である『老荘思想』に近い部分もあると思う。老荘思想の特徴は、何ものにも束縛されない絶対的な自由を求める。制度や罰則、管理や競争といった中央集権的な考え方を否定し、物事の美醜や善悪、好悪に本質的な違いはないとする。とても哲学的で小説家的な発想だとも思う。幸せは他人が定義するものではない。今東京の一極集中から、地方への流れが加速して、人口減っている地方をどうにかしなきゃという議論がおこっている現代において、各地方が自治の力を強めていくかまたは、自分たちの城を持ってコミュニティつくって、中央集権的な大きな力とは別の意思決定や経済を回す仕組みが必要になってきているはずだ。より最小単位で意思決定して、自由度と個人の最適性を高めていく考え方は今後必要だと思う。琳派にせよ、荘子にせよ、歴史は繰り返すと言うし、こういう歴史から学んでこれからの自分の活動のロジックを組み立てていくのは、とても有意義だと感じた。

 

 

 

 

 



 

【121日目】福井にて!千年未来工藝祭の運営スタッフをやる!

8月24~25日で京都のバイトが休みだったこともあり、

福井で開催されている工芸品のイベントのスタッフをやってきた!

 

イベントの名前は「千年未来工藝祭」。

www.craft1000mirai.jp

今まで千年受け継がれてきた伝統工芸品の

新しい千年を作っていこうという壮大な祭りだ。

千年続くであろう祭りの記念すべき第1回。

2018年8月25~26日で開催された。

ステージ責任者のとやまさんのお誘いで、

今回機材運び等のボランティアスタッフとして、

準備の24日、本番の25日のみ参加させていただいた。

f:id:ina-tabi:20180826183638j:plain 

 

約100店舗もの作家さんのブースが立ち並ぶ。

1500年もの歴史を誇る「越前和紙」

700年もの歴史を誇る「越前打刃物」

江戸時代から伝わる「越前箪笥」

などが代表格だ。

 

こちらは、和紙で作った入れ物。

すぐ破れそうと思いきや、丈夫で柔らかいデザインが特徴的だ!

f:id:ina-tabi:20180826184351p:plain

 

こちらは、加賀でお世話になっている篠崎さんと藤永さんのNCLのプロジェクト「現代版北前船」の企画!お椀かと思いきや、なんと玄関などでキーボックスなどにも使える入れ物だそう。乾燥した草花とのコラボレーションがとても美しい!

f:id:ina-tabi:20180826184636j:plain

 

竹で作られたスピーカーかっちょいい!!!

f:id:ina-tabi:20180826184943j:plain

 

体験型の企画も続々登場!!!

 土で、陶器の作り方を軽く学べるコーナーも。

f:id:ina-tabi:20180826185624j:plain

 

 

石岡くん(石岡興喜 )の折り紙コーナーもすごかった。

福井=恐竜=恐竜の折り紙?

OrigamiDesignerと名乗っていて、本人はおたくと呼ばれたくないようだが、

1つの領域でも得意があると客観的に見て絶対強い!

足の角度、翼の角度、カクカクカク。

型作って、それをどんどん応用すれば創作になる。

話が理系っぽくて面白くて、同年代なので一層刺激を受けるなあ。

f:id:ina-tabi:20180826191114j:plain

f:id:ina-tabi:20180826191144p:plain

 

 

ステージも豪華!!!

音楽が刻むビートは、血流が脈打つように

自分の体の中に染み渡っていった。

 

25日の出演者は、工藤シンクさんと、Aki-Ra Sunriseさん。

工藤シンクさんは、グアテマラとか世界各地で映像とラップミュージックを駆使したライブを展開されている。

僕個人としては、軽快なノリと深みのある音楽の共存が心地よくて、

作家っぽくてかっこよかった!!!

熊本の三角エコビレッジ・サイハテの発起人でもあり、ぼくもコミュニティ研究で今度訪問したいと考えていたので、今回お話ができて本当によかった。

f:id:ina-tabi:20180826192235j:plain

 

Aki-Ra Sunriseさんは、阿修羅っぽくてやばい!!!

100個くらいの世界の楽器が次々と飛び出してきて、こんなに様々な楽器を器用に的確に演奏する人を初めて見た。クライマックスの激しさとか、演奏家にしかわからないような境地を垣間見た。僕にはこういう瞬間的、刹那的動きができる瞬発力はうらやましい限りだ。

f:id:ina-tabi:20180826192253j:plain

 

ステージの背景の植物のようなランプは夢宙屋さんの作品だ。

お話しした際は、

「機材の無機的な素材に対して、有機的なものを作りたかった」

とおっしゃっていたのが印象的だった。

まさに、空間に自然的な癒しや心地よさを生み出していた。

f:id:ina-tabi:20180826194643p:plain

 

26日には、パリコレで流す音楽とかを作ったり、AKBとかともコラボしている一平さんのピアノ演奏があったみたいだが、今回はいられなくて残念!またの機会に!

 

 

「世界的に有名」な人とたくさん出会えて本当に良かった。

スタッフの立ち位置はとても貴重な経験だった。

本物から学んだこととしてはやはり、

考えてこねて最善を紡ぎ出す。

地味なことでもとことん追求しまくる姿勢に感化された。

僕もおもしろい!って思ったものはとことん追求してみようと思った。

 

 

 

***********************************

ps.

今回のイベント当日、8月25日は実は大阪で他の予定が入っていた。

しかし、前日準備の段階であまりにも面白い本番が予感できてしまって、

当日も残ることに決めた。

全ては、今に宿る。

今に急激なスポットライトを!

面白いか面白くないかは今の自分が知っている。

予定をこなすのではなく、

正直に楽しいものに飛びつく!!!

今を生きるを大事に日々歩んでいこうと気持ちを新たにした。

イベントに誘ってくださったとやまさんを始め、今回のイベントで出会った方々、いつもお世話になっている方々本当にありがとうございました。

今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

【115日目】京都の美山にて!凄まじい炎の祭り「上げ松」に参加!祭りの真髄を観る!

 

 

現在、京都の美山に8月31日まで滞在中だ。

古民家宿泊施設「美山FUTON&Breakfast」で宿泊事業と茅葺き屋根葺き替え事業のお手伝いをさせていただいている。

ina-tabi.hatenablog.com

 

 

この時期は美山でも祭りがたくさんある。

美山町島地区というところで、8月14日に祭りに参加した。

公民館を貸し切り庭も使って、

大小3つくらいの屋台が出て、

ビンゴゲームをして楽しむという、

比較的小さな祭りだ。

f:id:ina-tabi:20180819222042j:plain

終盤には、花火をやりまくって楽しむ。

やはり祭りに火の存在というのは欠かせない気がする。

人類は約150万年前にアフリカのケニアで、

初めて火を使い始めたと言われている。

火があることにより、

・夜間の活動を可能にした。

・加熱による食物の栄養価が向上した。

・病原が減少した。

・摂取カロリー増加で脳の拡大を誘発した。

・火の共用による集団生活の必要性が増した。

とくに、最後の集団生活の必要性は

祭りと非常に密接な関係があり、

重要なポイントであろう。

f:id:ina-tabi:20180819221937j:plain

 

この美山町島での祭りに参加して、

もっと派手ででかい祭りがあるというので、

紹介してもらった。

それが、美山町鶴ヶ丘というところで開催される

上げ松」という祭りだ。

なんでも炎が燃えたぎり、

男たちが松明を振り回しまくる!?らしい。

これは見所たくさんだと思い、参加を決めた。

===============================

 

 

 

8月19日祭り当日。

午後7:30僕は家を出た。

夜は満点の星空がきらめいていた。

クマが出るのではないかと思い、

ビクビクしながら、

大きな山と夜空に見守られ、

チャリンコで夜の闇を駆け抜ける。

夜の道を走ること30分。

ふと川に目を向けると、、、

なんと川が炎に染まっていた。

恐ろしく美しい光景だ。

どうやら、祭りの会場に着いたようだ。

f:id:ina-tabi:20180819221831j:plain

 

この祭りの由来は、こういう経緯に基づく。

美山は「山のまち」。昔から、多くの村人が山に木を植え、育て、山仕事で暮らしてきました。火は人々の暮らしになくてはならないものですが、あらゆるものを焼き滅ぼしてしまう恐ろしい魔物でもあることも昔の人々は知っていて、そのため愛宕の火の神を鎮める行事として、「上げ松(松上げ)」が行われてきたのでしょう。多くの家には、現在も「愛宕祀符 火廼要慎」と書かれた愛宕神社のお札が貼られ、火の神への畏敬の念を持ち続けています。 

参考文献「京都美山ナビ」

https://kyotomiyama.jp/column/agematsu

 

つまり、火は

①生活に不可欠である

②あらゆるものを焼き滅ぼす

という極端なプラスとマイナスの側面を持つ。

この伝統的な祭りの意味は、

「畏敬の念」の現れと言えるだろう。

f:id:ina-tabi:20180819221315j:plain

 人々は焚き火に木を捧げ、松明に火を灯す。

f:id:ina-tabi:20180819221334j:plain

そしてなんと、

どでかい木の柱の上めがけて、松明をぶん投げる!!!

てっぺんに松明がぶつかれば、花火が噴射される。

てっぺんに届かなければ、地上に落ちる。

人の頭上に落ちそうでヒヤヒヤする。

f:id:ina-tabi:20180819222135j:plain

 

基本的に、火の祭りというのは、危険だ。

あえて危険なことをする。

でも、それが畏敬の念を抱くということだと思った。

そして、火というのは、コミュニティをデザインする上で大きな役割を果たす。

ゆらゆらと、轟々と燃え盛る火を固唾を飲んで見つめる人々は、

多くを語らずとも、どこか共通の仲間意識を持つようになる。


【115日目】京都の美山にて!凄まじい炎の祭り「上げ松」に参加!祭りの真髄を観る!

 

 

近くでは、盆踊りも開かれていた。

この盆踊りの唯一の特徴は、

「音楽がないこと」だった。

最初聞いた時はびっくりした。

歌い手の人が2人いて、男と女だ。

交互にこの土地に伝わる民謡を歌う。

それに合わせて、周りの人々は複雑な振り付けの祭りを踊る。

 

f:id:ina-tabi:20180819222157j:plain

これがまさに「共通言語」だと思った。

コミュニティというのは、同じ言語を持たねばならない。

例えば、アニメオタクのコミュニティに入ろうと思ったら、

アニメの基本的な知識がないと所属することが難しい。

それと同じように、

この地域コミュニティに入るには、

盆踊りの振り付けがわからないまでも、

この祭りを通じて、

この土地の民謡のことを知ったり、

踊りの振り付けを真似てみたりする。

そうやって初めて、地域コミュニティの仲間入りができる。

あそこの山はよく崩れるだの、

この川がよく氾濫するから気をつけろだの、

そういうのも、共通言語の1つと言えるだろう。

 

 

極小形態としては、家族、友人関係、

極大形態としては、地域の区分けとか、県の区分けとか、国の区分けとか、

そういったものは全てこの共通言語(ないしは文化)を持つことで

成立している。

それぞれが何らかの文化を共有していて、

共通の言語を持って会話しているのだ。

そういうもんが祭りには凝縮されていて面白い。

だから、祭り巡りというのは止められない。

 

 

僕が作りたい人の集合とは、

いかなる文化を持って、

いかなる言語を共有しているのか。

今の所のキーワードとして、

具体的なイメージできているのは、

・流動村

・自然(持続可能性)

・コミュニティ内ヘルプ

あたりかなあと。

もっと広い世界みてイメージ膨らませたい。

 

【107日目】帰国!京都にて!古民家の屋根の葺き替えなどの建築関連のアルバイトを開始!

僕は旅の中で、

建築に興味を持った。

 

 

建築の視点で、

より解像度の高い旅をしたいと思った。

 

そのため、

ぼくは2018年8月4日に

日本に一時帰国した。

 

ina-tabi.hatenablog.com

 (台湾で建築がおもろいと感じた時のブログ)

 

 

 

現在、

京都府美山というところで

2018年8月9日~30日までの3週間、

アルバイトで滞在中だ。

自然がとても美しく、

自転車で疾走すれば、

うまい空気をたくさん吸える。

 

f:id:ina-tabi:20180811221914j:plain

昔話に出てくるような古民家。

僕にとっては、

伝統的であることに大きな関心はなく、

自然から湧き出てくるようで

大きく息を飲み、

その美しさにすばらしさに驚きを隠せない。

f:id:ina-tabi:20180811224734j:plain

 

 

ぼくがお世話になっているのが

美山FUTON&Breakfast

という古民家の宿泊施設だ。

日経新聞の古民家の宿ランキングでNo.1を獲得したことがあるほど、

伝統建築の世界では有名。
style.nikkei.com

社長さんが茅葺職人さんなので、

宿泊事業に加えて

屋根の葺き替え事業も、

お仕事させてもらえるという、

僕にとってはめちゃくちゃいい環境!!!

f:id:ina-tabi:20180811223332j:plain

 

 

今日、8月11日は

伊勢神宮系列の神社の屋根の葺き替え

のお伴をさせていただいたので、

そのことについて書く。

現場はこんな感じ。

7月から9月までの2ヶ月間の工程。

f:id:ina-tabi:20180811223457j:plain

 

材料・工具・シートなどは

左端の台車で上にあげる。

人は右端の梯子から上に登る。

すすきは束になっているので、

紐を解いてから

丁寧に編みこまれてゆく。

横に支柱が通され支えとなる。

表の支柱と内部の支柱は

頑丈な紐で結ばれる。

結ぶ時すすきが手の甲に当たるので

怪我をしやすい。

いろいろ危険なので基本暑いのに

長袖長ズボン。

その上現場は高く揺れるし

足場も小さいので、

用心深く歩く。

f:id:ina-tabi:20180811224128j:plain

 

編み込んだすすきは出っ張っている。

工具によって斜めに慣らしていく。

これを繰り返す。

何層も行うことで、

茅葺屋根の形をなしてゆく。

休憩は暑くて疲れるので

1時間に1回くらいはある。

水分は1日3リットル消費するので、

たくさん買い込んでおくことが必要だ。

この作業はまるで

人間がなにか大きなものに

立ち向かうようでかっこいい。

石川で農業のバイトを

やった時との交差点はここ。

大概は運動部出身の男が多い。

仕事のあとはサッカーをする

というので、

超元気でびっくりした。

f:id:ina-tabi:20180811224301j:plain

 

茅葺きとは、

「建築における揺らぎ」

だとおもった。

他の素材ほど正確で緻密な計算は必要ない。

 その分技が光る。

設計と現場の違い肌感を、

丁寧に読み解くことは、

双方の立場にとって必要なことだと、

改めて実感した。

f:id:ina-tabi:20180811225509j:plain

 

 

さて。

僕にとって建築とは

人が集まる場に対して可能性を広げるものだ。

目的→場づくり

手段→建築

という考え方に行き着いた。

 

 

遡れば、

2017年4月〜2018年3月まで

東京都日野市の古民家「ヒラヤマちべっと」の管理人をやった。

イベントスペース、シェアハウス、宿泊などを行なった。

地域の人々が気軽に来れる場づくりにつながった。

https://www.facebook.com/Hirayama.Tibet/

ぼくにとって理想の場づくりとは、

場のコーディネート+α

の職能によって実現しうると考えた。

αによって、

相互扶助の関係を作るのだ。

 

 

場づくりを職能にしようと

もがけばもがくほど、

泥沼にはまる。

資金が回らないので、パブリックのお金を頼ることになる。

でも、究極の場づくりは

独自の財源を回すことで実現する

のではないかと考えている。

なぜなら場づくりは、

場にいる人以外の外部の力によって、

たとえ無意識的にも、

抑圧されるべきでないと考えるからだ。 

そこにいる人が今を楽しむ!柔軟に!自由に!

が理想なんだと考えている。

 

 

そこで、僕は今回仮説として

+αの部分に建築をはめ込んでみた。

なぜ建築にしたかといえば、

単純に感動したから。

自分に少なからず適性があると感じたから。

の2つに他ならない。

 

 

別に建築の大学を出たわけでもないが

大学で学んでいないからといって無理に

選択から外すことはない。

なぜなら、自分自身の考えてきたことの集合体が

仮説的にも建築に一歩踏み出させたわけで、

1日の考えてきたこと(趣味性)の積み重ねの総和こそ

もっとも尊重すべき選択であると考える。

僕の場合、法学部だが、

古民家鑑定士なので建築の勉強はしたし、

卒論は古民家で書いたなどなどいろんな背景がある。

 

 

建築のニーズというのは、

形変われど永久になくならない。

ゆくゆくは、village (拠点)を持ちながらも、

自然的な建築によって集合的な様々なモノや概念を創出し、

人の心に残るものをつくりたい。

 

と考えながらも、

足元を見ればやることが多すぎるので、

まずは把握したい気持ちから現場を体験した

というブログでした。

おしまい。

 

 

ina-tabi.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

【93〜96日目】中国にて奇祭「爬坡祭り」に参加!犬を食べ闘牛を観戦して祭りのすごさを体感した!

僕は、困っていた。

手がかりは3つだけ。

①凱里市香炉山

②爬坡祭り

③7月31日

インターネットもなく、

言葉も通じない中で、

この祭りに強烈に興味を抱いたのだ。

 

中国の人から伝え聞いた。

なんだかよくわからないがおもしろい祭りがあるという。

観光地化されていない祭りだ。

中国旅のクライマックスにふさわしいと思い参加を決めた。

移動はベトナム国境の河口からまる2日。

泣いても笑っても

7月31日がラストチャンス。

なんとしてでも辿り着かねばならない。

 

 

f:id:ina-tabi:20180818222925p:plain

僕にとって祭りとはこうである。

コミュニティにおいて、
どういう時にテンションが上がるか
エモいと感じるかを考える。
最も重要な瞬間である。
祭りの差し色とはなんなのか。
地域で最も大事にしているものを知ることでもある。

 

 

 

2018年7月29〜30日

中国雲南省河口→貴州省凱里市香炉山

河口から昆明昆明から貴陽。

鉄道移動は長い。

丸一日かけて、貴州省の中心である貴陽という街に着いた。

f:id:ina-tabi:20180802122431j:plain

駅前の人5人くらいに香炉山への行き方を聞いたが、わかる者はいなかった。

とりあえずバスターミナルにいけというのでバスに飛び乗る。

f:id:ina-tabi:20180802122234j:plain

途中通過した大学に巨大で奇妙なマスコットがあった。

f:id:ina-tabi:20180802122757p:plain

バスターミナルに着いてみると、果たして香炉山に行くバスはなかった。

f:id:ina-tabi:20180802122501j:plain

しかし、貴重な地図を発見した。

どうやら香炉山がある凱里市までは電車が通っているらしい。

基本的に中国はバスより電車が圧倒的に安いので、貴陽駅まで戻ることにする。
f:id:ina-tabi:20180802122325j:plain

電車に飛び乗り、

ついに凱里市までついた。

果たして香炉山という山は

どこに存在するのか。

いろんな人に聞いたところ、

バスはないというので、

タクシーに飛び乗る。

f:id:ina-tabi:20180802122828j:plain

徐々に景色は美しくなってきた。

山の緑は青々として、木造の綺麗な家が立ち並ぶミャオ族のエリアだ。

f:id:ina-tabi:20180802123024j:plain

タクシーにのること30分。

タクシードライバーは叫ぶ。

あれが香炉山だ!!!

なんだあれは。

オーストラリアのエアーズロック

ベネズエラのロライマ山

などを思い浮かべる一枚岩。

その山は予想外に堂々と神々しく映った。

f:id:ina-tabi:20180802123149j:plain

祭り前日の午後15時。

周辺では着々と明日の祭りに向けて準備が進められていた。

タクシーは80元と高かったが、祭りの準備含めて観察できたのはかなりの収穫であった。

f:id:ina-tabi:20180802123558j:plain

そして、なんと恐ろしいことに、

周辺の村では全ての家で犬を殺していた!!!

こんなに一斉に犬を食べる祭りは世界を見てもなかなかないであろう。

一緒に生活してきた大事な仲間を1年で最も神聖な祭りにおいてどんな気持ちで食らうのだろうか。

(※写真は撮りましたが画像省略します)

出店準備は着々と進む。

f:id:ina-tabi:20180802123654j:plain

円形の広場があった。

ここではおそらく闘牛が開かれるのであろう。

赤い横断幕には、スポンサーかなんかの名前が書かれていた。

f:id:ina-tabi:20180802123710j:plain

ステージが設置された。

歌手やダンサーでも呼ぶんだろうか。

f:id:ina-tabi:20180802123812j:plain

妙に雰囲気のあるトイレ。

f:id:ina-tabi:20180802123847j:plain

出店準備をしている人に、麺を食べさせてもらった。

うどんとラーメンを混ぜ込んだかのような料理はとても美味かった。

しかし、辛かったので腹は壊した。

f:id:ina-tabi:20180802123905j:plain

外国人がよっぽど珍しかったらしく、タダで豆腐料理とかも食わせてくれた。

田舎の中国人は優しい。

f:id:ina-tabi:20180802123922j:plain

香炉山に登ることにした。

山に登るとは、俯瞰的に周辺の土地を観るということでもある。

登山道からの景色はとても美しい。

周辺の村々では、農耕が盛んだと知る。

f:id:ina-tabi:20180802123938j:plain

祭りが行われるメインロードは一本道。

明日にはどういうふうに変化するか楽しみだ。

f:id:ina-tabi:20180802124010j:plain

はてさて、一枚岩の麓まで登った。

頂上まではどうやらいけないようだ。

途中の崖に寄り添うように建てられた社に登り、手を合わせて引き返した。

f:id:ina-tabi:20180802124112j:plain

香炉山の麓の宿に泊まった。

宿の部屋の床には血みたいなものがたくさんついててヤバかった。

風呂はシャワーが出なくて貯め水。

しかも茶色に濁っていた。

新しい水ありませんかということで、青い桶の溜め水を用意してもらった。

床はカナブンだらけ。

カナブンと風呂は初めてだ。

けど僕はこの宿を選んで良かった。

宿泊客は僕1人。

隣には宿のオーナーの家族が寝てた。

どこまでも土地の暮らしに近い宿であった。

f:id:ina-tabi:20180802164325j:plain

f:id:ina-tabi:20180802164348j:plain

爆竹が鳴りまくって明日の祭りの盛り上がりを予告する。

さあ楽しみだと思って寝る。

f:id:ina-tabi:20180802164354j:plain

 

 

2018年7月31日

爬坡祭り当日 

朝8:00ごろ。

市場を散歩していると、昨日の犬が鍋になっていた。 

f:id:ina-tabi:20180802133058j:plain

市にも徐々に人が集まる。

f:id:ina-tabi:20180802133131j:plain

犬と一緒にヤギも食べるところもあるらしい。

f:id:ina-tabi:20180802133152j:plain

闘牛場では牛が足慣らし。

f:id:ina-tabi:20180802133326j:plain

球を投げて、金に当てたらもらえるという射的だ。

一攫千金を狙う中国人らしい考え方と思った。

しかし、流石に屋台側が儲かる仕組みになっていることは誰でも知っている。

野球経験者でもなければ挑戦はしたくない。

あんま人がいなかった。

f:id:ina-tabi:20180802133820j:plain

f:id:ina-tabi:20180802133843j:plain

これもかけの一種だろうか。

f:id:ina-tabi:20180802133918j:plain

 

午前10:00ごろ。 

徐々に祭りは賑わい出す。 

少数民族の衣装を纏うミャオ族も現れる。

f:id:ina-tabi:20180802134158j:plain

f:id:ina-tabi:20180802164043j:plain

犬の鍋をありがたくいただいた。

やはり流石に貴重な食品なのか、どの店も40元で販売していた。

味はアヒルの肉に近い感じで、骨も少なく食べやすくなっていた。

色々な部位が混じっているのをタレにつけて白ご飯と一緒に食べるのが主流。

個人的にはタレをつけなくても塩気があってそのままでも美味しかった。

f:id:ina-tabi:20180802162645j:plain

闘牛場も準備は着々と進む。

牛にはスプレーで順番に名前と番号が書かれていく。

右の腹に名前、左の腹に番号という感じだった。

f:id:ina-tabi:20180802162744j:plain

猿のお面をかぶった子供が、

お面を自慢してきた(笑)

一応写真でも撮ったるかと思って撮っておいた。

f:id:ina-tabi:20180802162839j:plain

 さて、12:00ごろ。

ようやく闘牛が始まった!!!

審判の男がかっこよかった。

f:id:ina-tabi:20180802163720j:plain

牛と牛は激しくぶつかり合った。

ルールはなんとなく見ていてわかった。

要は日本の相撲とかなり似ている。

寄り切りするか、タイムアップで引き分けかが多かった。

寄り切りといってもきちんとした土俵があるわけでなく、

押しまくったら勝ち的な感じだった。

f:id:ina-tabi:20180802163046j:plain

観客もぎゅうぎゅうで、この祭りの見所の中心となっていた。

f:id:ina-tabi:20180802163049j:plain

 

14:00ごろ。

近くでは有名歌手によるショーが行われたり、ダンスが行われたりしていた。

f:id:ina-tabi:20180802163337j:plain

f:id:ina-tabi:20180802163224j:plain

この時間帯が、祭りの来場者数も最高であった。

爆竹は鳴りまくり、とてつもなく賑やかになった。

f:id:ina-tabi:20180802162956j:plain

f:id:ina-tabi:20180802163313j:plain 

16:00ごろ。

そろそろ帰るモードの人も多くなってきた。

僕も次を目指すことにする。

しかし、この祭りの来場者数は2万人もいるらしく、

駐車場にたどり着くには山を1時間ほど歩かなければならない。

規模感が違うと思った。

f:id:ina-tabi:20180802163216j:plain

もはや渋滞しすぎて交通機関がストップしていたので、

合計20kmくらいの道のりを凱里駅まで歩くことにする。

いい機会なので、歩くことについて歩きながら考えてみた。

僕は足の裏で物事を記憶するのだろうか。

歩いていた時の情景とか考えていたことは結構覚えている。

f:id:ina-tabi:20180802163234j:plain
考えたことをまとめるとこうであった。

僕はあまり課題を解決しようと思ってない。

中国を見たらわかる。

課題なんて山ほどあって解決しようなんて思ってたら

人生いくら時間があってもきりがない。

むしろ僕がいなくても技術の革新などが解決してくれる。

それならば、発想を変えて心に残るものを作りたい。

これが原点ですとか、

今まで生きてきた中で最も感動したとか、

そういうことを言ってくれるようなものをつくりたい。

そうすることで、自分の生きる意味が見出せると思った。

凱里の街並が見えてきた。

かなり迷ったが、21:00には駅にたどり着いた。
f:id:ina-tabi:20180802163407j:plain

 

もう広州への電車がないと思って、宿泊先を探した。

しかし、ここで衝撃な事実を知る。

凱里市の全てのホテルは外国人を泊めないらしい!!!

とても理不尽だったので、警察に話したが無理だった。

やむなくよくわからない場所行きの寝台列車を予約し、

野宿を免れた。

 

こんな風に、中国では毎日必ず理不尽なことがおこるものだ。

これも人口が多すぎることが大きな要因で、

始皇帝のような恐ろしい君主が生まれる理由もわかった。

・鉄道切符を買う列が長すぎて時間切れで買えない。

・バスが利用停止中で文字が読めず乗ろうとしたら影で笑われる。

寝台列車は夜中じゅう子供が騒いでいて寝られない。

・英語がわかるにも関わらずわざと中国語で話してくる。

・道を尋ねても無視される。

・お札は汚いのを渡してくる一方で綺麗じゃないと受け取ってくれない。

などさまざまな場面に遭遇してきた。

その度に、大きすぎる国の苦悩を感じた。

 

f:id:ina-tabi:20180804080358j:plain

 

ここまで旅をしてきて、

もう中国では見るものはないと思って一時帰国を決めた。

20000:1の状態で、中国の祭りに参加できたのは非常に大きかった。

これ以上中国の祭りに参加したとて、学びは変わらないと思った。

 

とにかく自分は人の集合が作りたくて、

それには建築とデザインが大きな力を握っていて、

自分もそれに向いていると仮説が立ったので、

だから日本に帰って少し勉強してから、

視点をクリアにして旅を再開したい。

 

<祭りがあった香炉山はここ>

f:id:ina-tabi:20180804082827p:plain

 

 

【89~92日目】中国からベトナムへ!少数民族の村を多数訪れ、個性が輝く地域のコミュニティとはなんなのかを考えた。

人は生まれた時、

流れる時間に色などない。

ある日黒が一角に置かれた。

どんどん碁盤は黒に染まっていく。

黒の碁石の上から白い絵の具を塗ってみた。

でもすぐに絵の具なんて削り取られてしまった。

黒を爪で剥がそうとした。

ただ傷つけてしまっただけだった。

 

ただみんな忘れているだけなんだ。

白と白で黒は白になるし

黒と黒で白は黒になる。

細胞同士は互いに作用し合い、人間を作る。

人間同士は互いに作用し合い、エコシステムを作る。

 

弱肉強食。

正論を振りかざす先生など少数民族

大きなうねりは、刺激と反応に隙間を作らず、

人間も、エコシステムをも食らう。

だからこそ、今一度考えたい。

 

世の中に単純な2項対立など断じてない。

世の中、白と黒だけじゃない。

世の中、男と女だけじゃない。

世の中、大学卒業したら就職する人だけじゃない。

だから、世の中面白い。

一人一人が今日を生きる意味がある。

 

僕が少数民族の村を何度も訪れる理由は、

誰もが本当に自分らしく生きるとはどういうことなのか

場という集合体において個性の発揮はいかになされるべきなのか

場という集合体が大きな国家や時の流れにいかに飲み込まれないか

ということをこの目でしっかりと確認し、

足で踏みしめ体で記憶し、

ローカルコミュニティをビジネスという形で体現しようとした自分の

明日を考えるためであった。

 

 

 

 2018年7月26日(木)

中国雲南省最南端の街・河口。

ベトナム人と中国人の入り乱れる街。

昼間歩いていると非常に蒸し暑い。

ここから、少数民族の宝庫であるベトナムへの玄関口・ラオカイ を目指す。

f:id:ina-tabi:20180728205606j:plain

 

中国側はかなりセキュリティが厳しい。

河口に向かうバスの検問所で銃を持った警官に2回ほど引き止められ、

国境で最後の検問は長い時間を要した。

門を越えると、

ベトナム側はかなりセキュリティがゆるい。

すんなりと通れた。

排他と寛容のギャップを味わうのにこれほど適した国境はないだろう。

f:id:ina-tabi:20180802141204j:plain

 

ベトナム最北端の街・ラオカイ 。

ベトナム人と中国人とヨーロッパ人が入り乱れる街。

ここに入るとまず驚くべき体験をする。

道ゆく人に次々に声をかけられるのだ。

これ買わないか。

タクシー乗っていかないか。

ホテル泊まらないか。

めちゃくちゃ遠くから声をかけるもんだから、

すごくフレンドリーな国民性を持っているとわかる。

しかし、一方でとても貧しい街という印象を持った。

お客さんが欲しくてたまらないという雰囲気が伝わって来た。

f:id:ina-tabi:20180728210002j:plain

 

 

川沿いの階段で夜中にうたた寝をしていた。

夢ばかり見た。

最後に3度目くらいに目覚めた時に、

横に人が座っているのが見えた。

おそらく間違いだろうと思ってよくよく見ると、

やはり座っていた。

車のライトがぼんやりとそれを照らした。

それはとても不思議な光景だった。

同時に恐ろしくなった。

ぼくは何を思ったかその場を立ち去った。

立ち去る瞬間真横を振り向くと誰もいなかった。

あれは何を意味していたのだろうか。

旅をしていると時々、

こういう不思議な体験をする。

f:id:ina-tabi:20180802142134j:plain

 

 

2018年7月27日(金)

ベトナム最北の田舎街・サパ。

早朝に僕が向かった街は「観光地化」された、

ヨーロッパ人と少数民族の街だった。

僕が見たい少数民族の姿ではなかったが、

ヨーロッパとベトナム少数民族という異色のコラボを、

ただ観察してみた。

少数民族の衣装を身にまとったある少女は、

無表情で僕の方を見つめてきた。

僕はそれに応えるように笑顔で見つめ返してみた。

手作りのアクセサリーを薦めてきた。

僕は心の底から欲しいと思って一個買った。

売れたのに笑顔も見せず、

もう一個買って欲しいと言ってきた。

僕は心の底から欲しいと思っていないので断った。

ねだることしか知らないように見えるその少女を

ぼくは機械と思ってしまった。

A=Bがプログラミングされてしまった世界があることを

僕たちは忘れてはいけない。

f:id:ina-tabi:20180802142436j:plain

 

 

ある少女が民族衣装を着て眠っていた。

見世物。

人々はこぞって写真を撮った。

マイノリティは見世物になってしまうのだ。

世の中にある縦関係とは、

時に人々に違和感をもたらす。

f:id:ina-tabi:20180728211955p:plain

 

ベトナムサパから徒歩圏内・キャットキャット村。

そこにあるのは、一見のどかな農村であった。

しかし、ぼくは徐々にテーマパークに見えて来た。

暮らしの場よりは観光地感が強い。

とある少数民族の人があとをつけて来た。

店に入ってかわそうとしてもついて来た。

走ってもついて来た。

どれだけ商品を買って欲しいのだよ!!!

その絶え間ない執着心に、

この周辺の村の現実を見て、

自分がどれだけ豊かな環境にいたかを知った。

f:id:ina-tabi:20180728210506j:plain

 

 

2018年7月28日(土)

ベトナム最北の田舎村・カンカウ。

もっと山奥に行かないといけないと思った。

ラオカイから3時間ほどバスに乗ってバクハ へ。

そこからまた2時間ほどバスに乗ってカンカウという街についた。

この村は土曜日になると市が立つという情報を耳にしたので、

早速バスを乗り継いで早朝から市を散策した。

そこは想像を絶するほど豊かで、

本当の意味で「自然」な暮らしをしていた。

この旅で見たいものに近いものが見られた。

f:id:ina-tabi:20180728211119j:plain

 

牛がたくさん取引されていた。

田畑を耕したり、フンを堆肥にするためであろう。

不必要に牛をひどく扱うでもなく、

草を食べたいならそれを見守ってあげていた。

人と家畜はできる限り目線を合わせているようだった。

f:id:ina-tabi:20180802145119j:plain

 

人々は自分好みの少数民族の衣装に身を固め、

とても生き生きと生活を送っていた。

その土地で採れた素材を生かした、

色も形も様々なデザインが見られた。

伝統を守りながらも、

それが自分の個性を押しつぶすでもなく、

むしろ生かしていると思った。

人々のその生き様は地球にキスをするかのように

とても輝いていた。

f:id:ina-tabi:20180802145130j:plain

 

食事は豪華とは言えないが、

質素であっても貧しくはなく、

日本の美意識であるわびさびの美意識を感じた。

ここら辺の食事は、調味料や香辛料のレパートリーがおおい。

自分好みの味や素材の食を楽しめるのは良い。

f:id:ina-tabi:20180802145147j:plain

 

鶏を捕らえて、村に帰る青年を見た。

その背中は堂々と、自由に、のびのびとしていた。

自然の命を腹のなかに収めるという本当の意味を

この若い青年は知っているように見えた。

人が豊かに生きるためには、

自然という莫大な資源が全ての根元に存在していて、

それをわずかばかりにでも意識して生きることが

大事だということを教えてくれた。

f:id:ina-tabi:20180802145218j:plain

 

山はどこまでも深く、人々はそれを追求しつつも

どこかのんびりとそれを楽しんでいた。

f:id:ina-tabi:20180802145255j:plain

 

村を巡っていて気づいたら、

靴は牛のフンと泥まみれで、

何がフンで何が泥かわからなくなった。

汚いという感情が

いつのまにか消えていた。

f:id:ina-tabi:20180802145317j:plain

 

2018年7月29日(日)

ベトナム最北部の街・バクハ  

翌日、バクハ の日曜日の定期市にも行ってみた。

いくつか面白い食べ物はあったものの、カンカウほどの衝撃はなかったので省略。

この後、中国の河口に戻ることにする。

f:id:ina-tabi:20180802121949j:plain

 

 

ベトナム少数民族の村巡りからおもったこと。

僕は、まず人々が集まる賑わいが好きである。

台湾の夜市巡りの時からそれは不動のものになりつつある。

その中でも、個性や独自性が発揮されている瞬間面白いと感じる。

集合と個性の発揮をどう満たせるかを考えている。

完全にそこはソフトよりの考え方。

 

ただし、そういう行為の周辺による影響力は拭いきれない。

カンカウの村も周辺の自然気候風土など周辺の環境や、住居や広場といった箱によって形成された行為であることはまざまざと感じた。

その上で、創作したくなる。

だから、自分の立ち位置を確認してみると、

最も人に寄り添い、

心地よい人の集合が作れるような

空間の構造や意匠、媒体のデザインを提供できる人間

になりたいのではないかと考えるに至っている。

しかし、まだ確証は得ていない。

 

 

ベトナムに入ってからいつのまにか、

観光地化されていない村を巡っている自分に気づいた。

少数民族とは村の中でたった1人の日本人。

すなわち僕のことだ。

また明日、100対1の楽園を個性的に遊歩していけたら嬉しい。

 

 

<今日ご紹介したエリア>

f:id:ina-tabi:20180802161855p:plain