歴史の重みと深い自然、荒れ狂う獅子舞...奈良県 室生の獅子舞

荒れ狂い髪を振り乱し、大きな境内の空間を縦横無尽に舞い荒れる。この獅子舞には原始的な身体の記憶のようなものが刻み込まれているのではないか。奈良県指定無形民俗文化財、室生の獅子舞。拠点となる室生龍穴神社とも関連の深い室生寺は、写真家・土門拳が愛した土地であり、その仕事についても再度考えてみたいと思い、2025年10月12日にこの地への訪問を決めた。

前日は岡山での取材だったので、早朝から急いで奈良へと向かった。途中榛原(はいばら)という駅で下車して、宇陀市の図書館にいったのだがなんと休館日だった。残念だが今回は文献調査が手薄くなりそうなので、しっかりと祭礼終わりにでも担い手にお話を伺おうと決めた。商店街でゲットしたカレーパンがふわふわカリカリで美味しすぎた。それからランチが2500円する定食が当たり前の世界、すき焼きや焼き肉が振る舞われる店もあった。街並みは古風で格式高く、貴人が愛する町という感じがした。

室生口大野駅からバスで、室生寺へと奈良県の山奥へと進んでいく。木の香りがすうっと入ってきて古い古民家の街並みや、明るい色の木々が秋の訪れを感じさせ、とても優美な景色が広がっている。どこまでも青々として深い山が存在している一方で、寺院が点在していて人間の文化芸術的な営みもとても長い積み重ねがあるように思え、歴史やプライドという言葉がちらちらと頭をよぎる。空気は澄み渡り、谷を明るく照らす太陽は、木々を深緑から黄色に近いような色に染め上げる。それらは木造建築や仏像の彫刻文化を包み込むように優しくそこに佇む。

室生寺の境内の中に入った。木漏れ日の中を人々は進んでいく。階段をひたすら登り続けて30分ほどで奥の院まで到達した。木と木の狭間から、谷に点在する村を眺めた。光はまばらに差し込み、木の廊下を照らしている。土門拳が凝視してじっくりと撮りたかった建造物や仏像の数々は静視したくなるような静けさを持っていた。自分は比較的足運びによって何かを習得記憶する動的な身体性を持った人間だと思っており、このような空間に出くわすと戸惑いを感じる。そのくらいに自分でも足を止めざるを得ないような空間だった。同時に「悠久」という言葉を思わざるを得ない。池に蛙がいた。喉をヒクヒクと動かすだけで、鳴きも動きもしない。置物だと言われたら信じてしまうくらいに表面が照っていて美しく、池のカエルの体の表面に太陽が照射されていて、これが自然信仰みたいなものなのだろうと思った。

さて、13時から室生寺の太鼓橋の上から祭礼行列ができていた。午前にはどうやら午前かは集会所や当屋宅を回って豊作祈願の獅子舞を実施していたと思われる。午後は奉納系の祭司がぎゅっと詰まっているようだ。神撰と御幣の作りが非常に珍しいと思った。室生寺管長に挨拶ののち、室生寺境内の天神社に龍神をお迎えに行き、神楽奉納をする。この時に金に光るヤカンのようなものを持っている担い手がいて、そのことを強烈に覚えている。龍神の代理である神社役員と、弘法大師の代理としての住職が「三々九度の杯」を交わす。


その後、室生龍穴神社へお渡りをする。道々で交通整理が行われ、警察官が自動車やツーリズムのバイクを適度に待たせて5分ほどの祭礼行列を先に通すというのが繰り返される。時には大型の観光バスが待たされることもあって、その観光バスが停車してカメラマンのベストポジションを奪うと、カメラマンは愚痴をこぼすという重層的な人間の思惑が狭い山道の道中で交差して起こっていた。行列と車とカメラマンの3者がそれぞれ空間を奪い合っていた。

さて、たどり着いた室生龍穴神社は、鳥居脇の旗がゆらめき「ここだよ」と囁いていた。鳥居をくぐると、珍しいくらいに広い空間があって、段差があってどこか舞台が設置されているようにも思える空間だった。まずは神社境内で神事、玉串奉奠が実施された。30分くらい場所取りをしながらじっと待っていたので、やや疲労感を感じた。それから突然、神事の終盤で室生龍穴太鼓「龍神」の演奏が行われた。この演奏は伝統ある神事とそれが執り行われている神社の空間の中にあって、異質に感じられた。これは太鼓の打ち方がどこか現代的な過剰性があって、歴史がきっと新しいんだろうなと思った。個人的にはもう少し見せ方があるようにも感じたが、俯瞰して見方を変えれば子どもや女性が活躍できる場を作っているようにも思えてきて、そう考えると客観的に見れば非常に素晴らしい取り組みだと思った。

それから室生の獅子舞の奉納が行われた。これが観たかったのだ。そう思わされる非常に素晴らしい舞いだった。雄と雌がそれぞれ4曲ずつ約45分間舞う。ここでいう曲が「五穀豊穣」「鈴の舞」「魔除け」「剣の舞」の4つだ。これが他の資料では「鈴の舞」「魔除け」「剣の祓い」「荒獅子」となっている。僕がみた感じだと確実に「荒獅子」はあったので、後者が正しいかもしれない。「鈴の舞」「魔除け」「剣の祓い」の3曲は、シャンコシャンコと総称されるようだ。4曲ずつ舞うといっても、この3曲は通しで舞われ、これと荒獅子とは分かれている。つまり演舞の流れとしては、雄雌のシャンコシャンコ、雄雌の荒獅子という順番で舞われて終了となる。荒獅子の舞いは荒れ狂い髪を振り乱し、大きな境内の空間を舞い回る。その姿はどこか原始的な獣に遭遇したかのような驚きがあって、トランスにも迫るような狂う感覚を鋭敏に感じた。最後の方は非常に大きな円を描く観衆を一人一人頭を噛んで回ってくれた。どこか人間離れした舞いではあるのだが、この地域をひとつにしてくれる存在でもあり、どこか親しみも感じる。その辺りが不思議な感覚を呼び起こし、それこそが室生の獅子舞の魅力でもある。



さて、獅子舞の後は餅まきがあった。ビニールで包まれておらず、本物の餅がそのまま投げられていたのは驚いた。土と餅がまみれても普通なのかもしれない。この辺りに野生味を感じたが、これが大地ごと餅を喰らう人々に思えてきて、非常に美しい土地と接続する行為に思えてきた。それから、抽選会が実施されて、券が配られて番号が呼ばれたら景品を取りに行くという方式だった。電子レンジとかクリーナーとか、電化製品が多いなという印象だった。皆知人が景品を撮りに行くと祝福しあっていた。皆顔が知れている中だから、こういう和気藹々とした雰囲気になるのだ。僕は取材の帰りに諸々を持ち帰るのも難しいだろうからと、もち投げも抽選会も参戦せずにただひたすら観察者としてその場にいた。さて、帰りがけに社務所に立ち寄ると、福田さんという獅子舞の歴史の詳しい方が、神社に大事に保管されている持ち出し不可の資料を見せてくれて、由来を教えていただいた。それから、「龍穴はこの室生龍穴神社の元になった場所だよ」と教えてくださった。帰りのバスがあるからと「あと龍穴まで800m」という風な内容が書かれている看板までいって引き返すことになってしまったが、途中に川でじっと佇む立派でかっこいいアオサギを発見した。自然の営みを観察することで、それに畏怖を覚える。これは龍穴もアオサギも蛙も同じことのように思われた。

あえて謎が残るくらいが良いと思って、僕は余白を残しながら最終バスで帰路についた。最終バスといってもまだ16時台なので随分と早い終バスである。帰りの電車を待つ間に、ちゃんと食事をとっていないことに気がつき、我に返り、大食いできるラーメン屋を探して、近くの駅で下車して天理ラーメンを食べた。ラーメンと白ごはんと酢豚と替え玉を食べて満足して、なんか俗世のギラギラした世界に舞い戻ってきたなと思った。なんか奈良の山奥は夢みたいな土地だったなと思った。また夢を見るようにこの地を訪れたいとも思った。これが土門拳が愛した室生寺と木々と谷と山が織りなす室生という土地なのだと思った。明るい日差しが木々を照らし木漏れ日の中に佇む生き物や仏像さんや寺院がある。それが脳裏にはあるけれど、帰路において現実にはないように思えた。さて、もう帰りは疲れ果てていて、へとへとになりながら名古屋を経由して帰路についた。

室生の獅子舞の由来

後ほど社務所で福田さんに見せていただいた資料のうちメモ的に写真を撮らせてもらったページの全行を読み込んだ。資料によれば、安政年間(1855〜1860年)に室生寺で火災が発生したらしい。しかし、地域の若者たちが力を合わせて火を消したので大事には至らなかったという。五大堂(護摩堂)のみは焼失してしまったが、それでも被害は最小限にとどまったようだ。そのお礼として、「全員が仲良くするために室生寺から一対の獅子頭と太鼓を与えられた」という。「仲良くするため」という言葉が気になったが、少なからず獅子舞は地域をまとめ繋げる役割がある。そして、獅子舞をもらうことは名誉なことだったとも受け取れる流れである。かつては青年団によって舞われていたが、昭和55年より保存会によって継承されているという。この辺りの歴史について、室生村史にも記述があるようで後ほど読んでみたいとも思った。

また、ここからは後日ネットで個人的に調べたことだが、宇陀市農林商工部観光課『うだ探訪ナビ』で宇陀市の見どころ紹介をしたPDFによれば、伊勢大神楽の影響を色濃く受けているというが、その伝来以前の芸能の影響も色濃くみられるようで、南都興福寺春日大社の神楽の影響があるのではないかとしている。確かに舞いを拝見していて、鈴、刀、御幣などを使う2人立ちの舞いは非常に伊勢大神楽に近いと思ったものの、荒れ狂い髪を振り乱す様子などは伊勢大神楽ではなかなか拝見したことがなく、珍しいと思った。実際にどの部分が奈良の古都方面から流入したのかはよくわからないが、混合してできた舞いという雰囲気は感じられた。

また、この室生の獅子舞の拠点となっている室生龍穴神社がこれまたすごい歴史と伝統のある神社である。室生寺よりも前から存在したと言われ、その元を辿ると現在吉祥龍穴と呼ばれる岩穴への自然信仰に由来する。ここから女人高野として名高い室生寺に発展したと思うと感慨深いものがある。この室生龍穴神社は龍神信仰の拠点であり、雨乞いをしてきた歴史もある。また明治時代の神仏分離令以前は、この室生龍穴神社と室生寺が鎮守社と神宮寺の関係性にあったようだ。だから、これほどまでに歴史的に密接な関係性を持っており、実際の祭礼行事においてもそれが感じられるのだろう。実際に、獅子舞はこの室生寺と室生龍穴神社を繋ぐようにその行程を渡り歩き舞い荒れ狂い、それが今でも継承されている。図書館に寄れなかった分、資料的な探索は少なかったものの、情緒が揺り動かされるようなかけがえのない日となった。

参考文献
宇陀市農林商工部観光課『うだ探訪ナビ』(2025年10月15日アクセス https://www.uda-kankou.jp/cms/wp-content/themes/tmpl/img/upload/muroumapura.pdf

奈良地域伝統文化保存協議会(奈良県 文化・教育・くらし創造部文化財保存課)『奈良県無形文化遺産アーカイブ 』(2025年10月15日アクセス https://nara-archive.net/search.php?mode=name&name=%E5%AE%A4%E7%94%9F%E3%81%AE%E7%8D%85%E5%AD%90%E7%A5%9E%E6%A5%BD&cat=