松明の炎が夜空を照らし、幻想的な景色が作り出されたかと思うと、激しくやり合う天狗と獅子。炎に魅入る人々は大きな一体感に包まれていた。2025年5月14日、富山県射水市で受け継がれる六渡寺の獅子舞を1日中追いかけた。富山県の獅子舞でまだ見られてないけど絶対に見たいと思っていたのが六渡寺の獅子舞であり、全国有数の「獅子舞王国」で富山県で最も人気な獅子舞のひとつとされている。つまり、日本全国見渡しても、これほど人気な獅子舞は珍しい。なぜ最も人気なのか、その秘密を知りたいと思った。
六渡寺の獅子舞を追いかけた
夜行バスで朝6時には高岡駅に到着。万葉線に乗り換えて、六渡寺駅を目指した。六渡寺駅は無人の駅で、獅子舞の説明が気がある看板が立っていた。六渡寺日枝神社に向かって歩いていると、どこか見慣れたような曲がりくねった住宅街に誘われた。六渡寺の地図を見ると、庄川と小矢部川の流れつく海岸に陸地の果てといった感覚を感じざるを得ない。その風景はどこかありふれた感じもして、逆に親近感を感じることとなった。
7時から日枝神社で宮参りが始まると思っていたが、どうやら時間を間違えたらしい。「今日何時から始まりますか?」と通りかかった獅子舞のベテランと思われる方に尋ねたところ、歩くスピードを緩めることなく「7時半からね」と背中を向けて発して立ち去った。あの誰にも媚びることない感じが、痺れるなあと思った。担い手一人一人もしっかりプライド持ってる方が多いのかもしれない。
果たして、獅子舞の宮参りは7時半からはじまった。天狗が震えるように体を起こし、そして拝殿に向かう姿がどこか岩手県の黒森神楽や鵜鳥神楽の山の神舞を思い出させた。僕は以前からよく言っているが、富山県の獅子舞の天狗と、岩手県の神楽の山の神舞は絶対に何か繋がりがあると思っている。もっとも花形であり、そして神が震え、そして起きるような感覚は、何者にも形容し難い神秘さがある。現代の娯楽性の強い場においてもその片鱗を感じざるを得ない。

さて、宮参りはあっという間に終わって、その続きで門付けが始まった。町内のあらゆる道をお祓いしているようで、家の前で舞う。たまにビールの箱をもらうこともあるが、なかなか祝儀をもらうということは少なそうだ。「東西東西〜」というよくある口上を聞くことはなかった。それでも時たま人だかりができて、やっぱり街に愛されている獅子舞なんだと思った。そして、舞い方のキレがやはり違った。明かに他の獅子舞と違うのが、やはりその技である。六渡寺の担い手はおじさんも多いし、映える担い手が多いかと言えばそうでもない気もする。でも、天狗面と獅子頭を被った瞬間に、明かに映えるのだ。これが六渡寺の獅子舞のチカラだと思った。天狗は時空を止めるように足と腕とが連動して、体を左右に揺らして、剣を獅子に突きつける。獅子は悶える。そういう一連の動作がものすごくかっこいいのだ。

さて、9時まで町まわりを拝見してから、図書館で六渡寺の獅子舞に関する文献を調べて、ネギトロ丼を食べてから、また、六渡寺に戻ったら、ちょうど、見せ場でもあるアパートでの30分のロング演舞の時間に間に合った。アパートの駐車場では、1時間前からすでに老人ホームのお年寄りと思われる人々や、カメラマンの場所取りが始まっていた。獅子舞が入ってきた時は、ものすごく会場が沸いてきた。平日の昼間なのに、なんでこんなに盛り上がるんだろうと思った。餅つき舞、ヨソブリ舞など、5演目以上が次々と披露された。それを拝見したのち、獅子頭工房の友人たちと、放生津周辺を巡り歩いて獅子頭の見学をした。

再び3回目の六渡寺訪問となったのが、夜だった。いよいよ、最も盛り上がるのが公民館「射水市 庄西コミュニティセンター」での演舞。20時からの演舞で、19時には到着していたが、すでに場所取りの人が30人ほどはいただろうか。「17時から場所取りをしている」という声を聞くほどであり、この場所の重要性を物語っていた。平日の昼間に見られなかった人々が仕事終わりにここに詰めかけている可能性もあるなと思った。徐々に人は増えてきて、20時を回るころには数百人の大きな円形の人だかりができていた。多くは地元の人だと思った。無数の会話の輪ができていて、再会する人や親族の活躍を見にきた人、家族などの輪のようである。それらが全て集まり、大きな数百人の輪ができているようだ。お囃子の屋台がまず入場してきて、それから天狗や獅子が入ってきた。その盛り上がりを感じながら、カメラを強く握りしめた。
いきなり天狗が薙刀をブンブン振り回して入場してきて、めちゃかっこよかった。そうそう、この場では主役は天狗である。その荒々しさに心動かされる人は多いと思う。それから淡々と演目が進んでいって、ヨソブリの時間になって、急に雰囲気が変わった。光は全て消されて真っ暗な暗闇となる。ワイワイ騒いでいた人々は息を潜め、灯された炎をただ見つめる。息を呑むような瞬間である。それから天狗が獅子を照らす。起こされた獅子は暴れ出す。松明を左右に振り回す天狗と頭を左右に振り回す獅子。その双方が呼応して、幻想的な光景が作り出された。原始的な炎が人々を惹きつける。何万年もの営みの中に、人間の根底にあるとどうことの欲求を感じるのである。ヨソブリが終了して、人々はああ、終わったっというふうに霧散していった。最後に獅子舞たちは「ここで終わります」「来年もよろしくお願いします」「担い手になりたい人待ってます」などのお決まりの文句を言わずに、何も言わないで退場していったのがかっこ良すぎた。

14日の夜になったら皆、公民館前の広場に集まる。獅子舞が終わったら帰る。ただそれだけで、長く長く続いてきたこの営みを淡々とやるだけで良いのだ。「時代に媚びるな!自分たちの歴史をただ積み上げろ!」と言われているような気がした。僕のただ単なる拡大解釈に過ぎないかもしれないが、少なくとも僕はそういうところがかっこいいなと思った。時代の流れ、働き方、暮らし方が変わろうとも、祭礼日は土日に変更する必要はない。周りの町が土日になっても自分たちは絶対に5月14日に獅子舞をやる。そういえば昼間のアパートでの演舞では、「雨が降っても何をしてもこの日に獅子舞はやる」と話していた担い手がいて、それがとても印象的だった。これほどかっこいい獅子舞はなかなかいない。夜23時代にバスに乗り、高岡から東京に帰った。日帰りの獅子舞訪問であったが、とても充実した1日となった。

六渡寺の獅子舞の演目
六渡寺の獅子舞の演目は、富山県教育委員会『富山県の獅子舞ー富山県内獅子舞緊急調査報告書ー』(1979年3月)P95を参考にすると、ヨソブリ舞、傘、餅つき舞、ホーラホラ、呼び出し、宮参り、一足、二足、味噌摺、肩車、ドンドコ、八ツ節、鈴ガラ、剣取り、三クズシ、大クズシ、キョロロなどがある。このうちいくつかは現在途絶えていると思われる。先述の六渡寺駅の看板によれば、この中でもとりわけ代表的な演目として、餅つき、ホーラホラ、ヨソブリ舞の3演目が挙げられている。
餅つきは餅まき行事と獅子舞との合体であろう。また、ホーラホラとはどうやら霊的な聖地や不老不死の意味と結びつきやすい「蓬莱」のことのようだ。最も人気なのがヨソブリ舞である。ヨソブリとは漢字で書くと、「夜叟振」となり、松明を使って獅子を誘き出すという演目である。富山県教育委員会『富山県の獅子舞ー富山県内獅子舞緊急調査報告書ー』(1979年3月)P96によれば、「藪の奥なる岩穴に住む獅子をタイ松で外に誘い出し、荒狂う獅子を御幣で静め、機をはかり剣で刺す。さらに鍔を鳴らして薙刀で大立廻りする。曲の緩急にあわせ、勇壮に大きく、また細かに動く」とある。その字はそのまま読むと「夜に古老が振る」という意味であり、これは松明を振る天狗のことを意味しているのだろうか。昭和の頃には、これが新湊中の獅子舞に流行・伝播していったようである。最も人気ある演目として親しまれるこの演目は、六渡寺が始まりだったかもしれないとも言われている。
不動明王と獅子舞
また、この火を使う演目に関して、伊藤曙覧『とやまの民俗芸能』(1977年4月, 北日本新聞社出版部)P184によると、「山伏らの修験者が伝えた不動明王信仰と結びついたものである」という。この六渡寺の獅子舞が火を使うことに関して、射水市二口の獅子舞の火渡りと並行して論じられているのは、興味深いポイントである。六渡寺には火渡りの演目があったのだろうか。P71によれば、「火渡りは、炭火の上を裸足で歩く行事で、これを修験道では「火生三昧耶法(かしょうさんまいやほう)」という。この行事は火で穢れを焼き去ることで、忿怒(ふんぬ)の形相で悪魔を降伏させるという不動明王と一体となり、超自然的な力を発揮する事ができるという考え方によるものだそうだ。魚津市小川寺の獅子舞の獅子頭に梵字が刻んであるとのことで、富山県一帯の獅子舞は不動明王信仰との繋がりが強いことを感じさせる。
不動明王といえば、大日如来の化身であり、大日如来と言えば「アブラウンケンソワカ」。この言葉は関東一帯の三匹獅子舞の歌によく見られる文言であり、非常に多くの密教の存在を匂わせるヒントであると感じてきたが、ここでもまた密教と出会ったわけである。不動明王といえば空海が唐から持ち帰った密教の五代明王の中心を担う存在であり、大日如来を宇宙の本質とする思想でもある。
平安時代における鎮護国家思想として拝まれたほか、修験者の本尊としても拝まれてきた仏様である。平安時代の統治と獅子舞との関係性を考えるとやはり、国分寺や神宮寺の存在、そこから取って代わるようにできた荘園の存在において、芸能が演じられてきたわけで、石川県の小松に石川県で最も古い獅子頭が残っているがこれも荘園統治との関わりを感じさせるが、やはり、この北陸という土地にはどこまでも統治と獅子舞という政治色を感じるわけである。
大日如来への祈りの呪文であるアブラウンケンソワカとはChatgptによれば、アブラウンが「サンスクリット語の「阿吽」(あうん)を含む音(宇宙の根源を象徴する)」、ケンが「金剛(ヴァジュラ)を意味し、煩悩を破壊する智慧の象徴」ソワカ(svāhā)が「成就を祈願する結語」とのことである。阿吽とはどこか狛犬を連想させる。
木曽義仲との関連
そういえば、この松明で連想するのが、倶利伽羅峠の戦いだ。修験道の聖地である石動山とも近い場所で、大量の牛が松明を角に灯して、平家を追い払った戦いである。ヨソブリ舞は明らかにこの木曽義仲と倶利伽羅峠の戦いとに、大きな関わりがあるように思えてならない。六渡寺には寿永2年(1183年)に木曽義仲が5万ほどの軍勢を率いて六渡寺に駐屯したという内容が『源平盛衰記』に書かれているらしい。庄川と小矢部川の流れつく海岸に位置する六渡寺は水の交通の要だったと考えられるのだ。そこに火を使う松明の獅子舞が継承されている。これはどこか「火を振り回す」所作が、戦乱の記憶や勝利の象徴的な再現として伝承されている可能性がある。ただし、ここまでは僕の単なる推理に過ぎない。この他に近隣の木曽義仲を思わせる獅子舞といえば、津幡町上河合の牛舞坊が挙げられ、こちらは松明を使うわけではないが、この牛の舞いの由来は、1183(寿永2)年の倶利伽羅源平合戦で、義仲率いる源氏軍を勝利に導いたとされる「火牛の計(かぎゅうのけい)」のために徴用された牛の供養が起源とも言われている。
六渡寺の獅子舞の歴史
渡海船の港があった場所。氷見市と新湊に挟まれたこの港町で、獅子舞は大きな発展を遂げた。
また、六渡寺の獅子舞の起源についてもこの看板に記述があった。六渡寺日枝神社の獅子神楽として現在、5月14日と10月6日の年2回舞われているとのこと。その起源は江戸時代に遡り、安政3年(1856年)6月に藩主である前田斉泰に獅子舞が披露された記録が残るものの、それよりも以前のことは定かではないようだ。
かつては六渡寺は東と西に分かれていて異なる獅子舞を継承していたのが、それが合体してひとつの獅子舞になったと言われているから、ハイブリッドな獅子舞とされる。また、東の獅子方の方には熊獅子が舞われていたようで、本物の熊の毛が獅子頭に取り付けられていたようである。石川県加賀市でも古い獅子頭には熊の毛が取り付けられていたのを見たことがあるが、これは一昔前の流行だったのだろうかと思うことがある。
六渡寺の獅子舞はなぜ人を惹きつけるのか?
朝7時半から9時、14時半から15時、20時から20時半の3回、演舞を拝見できた。やはり最後のヨソブリ舞は圧巻だった。あとは個人的に昼間の餅つき舞も良かった。ヨソブリ舞に関しては、新湊一帯で大流行している松明を使った舞いを始めた町とも言われており、その始まりの地であることから、特に人々が注目していることも感じられた。演目のバラエティに富んでいて、さらにレベルも高くて皆かっこよかったのが、なんといっても人気の秘訣だと思った。そして歴史を辿ると、修験道や木曽義仲などの繋がりが示唆され、この地に古くから根付いている歴史との接点も感じられた。松明の原始的な雰囲気も相まって、この獅子舞の魅力はより一層強いものとなっているように思われた。

参考文献
富山県教育委員会『富山県の獅子舞ー富山県内獅子舞緊急調査報告書ー』(1979年3月)
伊藤曙覧『とやまの民俗芸能』(1977年4月, 北日本新聞社出版部)