【2021年9~11月】石川県加賀市 獅子舞取材 大聖寺五軒町

10月21日

16:00~ 大聖寺五軒町

区長の小林啓志さん(70歳)にお話を伺った。同行は北嶋夏奈さん。獅子頭が中々見つからず、区長さんに過去に区長を務めたことのある町内の方々に聞き取りしてもらい、獅子頭をはじめとした祭り道具を見つけていただいた。今回は、それらを小林さん宅に集めてもらい、今回撮影とインタビューを行うことができた。小林さん宅には、水牛の角などが玄関に飾ってあり、興味深いものがたくさんあった。

残存する獅子頭は2つあった。大人獅子と子供獅子があり、それぞれサイズが違っていた。今、70歳の小林さんが中学生くらいの時より少し前には大人の獅子がやっていたので、約60年前ごろに大人獅子から子供獅子に切り替わったと思われる。面白半分で、親子獅子をやろうかという話をしていたが、結局それはやらなかった。大人獅子は大きく、髪の毛がパーマがかかっているような縮れ髪で、それが特徴的だと感じた。また、獅子で暴れてどこかにぶつけたのか、鼻が少し擦れている。大人獅子の作者はわからないが、子供獅子の作者はわかる。林竜代さんらしい。これは弓波町などと同じ作者だ。制作年代は不明である。子供獅子は10年くらいしか続かなかった。子供獅子の獅子頭を見ると修理はしていないが、眉の色のはげ以外はピカピカで綺麗な状態だ。五軒町の獅子舞の起源自体はよくわからない。

また、蚊帳は茶色で素朴な色だ。また、ラッパや笛、太鼓、バチなども出てきた。ラッパは獅子舞の時に使ったかどうか定かではない。バチで叩いて音を出す鼓(つつみ)のようなものも残されている。まつり道具はとても多いが、これらは区長持ち回りで保管していくようだ。

祭りは加賀神明宮の氏子なので、4月の桜まつりの時のみ行う。大人獅子の時は蚊帳の中に3.4人、子供獅子の時は5.6人以上入っていた。太鼓は2人、鼓は人数不明である。子供獅子の時は小学校1年生からやっていたが、年齢の上限はよくわからない。その時の状況次第という感じだった。現在、獅子舞は10年前くらいから実施していない。最後の年は、蚊帳の中やしっぽを振る役は女性が務めていた場面もあった。練習は桜まつりの1ヶ月前から始まり、子供達の練習は部活が終わって、ご飯を食べてから行なった。町民会館のような施設はないため、道端などで練習をした。

祭りの当日は、2日に渡って獅子舞が行われた。昔は加賀神明宮から回り始めたと聞いたことがあるが、実際には見たことがない。町内を回るのはずっとやっていて、町内35軒ほどの家が今も昔もあった。ただ、昔は大家族で親戚が住みに来たり、2世帯のところもあった。今は、家の軒数はあまり変わりないとはいえ、空き家が多い。五軒町の場合、空き家でも留守宅の前でも舞う。舞い方はよくわからないが、蝶々をワーワーやっていたような記憶がある(おそらく、大聖寺関町同様に連獅子由来の獅子かもしれない)。大聖寺はよく他町に舞いに行くという話をよく聞くが、五軒町は人数が少ないため、他町の本陣も個人商店も回った記憶はない。桜まつりの当日は、朝8時から始まり夕方には終わっていた。2日ともに、子供獅子に参加した子供はお菓子がもらえた。2日かけて35軒を回るということは、基本的にかなりゆっくりと時間をかけて1軒1軒回っていたことが想像される。ご祝儀の値段に関しては、よくわからない。500円から1000円札くらいの金額だったような気がする。祭り当日のお昼は、本陣となった個人宅で家主が場所を提供してくれて、そこで食べた。ただ時代とともに、そういうことは中々できないようになった。獅子舞の運営は一貫して町内で行っていた。青年団や保存会などの組織はなかったようだ。

近年、町内の獅子舞はやっていないが、大聖寺中町や大聖寺関町などが町内の商店に舞いに来たこともあった。中町は暴れ獅子でダーっと走るシーンが印象的だったという。

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