【2021年9~11月】石川県加賀市 獅子舞取材 大聖寺法華坊町

17:00~

大聖寺法華坊町

区長の中谷悟さんにお話を伺った。向かったのは個人宅のような町民会館。新しい家のように見えたが、20年経っているとのこと。2階は整体の方が使っているらしく、布団が敷いてあった。獅子頭は軽く小さいサイズのものが1つ残されていた。獅子頭は耳が割れているものの、他の部分は比較的きれいな状態で残されている。獅子頭裏面の開口部に大きな鈴をつけており、町民からしたら「鈴の音が印象的だった」ようだ。獅子頭がどこで作られたのか、またいつ作られたのかはよくわからない。獅子頭の裏には書かれておらず、箱は残っていなかった。

今は獅子舞を14~5年以上しておらず、青年団も無くなってしまった。以前は、子供獅子をしていた。平成に入ってから子供の数が極端に減ってしまった。小学校2クラスしかなかったときもあったが、子供の数が1300人もいた。女の子でも棒振りをさせてみては?という話もあったが実現せず、男の子が2人以上入る年も無くなったので継続が難しくなった。大聖寺の他の町などでは女性が棒振りをしているところもある。法華坊町では、獅子舞とは別に女性はお座敷芸みたいな扇子を持った踊りをすることもあった。

最後の方の獅子舞は蚊帳の中に入るのが3人、棒振り1人(子供)、笛1人(30代)太鼓2人という構成だった。少なくとも7人は必要で、青年団の団員は10人はいたような記憶がある。4月の桜まつりの時のみ祭りをしていた。この時、獅子舞は自分の町内だけではなく、他の町にも舞いに行った。

昔、法華坊町は湿地帯だった。大島さんという方がこの湿地帯を持っていたが、この土地をどう活用していたのかよくわからない。家が建ち始めたのは、ここ100年ほどの話だろう。「法華坊町の紹介」という看板が町内に立てられている。そう考えると、大聖寺の街中ではかなり新しい町である。商売を始めた飲食店が多い町で、寿司屋だけでも何軒かあった。獅子舞を習ったのは三谷から。三谷といえば、直下町はオスで激しく、日谷町・曾宇町はメスでゆったりとした舞いであるが、法華坊町は比較的激しい舞いだったようで、棒振りがあるとなると、もしかすると直下町由来かもしれない。ただし、「金貨一千万両、御酒肴は...」という口上はないため、それは伝わっていないと思われる。

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