城下町の獅子舞の特徴とは?石川県小松と大聖寺は似ている

小松市の曳山交流館みよっさに行ってきた。ここで、大聖寺と小松の共通点が明らかになるとともに、城下町の獅子舞の特徴として新しい側面が見えてきた。双方ともに城下町であり、大聖寺藩と加賀前田藩という土壌の違いはあれど、武家文化が花開いた点では同じである。町の作りは碁盤の目のようになっており、不思議と相生町、鍛冶町、中町...など町名も共通している。お祭りの日程は、大聖寺が4月第2週の桜まつりで、小松が5月第2週のお旅まつり。ということは、雪解け後に商売が活発になる少し前の時期である春が祭りシーズンであり、商売繁盛の意味が込められているのだ。

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両地域に伝わっている獅子舞は、伝来経路でいえば大聖寺が江戸方面、小松が伊勢方面という場合も多く、その点では異なっている。ただし、双方の獅子舞にはお座敷由来の蝶々が登場するのが共通点としてあり、加賀地方全体でこの蝶々を使うことが流行っていた可能性がある。そして、小松に伝わっている伊勢系の獅子と同じ源流を持つ獅子舞は加賀市内では唯一宿場町である動橋町に伝わっている。宿場町のような遠方から人の往来があるような地域では、同様に伊勢などの遠方から獅子舞が伝わったということも多いように思われる。また、担い手になるのが小学生から高校生までの子供達が中心であり、獅子を持つのが子供の場合も多いため、獅子頭が小さめに作られているのが特徴である。小松には「後弁当」という祭り後の打ち上げのような風習があって、大聖寺など他地域では飲み会と言う場合が多いだろうが、「弁当」と名付けるのはどこまでも子供目線の表現にも感じられる。

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また、大聖寺には曳山がないが、小松には曳山がある。櫓などは双方にあるし、唯一違うことといえば、やはり曳山にどうしても注目したくなる。どちらの町も綿糸産業で財力をなしたことに変わりはない。平地が多いし空間的なスペースも十分にある。それなのに、この差はどうして生まれたのだろうか?曳山という存在に対する関心や些細なきっかけがあったからかもしれないが、この地域差について説明するのは難しい。いわゆる文化圏があるからという説明以上の何か手がかりのようなものを見つけたいところだ。

また、小松の曳山は自分の地域という意識が非常に強いのが面白い。橋向こうに渡るには、お祓いをしないと渡れないという風習もあって、地域の境界には厄が潜むという考え方が今に伝わっているものと考えられる。

何れにしても、小松の各町の曳山を交流館という形で順繰り展示していくのは、曳山という巨大で豪華絢爛なシンボルがあるから成り立つ展示形式だ。富山県の新湊の方も曳山が盛んだが、お祝い事や正月のタイミングで「ご開帳」のように地域の方々にお披露目されるのは面白い。曳山自体は神輿のように神様を乗せるものではないが、それだけで展示が成り立ってしまう迫力のようなものがある。それで、倉庫に眠らせておくのももったいないからと公開される。ハレではなくケとしての日常において曳山が活用されていくような動きは素晴らしい。

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