2025年6月1日、神奈川県横浜市鶴見区生麦の「蛇も蚊も祭り」を訪れた。そこに妙な名前と、藁蛇が練り歩くというから、どこか東京都大田区の水止祭や埼玉県鶴ヶ島の脚折雨乞などと似たような発想を感じる。何となくそのビジュアルと名前に惹かれて現地を訪れた。
原地区の原神明社は午後からのようで、11時ごろに到着すると蛇のオビジェがある公演で皆わら蛇作りに勤しんでいた。一方で、本宮地区の本宮道念稲荷神社にいくと、その途中の小学校ですでにわら蛇が担がれ、そして3頭が校庭のど真ん中で合わされ、ホースで水が噴射されていた。それから町回りをはじめて、広い道路は蛇体が3頭並んで進み、狭い道路は一列になって進んだ。生麦の事件跡地付近で、笏のようなものが蛇体の頭の上に乗せられ、神聖に思われた。
それから本宮道念稲荷神社にて、そのうち一頭は解体されて焼かれた。途中から来た子どもが「これは何を焼いているの?」と聞くと、担い手の一人が「これは人間の肉を焼いているんだよ」と冗談混じりに言っていた。子どもはその答えに頓着しないようにして、火元をただ好奇心の眼差しで覗いていた。その焼き場での燃焼が進んだところで、お囃子が現れて、2頭の子ども獅子舞が登場した。軽快な一人獅子で軽そうな獅子頭を被りながら舞っていた。それからどこかに行っていた2頭の藁蛇が帰還し、神社の拝殿の中とその脇の倉庫の中に1頭ずつ収められていた。この祭りは僕にとって非常に原始的な祭りに思われた。肉を焼いて、踊りを踊る縄文の記憶のようでもある。








蛇も蚊も祭りの起源
本宮道念稲荷神社には横浜市教育委員会作成の看板(平成24年2月作成)が建てられ、おおよそこのような内容が書かれていた。横浜市指定無形民俗文化財である。約300年前に悪疫流行が原因で、開催されるようになった。当時は蛇体に悪霊を封じ込めて海に流したことに始まるという。これは豆腐を噛みそこに厄を封じ込め、そして海に流す、宮城県の「波伝谷春祈祷」を思い浮かべる。旧暦の端午の節句の行事として実施されてきたが、明治半ばから太陽暦の6月6日になったという。そして、近年は6月の第1日曜日になったというわけだ。若者子どもが蛇体を担いで「蛇も蚊も出たけ、日和の雨け、出たけ、出たけ」と大声で唱えながら町内を歩き回るわけである。
村境で雌雄は出会う
そして興味深いのは、原地区(神明社)は雌蛇、本宮地区(稲荷神社)が雄蛇を作り、境界で絡み合い、夕刻には海に流したという過去の伝承である。今では全く違う行事になっているが、この雄雌を作り境界でぶつからせるというのは、どこか獅子舞の世界でいえば、境界で権現様をぶつけ合った東北の事例(遠野物語参照)や、雌雄一対で隣村同士の獅子舞を作った能登半島などの事例(羽咋市)などを考えるに、体感としては、全国的にこの隣村同士で雌雄を共有すること、そこでぶつかり合うこと、境界を定める事は全国的にみられる風習であったに違いない。そして今よりも、村境に対する意識は非常に強かったに違いないのである。