日本で一番有名な古民家?合掌造り集落のすごさに迫る@古民家

こんにちは、古民家鑑定士の稲村です。

 

今日は、日本で唯一世界遺産に登録されている民家の集落「白川郷・五箇山の合掌造り集落」についてお話します。

 

みなさんは、突然、都会から山奥に引越しせざるを得なくなったら、どう感じるでしょうか?

 

今からさかのぼること、約1000年。

1180年に合掌造り集落の歴史は始まった。

源平合戦で、倶利伽羅峠にて木曽義仲に敗れた平家の人々は、落人として合掌造り集落にたどり着いた。

都とは全く環境の違う、雪・風・寒さといったあまりにもつらい生活環境の中で、知恵を振り絞って、独自の文化を創りあげ、「強く生き抜いた跡」が合掌造りの古民家を見ていると感じられる。

 

まずは、屋根。

日本の中でも有数の豪雪地帯であるため、雨量が月平均180mmに達する。

雪を下す負担の軽減や、水はけを良くするために、屋根の角度は45~60度となっている。茅葺きであるため、水分をはじかずに浸透させ、軒に排水する仕組みとなっていて、家の中には水が入らない材質上の工夫がある。そして、農地が確保しづらい土地柄であるために、内部に養蚕スペースを作るため、屋根も大きくなっている。

 

次に、広い床面積。

この地域は、塩硝生産が盛んに行われていて、かなり養蚕の生産とも密接な関係があった。蚕のフンと雑草、土を混ぜて3~4年土壌分解させると、不思議なことに塩硝が出来上がったという。秘密の実験室のようなイメージを掻き立てる。また、この土地は耕作地が限られているために、細分化されるのを防ぐために大家族制度が一般的となり、大家族が暮らすには広い床面積が必要になった。

 

最後に、3~5階建ての内部構造。

小屋組みと軸組を分離する「ウスバリ構造」という構造になっている。小屋組みが屋根を支える構造、軸組が屋根や2階部分を支える基礎構造のことだ。そして、小屋組み部分は、さらに下部の「アマ」と上部の「ソラアマ」に分かれる。アマは2階部分で、蚕・茅・食料の保管や、住人の寝室となり、ソラアマは3階部分でアマと同じ役割を果たした。養蚕作業に不可欠な通風と採光のために、妻側には窓などの開口部が設けられている。

 

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参考文献:世界遺産検定事務局(2013)『すべてがわかる世界遺産大事典<上>世界遺産公式テキスト』