シェアハウスは都市を変えるか?というイベントに参加してきた。

シェアハウスは都市を変えるか?というイベントに参加してきた。

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シェアハウスは、分断されたものに対して再統合していく動きとなりうる。

 

江戸時代は、百姓はなんでもやった。

村人の家のカヤの吹き替え、畑仕事、草履づくりなど。

しかし、明治の産業革命以降、効率的分業的に生産がされるようになって、それぞれのプロフェッショナルが生まれた。そして、昭和という超資本主義的社会ができた。大量生産大量消費の高度経済成長時代は、バブルとともに弾けた。

これからは、ものを作れば売れる時代ではない。建築、不動産、デザイナー、と分業化されたものを再統合して、生活の集合体、または、まちづくりの文脈で各個人の職能を捉えていく時代になった。そんな中で、個人がリビングで繋がり、街へと出ていく、そんな寛容性ある動きがシェアハウスによって作られるのではないか、ということである。

 

視点としては、シェアハウスの歴史を見てみるのが面白い。

現代の傾向としては、明治の再来とも言われる。産業革命進展の反面で、実はシェア文化がまだ息づいていたようである。明治32年の共同長屋をみると、月極め家賃で若者が住宅をシェアして住んでいたという。特異なのは、はなれのようなところに若い夫婦も住んでいたようだ。この流れは全般的に、現代で言うところの安宿・ゲストハウスである、「木賃宿」から来ているし、わりと同時期の話である。このようなものが流行る傾向は、なんだか現代と似ている。

 

さて、より生活が集合的になっていく中で、シェアハウスと地域の関わりはどうなるのか。

よく考えられることとしては、1階がパブリックで、2階がプライベートという形。プライベートはシェアハウスの個室にして、1階で交流が生まれるというパターン。

お金の流れを見ると、

1階がフロー型である。カフェやイベントでマネタイズして、単発収入を作っていくのが一般的だ。これにより、パブリックで開かれた空間となる。

2階がストック型である。シェアハウスなどで、安定的に継続的に収入を作っていく形だ。

 

こうやってビジネスモデルが、まちづくりの文脈で作られ、地域の人々、情報、課題、様々な要素が交錯する。

このモデルは、少なからず葛藤が生まれる。パブリックな要素を強めてルールを厳しくして秩序を保つか、プライベートの要素を強めてゆるく秩序を保つか、という話である。

しかし、それは究極的にいえば、人と人との共存を問うているわけで、パブリックをどう上手くマネジメントしていき、かつプライベートをどう確保するかに頭を使うという方向である。

こう考えていくと、シェアハウスというのは一面的な活用手法にすぎず、そこだけで考えるのは、ある意味資本主義的で、今の日本には合わない。それに、なんとなく均一的になってしまう。より混在的で、クリエイティブな場を創ることが、これからの時代の流れになっていくのではないか。これからも面白いことに頭を使っていきたい。

 

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<稲村行真プロフィール>

空き家冒険家。

中央大学法学部卒。学生起業経験あり。大学生時代に、100軒以上の日本の伝統的な古民家を訪れ取材して、卒業論文にまとめた。卒論のテーマは「古民家の価値について」。

東京から石川までの約450kmを2週間かけて徒歩で移動し、道中30軒以上の古民家を取材した「古民家冒険project」で、NHKテレビ「おはよう日本」等のメディアに掲載。
2017年4月から、東京都日野市の築150年の古民家を活用して、コミュニティハウスを運営。子どもを核として地域がつながるシェアハウスとイベントスペースを運営している。この活動により、交流ある暮らしの場をデザインしている。