獅子舞生息可能性都市~札幌編~

都市空間に獅子舞は生息しうるか?を検証するプロジェクト。今回の舞台は札幌だ。

札幌天神山のアーティストインレジデンスに参加し、2月26日から3月5日までの滞在制作を実施してきた。

獅子舞の生息環境を確かめるには、獅子頭や胴体などの道具の材料をどのように調達するのかや、どのルートを通って舞えるのかなどの視点が必要になってくる。

また、札幌の獅子舞を考える上で、重要なテーマは「開拓」である。

アイヌの歴史的文脈の中で深く根付いた文化の上に、真新しい開拓民の文化が上書きされてできたのが、札幌という約200万人が住む巨大都市だ。

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札幌は玉ねぎ畑から始まった

札幌は元々アイヌ語で「サッポロベツ」「サホロベツ」(大きな乾いた広い土地)と呼ばれ、札幌から苫小牧につながる石狩平野と、そこに流れ込む石狩川が土地に潤いをもたらしている。

この広大なエリアを昆虫類の世界では「河野線」と呼び、この平野を境に東側と西側で分布する昆虫が異なるとも言われる。平野の東側には夕張山地、西側には藻岩山から本州へと続く山の大動脈が広がる。

この地の開拓は「元村」という場所から始まった。ここは現在の札幌市元町にあたる場所で、ナラの木が多く生い茂り小屋作りに最適な土地があったという。原始林が広がり草は生い茂り、湧き水や沼地が多く見られたため開拓には苦労したものの、近くに川が流れ交通の便がよく、農業に適した土地ということで、ここから開拓は始まった。  

開拓は1866年から大友亀太郎という人物を中心として始まり、まずはお手作場(模範農場)を作り、農民を入植させるための用水路や道路、橋などの建設も行われた。札幌村郷土記念館は、かつて大友亀太郎の役宅があったところに建てられている。

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札幌村は日本で初めて玉ねぎ栽培が行われた場所としても知られ、それは1871年以降のことだ。伏籠川沿のよく肥えた土地と気候が玉ねぎ栽培に適していたこと、そして、中村磯吉や武井惣蔵などの尽力がその栽培を促進させた。また、栽培の手軽さ、出荷時期が本州産のものと違っていたので競争しなくてよかったこと、長い間貯蔵できるので遠くまで運ぶことができたことなどが理由として考えられる。

そのような利点を生かし玉ねぎ栽培が始まったため、それまでのリンゴ、ブドウ、西洋梨など果樹栽培が急速に減って、玉ねぎ畑が土地を覆うように拡大していった。つまり、玉ねぎの生息可能性が非常に高い土地だったのだ。

札幌はアイヌコタンの時代から急速な変貌を遂げ、札幌村という開拓の村が作られる中で土地利用が大きく変わった。このような歴史の流れの中で、獅子舞は始められた。開拓者の故郷を想う気持ちを慰め、村の団結を促すような役割があったことだろう。 

札幌の獅子舞は富山から伝わった

札幌市内には、丘珠と篠路という2地域で獅子舞が現存する。そのほか、札幌市南区狸小路商店街などで獅子舞を見かけたという人には出会ったが、その実態は掴めなかった。地域単位で伝統的に繋いでいる獅子舞というと、この丘珠と篠路が真っ先に挙げられる。その中でも、丘珠獅子舞の概要について触れておこう。

丘珠獅子舞

最も札幌市中心街に近く歴史が古い丘珠獅子舞について話しておく。

ここでは、勇壮な男性的な舞いを行う。獅子8人、獅子取り3人(小学校低学年)、中供3人(中学生・高校生踊り手)、笛5人、太鼓2人、露払い2人(天狗・般若)という構成だ。

演目は道中、行列、にらみ、小薙刀の舞、剣の舞、扇の舞、鎌の舞、棒の舞、薙刀の舞、引き棒の舞、飛び棒の舞、二人太刀の舞、唐傘の舞、乗り獅子の14種類。祭礼日は毎年9月14~15日。

獅子舞成立の歴史は以下参照。

1890(明治23)年 福井県人が主として獅子舞を開始。
1892(明治25)年 富山県からの移住者多数、富山県東砺波郡福野町安居から入植した山本宗吉が故郷の獅子頭と獅子舞の道具を持ち込み丘珠神社創建の時に獅子舞を奉納(獅子頭1代目)。
1899(明治32)年 札幌の新川以西地区(現在の西5丁目と6丁目の間に新川が流れていた)で使われていない東砺波由来の獅子頭をはじめとする獅子舞道具一式を引き取る(獅子頭2代目)。
1957(昭和32)年 獅子舞休止
1965(昭和40)年 設立委員会結成
1966(昭和41)年 丘珠獅子舞保存会結成。篤志家が衣装や胴幕などを新調, 岩田徳治氏が獅子頭の制作費を寄付し井波町に獅子頭の新調を依頼。

現在1代目の獅子頭は札幌市立丘珠小学校、2代目の獅子頭は札幌村郷土記念館に保管。現在の獅子頭は平成2年に作られた500万円の獅子頭で5代目である。
(参考:『北海道の文化』, 平成30年3月1日発行, 北海道文化財保護協会)

北海道の獅子舞

それでは、ここで北海道全体の獅子舞の概況についても触れておこう。道内には約150件が伝承されており、①神楽系 33件(22%)②伎楽系 100件 (67%)③風流系  17件(11%)となっている。また、富山県から伝承 57件(砺波型, 氷見型が多い),  香川県から伝承 13件が確認されており、札幌の獅子舞は丘珠も篠路も富山県由来のため比較的多数派である。ちなみに、北海道最古の獅子舞は、江差五勝手鹿子舞(宝永年間・1700年代)であり、その後に厚岸神楽(弘化2・1845年)などが続いていく。

(参考:『北海道の文化』, 平成30年3月1日発行, 北海道文化財保護協会)

札幌らしさを問う、獅子頭作り

丘珠と篠路は札幌の中心から見たら郊外にあたる。札幌駅や札幌時計台といった中心市街地において、獅子舞が舞われるとしたらどのような姿をしているのだろうか?2022年2月27~28日の日程で、実際にこのエリアで材料を拾い集めて、獅子頭を作ってみる試みを実施した。

北海道大学は材料の宝庫

北海道大学アイヌコタンの跡地である。自然が豊富に残されていて、冬でも様々な樹種の木の枝や葉を採取することができた。シラカバ、エゾマツ、ポプラなどだ。地域的な素材を使った獅子頭の制作に向けて、札幌の土地の文脈を読み取り反映していくのに、とても良い場所である。

本来、獅子頭は現在の多くの地域がそうであるように、遠方の職人に頼んで作ってもらったものではなく、身近な生活の中で使わなくなったものや拾える樹木などをくみ合わせて作ったはずだ。

中島公園大通公園などを見て回ったが、結局、最も多様な樹種が存在し採取も容易にできる場所として、札幌の中心街に近い場所では北海道大学が最も適しているように感じられた。

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他に獅子頭の材料の調達は、コンビニに置いてある地域のフリーペーパーや、アートスタジオでもらった北海道新聞、街路樹の木の実などを拾った。無料で拾えるものならなんでも獅子頭の素材になりうるとすれば、雪の滑り止めのために各所に設置された砂や飲食店の机に置かれた調味料などももしかすると獅子頭に使えるかもしれないと思った。つまり、都市空間のどこかに存在し、無駄と思われているものや使われていないもの、無料でもらえるもの、それらすべてを組み合わせて獅子頭を作っていくのだ。

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以下の写真が獅子舞を作っている時の様子である。札幌天神山アートスタジオの和室をお借りして製作した。

北海道の天然水の箱をスーパーで採取し、それを起点として、北海道大学で拾った松で髪の毛を生やし、角をつけた。また、天然水の箱には側面に北海道新聞の記事やチラシ、広告などを貼り付けてより地域を凝縮させるような獅子舞を作り出した。

新聞や段ボールのような大量生産する経済活動を連想させるものがベースにありながらも、そこにアイヌが歴史の中で向き合ってきた森の資源を加えることでその調和のようなものを考えながら作っていた。また、どれも全てリサイクルできる、あるいは森に返せるものであり、持続可能な循環を生み出せる材料を使うことにこだわった。獅子頭が縦長なのは、身近な獣である鹿や熊の頭を意識したからだ。

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獅子頭の材料一覧】

·ダンボール「北海道の天然水」、マルセーバターサンドの包み紙 (澄川駅前マックスバリュで採取)

·エゾマツなどの植物(北海道大学で採取)

·北海道新聞(札幌天神山アートスタジオで採取)

·各種フリーペーパー(セイコーマート中央店)

※これらを地域でお借りしたガムテープやドライバー、ハサミなどを利用して工作。

獅子舞が生息できる場所を探す

ではここから、獅子舞が札幌市中心市街地のどこに生息しうるかという話である。神社に始まり神社に終わるという流れがあり、ここでは門付け型の獅子舞が地域の家やお店、企業などを一軒一軒回ることを想定している。そう考えると、店単体ではなくエリアとして、舞い場を考えていく必要もある。

以下の写真が、獅子舞の生息エリアを表示したMAPだ。獅子舞はまず、極端な長方形型をした大通公園付近にある三吉神社(①)から始まる。そこから大通公園の北東方向にある行政的な中枢・札幌市役所(②)に向かい、そこから門付けが始まっていく流れである。これは通常、町内の獅子舞が神社→公民館→門付けという流れで行われていることに従う。そこから札幌時計台という観光名所であり話題性のある場所を通り、北海道の中枢である北海道庁に向かう。三吉神社の信仰圏で最も神社に近い地銀である北海道銀行北洋銀行を通過し、長い商店街である狸小路商店街の1~7ブロックをじっくりと回る。最終的な見せ場は札幌西区のイベント会場・大通公園で舞いを披露し、三吉神社に戻ってきて奉納の舞いをして締めくくるという流れである。

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これらの場所を選定した理由は、まず札幌の最も商業が盛んな商店街をルートに組み込めるからだ。地域に愛されるお店も多く、ご祝儀を多くいただける可能性がある。また、大通公園札幌時計台など話題性のあるところを含めることで、獅子舞の士気も上がっていく。また、行政的な中枢である札幌市役所や北海道庁を含めることで、行政のお墨付きももらって、さらに地域に愛される獅子舞となり発展していくことだろう。

獅子舞ルートの周辺で舞いづらい理由

この獅子舞エリアより北側は札幌駅などの話題性がある場所があるものの、マンションや高層ビルの多い住宅街やオフィス街が広がり、地上で行われる獅子舞という地域活動に理解をいただけるかわからない。

西側と東側は少し閑静なエリアになるため、札幌の獅子舞というよりは1地域の獅子舞というイメージになってしまい、話題性に乏しい。

南側にはイベント会場などに利用される中島公園などがあり、比較的話題性があるが、すすきのより少し南側のエリアの治安がそれほどよくなく、ゴミのポイ捨て、それを貪るような凶暴なカラスなども多く見られた。これらの理由により、獅子舞の生息エリアが自ずと確定された。

アイヌと開拓の接続点を見出す獅子舞

今回のルートにおいて、北海道大学獅子頭供給の拠点で泉のように原材料がコンコンと湧き出し原生林広がる太古に接続できる地であるならば、それを世に広め地域の中で機能させるのは大通公園をブレインとしてその周辺に展開される商業地であると考える。つまり、僕にとって札幌の獅子舞は開拓者のものではなく、長い北海道の歴史の中で生成されたアイヌ文化と開拓者の持ち込んだ商業的文化を接続させる存在でもあるのだ。

獅子舞ルートの検証

それでは、獅子舞の生息場所を考える上で、重要ないくつかの場所について見ていこう。

獅子舞の発着地「三吉神社」

通称「さんきちさん」の愛称で親しまれている。札幌中心市街地を起点とするならば、獅子舞の発着地としては最も生息可能性の高い神社である。空間的な舞い場としては、参道が約50mほどあり問題がない。狸小路商店街などの大きな商業地に近く、それらの人々にとって身近な神社で地域の人々に親しみを持たれている。空間的にも人の気質的にも、獅子舞を受け入れてもらえそうな余地がある。また、神社については北海道神宮頓宮という選択肢もあったが、少し格式が高いような印象を持ったため、三吉神社を選んだ。

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地上と地下歩道(チカホ)

人が多い地下歩道と、人が少ない地上の対比関係が面白い。寒くて雪が降って地面はバランスが取れない。そのような地上の不便さもあり地下へと潜ることで、便利・快適な交通空間や商業空間が創出された。ただし獅子舞の生息可能性は地上の方が大きい。人が密になりすぎた地下歩道で門付け型の獅子舞が通ったら人にぶつかってしまうかもしれない。以下に挙げる地上の写真には北海道銀行北洋銀行が並んでいる。地域貢献度の高い地方銀行を中心に、面的に獅子舞の舞い場が確保できる可能性がある。

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話題性のある「札幌時計台

観光地でありながら残念スポットと言われやすい札幌時計台。正式名称は旧札幌農学校演武場である。札幌の風水を語る上では非常に重要スポットとも言われ、なぜか観光客が絶えない。目の前の道から入り口まで大きなアプローチがあるため、獅子舞は舞いやすい。僕が訪れた時もなぜか、スマホ片手に「写真とろうよ!」などと声を掛け合う男女の姿が見られた。このような場所に獅子舞が出現することは話題性もあるし、獅子舞を広く認知してもらうために必要であるように感じる。

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内と外が交錯する「北海道庁

この場所は北海道の行政の中心地でありながら、そのレトロな作りによって観光地にもなっているという内側と外側の人間が交錯する場だ。北海道庁の門の前には道路元標があり、札幌市の道路の起終点として昭和3年に設置された。つまり、この場所は北海道および札幌市の道路の枝葉が分かれる中で、最も根幹の幹を担う部分であると言えるのだ。庭は広く多様な植栽が植えられており、獅子舞が走っても跳ねても人にぶつからないくらいの大きな空間的余白もある。その意味では獅子舞の生息可能性も高い。

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地域に愛される「狸小路商店街

商店街の密集地である狸小路は1~7の区画がありお店が並んでいる。この商店街の中は、完全に歩行者天国だ。地下歩道ほどに直線が続くわけではなく、すぐ横の道に流れることもできる。そのため、人が多い箇所もあるが、地下歩道ほどに密になることもない。それで、獅子舞の生息可能性は比較的高いと言える。商店街は地元のお客さんに支えられている店も多く、獅子舞に対してご祝儀を出してくれる可能性も高いだろう。

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獅子舞の見せ場「大通公園

札幌市資料館の展示によれば、大通公園には5つのテーマが設けられており、それは花、フロンティア、つどい、オアシス、交流だという。札幌西区の1丁目から13丁目までで区画が定められており、この横長の公園が過密な札幌という都市の緩衝材のような役割を果たしているのだろう。この公園はYOSAKOIソーラン祭り雪まつりの舞台にもなる。もし獅子舞行列のようなものがあるとしたら、あるいは門付け獅子舞のラストを飾る盛り場のようなものがあるとしたら、この大通公園なのではないかと思う。

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雪が獅子舞の生息可能性を広げている

雪が降る冬に札幌を歩くと、歩道の隅に雪が高く積もっている光景が見られる一方で、歩くために踏み固められた道がある事に気づいた。大きな雪のダマはまるで化け物のようだ。あるいは、美味しそうなケーキの断面にも思える。この雪こそが、獅子舞の生息可能性に大きな影響を及ぼしている。

雪という厄を想定した都市づくり

実は今回、私が札幌に滞在した2022年2月26日~3月5日は札幌市が観測史上稀に見る積雪量を記録した直後のことだった。飛行機は2度も欠航し、一度の遅延を経て、5日遅れで成田空港から新千歳空港に降り立った。そのような状況下で、どうしても雪という厄について考えざるをえなかった。

いや、これを厄と捉えるのは勿体無いとも思った。歩行者が通るのに必要な道は踏み固められており、雪が積もっている部分は余剰空間だと考えられる。このような余剰こそ、人間より体が大きい生き物である獅子舞の生息できる空間と言えるのだ。

札幌という都市全体が雪を想定した道幅や空間が作られており、除雪した雪を溜め込む余剰空間も様々な場所にある。だとすれば、札幌が雪を想定して都市空間を作ってくれたおかげで、雪解け後に獅子舞を実施すればその恩恵をうまく享受できるというわけだ。そういう視点で言えば、札幌市は獅子舞の生息可能性が非常に高い。

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雪が積まれた空間は単なる余剰であるばかりか、ソリ引きや犬の通り道など、様々な移動によって、拡張していく。以下は中島公園の写真。歩行に近い人力的な移動に多様性をもたらす。そう考えると、獅子舞の移動も、歩行の延長上にある遊びのようなものなのかもしれない。

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飛行機の欠航に対する対応の違い

2022年2月23日に新千歳空港行きの2度目の欠航を知らされた時、「またか」と思いながら、成田空港で電光掲示板を眺めていた。雪によって新千歳空港は全便が欠航という状況。寝袋と食料提供のシステムがあり、650人が空港で一夜を明かしているらしい

新千歳空港ではそのようなものが支給される一方で、何も提供されない成田空港にいる事にどこか寂しさを感じた。新千歳空港方面のみの欠航だから、職員も特にその乗客に対して特別な対応はしないという事だろう。欠航を余儀なくされた人は、僕のように自分の家に帰らざるを得ない人もいる。それで、交通費がかかってしまう。

成田空港では欠航によって困っている人たちが注目されることはないというのが事実で、どんどん飛行機に搭乗する人々を横目に、引き返すという虚しさがあった。ここに豪雪地域とそうでない地域における助け合い精神の差のようなものを感じた。

Youtubeで大雪のニュースを眺めてみる

家へと引き返す電車の中で、北海道の雪に関するニュースをYoutubeで片っ端から眺めた。そして、気になったものに関してメモをしておいた。このような状況において、地域コミュニティの助け合いが重要になるし、獅子舞の実施を支える根本的な精神に通じるものがあると思う。

①江刺函館自動車道では車が立ち往生して連続追突。車180台が動かなくなり、避難所に向かう。車には雪が覆い被さっていく。

②札幌で雪かきをする人々がいる。雪をかくことで1日が過ぎてしまうという日常。ある意味仕事だらけの状態であり、この感覚が職業に起因する人々の平等性に寄与している話もある。

③江刺ではごみ収集車が20台の渋滞。次の日にごみ収集がお休みになるという事態が発生。ごみ捨てができなくても、みんな同じ状況だから..とそれを許容する人たち。一方で捨てられたごみにたかる狐もいる。

④歩道がなくて車道を歩かざるを得ない住宅街もある一方で、中には雪を掻き分けてかろうじて玄関までのアプローチを作れたような家もある。「若者向けの集合住宅はまめに除雪したりする人もいないだろうからすぐにかまくらみたいなもの(雪の塊)ができる」というコメントが妙に意味深に感じられた。

⑤灯油配達者は雪を掻き分けて家のどこにタンクがあるのかを探しあてねばならない。

札幌における人の気質を考える

札幌人の気質は、獅子舞的精神に合致するのかについても考えてみたい。

・ご祝儀出してくれそうな会社がいっぱいあるか  

札幌において、ご祝儀を出してくれるのは基本的には地銀と商店街になるだろう。ただ、北海道の人々の特徴として倹約家なのに趣味にはお金を費やす性格の人が多いと言われる。そのため、獅子舞にハマる人が増えれば、自ずとご祝儀の額も高くなるだろう。

・獅子舞の担い手になってくれそうな若者はいるか  

札幌にはよさこい雪祭りなど、季節を問わず様々な祭りが行われており、その担い手たちを取り込んで実施できる可能性はある。

・祭り好きの精神は根付いているか

基本的には開拓民が一致団結して土地を改良していく流れから150年しか経っていない。地域で協力して物事を進めたり、新しい文化を取り入れたりすることには長けている。そのような中で、祭りが故郷を偲ぶ気持ちを癒すという文脈で語られることが多い。

・祈りを捧げるという信仰心を持つ人はいるか

天神山の相馬神社で御神木に触りながら頭を垂れて一人で祈りを捧げるという地域住民を何度も見かけた。祈る心を持つ人々は少なからず存在するだろう。

・獅子舞の道具を保管してくれそうな人はいるか

道具の保管場所には困ることが予想される。今回の獅子舞のルート上には公民館の類がなく、保管するならば神社か獅子舞に熱い担い手の家ということになるだろう。

 獅子頭を作れそうな手先が器用な職人はいるか  

倹約精神にあふれた北海道民は、手作りの獅子頭を作るなど、プロに発注しない場合もある。そうなると、本来獅子頭職人に頼んで獅子頭を作ってもらうところを自分たちでブリコラージュして作るということもあるだろう。

・獅子舞を授業に取り入れてくれそうな学校はあるか  

札幌市立丘珠小学校では郷土資料室があり、丘珠獅子舞保存会から使わなくなった獅子舞に使う道具の寄贈を受け、展示している。小学校の1室がまるで博物館のようになっているのだ。このように、ふるさと学習に力を入れている小学校では、何らかの授業に獅子舞を取り入れてくれる可能性も高く、獅子舞の継承という点でも大きな可能性がある。

獅子舞生息可能性を実際に確かめてみる

実際に獅子舞が札幌に生息するとしたら、どのような姿でどのような舞い方をして、それに対して地域からはどのような反応が返ってくるのだろうか。獅子舞の生息を想定して、いくつかの動画を残しておきたい。

 

獅子舞生息可能性都市<札幌>①サッポロビールで獅子を清める

獅子舞生息可能性都市<札幌>②札幌村の開拓は玉ねぎから始まった

獅子舞生息可能性都市<札幌>⑤鳩と対決する獅子舞

獅子舞生息可能性都市<札幌>⑥さっぽろテレビ塔で、子供に怖がられる獅子舞

獅子舞生息可能性都市<札幌>⑧北海道庁で舞う獅子舞

そのほかの動画はこちらからご覧ください。

札幌市中心部で獅子を舞ってみた感想

獅子舞を受け入れると思われた三吉神社は以外と受け入れに対して慎重だった。「獅子舞を奉納させてくれませんか?」と言うと、「ちょっと確認をとってみますが、今日中にお返事というのは難しそうです」とのこと。いきなりだったので怪しまれてしまった節はあったが、空間的にも参拝者の層からしても、獅子舞に適した舞い場という印象だったので少し意外だった。

また、獅子舞の姿で歩いている道中、「獅子舞と記念写真を撮ってほしい」とか、「頭を噛んでほしい」とかそういう申し出はなく、「上手ですね」と話しかけられることはなかった。これは秋田市で行ったときとの大きな違いであり、札幌市よりも秋田市の方が獅子舞生息可能性が高いことがわかった。

札幌市の人々にとって獅子舞は、ただひたすら得体の知れないものから逃げるという感覚のようだ。道端で信号待ちをしていると、横にたっていた20代くらいの女性が後ずさりして動画を撮りだし、信号が青になると走って逃げてしまった。また、テレビ塔では、小学校に上がる前の子どもたち5人くらいがいたが、獅子舞を被って向かっていくと、皆面白がっていたが逃げてしまったこともあった。また、この時子供の親たちは動画を撮っていた。あと「Youtuberですか?」と撮影者に声をかける人がいたが、獅子舞に対して声をかける姿は見られなかった。

怖いもの見たさに獅子舞に関心を示す人が一定数いたものの、基本的には逃げるというのが常であり、獅子舞との積極的なコミュニケーションを図ろうとする人は少なかった印象である。それでも、舞うこと自体は可能だったし、札幌市には獅子舞の生息が可能であることを確認できたので良かった。

最後に、今回のプロジェクトにご協力いただいた札幌天神山アーティストインレジデンスの方々や友人、地域の方々などに感謝の言葉を述べて締めくくりたい。これから札幌という都市の風景はどう変わっていくのかについても注目していきたいところだ。