民俗学という学問にとって写真はどのような位置付けで考えるべきなのだろうか。芸術なのかそれとも記録なのか。曖昧な境界を先人たちは様々な立場で論じていた。石川直樹『宮本常一と写真』(平凡社·2014年)の内容にそって振り返る。
宮本常一と写真
『民俗学の旅』1978年より、父善十郎から言われた十ヶ条がとても興味深い。
①汽車を降りたら、窓から外をよく見よ...駅へ着いたら人の乗り降りに注意せよ...
②新しく訪ねていったところは、高いところへ上ってみよ...目を引いたものがあったら、そこへは必ず行ってみることだ
③金があったら土地の名物や料理は食べておくのが良い
④時間にゆとりがあったら、できるだけ歩いてみることだ···
⑩人の見残したものを見るようにせよ
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美意識に叶うものがあれば、メモをするようにカメラのシャッターを押した。オリンパスペンで生涯撮影した枚数は10万枚以上。人を撮るときは表情を撮らずに着ている服や使っている道具、立ち居振舞いや身ぶりなどを撮った。全体像をおさめるために被写体との適度な距離を保っていた。1情景1カットの場合が多かった。上手い写真を撮ろうと連写をする姿勢は無かった。ただ、左右ずらして繋がりを見せようとすることはあった。どこまでも素直で、懐かしさを感じさせる取り方であるといえる。
一方で民俗的な情報の惹かれてシャッターを押したのではなく、綺麗な光景にたいして押しているところもある。民俗学の視点からはそれほど重要でない余計なものもフレームの中に入れた。これが写真家的な目線だ。ただし本人は芸術的写真を批判していた。木村伊兵衛のような技法的写真の上手さがあるのではなく、対象の人物の姿が生き生きしているという風な写真だった。「民俗」ではなく「生活史」を撮った、つまり、目の前で展開される芸能や祭りがどのような生活と歴史によって続いてきたのかを調査したのだ。
宮本常一の写真に対して森山大道は「ものに感応するセンサーがすごい」と言い、荒木経惟は「惹かれるから撮っている」とみる。つまり、記録ではないと考えているようだ。
使用カメラ:コダックのベスト判カメラ、ウェルターのブローニー判、アサヒフレックスI、ハーフサイズのオリンパスペンS(Dズイコー3cm f2.8)、ウェルターのブローニー判8枚撮り
民俗写真についてスタンスの違い
名取洋之助と写真
報道写真の草分けであり、芸術的·主観的な写真を否定した。組めない写真、読めない写真ではない写真を目指したのだ。宮本常一に大きな影響を与えた。
柳田國男と写真
民俗学のマテリアルは目で見るもの、耳で聞くもの、心の感覚で直接感ずるものがあり、写真によって成しうるのは有形文化だけでなく無形文化も含まれると考えた。言葉に言い表せないけど写真だとピンと感じるものがあるという。都会人と田舎人の顔つきの違いなどがその例だ。それは写真表現の幅が広がるほどに忠実になる。一方で、相手に写真を撮ることを意識させると自然であるはずのものが不自然にもなる。個性を探らずあくまでも社会文化という一般を探ったというわけだ。つまり帰納法的な考え方であり、多い材料から取らねばできることではないという。柳田國男の民俗学を継承した橋浦泰雄や早川孝太郎、今和次郎などは写真よりもスケッチなどを用いて無形文化を見ようとした点は興味深い。
使用カメラ:イーストマンコダック社製のロールフィルム、ドイツ製テナックスモデルのアトム判フィルムパック用カメラ、レフレックス型カメラ
土門拳と写真
本当のスナップというのは、普通に今までのように撮ると非常に貧弱なものしか撮れない。写真から来る迫力が非常に弱くなる。ゆえにある瞬間の自然な様子を把握することはやめてしまった。そこで、最も典型的な態度や生活様式なり労働様式を出す方向に舵をきった。瞬間的なものよりも最大公約数を見いだすやり方である。これは、柳田國男とプロセスが真逆である。
折口信夫と写真
単なる民俗記録に収まりきらない強い個性を感じさせるものがあるが、撮影者不明の記録が混在しており、評価が難しい。
日本民俗写真史
重森弘淹『日本写真全集9 民俗と伝統』1987年を参考に、日本の民俗写真の歴史を振り返る。(畑中章宏「日本民俗写真史」より)
草分け的存在としては、濱谷浩(民俗学的な眼で記録をおさめた第一人者)や、園部澄(岩波文庫スタッフ、テーマは自然·郷土玩具·民具)であろう。そして、民俗学的視点にはっきりと立った写真家として、芳賀日出男、萩原秀三郎、渡辺良正、内藤正敏の4人が挙げられている。以下、それに続く民俗写真史の系譜である。
1960年代から写真家の民俗的な視点が芽生え始めた。日本の高度経済成長に伴う国土開発と急激な都市化、安保闘争や全共闘の挫折などが背景だ。
高梨豊『都市へ』(1974年),『東京人1978-1983』(1983年), 『初國』(1993年)
北井一夫『村へ』(1965年)
東松照明『太陽の鉛筆』(1975年), 『光る風-沖縄』(1979年)
森山大道『にっぽん劇場写真帖』(1968年), 『狩人』(1972年),『遠野物語』(1976年)
荒木経惟『荒木経惟写真集3東京』,『写真劇場 東京エレジー』(1981年)
土田ヒロミ『俗神』(1976年)
鈴木清『流れの歌』(1972年),『修羅の国』(1994年)
内藤正敏『婆 東北の民間信仰』(1979年),『出羽三山と修験』(1982年),『遠野物語』( 1983年)
須田一政『風刺家伝』(1978年)
鬼海弘雄『王たちの肖像』(1987年),『PARSONA』(2003年)
植田正治『童暦』(1971年)
南良和(秩父の農村), 比嘉康雄(琉球の祭祀),小島一郎(津軽の農家や風景)
※写真家ではないが、この時期の岡本太郎や宮本常一、折口信夫の写真についても興味深いものがある。
1980年代以降は民俗学から人類学に興味が移った。境界を越えていこうという意識が現れている。写真集のタイトルがなぜか英語だらけだ。
鈴木理策『KUMANO』(1998年), 『Piles of time』(1999年)
小林紀晴『ASIAN JAPANESE 』(1995年),『はなはねに』(2009年), 『KEMONOMICHI』(2013年)
津田直『SMOKE LINE』(2008年),『Storm Last night』(2010年)
石川直樹『NEW DIMENSION』(2007年),『VERNA -CULAR』(2008年),『CORONA』(2010年)
田附勝『東北』(2011年),『KURAGARI』(2013年)
志賀理江子『螺旋海岸』(2013年)
これからは完全に自分の考えだが、民俗の写真はどのような展開を見せるのかも考えていきたい。近年、日常を撮る写真家が増えているのは気のせいではあるまい。秘境とか未踏とか呼ばれる地理的に遠いとか訪れるのが困難な場所が消えつつある今、全ては個人のストーリーに独創性が求められるように思う。エベレストに登って写真を撮ったからすごいのではなく、誰がエベレストに登って写真を撮ったのかというのが大事な気がする。個人の経験の掛け合わせの先にできる新しい文脈を大事にしていきたい。