巨大な魚を燃やす!?ぐず焼きまつりの秘密に迫る

8月27日、石川県加賀市動橋町のぐず焼きまつりを訪れた。巨大な怪物のような姿をした「化けグズ」を焼き払うお祭りであり、その迫力は圧巻だった。このモチーフはワニなのか?蛇なのか?様々に想像を掻き立てるこのユニークなまつりの実態に迫る。

ぐず焼きまつりとは何か?

毎年8月27日から29日の3日間、石川県加賀市動橋(いぶりはし)町振橋神社で行われるお祭り。前夜祭が行われる27日の夕方に、「化けグズ」と呼ばれる張り子の神輿を担ぎ町内を練り歩いたのち、神社の境内で燃え盛る火の中に「化けグズ」を投げ入れ、一気に燃やす。ところで、この「化けグズ」とは一体なんだろうか?グズとはゴリという魚(淡水に棲むハゼの幼魚)の呼び名で、この地域にある動橋川でよく見られる。今では河原が少なくなって川に入ることもなくなったが、子供達はよく川遊びで捕まえていた魚だった。食べても美味しくないから「くず」と呼ばれていたことがグズと呼ぶようになった語源だ。振橋神社にはこのグズという魚の像がある。

▽焼かれる前のグズ

 

ぐず焼きまつりの由来

動橋町の歴史は古く、人が住んでいた痕跡は古墳時代に遡る。動橋川は曲がりくねった川で、度々氾濫していたため、それに伴い川に架かる橋が揺れ動く様を「振橋」あるいは「動橋」と呼ぶようになったのがこの地名の語源である。大洪水が起こると田畑が荒れて飢饉が起こることも度々であったため、地鎮祭ということで稲の収穫前後に神様に祈りを捧げるお祭りをしてきた。動橋川の氾濫の様子を「怪物」が暴れる様子に見立てて、「怪物退治」を称してかがり火を立てることを大正時代に「屑焼き祭り」と呼んでいた。ただしこの屑焼き祭りのかがり火が大きくなりすぎたために、昭和2年に消防署からかがり火の禁止命令が出てしまい、「くず」を燃やすのではなく「ぐず」を担いだら面白いのでは?という意見が出てきて、それがぐず焼きまつりの基礎になった。

化けグズを災厄の象徴とする

くずからぐずへの転換には、災厄の象徴を変換する必要性があった。元々、火を噴く怪物としてのかがり火を神社裏の古い池に棲む「化けグズ」に変えて、毎年夏の夕刻にその姿を現すという風に転換したのだ。この「化けグズ」が田畑を荒らし村を壊す災厄の象徴としたわけである。この「化けグズ」が最後に退治される必要があり、そこにはこのような物語が構想された。

意地悪な長者の娘が人身御供(ひとみごくう)に出されることになるが、その娘には結婚を約束した青年がいる。古池から現れた「化けグズ」は娘に襲いかかろうとするが、大己貴神(おおなむちのかみ)が現れ、それを退治することに成功。最後は村人たちに焼かれて死ぬ。それから意地悪な長者は改心して良心的な人物になるという物語だ。この物語は「振橋(しんきょう)節」という民謡になり、今でも語り継がれている。

ヤマタノオロチ退治は揖斐川の氾濫を抑える意味があったように、日本全国各地で川の氾濫を抑えることとと毒蛇退治は密接に結びついている。ただし、動橋町のグズ焼きまつりの場合は毒蛇ではなく、地域の人々に親しみのある魚であるハゼをモチーフとしている点がとてもユニークである。また、屑や藁を燃やすという観点から、お正月の左義長どんど焼きと似ているが、左義長はグズ焼きまつりとは別で行なっているようだ。ちなみに、昔からグズ焼きまつりは雨まつりで、台風の時期でもあるし晴れる日は珍しいとのこと。龍神や雨乞い信仰との関連性すらも想像させる。

化けグズの素材

第一号の「化けグズ」が作られたのが昭和3年で、呉服屋の反物箱に太鼓を乗せ、竹や製材屑を紐で細かく編み込み、藁で外側全体を巻きつけた。設計図も何もない状態で大工を含む青年たちがたった1日で仕上げたという。太鼓の位置が変わったりウロコ模様が変わったりと年々グズの装飾は変化しているものの、藁や竹などを使うことは変わっていない。お金をかけずに地域の余り物を生かしてブリコラージュするように制作する工程はとても興味深い。グズは燃やすのは1匹だけで、他のものは展示している。駅前で10体以上、勢ぞろいさせることもする。

コロナ禍でのぐず焼きまつり

戦争時は1年のみ中止になっただけで、今までずっと継続してきたぐず焼きまつり。2020年、2021年はコロナ禍で中止になってしまい、これは今までで異例の事態だったようだ。今回は町内でも様々な意見が上がったものの、最終的には乱舞は無しでグズの展示と焼き払いのみを実施した。

動橋町の気質

動橋町は宿場町であり、電車の駅もあった関係で、日用品を買うために周辺地域から人が集まってくる町だった。イオンやアビオができる前、加賀温泉駅が出来た頃には、既に動橋町は少しずつ寂れていってしまった。車社会の浸透と大きな関係があるだろう。動橋町は商売人のプライドがあって、「オマケしない」「いただく物はきっちりいただく」という人の気質がある。その一方で「後で払うわ」と帳簿をつけて、掛売りをするという文化もあるのが特徴で、周辺の町内にはそのような気質はない。加賀市で一番最初にアスファルトを引いた橋本酒造さんをはじめ、行政に積極的に掛け合えるくらいの発言力や財力もあった。動橋町は〇〇区という班が分かれているが、獅子舞は町全体で行なっている。このことからわかるように、片山津温泉街などとは獅子舞の区分けの仕方が異なっている。

 

参考文献

動橋地区まちづくり推進協議会『ぐずやきまつりのすべて』(令和2年8月)

※上記の文章はこの冊子制作に関わった動橋町教養文化部会長の前川真一さんに伺った内容を含む。