香港にて10年に1度の大祭「厦村郷太平清醮」を訪問、日本と比較して見えた香港の獅子舞の魅力とは?

日本の外に出ることで、逆に日本の国内について知ることができる。獅子舞文化も無論、そうだろう。東アジアの文化の中にある日本の獅子舞と捉えれば、いままでの謎も解明するかもしれない。そんな中で、一歩踏み出しやすい海外として、香港は大きな選択肢となりうる。中国はコロナ禍以降、ビザや手数料で万単位のお金を支払わねばならず、高い航空券代と合わせて、訪問が困難な国になってしまった。

獅子の故郷でもある、中国。そこに最も近いところに香港がある。香港はビザなし滞在ができ、香港エクスプレスで3万円ちょっとと、航空券もかなり安い。そしてなんといっても、今回、祭りを長年訪ね歩くジャーナリストともいうべき横山克恵さんと石川県加賀市でつながり、そして、今回、香港の10年に一度のお祭りである厦村鄉甲辰年太平清醮をご紹介いただいた。10年に一度という希少性があり、獅子舞も登場するとのこと。もっとこのお祭りを深く知りたいと思い、2024年11月10日〜13日の日程で現地を訪れた。10日は観光、11〜13日は祭り見学という日程となった。現地での滞在の様子を振り返る。

11月10日 香港を観光した日

祭り前夜にして、個人的に観光を楽しんだ1日であった。
訪れた場所について振り返ろう。

・チョンキンマンション(両替)
・朝食
・香港文化博物館
萬福寺
・モンスターマンション
・香港中央図書館
・夕食

萬福寺

香港国際空港について最初に感じたのは、甘い匂いがするということだった。食文化の違いだろうか。両替、オクトパスカード(Suica的なもの)の発行など、諸々手間取った。3時間空港にいて、やっとバスに乗って香港の市街地に向かう。山はこんもりとしており木が少ないところは荒々しく、島を渡っていく感じは日本のしまなみ海道のゆったりした波の小さな風景と重なるものがある。徐々に市街地に入ると、非常に高いビルが左右にそびえる。海に浮かぶ船はゆったりとしていたので、市街地とは対照的な時間の流れを感じる。

香港国際空港に再現された九龍城

2階建てのバスに乗ると、都市体験の幅が自由になれる気がする。大きく揺られながら、高い視点で移動が行われる。バス停で降りる時はあらかじめ出口付近まで降りていかないと降りられない。日本は「停車してから席を立ってください」というのが多い気がするのでその点では新鮮である。日本は建物も交通機関も高さ制限があるから、そこら辺が生活の視点をより不自由にさせているのかもしれないとも思う。

鰂魚涌の複合高層ビル「モンスターマンション」

建物の高さは異様であり、化け物にしか思えない。現実と非現実の狭間を生きているようにも思う。窓から地元民の生活が見える。洗濯物の干し方が独特だったり、竹とビニールシートで窓際を覆うようにして補修をしている家もある。画一的な設計のマンション、あるいは団地に多くの人が入居している。この背景には家賃の高騰やそれに伴う公共住宅の整備が進んでいることも要因として考えられるかもしれない。一戸建てが少ないということは、個人の住宅設計・改修の自由というのは、どこまで確保されるのか謎である。

食事に関しては比較的辛くない。日本人好みの味が多いと感じる。中国の奥地(雲南省貴州省)あるいは東南アジアのどの国に行ったときよりも優しい味だ。昼の食事ではお冷が出てきたと思ったらお湯だったこと、そして、テーブルの横に引き出しがあってそれを開けると長くて太い箸、フォーク、スプーンが出てきたことには驚いた。注文票で食べたいものをチェックして書く紙は、中国や台湾と同じだと思った。注文をとる速度は極めて早く、「これが良いですか?」などと聞いてくるので迷う間も無く食べるものが決まる。基本なんでもスピードが速い。例えばエスカレーターは日本の2倍速くらいのところもある。セブンイレブンでソイミルクを買った時は店員が在庫整理をしながらレジをしてるもんだから、はいはい!みたいなそっけない感じでよそを向きながら仕事をしていて、レジの会計が終わったのか終わってないのかよくわからない感じで進んでいってついつい「会計は終わりましたか?」と聞いてしまったのは面白かった。

獅子舞取材という点では、香港文化博物館と香港中央図書館に行けたのはよかった。博物館では無形文化財(非物質文化)の展示をしていて、中国伝来の獅子舞やその他の芸能の多様さを感じた。鳥取麒麟獅子舞は日光東照宮麒麟を模したという文献も過去に読んだが、おそらく中国の麒麟舞にヒントを得たものなのではないかとも思えてきた。香港の麒麟舞はここ200〜300年の歴史の中で継承されてきた芸能で、客家の移住者たちの文化である。また佐賀県の琴路の獅子舞に見られるような顔が平べったい噛めない形の獅子舞は、中国でも存在しておりこちらが祖型と思われ、中国では「鍋蓋のようだ」と呼ばれているという。展示してあったものには額に鏡が貼ってあり、それがどこか呪術的で印象的に思われた。また、香川県西部で盛んな猫獅子の形態について。中国でも猫型の獅子というものがあるが造形は全く異なる。普通の獅子頭よりも小さく、色とりどりの糸が束ねられたポンポンのような装飾が施されている。やはり西日本の獅子舞文化には、少なからず中国の獅子舞文化が大いに影響をもたらしていることを実感できた。

また、獅子舞や麒麟舞だけでなく、鶏舞、鶴舞鳳凰舞など多種多様な動物の舞いが存在することを知った。東京都の下平井の鳳凰の舞は、日本に唯一の鳳凰舞とも言われる(担い手談)が、中国にある写実的な鳳凰舞を人間に見立てて擬人化して表現したものなのではないかと思えてきた。香港、そして中国から日本の獅子舞を知るという流れはとても面白い。中華圏には木彫りの獅子舞がほとんど残されていないので、柳田國男の京都-地方比較に見られる方言周囲論的な視点に立てば、中央(中国)と周辺(日本)という構図が見られ、日本にもしかしたら祖型が残されているという予感もある。特に麒麟舞あたりは日本では今でも木彫りだからもしや?とも思う。外に出ないと内側のことはわからない。

香港文化博物館の非物質文化(無形文化)の展示

夜の香港の町を徘徊し、夕食を食べてホテルのチェックインへ。口コミ評価が高く、安い宿にした。安宿は、油麻地からチョンキンマンションあたりに集中している。沢木耕太郎のノンフィクション『深夜特急』にもチョンキンマンションが出てくるが、ひとまず、口コミ評価が高いところがなかったので油麻地の方にした。

11月11日 祭りの始まり

厦村鄉甲辰年太平清醮。10年に1度の記念すべき大祭だ。僕はこの祭りを訪れるために今回、香港に来たと言っても過言ではない。地元の人しか祭りの情報は知らない。現地でお祭りの活動をされていてその道に詳しい横山さんの案内で、この地を訪れることができた。

太平清醮は1週間にわたって行われる壮大な行事であり、驚くべきはその規模である。14村がひとつになり、この厦村鄉が形成されている。本日はそれぞれの村の神様がまずこの地に集う。そして、神様と共にやってきた、龍、獅子舞、麒麟などが次々と繰り広げられる。そして龍に魂を入れ、恐ろしい獣へと変貌を遂げ暴れ回る。そして、最後に厳粛な式典が行われ、もろもろのゲストが招かれるという流れだった。

この祭りは諸々厳格なことがある。それは肉や魚の持ち込みが禁忌とされており、パンに少し入っているとかでも許されない。しかし、海と接していて特産物とされる牡蠣だけは食すことが許されており、祭りの日の屋台には、40香港ドルで買える牡蠣の天ぷらがある。そのほかにはさつまいもの天ぷらなども見かけた。また、干支によっては会場に入れない観客もいて、例えば11日は酉年生まれがだめ、13日は亥年生まれはだめなどとのこと。お祭りは村人から代表者を決めて、その人が色々な儀式を道士と行うが、この村の一番の代表者との相性の問題らしい。日本以上に干支に対して敏感なのだということを知った。

そしてこの厦村郷太平清醮は香港で2番目に規模が大きな太平清醮と言われており、何かと桁が違いすぎる。まずこの祭りのために非常に大きな竹の建造物を制作する。劇場の仮設小屋のようなものだ。建物を建てて祭りが終わればすぐに壊すということをする。これは建築士が行なっているというよりかはもはや祭りの時に竹の建物を建てる職業が存在するらしい。中央の柱から三角型に裾野を広げていく方式だが、最終的には中央の柱を取り除き、そこを大広間として式典(儀式)などを執りおこなう。この建物、芝居小屋にも近いところがある。またこの建物やその周囲に取り付けられた花牌という巨大広告も見どころだ。大きく文字を書いたり、電球やキラキラした紙で光らせたりという目立つ外観が特徴的だ。竹で固定する枠などを使って作っているものの、先ほどの竹の建築とは違う流れで後世に広がったという。花牌はお祭り以外でも、以前は結婚披露宴やお店の開店などでも発展していたそうだ。以前は高い建物も少なかったのでこのような大規模建造物や花牌があると、遠くからでもよく目立つ。祭りをしていることを遠くまで知らせることができるのだ。それから竹の建造物の周辺の道にも大きな竹の看板が立ち並びその長さ1kmほどもあるだろう。日本では考えられない規模である。

その竹の構造物の内部と周辺には様々な張り子で作られたものがずらりと並んでおり、内部には地獄の様子を表現した人形たちや獅子舞、馬、そして、外部には巨大な地獄の番人や無常、大士王などが吊るされ置かれている。観音菩薩の化身である大士王のお腹の部分に小さな観音菩薩がいて、それをはるかに大きな大士王が聳え立ち存在感がある。知り合いの無常の研究者によれば、舌を出しているのは首吊り死体の様子を表すからだと一般的に言われているらしい。これらは祭りが終われば全てお焚き上げになるという。保管するのではなく、燃やすことでまた10年後に作ることになる。そのサイクルこそが無形文化の伝承であり、技術の継承でもあるのだろう。この祭りのためにどれだけ多くの人がどれだけの労力を払ってきたかがよくわかる。

さて、厦村鄉太平清醮の紹介が少し長くなってしまったが、本日の振り返りも行おう。香港の油麻地から電車で30分ちょっとの場所に天水圍という駅があり、そこから徒歩20分ちょっとで会場にたどり着く。メイン会場は廈村郷鄧氏宗祠前の広場であり、大きな門が目印である。会場に到着すると、各所に設置された「神」という文字が書かれた祠のようなものに、道士様と地域の方々が祈りを捧げていた。祭りはすでに開始していたようだ。「神様を正面から撮影してはいけないよ、特に道士様が神様と儀式をしている時はね」とのこと。実際にそうしてしまうカメラ小僧のような人はいるものだが、これは本来だめらしい。脇から撮影するのが本来の撮影マナーのようだ。

ひと通り会場内を祈り終わると、次は厦村郷全体の信仰の対象となっている神様をお迎えする。それが沙江天后古廟に祀られる海の神様であり、そのお迎えに立ち会うことができた。徒歩で行くと46分かかるらしく、お囃子隊のトラックに乗せてもらった。非常にありがたい。風に吹かれ揺られながら進んでいく。バーンバーンとシンバルのような音が響き渡る。移動は車だと10分ほどである。神様の廟に着くと、装飾が荘厳で赤い光に照らされており、どこかおどろおどろしい印象を受ける。今回の海の神様は、人形型でしかもお神輿のようなものにのせるようなので、非常に格式の高さが伺える。

厦村鄉全体の神様がメイン会場の中心に飾られたのち、山で降雨などの祈りが捧げられてから、今度は各村々から神様のお迎えが行われる。赤い紙に神様の名前が書かれており、それを串に貼り付けて芋に挿すというものと、人形型のものがある。

神様のお迎えの段階で、東三頭村から獅子舞が出た。メイン会場から徒歩10分ちょっとのところから始まったのでそれも拝見できた。黒白黒の3頭であり、頭頂部に角があり、植物の葉が付けられている。今回の滞在で初めての獅子舞見物である。厦村鄉各村々の神様のお迎えが終わると、登場するのが、このメイン会場がある村の神様である。

会場ではたくさんの出し物が行われている。新生村のピンクの衣装を着た担い手たちが一際目立っていた。勢い溢れる武闘者と龍舞、そして龍に乗る獅子舞がキビキビと動いていた。その場の空気が沸いているように思えた。

本日の後半のクライマックスは、龍に魂を入れる儀式だった。赤い紙が目のところに入れられている龍がやってくる。その赤い紙を取って、顔の各所に筆入れをするというのが魂を入れる儀式の内容だった。徐々に龍は震え始め、そして白い息を吹き、そして天を仰ぐ。フゥーーー!という観客の歓声が上がり、自分もそれに乗って声を出してみる。完全に魂が入った龍はまるで獣だった。恐ろしく上下に揺れ動き、白い息を吐きまくり、会場中を舞いまくる。これぞまさに香港の大規模祭り。感動しっぱなしだった。この龍によって道士も村人も観客はひとつになった。

この日の行事は夕方に概ね終了。その後、香港の中心部の方に戻った。夜は19時半から横山さんにお誘いいただき、蛇料理を食した。蛇の血を台湾で飲んだことがあるが、実際に肉を食べたのは初めてである。今回、サービス業系の労働組合の集まりで10人1組となり円卓を囲み、大量の蛇料理をいただいた。僕だけ労働組合員ではなかったが、かなりディープな集まりに誘っていただき感謝である。セキュリティつきのビルの2階にある空間に机が5〜10ほど並べられ、そこで蛇料理を食べた。普段ここは飲食店として営業している場所ではないだろう。そこにシェフを呼んで調理してもらっている形だ。予算は6000円弱。日本の少し高めの飲み会と同じくらいの値段だ。しかし、出てきた品々は高級で、1万円出してもなかなか食べられない内容だった。蛇のスープにはじまり、おこわに終わる、約10の品々。そのうち5品ほどに蛇が入っていた。蛇の炒め物、蛇のスープ、などなど。蛇の味は鶏肉のササミに近いと思った。本当にたらふく食べられて、よかった。最後にお土産としてカレンダーやご祝儀袋、タオルなどをいただいた。カレンダーは持ち帰りが難しかったが、お土産まで大盤振る舞いである。ほとんどの労働組合のメンバーとは、広東語が話しできないため、深い会話ができなかったが、日本人である僕を暖かく迎え入れてくれて、おかわりを率先して継いでくれたりした。香港の方々はこういう受け入れ精神が素晴らしいと思った。満腹となり、宿への帰路についた。

11月12日 村巡りの日

今日は朝から歩きっぱなしの日だった。合計17kmの道のりを30度の炎天下の中歩く。いわゆる村巡りの日である。相当に暑い。道士様と村の代表が先頭を歩いて、村の重要な場所を回っていく。公所と書かれているところはいわゆる集会所で、あとは廟と言われるものも回る。廟には14の村ごとのものと、郷単位のもある。全部回りきるには相当な時間がかかり11月12日、14日、15日と膨大な時間を費やさねばならない。

12日の村巡りの行程は以下のようであった。
(#は訪れられなかった祭事)

 

20241112廈村太平清醮行香

 

廈村市
#鄧氏宗祠 友恭堂 廈村市57號 (今年沒有拜祭)

 

錫降圍
0927 楊侯宮 神廳 鍚降圍51號B 廈村:楊侯
0937 圍門 錫降圍 廈村:金輪如意趙公元帥之神位,土地

 

祥降圍
0949 武帝寶殿 神廳 祥降圍35號 廈村
0957 圍門 祥降圍10號C旁 廈村:土地
#長春不老之神 細葉榕 祥降圍22號旁 廈村 (今年沒有拜祭)
#土地 祥降圍22號西面 廈村 (今年沒有拜祭)

 

新圍

1003 楊侯古廟 西頭廟 新圍229號 廈村:楊侯,車公,土地,天后之神位
#1033 井神 古井 維新堂旁 新圍40號 廈村 (今年沒有拜祭)
1014 圍門 新圍53號旁 廈村:土地

 

錫降村
1031 神廳 錫降村16號C 廈村:本村土主福德正神之神位

 

巷尾村
1045 土地 細葉榕 巷尾村18號旁
*1053 合義堂 巷尾村10號 廈村 (今年新增)

 

羅屋村
*1102 成慶堂 羅屋村55號 廈村 (今年新增)
1110 土地 細葉榕 羅屋村34號旁 廈村

 

東頭村
1120 楊侯宮 東頭廟 東頭村 廈村
1128 本境社稷神位 楊侯宮旁 東頭村 廈村 (青松唸經, 但緣首沒有上香)
1130 燕寧堂 東頭村59號 廈村
1140 圍門 東頭村1號旁 廈村 (青松唸經, 但緣首沒有上香)

 

緣首乘車!

 

鳳降村
1203 土地 鳳降村洗手間旁 廈村
1210 胡成光祖家祠 安定堂 鳳降村1號 廈村
*1216 井神 古井 鳳降村61號旁 廈村 (今年新增)
*1222 鳳降村公所 鳳降村21號旁 廈村: 關帝 (今年新增)

 

緣首乘車!

 

1257 天后古廟 沙江村 廈村

 

緣首乘車!

 

輞井圍
1332 玄關帝廟 輞井圍 屏山
1345 圍門 輞井圍 屏山:土地公公
1349 神廳 輞井圍
1356 裕安堂 輞井圍46號: 關帝
#土地 裕安堂 輞井圍46號 (今年沒有這個土地)

 

沙洲里村
1637 白沙仔土地公公 沙洲里村村公所旁 屏廈路 廈村

 

この日程を見たらわかるように、非常に細かい。そして途中は基本的に歩きなのだが、道士様と村の代表たちは途中、時間を稼ぎ、貸切のバスに乗ることもある。昔はバスに乗ることはなかったそうだが、いまでは道士様や村の方々が道中に安全に移動できるよう、バスを手配するようである。そのため、観客は相当な早足で歩いて回らなければならず、世界6大マラソンなどに出場している健脚な強者たちが観客の先頭集団をずんずん歩いていき、バスと同着ぐらいで頑張って踏破していく。まるで競歩かマラソン大会だ。

回る廟や公所は必ずつまめる軽食、つみれ、胡麻団子、クッキー、フルーツ、ケーキ、飲み物などが配布される。そのラインナップは場所によって異なる。基本は村人優先で村人が摂ってから、観客が後に摂る。それでも大量に余るぐらいなので、食べ放題レベルにたくさん飲食ができる。しかもどれも美味しい。飲み物は甘いものが多く、緑茶のアップルジュース、菊の花ジュースなどもあった。その光景はまるで給水所だ。みんな早足でそれらを掴み取り、歩きながら食べ飲みしている人もいるくらいだ。あまりにも歩く距離と速さが尋常でなく、途中公共バスに乗り込んで移動する箇所もあった。もちろんそういう公共交通に頼る人もたくさんいた。これらの食べ物は基本的に町内会費によって賄われるが、村によっては不動産を持っていてそれによって儲けている場合もあり、その地域ごとに貧富の差があるとのことだ。とりわけ不動産収入を自治会が得るというのは日本ではなかなかないことなので驚いた。

村巡りの順番は、まず近隣の村から呼び寄せた地域外にある青松觀という道教寺院の道士様と地域内の村の代表が儀式をして回る。これは宗教性を帯びたものではなく、地域の土地神様を祀る信仰である。村の代表はピンク色の巻物のようなものを持っており、そこには村人全員の名前が書かれている。それを毎回廟の前で持って祈る。道士様は赤色にカラフルな襟をつけた豪華な衣装に身を包み、村の代表たちは赤い服を着て、末席のスタッフたちは黄色と紺色の衣装を着ている。

香港では村の代表の決め方が大変興味深い。10名選ばれるが、これは立候補者がポエという半月型の木片を2つ投げてそれを10回繰り返して、表裏の組み合わせが1番多かった者が多かった順に10名選ばれるということもある。年齢に制限はなく、子どもも参加していた(学校のためお休みの日程が多かった)。村の決め事は徹底的に占いが持ち込まれる。そのほかにも、祭りの何年に1回というのは、このポエによって決められる場合もある。今回の祭りは10年に1度であるが、これはポエの数の巡り合わせの結果のようだ。60年に1度のような祭りもあるけれど、これはなかなかポエによる巡り合わせが決まらずに、20、30とどんどん数を足していった結果として60という数字が決定されたという。

政治的な決め事は話し合いによってはなかなか決まるものではなく、誰かに配慮すれば誰かに配慮できないというような場合も発生するものだ。これは多数決による罠でもあるだろう。しかし、そこに占いを持ち込むことで、すんなり解決され、「神様がおっしゃるのだから従います」という平穏につながる。これこそ、もしや日本における卑弥呼やトヨによる占い統治の本質なのでは?という壮大なスケールの時間軸で頭が回転してきて、なかなかに面白い話を聞かせてもらった。

さて、8時半ごろに始まったこの村巡りは、一通り終わったのが、18時ごろだった。最後、15時に行くはずだった最後の沙洲里村への到着はなんと17時になった。その前の村を出てから本当は車で向かうはずだったらしいが歩きに変わったため、ひたすら数時間歩き続けて日焼けしながら歩いてくる様子は印象深かったし、とうとう、やっときたか!となった。遅れは2時間。観衆の僕らも待ちくたびれて公所のテレビを見たり、眠そうになりながらも談笑して待っていた末に来てくれて、やっとこさ本日の締めくくりとなった。

ひと通りの村巡りが終了後に、それから20分ほど歩き、30香港ドルのおいしい麺を食べてまたその道を戻り、最後に20時からの儀式を見て終えた。仏教の読経のような、教えを諭されているような感覚があった。ひたすらお祈りしてるのを見ていた。またその舞台の横では、でくまわしの人形劇が行われており、裏方がどうやって音を出し、歌を歌うように会話し、人形を操っているのかを見ることができたのは面白かった。その後、帰路についた。ただひたすら歩いた1日であった。

11月13日 地域外からお祝いが来る日

香港最終日。廈村の外から来るさまざまな出し物を迎える日だ。龍や麒麟、獅子舞などいままで見たことのないデザインのものが多くみられた。位の高さは龍、麒麟、獅子の順番。獅子が龍にお辞儀することはあっても、龍が獅子にお辞儀することはない。しかし、近年は龍が大胆に深々とお辞儀をしている場合があって、後ほど精進料理を横山さん含め10人ほどと一緒に食べに行った時に、年配の祭り鑑賞者は「あれは伝統とは違うかもしれない」などという話をする方もいた。それから、郷の外からさまざまなお祝いの者が訪れた時、獅子舞同士の挨拶のようなものが面白かった。獅子舞同士が口と口をつけて接吻をするような格好になりお互い頭を振るわせるのだ。そうすると、口の中でどうやら担い手同士が名刺のようなもの(何かは不明)を受け渡しているようなのだ。その何かを口に咥えた担い手はそのまま挨拶の舞いを軽くしてお互いに感謝を表現して受け入れるのである。それで迎えられた村の外の人々は広場や廟などで祈りや舞いを繰り返し、奥の方に進んで休憩に入る。9:30から12:30くらいまでの時間帯で、大半のお出迎えは終了する。

お饅頭などの食べ物がお供えされる

さて、ここで食事の話を挟んでおこう。本日は大盤振る舞いするような各種飲食物の配布はなかったものの、朝から「平安」の文字が書かれたお饅頭が配られた。中には白餡のような甘いあんこが入っていた。ずっと何時間も配り続けていたので、おそらく何千何万個もの在庫を抱えていたのだろう。赤いレジ袋のような簡易的な袋に、このお饅頭が2つセットで入れられており、これは温めないと食べられませんと書かれたケースに入っていて、お土産用に配布された。そのほかに最初わずかながらに温め済みのものも配布され、偶然にもこれを食べることができた。ホクホクしてて、本当に美味しかった。

食事にも厳格な禁忌が存在しており、それは食事においてもそうである。儀式に参加する村の人々は、儀式までの1週間、肉や魚を口にしてはいけないと先ほど述べたが、実際にお昼に食べるのはひたすら精進料理だ。実際に祭り会場から徒歩数分のところに厦村が運営する精進料理のレストランが存在する。外見は高級で、実際に出てくるものも量が多く、そして非常においしく、そして安いという三拍子が揃っている。僕は麻婆豆腐を頼んだが、案の定、肉は入っていなかった。58香港ドルで、厚切りレモンが3つも入っているレモンティーもついてくる。これはミルクティーも選べたがいずれもHOTで、COLDにするには5香港ドルを加算して払わねばならない。おそらく氷代であろう。

それから午後の時間帯になり、徐々にお見送りへとシフトしていく。お出迎えに比べればお見送りは比較的シンプルなようにも思え、廈村郷の門の前で3回礼をして徐々に帰路につくという流れである。最終的には16時くらいにお出迎えの列はなくなり、終了した。

いや、終了したかと思いきや、廈村の門の先にある大きな広場で獅子舞が始まった。この光景は、今回の滞在中で最も緊迫した印象的なシーンのひとつとなった。広場の中心に椅子が置かれ、その上にはお酒が入ったおちょこのような?陶器。そして、みかんが2つと生菜(中国のレタス)がある。そして、その椅子の周りには剣が3つ三角形に組まれており、ある種の結界が貼られているように見える。またその剣の結界の外側には円を描くように5つほどみかんが配置されている。その前に獅子が現れる。最初は初心者なのか、比較的ぎこちない舞いが続く。まずはみかんを咥えて観客の方にポーンと放り投げるというのが繰り返され、それで5つのみかんはなくなる。そのみかんの放り投げの途中から担い手が交代となる。2度交代して、3人目の担い手が獅子頭を持ち始めた時、獅子の雰囲気が大きく変わったと思った。躍動感やメリハリが格好良くて、脚を振り上げた獅子はどこかカンフーの達人にも思えた。それから剣を咥えて取り除き、それを担い手に渡すという所作が3度繰り返されて、ついに獅子は最後の砦である椅子にたどり着く。まずは上を向いてお酒をぐいっと飲み干して酔っ払って地面にへたり込む。しかしそこから回復した獅子は勢いづいて、さらに激しさが増し、みかんを口に含んでは2つ吐き出し観客に向けて放り投げ、そして最後に生菜を口に含んでバラバラにして3度地上に向けて放り投げた。それから、少し動いて終了!となった。都度都度、クラッカーの紙吹雪が沸き起こり盛り上がっていたが、これはアクロバティックというよりかはむしろ呪術性、儀式性の高い、極めて厳粛な行事のように思われた。それは結界の貼り方と所作の手順の細かさなどに現れていると思った。

さて、獅子舞の後、ぼくらは横山さんに連れられて、食事会場に祭りの食があるから食べに行こうと誘ってくださり向かった。その食事の名前は盆菜(ぷんちょい)と言った。見かけはおでんのようであり、煮物のようでもある。長寿の印とも言える亀の形をしたタロ芋が1番上に乗っていて、その下に湯葉、大根、白菜、栗、牡蠣、キクラゲなど盛りだくさんの野菜などが入っていた。海の生き物の中でも牡蠣のみは特例で、特産品ということで祭りの食の中に加えられている。それから、ほかには牡蠣の天ぷらやコーラ、本日は雨が降ったり止んだりということで予想よりも観客が少なかったのだろうか。大量の余まりがあったので、10人前を3人で食べ始めるという途方もないことを始めた。途中からシェア食で半端な人数がこちらのテーブルに集まってきた。それにしても軽く数百人がたらふく食べられる大鍋が用意されている。うーんここまでお祭りで大盤振る舞いできる地域は日本に存在するだろうか。廈村は古くからこの土地に住む一族が財産分与せずに一族の長が不動産の管理を続けるために、不動産収入が非常に富んでいて、これだけ大盤振る舞いするだけの余裕がある人もいるようだ。財産分与しないというのは日本とは状況が異なり興味深い。その代わりとして、祭りが富の再分配的な機能を持っていると考えることもでき、そのお金の動きが大変興味深くもある。

さて夜は村人の名前を食事会場近くの仮設壁に貼り出すらしい。しかし、僕はもう香港国際空港から帰路につかねばならなかったので、17時前には会場を後にした。この儀式は20時から始まるとのことだったので、話だけは聞いておいた。仮設壁に貼り出す名前を確認する作業を一人一人がやり、それに明かりを灯すという儀式があるという。この時、儀式を執り行う代表との相性の問題で猪の干支に生まれた人は会場に入れない。そのくらい厳格で伝統が受け継がれている儀式なのだ。会場内でチェックが行われるわけではないので、観衆は各自、自己判断ということになるのだろう。

夜19:50に香港国際空港発の飛行機で羽田に帰った。本当に素晴らしい滞在だった。窓から見る香港やその周辺のマカオや深圳の夜景は、ビルが高い分、非常に迫力のあるものだった。ひとつひとつの光の粒の先に暮らしがあり、大きな経済を支えている人々がいるのだ。豊かな獅子舞文化もそれを背景として育まれているのだろう。

香港の獅子舞所感

さて、ここらへんで香港での滞在のまとめに入ることにしよう。帰りの飛行機に乗りながら、僕は旅を振り返る。香港は日本よりもはるかに小さな国だが、経済的に富み、都市空間としては非常に過密で建物やバスの高さは高く、民俗芸能の入り込む余地がなさそうであるが、実はそういう場所とは違う田舎に、ゾーニングされたように素朴な信仰は生き続けている。川や大きな道路を境界として、大規模ベットタウンのすぐ脇に、今回3日間通った廈村という土地がある。

ここに息づく祭りはとにかく規模が大きく、鳴り響く鉦や太鼓、ラッパの音は凄まじく、会場を訪れた赤ちゃんがヘッドホンをしなければならないという事態が発生するほどに音が大きい。電飾によって会場は光り輝き、すべてがカラフルである。龍、麒麟、獅子舞は装飾性に富んでおり、ひとつも同じものがない。ただし、お囃子の音色や舞い方はほぼ同じである。ここに香港あるいは中華圏と日本との違いがあると思う。広州の仏山の流派の大流行、そして、マレーシアへの教授と逆輸入などの歴史から、獅子舞の現在の舞い方は形成されている。また、そこには武闘と獅子舞とが同時多発的に発展してきた背景がある。

多様性の裏側にはプライドのようなものがあって「自分は他人とは違う」という考え方が潜んでいるように思う。日本の獅子舞にはその傾向がある。しかし香港はブルースリーに代表されるように武闘の発展があり、そこに獅子舞の興隆の背景があって、競い合ったり牽制したりして混ざり合いながら感動を分かち合っている感覚がある。そこには最後に見た演目のような儀式性もわずかながらに感じるが、その要素は薄い。獅子頭を竹と紙で制作していて今は木彫りでないという点からしても日本よりも全体的に「手軽に」獅子舞を生み出している感覚がある。龍、麒麟、獅子舞たちの舞い方やお囃子が似ているというのも当たり前なのかもしれない。村同士の共通の所作を分かち合い、それを通して一体感を味わっている。どこまでも手軽にそれを共有しあっているように思える。多くの人が繋がり、感動する先にある最果ては、こういう大規模祭りの風景なんじゃないか。そう思えた感覚もあった。ああ、生きているなあ、獅子舞してるなあという実感。祭り後に倒れ込む担い手たち。広場という開放性。他の村との同志感...。ただひたすら、いまという時間を生き、ふざけ合い、無我夢中で獅子を振り舞わす。

それは道士様や村の代表が行っていた神様をお迎えする時の儀式など、村と祭りの核心部分を担う部分とは対照的に、大きな賑わいを生み出していた。伝統を守ることと、多くの人に開くこと。どちらも大事であり、そのバランスも考えた滞在でもあった。