裏側にこれほど奥が深い物語が隠されていたのかと驚いた。2025年7月27日、千葉県指定であり、国選択の無形民俗文化財である、千葉県旭市の太田のエンヤーホー昇り獅子を拝見した。動物仮面芸能でありながら、東関東特有のつく舞の要素もある。柱を昇る獅子に地域の人々はどんな願いを託しているのか。
獅子舞で国選択は千葉県では唯一なので、その点でも非常に関心があり、またinstagramでちょうど担い手の方とも繋がれたので訪れることにした。本当は昨年にお誘いいただいてたのだが、気付くのが遅れてしまい本年に持ち越したので、今回はそれ以来の念願の訪問である。
エンヤーホーの演舞を拝見
さて、東京駅からバスに乗り、千葉県旭市に辿り着いた。魚料理を堪能してから、八坂神社に向かうと、神輿担ぎの声が聞こえてきた。神社に辿り着いたのは19時過ぎのことだった。

まず八坂神社に辿り着くと、鳥居の左脇に高いつく柱が立っていた。よくよく調べてみると、高さ16メートルというからその数字に驚く。野田のつく舞も、茨城県龍ヶ崎のつく舞もだいたい14メートルらしいので、それよりは高いことになる。何故だろう、遠近感の問題なのか、少し低く見えるが実は高いという錯覚が生じているように思う。担い手によれば「この柱は朝4時半に通行止めして、人力で建ててました。日中は神輿を担いで今という感じです」とのこと。車通りがあるところなので、柱を立てるのに相当早い時間から準備をしていたようだ。
神輿が境内の鳥居の前にたどり着いて置かれたのが19:40頃。そこからエンヤーホーの準備が始まった。舞台が整い、演舞が始まるとシシからシシ、鹿、カマキリ、ミミズク、つると動物仮装が続いていく。演舞の途中、観客はところどころで「エンヤーホー」の掛け声をかける。
演舞の順番は「赤シシ→青シシ→鹿オス→鹿メス→カマキリメス→カマキリオス→ミミズクメス→ミミズクオス→つるメス→つるオス→ひょっとこ→嫁→旦那→赤獅子による昇り獅子」という順で展開される。



動物仮装に共通しているのは長い棒を持ち、舞台の三方を叩いて回っていくこと。それから、ひょっとこが登場してからまた雰囲気が変わる。白くて先端が赤い男性器を模した棒を持ちそれを揺らしたり、おかめを抱えて性交のような所作が行われ会場からは笑いが湧き起こる。そしてめでたく嫁と旦那は結ばれて一歩前に進み出て祝福される。
そこからまた雰囲気が変わって、拝殿から赤獅子が登場する。柱にかけられた綱をピンと張る。後ほどの赤獅子の担い手によれば「綱を引っ張るのはパフォーマンスなんですよ。綱が切れないかの確認でもあります。それと張っているのが好きな舞い手と、だるんだるんなのが好きな舞い手がいて、私は張っているのが好きですね」とのことだった。それから柱に向けて一直線に獅子は駆け上がる。そして、柱にへばりつく。動いては止まり動いては止まりを繰り返す。てっぺんの「丸ボッチ」と呼ばれるところの直下に辿り着く。丸ボッチには鈴とくつわがかけられており、音と飾りが神々への社殿の位置を示す目印の役割という。この鈴とくつわを鳴らすという所作が生じる。これは担い手によれば「神を呼び起こすため」ともおっしゃっていた。そして、何度か後ろにそり返り、歓声が上がり、そして最終局面において雨を模すと言われる五色の紙吹雪を降らせる。この紙吹雪は安産のお守りと言われているそうだ。それから逆さのまま赤獅子は柱をくだり、そして舞台まで戻るとそこで胴上げが行われて、のちに三本締めで締め括られ、地上に戻ってくると再び拝殿へと戻っていく。

さて、最後に赤獅子を担当されたひろさん(36)に、お話を伺った。
ーー今回何年目ですか?
3年目ですね
ーーどういう人が赤獅子に選ばれるんですか?
私の前は3代続けて同じ方が選ばれていたんですけど、特に決まりはなくて昔はいろんな方が昇っていたんです。昇りたいって言う人が昇った感じですね。
ーーかなり体力が必要だと思うんですが、特に運動神経がある人がある人がやるイメージがあるんですが、何かスポーツをされていたんですか?
高校まではサッカーをしていましたが、それ以降は特には。運動神経がとりわけ良いと言うわけでもありませんよ。
ーーお疲れ様です!本当に素晴らしい舞いをありがとうございます。
インタビューをすると、エンヤーホーオリジナルの手拭いをいただけた。改めて物語が深く、そして素晴らしい舞いであった。体力に関しては謙遜の部分も含むだろうが、かなりアクロバティックだった。賑やかな神社に礼をして、暗い夜道を旭駅に向かい、そこから電車で帰路についた。
八坂神社の始まりについて
御祭神は須佐之男命である。もともとインドの祇園精舎の守護神であり悪疫退散の神である牛頭天王が御祭神であったが、明治2年に国家神道の立場から祭神を日本の神に変更する指導を実施したために、もともと悪疫退散の神である須佐之男命に変更となったようである。この神社の始まりは1558年(永禄元年)に千葉氏によって創建されたとのこと。

太田祇園とエンヤーホーの起源
西暦1723年(享保8年)から祇園祭とエンヤーホー(つく舞)が実施されてきた。もともと本家本元の京都八坂神社から御分霊をして神輿をはじめとする神事行事がとりおこなわれている。
エンヤーホーの名称の由来は「陰陽法」あるいは「陰陽ほー」に由来するという。「ほー」の場合は単なる掛け声という説もある。かつて港で船頭が帆柱で披露した曲芸が、農村行事と一体化して変化したものとも言われる。また、はじめ隣村の十日市場で行われていたが、ある年、大水が出たときにつく柱が川の流れに逆行して太田宿に流れ着き、それより以後、当地において、それが行われるようになったのだともいう。
もともと京都の祇園祭の流れ、そして、静岡県での動物仮想の舞いの創作などとの類似性も感じられる。先日は静岡県森町の天王寺舞楽を拝見したが、あれに近いものがあるなと実際に肌感覚で感じられた。ただし森町の天王寺舞楽よりもさらに民衆に近くそして娯楽性の高い農村芸能としての姿を色濃く残しているようにも思われる。
輪廻転生と食物連鎖...演舞の壮大な意味
エンヤーホーは「陰陽ホー」、あるいは「陰陽法」を意味するというが、これはオスメス一対と同様に、世界の表面と裏面を包括した壮大な思想をこの芸能に詰め込んでいるということだろう(ホーの部分は掛け声でありことさら意味はないとも言われている。重要なのは陰陽の部分)。
オスとメスが相次いで登場することは子宝に恵まれる祈願のみならず、五穀豊穣という作物の生成を意味するだろう。担い手からいただいた資料によれば、最終局面において雨を模すと言われる五色の紙吹雪を降らせるというので、これは五穀を生成するための雨を降らせることに他ならない。つまり雨乞いの考え方もここに入っている。
鳥や獣といった田畑を荒らすものたちを追い払ったのちに、神の下働き男であるひょっとこが現れて、それから嫁と旦那が現れる。この嫁はクシナダヒメ、旦那はスサノオノミコトを表すという。ひょっとこが火を表し創造の象徴的存在に思える。そこから、水の神様であるクシナダヒメとスサノオノミコトが登場する。そこから生まれた赤獅子という登り獅子はつく柱に昇るのだが、この赤獅子には鳥獣を威嚇する意味があるという。たしかに高い柱に異形の面を被った者が現れたら、鳥獣は威嚇するに違いない。
それから、担い手の方によれば、「強いものから食べていって(突きあって)、性交ののち、最後に生まれるのが赤獅子です。つく柱の上の丸いものは子宮の形を模していて、ここに至る柱は産道を表しています。子宮で生を授かり、逆さで降りてきます。これは安産祈願なんです。そして来年もまた赤獅子から演舞が始まるんです。これは巡っていく輪廻転生を表しています」とのことである。食べる食べられるという関係は食物連鎖を思い浮かべる。おそらくここでいう「強いもの」とは赤獅子のことであり、こらは獣の偉大なるエネルギーの象徴として抽象化されたシシの存在が見えてくる。
これは本当に壮大な物語だ。容易には理解できない物語は、日本全国の民俗芸能の様々な意味を一挙に内包しているかのようで、素晴らしい民俗芸能がこの地で受け継がれているように思う。それは技芸の豊かさというよりも、芸能のコンセプト構想力や因果関係の考え方がずば抜けていて、呪術性をしっかりと考慮して練られた芸能であることは間違いない。

エンヤーホーに関する私見
個人的にこの芸能を見て感じたこととしては、おそらくその掛け声に現れるエンヤーホーの陰陽法とは、陰陽五行説のことである。木火土金水のうち、つく柱に登る赤獅子は木気、ひょっとこが火気、嫁と旦那が水気を表現しているだろう。とすればあと土と金は何か。そこまでは読み取れなかったが、赤獅子が降らした紙吹雪は5色であり、この陰陽五行説に則ったものだろう。
ところで東北地方のしし踊りにかんして、遠山英志,『鹿踊り新考」,1994によれば、ザイ・ササラ・幕は長いもので木気に属し、風を表す。風を痛めつける対風呪術により五穀豊穣を実現するのがしし踊りの由来であるとする。おそらくエンヤーホーのつく柱も同様に、木気であるだけでなく、何らかの対風呪術を兼ね備えたオブジェだった可能性もある。ここまでの発想は蛇足かもしれないが、そこまで発想を広げたくなる。それがエンヤーホーの魅力であると感じている。
