松ぼっくりで邪気払い!三重県玉城町「山神の獅子舞」の謎を追う

2025年1月26日、三重県無形民俗文化財・山神の獅子舞を拝見。15時から1時間ほどの演舞で、場所は臨済宗南禅寺派寺瀧山山田禅寺である。この獅子舞の原始性は目を見張るものがある。まず派手派手しい動きがなくおとなしい。仏教の獅子舞を思わせる善なる獅子舞である。この獅子舞にはなんと松ぼっくりが使われるのだが、それが非常に珍しい。ぜひ拝見したいと思い、現地に向かった。

東京を前日に出て、夜行バスで朝7時過ぎに松坂駅着。ここを起点に、まず伊勢市に向かい、伊勢うどんを食べてから、伊勢神宮下宮にお参りをして、その後に伊勢市図書館で文献を調べる。そして、バスで田丸駅まで移動。そこから1時間歩いて会場である山田(さんでん)寺に到着した。道中ではスーパーに立ち寄りパンを買ってそれを齧りながら何もない広大な田んぼと低い山々を眺めていると、途中からことごとく野焼きが始められて驚いた。田んぼを囲う道沿いの雑草を焼き払い、土壌改良でもしているのだろうか。詳細はよくわからなくて、実際に尋ねてみたかったが、「燃えるから遠くに行っててくれ」と言われそうな予感がしたので、青い空と田んぼの脇の水路とそして黙々立ち込める野焼きの煙がなんとも言えないくらいに美しかった。乾ききった空っ風の大地を眺めていると、ああ、太平洋の冬だなと思う。

舞いの順序、獅子が天狗を改悛させる話

山神という村は家々がこじんまりと固まっていて、その周りは山と田しかない風景が広がっている。プレハブ小屋のラーメン屋が一軒、村の入り口にあり、GoogleMapによると17時に開店とのことである。それから奥に進むと野原の中に駐車場があり、大きな一軒の家のようなお寺が見えた。ここが山田寺である。獅子舞の開始30分ほど前に着いたのに、カメラマンでごった返しており、最前列は三脚で埋まっていた。ご高齢の方々が多く、おそらく写真コンテストに応募するのであろう。郷土芸能の現場ではこのような方々によく出会う。後々、「来年からは最前列に三脚は置かず、子どもに譲ってください」という担い手の声かけがあったほどに、カメラマンの位置どりが激しい。それくらい人気なわけである。現場を楽しむ家族づれと、記録アーカイブをしたいカメラマンとの折衝はいつでも問題がつきまとうなと改めて思う。

さて、山上の獅子舞は予定通り15時から始まった。獅子舞のおおよその流れとしてはこのように展開されていった。事前に住職や獅子舞手は塩で清めた浴槽に入り、沐浴して身の潔斎をするようであるが、ここの部分はどうだったか不明である。

①午後3時、山田禅寺の住職が大般若経を仏前で唱え始める。大般若経は宰領(介添人)2人に託されて、獅子舞を助け、その法力で獅子は悪魔退散の力を得る。

②雌獅子が仏前で喜びの内舞し(なかまわし)を実施

③外舞し(そとまわし)の開始。酒酔いの状態で宰領に抱えられながら黒面の登場。まるで泥酔状態であり、意識が上の空というかふらついた状態である。続いて同じく足取りがおぼつかない赤面が登場して黒面と舞う。見物人は疫病退散の願いが込められた松かさを投げ始める。それを受けて、怒った天狗(悪魔)である黒面と赤面は、見物人を扇で打ちに来る。扇子で頭を叩いてもらったり、天狗に抱き上げてもらうと、厄が落ちると言われている。

④天狗がひと通り暴れ回ったのち、雌獅子が現れて宰領に支えられて舞いはじめ、黒面と赤面の天狗は両者ともに下座で舞う。これが天狗の改悛の瞬間である。舞い終えた獅子は横に寝そべって休憩する。

⑤それから雄獅子が登場して、2頭の獅子が舞い始め、2面の天狗は下座で揃って舞う。それから獅子は向き合って寝そべり休憩する。獅子頭の紙垂(しで)を悪魔が抜き取って見物人に授ける。シデを持っていると福が来るという。

⑥最後の舞いは獅子が悪魔である天狗を平らげる筋書きから、いつの間にか悪魔は見物客の中に消えている。

このような流れで約1時間の舞いが展開された。天狗である黒面と赤面は悪魔であり、人間にちょっかいを出すような悪者であり、人間は松ぼっくりをぶつけることで邪気払いをしようとする。しかし、最終的には獅子の登場により天狗は改悛させられて、福をもたらす存在に変わる。悪から善への見事な転換劇がここでは演じられているわけである。

松ぼっくりはまるで節分の豆

実際に演舞を拝見してみて、獅子舞の動きはお爺さんみたいにゆっくりしており驚いた。こんなにもゆっくり動くのかと思った。 おそらく獅子頭が思いというのもあるだろう。サイズが非常に大きい。今まで拝見したこの伊勢地方一帯の御頭神事の中でも非常にゆっくりした方だと思う。

さて、演舞後は観客による松ぼっくり拾いが始まった。境内中に転がっている松ぼっくりを拾い集め、青い袋に詰めていくのだ。「時間がある人はぜひ拾っていってください」という担い手の声かけがあり、スムーズに片付けが進んでいった。そして外舞しの舞台にもなった筵もクルクルと手際よく丸められていった。家族づれの小さな子どもも懸命に手伝っている姿が印象的で微笑ましかった。これが本来あるべき神事の姿なのではないかと思った。住民に対する関わり代があって大人も子どもも楽しめて、住民同士の関わり合いや交流が生まれる素晴らしい流れだった。

さて、その片付けまでも少し拝見したのちに、帰路についた。帰り道の田んぼは夕暮れの赤い夕陽が照らしていたが、まだ野焼きの煙は数箇所で燃え続けていた。日が沈むまでは燃やし続けていくのだろう。山田寺の周辺には山と田が広がり、脈々と生活の知恵が蓄積されていることを思わずにはいられなかった。帰りは長めに歩いて、無人駅の外城田駅にたどり着いた。目の前のススキがカサカサと音を立てながら揺れている。なんとも言えない情緒豊かな気持ちになって15分ほどしたら電車が来たのでそれに乗り込み、帰路についた。

山神の獅子舞の由来

さて、ここからは文献を調べてわかったことである。山上獅子舞神事は伊勢地域一体で見られる御頭神事(おかしらじんじ)をルーツとする神事の獅子舞である。五穀豊穣のほか、疱瘡流行で多くの人が死んだため厄祓いが目的で始まったと伝えられ、紙垂を授かりたい、あるいは悪魔に叩かれたいと願うのだ。

もともと獅子舞は山田寺ではなく、高岡山西光寺にあったようである。国司である北畠氏が山田一揆鎮圧のため出兵を要請したものの、三郷(山神、積良、矢野の3村)が応じなかったため、北畠氏は天文2(1533)年にこの三郷を襲撃し山上城が陥落、多くの寺院や民家が焼失してしまった。高岡山西光寺にあった獅子頭も破損してしまった。しかし、そこから根強く立ち上がり、弘治元(1555)年12月にこの獅子舞は復興、山田寺で獅子舞神事が開始されたという流れである。このことから、山神の獅子舞の創始を弘治元(1555)年とする説が有力なようである。弘治元(1555)年以前にも先述のとおり獅子舞はあったようだが、それ以前の記録についてはよくわかっていない。

獅子組と土地所有の関係性

三重県教育委員会三重県の民俗芸能』平成6年3月の藤原寛氏の文章によれば、「弘治元(1555)年室町時代末期に、獅子頭が修理されていたことが、獅子頭の内部に記録されている。この時から、獅子舞が再興され、山神の有志九戸で獅子組を組織し、また獅子田と獅子山を寄進して、その田や山林の収益によって獅子舞を保存し、現在まで継承されている」と記されている。どうやら獅子舞集団と土地所有とが密接に繋がっていたようである。

金子延夫著『三重県郷土資料叢書 第61集 玉城町史 第1巻ー南伊勢の歴史と伝承ー』(三重県郷土資料刊行会, 昭和58年)によれば、その復興の際に、山神が主体となったが積良の協力もあり、獅子舞神事は三郷の頭分で取り仕切ることになったが、太閤検地の村切り(文禄3(1594)年))以降、山神が団結するための神事へと変化したようだ。つまりここに村の境界線がはっきり敷かれ、農民と土地との帰属がはっきりしたことを示している。その中で、獅子田や獅子山の収益によって獅子舞を保存してくという農村の共有地の経営体制を敷いていたために、次第に獅子舞神事が山神のものになっていったということだろう。

また本書によれば昭和58年時点で「明治十五年獅子堂修復の棟木には結衆人廿二人が記され、今は十八軒が昔ながらの伝統を受け継いでおり、連綿として今日あるのは里山池の溜池敷年費が組費に充てられ、里山池周辺は村山と呼ばれる獅子山であったという」とある。敷年費という費用が何の費用か不明だが、少なくとも山神組という「獅子舞組」の集団の共同の土地として里山池周辺の山間部が定められ、費用を共同で管理していた名残りを感じて書かれたのがこの記述であろう。

玉城町 玉城町史 下巻編纂委員会『三重県 玉城町史 下巻』玉城町 平成17年3月, P951〜953には、運営組織について詳しく書かれている。獅子組によって継承され、上組、中組、下組とあるようだ。獅子役は上組の長男の妻帯者で、一年前から不幸がなく、婦人が妊娠していない42歳までの男性が選ばれる。獅子の後持ちは小学生長男に限られる。太鼓や笛は上組の年寄り(隠居)、獅子が休む時のゴザを敷く係が中組と下組である。この獅子組は戦前まで田や山を保有しており、行事後の会食費用が潤沢に存在した。会食費用は3組ともバラバラで、上組は寺の台所、中組と下組は公民館で炊事をしている。これは現時点での記録ではなく平成の時代の話だが、組織体制がやはり面白い。上組、中組、下組と分ける必要性はどこから来るのだろうか謎も残る。

松ぼっくりは節分の豆?第3の目?

さて、この獅子舞における最大の謎といえば、松ぼっくりである。このような獅子舞は拝見したことがないので、独自の創作だろうと思われる。

演舞後に演者に「松ぼっくりはどういう意味があるんですか?」と伺った時には、「松ぼっくりを投げるのは、疫病や悪魔を退散するためです。節分の豆を投げるようなもので、今朝に水につけて昼に引き上げて(重さをつけることで)飛びやすいようにしています」という。  確かに考えてもみれば時期的に節分に近いので、節分の豆まきに近いような気もする。そして松ぼっくりを水につけるという工夫もしているようだ。

三重県教育委員会三重県の民俗芸能』平成6年3月 P139によると、「松かさはそのままだと軽く、面に向かって投げることができないので、1週間前から水を浸して重くし、投げやすくしてある。黒面の舞手は、松かさの直撃による怪我を防ぐために、白い綿入れの頭巾を被っている」と書かれていた。近年はこの水につける時間を短縮しているのだろう。

ところで、ここからは本当に推測の域を出ないが、Youtubeチャンネル「Naokiman Show 」の動画「人類最大の秘密・・・松果体、第3の目の真相!」(2025年1月29日アクセス)、Youtubeチャンネル「Naokiman 2nd Channel 」の動画「第三の目、松果体の秘密とは?!(深堀り)(下あり)」(2025年1月29日アクセス)では、睡眠ホルモンである幸せホルモンのセロトニンメラトニンを分泌し光を感じる第三の眼とも言われる「松果体」が、松ぼっくりに似ていることを解説している。松の木は地球上で最も古い植物属のひとつとされる。キリスト教の意匠で神の全能の目や万物を見通す「プロビデンスの目」や、エジプトのギザのピラミッドも松果体松ぼっくり)の形をしているという。

現代では松果体を腐らすものがたくさんあって、水道水や歯磨き粉に使われているフッ化物、食品添加物、薬、牛乳などがこれを石灰化させているという説も囁かれている。精神レベルが向上すると管理社会が機能しなくなるために、松果体を機能しなくさせている、あるいは秘めた力を独占させるために、松果体を一般的には抑制させているという説さえある。

さて話は脱線させてしまったが、松果体が世の中の仕組みを理解しやすく直感や霊感が冴えてくるという話もあるわけで、善悪両儀的なある種人智を超えて悪を善に転換する獅子舞の存在と松ぼっくりが掛け合わされるのはどこか納得させられるところがある。松ぼっくりが邪気払いという発想は疫病治癒に対する一過性の高い即効性のある薬ではなく、疫病の根幹を見通す現代人の第三の目を開く重要な鍵を握っているように思うわけである。

 

参考文献

玉城町 玉城町史 下巻編纂委員会『三重県 玉城町史 下巻』玉城町 平成17年3月, P951〜953

三重県教育委員会三重県の民俗芸能』平成6年3月, P137〜P140  

服部勝行『三重県の獅子舞 平成に伝わる200の舞』平成31年4月

金子延夫著『三重県郷土資料叢書 第61集 玉城町史 第1巻ー南伊勢の歴史と伝承ー』(三重県郷土資料刊行会, 昭和58年)

金子延夫著『三重県郷土資料叢書 第92集 玉城町史 第3巻ー南伊勢の歴史と伝承ー』(三重県郷土資料刊行会, 昭和58年)

Youtubeチャンネル「Naokiman Show 」の動画「人類最大の秘密・・・松果体、第3の目の真相!」(2025年1月29日アクセス)
Youtubeチャンネル「Naokiman 2nd Channel 」の動画「第三の目、松果体の秘密とは?!(深堀り)(下あり)」(2025年1月29日アクセス)