【2021年9~11月】石川県加賀市 獅子舞取材 片野町·片山津温泉·千崎町(追加)

10月15日

18:00~片野町

橋立公民館の吉野さんに電話で、片野町住人である二羽哲也さんにお話を聞いていただいた。約80年前から獅子舞が始まった。片野町の住人が南郷町に働きに行き、そこで習った。赤獅子で太鼓が2人、獅子の操りと蚊帳の中に五人くらい入っていた。今は演目が1つだが、当時は二三種類あった。角がないメス獅子で彫った獅子頭だった。オスメスの獅子頭があったという噂があるが、そのような事実はないとも言われる。現在の獅子頭は、約40年前に購入。知り合いを通じて名古屋で制作された。現在は青年団が少なくなり、太鼓に2人、獅子頭と蚊帳、2~3人で行っている。この獅子頭は合板のため、非常に軽量である。蚊帳は、42歳の厄年の人二人が寄付。青年団が図案を考え、炎の模様を描いた。大聖寺鉄砲町、山本染め具店に依頼した。現在は青年団が減り、存続に苦慮している。

 

10月16日

9:00~ 片山津温泉

片山津温泉観光協会の道見喜洋さんとまちづくり推進協議会会長の岡田豊さんにお話を伺った。同行は山口美幸さん。片山津温泉1区の話を中心として、片山津温泉全体の獅子舞の変遷に関してお話を伺った。

明治時代から続く片山津温泉全体の青年団が途絶えたのが、昭和53年だった。最後の方には、青年団単位ではなく、預金講単位で若者に声をかけて、3日間の湯のまつりの日のamは誰、pmは誰という風に、30人ほど振り分けをしていって、獅子舞の担い手を集めていった。いくつか預金講がありそこに声かけをすれば、もちろん青年団メンバーとかぶる人もいたが、預金講経由で声をかけた方が人が集まりやすいという状況ができていた(現在の50歳代の人までは預金講が活発に行われていた)。つまり、獅子舞の担い手というのはイコール青年団というわけではなく、青年団には様々な役目がある中で獅子舞も運営をしていて、その獅子舞には青年団外部の人でも関わることができたのだ。その中で、なぜ、青年団経由ではなく預金講経由で声をかけたのかといえば、青年団がうまく機能していなかったからだ。その背景には「あすなろ会」という片山津版のJC(青年会議所)のような組織が活発に活動していて、青年団よりもそちらに時間が取られて、青年団活動に専念する人が少なくなっていたと考えられる。これは山代温泉が温泉全体として青年団を継承している現状と比較するとよりよく理解できる。山代温泉の場合は、菖蒲湯神輿を作った流れがあるので、青年団が残っているのかも知れない。「あすなろ会」は片山津地区ではなく片山津温泉の中枢であり、バイパスを作ったり、フォーラムを開いたり、町をどうしていこうかという話し合いをする機能があった。今では、観光協会や商工会があるが、もっと全体的なまちづくりを考える役割があったのだ。「あすなろ会」は今でも存在しており、片山津温泉の人は加賀市青年会議所にほとんど所属していないのが現状である。

青年団がなくなった後、昭和54年には、3つの獅子舞運営の流れができていた。それが、片山津温泉1区の獅子舞、片山津温泉2~6区の有志で社会福祉法人 伊奈美園に獅子を保管あるいは獅子の棒振りのみ踊らせていた獅子舞、青年団時代から少しずつ実施されていた片山津温泉6区の子供獅子の3つだ。社会福祉法人 伊奈美園は片山津温泉1区にあったので、片山津温泉1区の青年団とは別に、社会福祉法人 伊奈美園と他町の青年団有志によって他の町内を回るような1区を起点とした裏取引(打ち合わせ)のようなものがあったと思われる。その後、片山津温泉2~6区の有志で実施していた獅子舞が、昭和56年ごろには、5区が独立して舞い始め、2~4区も世帯数が少ない中で協力関係を築いて舞い始めたという流れである。

片山津温泉1区の獅子舞の始まりは昭和54年ごろなので、子供が多い時代だった。一番最初は、大人が獅子頭を回していたが、途中から、子供が関わる獅子になった。それで、太鼓の叩き方が片山津温泉の伝統的な青年団のと違う獅子になっていった。単純で鼓笛隊のような叩き方になったのだ。女の子が小太鼓を叩いて音を出していた。子供がやりやすい形での継承となった。獅子頭・太鼓は子供で、笛のみ大人がやっていた。獅子舞が始まって、1年目にコンキラコン、2年目からシャンシャンを始めた。小学校1~2年生はやっていない時もあり、3~4年生は三番叟と棒振り、5~6年が獅子をした。7月20.21.22日の3日間で湯のまつりで獅子舞をやっており、輪踊りや神輿も実施していたが獅子舞とうまく両立ができていた。その湯のまつりの練習は観光会館で行われた。ただ、このころの小学生中心の獅子舞も、いつ頃からか大きな獅子頭が新調されてからは、獅子頭を回すのが中学生以上になった。現在は、棒振りは小学生男女、太鼓は中学生・高校生のOBOG、獅子頭も高校生以上という風に役割が変わっている。

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18:30~千崎町

青年団OBの池中さんのご紹介により、建築士の下野純市さんが古い獅子頭を修理している最中とのことで、今回お話を伺うこととなった。同行は吉野裕之さん。この獅子頭は歴史が古く大正時代に遡れるかもしれない。とても古い獅子頭なので、大聖寺の古い獅子頭同様に顔が前後に長いという特徴も見られる。白山市の鶴来で作られた、あるいは修理されたものだろう。ただし、獅子頭がどこで作られたのかという正確な記録は残されていない。

この獅子頭は外観としては黒いが、下地の色として赤色を使っており、数回、色が塗り替えられた痕跡がある。獅子頭の持ち手のT字の縦棒が斜めに付いているのが面白い。これは持つときに獅子頭が地面に向かって少し下の方に向くように作られており、この事によって舞いに対しても大きな影響があると言えるだろう。獅子頭の裏側入り口に貼られている皮は牛である。右の耳は接続部の木が新しく長めなので、過去に修理したと思われる。また、耳の付け根の本体との接合部は針金か何かで取り付けられており、耳が少し動くように取り付けられている。右の鼻は欠けてしまっているが、昔は獅子退治ということで、獅子舞の際に鼻の辺りに棒振りの棒を叩きつけることもあったようで、それで壊れてしまったと思われる。

下野さんは1度塗りを剥がして、また上から色を塗る形で修理を進めようとしており、お願いされてから10年ほど着手していなかったが、今年に入ってから少しずつ始めたようだ。

下野さんが初老のころに寄付した神輿もいま、鳳凰の尻尾が少し痛んできている。神社に石を寄付してもしょうがないからと、神輿にした。この神輿は富山県の刑務所で70万円(通常の半額くらい)で作ってもらったものだ。

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ps. 2021年11月8日追記

19:30~ 千崎町

獅子頭の再撮影に伺った。9月の第3土日に獅子舞を行う。秋祭りはなかったけども、今年は伝統をつないでいくために、獅子舞の練習をおこなってきた。元々はは内灘から橋立地区に伝わった棒振りの獅子殺しの内容が伝わった。棒振りは小学生で、たまに中学生。笛は中学生と高校生、太鼓は青年団という構成となっている。今回、獅子舞の練習も拝見できたが、獅子の方が赤と黄色が生えるとても鮮やかな色で、これを使用する場合は6~7人も中に入るようだ。これは移動用とは別の蚊帳である。これを使用する場合は中に竹を通して舞う。