芸能の間口を開く!高知県赤野の獅子、テガイ獅子の魅力と継承の工夫とは

2025年7月22日、高知県赤野の獅子舞を訪れた。テレビやネットなどで多数見かけて担い手育成にとても力を入れている団体であること、そして高知県指定の無形民俗文化財になっていること、そして、テガイコと呼ばれる役割が登場する特殊な形態を持つことなどに惹かれ、この地への訪問を決めた。

成田から高知龍馬空港へと向かった。約1時間ちょっとの短いフライトだ。そして空港について思ったのは、東京よりも圧倒的に暑いということ。風のそよぐ隙間がなく熱気に包まれている感覚。四国の南側はどこか熱帯の島なんじゃないかと勘違いするくらいの暑さだ。

売店はゆず推しだ。高知はやはりゆずのイメージはある。ここから立田駅までを歩く。50分弱だが、徒歩で行くほうがバスを待つより早いことに気がつき、歩くことにした。熱気にさらされて、本当に汗が止まらない。しかし、なだらかな山や田んぼ、水路のタニシやトンボなどを眺めていると心が本当に穏やかになってきて、素晴らしい土地だと思った。

ごめんなはり線は駅ごとにオリジナルのキャラクターがいるのが面白い。トイレがそのキャラクターの顔になっていた。それから電車に乗り込み、和食(わじき)で降りて、しばし近くの海を眺めて堪能した。太陽の光を受けてとても澄んだ青色をしている。通りかかる人はみな、下を向いてどこか気恥ずかしそうに横を通っていく。シャイな人が多いのかも知れない。サンシャインというスーパーでご当地の帽子パンとゆず入りの炙りたち魚寿司を買って、近くを流れる和食川のほとりで食べた。とても瑞々しくておいしくて、自販機で水も買った。それで芸祭村の図書館で本日訪れる赤野の獅子舞の資料を探したが、わずかだったので、それから急遽、安芸駅まで走って電車に乗り込んで移動して安芸市立図書館にいったが、なんと火曜日休業とのこと。それで仕方なく美味しいものを食べたくなってちりめんが有名とのことでそのお店を探したが2店舗ともにお休みの日だった。なんということだ!安芸駅周辺では何もできずに、バスに乗り込んで赤野の獅子舞が行われる大元神社に向かった。

バス停から降りて少し登る。道中、家々に白と紫の紙垂のようなものが玄関に吊るされているのをよく見かけたが、これは何だろうか。結局わからず通り過ぎる。家々から住民がひょっこり顔を出して、そろそろ神社に向かうかなと歩き始める。辿り着いた森の中に、大元神社があった。入り口には飲み物と赤野の獅子舞のTシャツ。若い人がお手伝いに来ていた。

階段を上がり鳥居をくぐると、とても立派な社殿だ!参拝して撮影をした。中にはお神輿が安置されていた。撮影のカメラマンがたくさんいらしてて、NHKも取材で入っているようだった。このような獅子舞はおそらく取材しやすいのだろう。外に開いている印象がある。照明が焚かれて、記念撮影用の幕が飾られ、そしてパンフレットや演目の書かれた案内の看板まである。ここまで外に開いた感じがあると僕のような外から来たものでもふらっと来やすい。そして、観客は徐々に円形に輪をなしていく。知らず知らずのうちに演舞の舞台がそこに生まれていくのである。それにしても照明が焚かれているからか蚊がたくさん寄ってきて足がかゆい。まあ撮影がしやすいから、それはそれで良いのかもしれない。衣装の作成や道具の修繕などのため協力金も募っているようである。

演舞前に18時半から獅子舞ワークショップと題して、観客に獅子頭を持たせてくれて、持ち方や舞い方を教えてくださったのは印象的だった。なかなか皆恥ずかしがってか進んで前に出る人は少なかったが、担い手不足を解消するのにとても良いアイデアだと思った。僕も実際に獅子頭を持たせてもらってお話を伺った。


獅子頭の制作は「古いものは徳島県徳島市内の青山みこし店さんにだいたいうちは頼んでいます。うちはこの形でオリジナルで作ってもらっています」とのこと。「怒った時に紐を引っ張ると耳が上がって、より怒った表情が出てきます。演目が進むにつれて怒ったような表情が出てくるんですよ」ともおっしゃっていた。獅子頭の持ち方は3本の縦棒のうち左右の1本ずつを鳥の爪のように中指と人差し指を前に出して、親指で固定するというやり方で、頭の真上に持ち手を返す。足はどちらかの足を前に出してピンと伸ばす。これが基本姿勢となる

さて、その後に19時から演舞が始まった。司会によれば「小学生と中学生を中心に毎週、赤野小学校の体育館で練習してきた」とのこと。その成果をぜひ拝見したい。スケジュールは以下の通りであった。次回の浴衣を着た司会の女の子が「ししまい」の発音に方言が出てて、ああこういう発音もいいなあと思った。

18:30ワークショップ
19:00 どじょうすくい
19:30 与市兵衛
20:00 種まき
20:30 金太郎

<それぞれの演目の様子と解説>
基本的にはどの演目も、まえうま1名うしろうま1名の2人立ちの獅子とテガイコ複数名、太鼓で構成される。また、テガイコが獅子を起こしてしまい、獅子とテガイコが格闘して、一時は獅子がテガイコの1人を押し倒して押さえつけるが、仲間のテガイコがそれを救う。それが会場の正面に向かって右側と左側で繰り返される。そして最終的にはテガイコが獅子を退治するような流れは変わらない。

どじょうすくい
ある日村人が田んぼでどじょうをすくっていると、うっかり眠っていた獅子を起こしてしまう。驚いた村人たちは慌てて逃げ出してしまう。しかし、勇気を出した村人たちは獅子を退治することにする。

与市兵衛
与市兵衛を盗賊がおそい、その命とお金を奪う。お金を奪って浮かれる盗賊はなんと猟師に猪と間違えられて撃たれてしまう。猟師が仕留めた獲物を確認しようと向かうと、勢い余って寝ていた獅子を起こしてしまう。そこで獅子と猟師の格闘が始まる。



種まき
村人が種まきをしていると獅子を起こしてしまう。驚いた村人たちは慌てて逃げ出してしまう。しかし、勇気を出した村人たちは獅子に立ち向かう。

金太郎
金太郎の童話を元にした内容で、かわいい動物たちがたくさん登場する。基本的には動物たちと金太郎が円を描いて周り、そしてその後に相撲を取り始める。最終的には獅子を起こして獅子と相撲を取り始める。この演目は何十年ぶりに、2024年に復活して2025年も実施できた。



どじょうすくいからの4演目はそれぞれ同じような物語の構成ではあるが登場人物が違った。どじょうすくいをする人、猟師、種を蒔く農家、金太郎とその周りの動物たちという風に登場する人物(動物)が異なるために、所作も変わっていた。基本的に寝ている獅子を起こして、暴れて食べられて、それを救い出して、最後に対峙するというのが大まかな構成で、各演目15分前後だったように思う。最後の金太郎の演目は非常に盛り上がった。リスの尻尾は可愛かったし、猿はバナナを食べていた。

途中演舞者がNHKテレビのカメラに向かってピースをしたり、あと左右で同じ所作を繰り返しおこなったりといった様子から、これは神社への奉納演舞ではあるが、比較的観客に見せることを意識して作られた演目であると感じた。カメラでどんどん撮ってほしいというような欲求が見えたのだ。

21時前に全ての演舞は終了。担い手に改めてテガイ獅子のテガイとは何かを伺った。氏子総代の昔からこの地域を知っていそうな方に声をかけるとこのような答えが返ってきた。「要は獅子をからかって面白おかしくする、耕作をする身分のものかな。ひとつは娯楽として実施してきました」とのこと。テガイの意味について本質的にはわからなかったが、高知ならではの素晴らしい獅子舞文化であるように思う。

今回は夜神祭への訪問ができた。明日は今度は昼のお祭りである昼神祭があり、12時ごろから大元神社からお神輿がでて住吉神社まで移動。その住吉の浜で獅子を3演目披露するとのこと。夜と昼とで構成されているこの祭りはその構成の点でも興味深い。今回は仕事の関係で夜がみ祭のみの訪問となったが、赤野の獅子舞の雰囲気をとても堪能できた。

帰り道は星が本当に綺麗だった。川にかかる橋からせせらぎの音と共に眺める無数の星の数々が地球の広さを物語っていて、宇宙の中でもこの高知の赤野の獅子舞を訪れられたことが本当に嬉しいと思った。

赤野の獅子舞を訪れて最終的に思ったのは、これは芸能としての格の高さとか技能の高さとかそういう括りよりは、むしろみんなで楽しむための獅子舞の究極的な形なんじゃないかということだった。

その日の夜、高知市内でカツオのタタキを食べてネットカフェで仮眠して早朝便で帰った。

赤野の獅子舞の起源

大元神社拝殿左脇に立て看板がありそれによると、大元神社の創建は不明だが、応永33年(1426年)の銘がある鰐口があったことが判明しており、それ以前には存在していたという。獅子舞の始まりは600年前という記述もwebなどで散見されるが、実際の始まりの時期は不明である。

赤野の獅子舞の概要

大元神社の夏祭りでは7月22日の夜神祭と23日の昼神祭、そして10月19日の秋祭りの例大祭で舞われる獅子舞である。昭和44年には高知県指定無形民俗文化財となっている。

高木啓夫『土佐の芸能』(高知市文化振興事業団,昭和61年11月)P70によると、「県下の獅子舞で赤野の獅子舞が最も土俗的である。それは伏している獅子を起こして舞うという基本は同じなのであるが、テガイ子の変装が多彩であるからである」とのことだ。もともと大元神社祭礼が西岡、八流、桜浜、叶丘、住吉、赤野、山田、太夫屋地の8組に分かれていて、各組順番で獅子と神輿とを務めるのが恒例となっていた。そこでテガイ子が衣装の扮装に工夫を凝らして技を競ったからのようだ。

赤野の獅子舞の古層を辿ると、安芸市史編纂委員会『安芸市史 民俗篇』(昭和54年3月)P397によれば「本来の種目は古くから伝える「飛脚」」とある。そのほかは競い合いの中で演目が多様化していったということなのだろう。

現在では平成26年(27年)に保存会が結成されて地区ごとの持ち回りではなく地域全体で継承をしているという。また近年は高知市などの近隣の小中学生や女性が参加したりなど、属性や対象地域が拡大している傾向にあるようだ。
※大元神社拝殿横の看板では平成26年になっているが、赤野獅子舞保存会パンフレットでは平成27年になっている。

テガイ子という文化の系譜

高知県の獅子舞を概観すると室戸市佐喜浜八幡宮獅子舞を除いて、全てテガイ獅子と呼ばれるものである。江戸時代文化年間にはすでに四国山脈の山深い長岡郡大豊町西嶺にまで入り込み、獅子頭奉納の記録が残されている。この高知県への獅子舞伝播の大きな影響力を持っていたのはおそらく現在の三重県伊勢大神楽であり、江戸時代以降の軽業芸と獅子舞の結びつきは、高知の獅子舞の娯楽性に影響を与えていることだろう。しかし伊勢大神楽を取材した時にテガイ子という言葉は聞かれなかったので、これは高知県ならではの獅子舞文化が花開いたようにも思える。赤野の獅子舞に関しては、伊勢大神楽のように門付けをして悪魔祓いをすることがなく、大元神社と近くのお浜にて奉納演舞が主となっているが、これは各組を神社に統合結集する中で集約化されたのだろうか。真相は不明である。

参考文献
高木啓夫『土佐の芸能』高知市文化振興事業団,昭和61年11月
安芸市史編纂委員会『安芸市史 民俗篇』(昭和54年3月)