獅子頭を封じるという行為について考察~千葉と石川の事例~

千葉県千葉市寒川神社という場所に、興味深い獅子頭がある。

(以下寒川神社のホームページ参照)

 

ここに保管されている獅子頭は桐で作られた漆塗りで、法隆寺獅子頭に似た造りをしていて、製作年代は鎌倉時代であるとのこと。2体で1組とみなす考え方があり、これに沿って考えると、酷似した獅子頭は宇治の平等院にあるという。

 

この獅子頭にはある言い伝えがある。漁師の投げ込んだ網に、獅子頭が入ったのでそれを神社に祀ったところ、神社の沖合いを航行する船の沈没が相次いだそうだ。これは獅子頭の祟りとのことで、神社の神殿の下に石室を作って封じ込めたところ海難事故がピタリと止んだという。この出来事があった年代は明らかでない。

 

獅子頭の内側にある朱漆の銘によれば、千葉一族の原氏が1481年に社殿再建と獅子頭の修復をしたとある。これが上記の漁師の網に獅子頭が入った前なのか後なのかという時系列的はわからない。

 

上記のお話に関して、2021年4月3日に寒川神社へお電話をして詳細を伺った。これらの話は、全て地域の人々の言い伝えであり、参考になる文献はないとのこと。この獅子頭が宇治の平等院方面から海を伝って流れてきた可能性もあるかと思い伺ってみたが、詳細はわからないようだ。

 

獅子頭を海や川で拾ったという伝承は関東地方で多く聞く話だ。これは何かの教訓を語り継ぐための遠野物語のようなお話なのか、それとも実際にそのような出来事があったということなのだろうか真相は定かでない。獅子頭を神社の境内に封じ込めたというのは、石川県金沢市波自加彌(はじかみ)神社の麦喰獅子の話と似ている。麦喰獅子の場合は、獅子が田畑の麦を食い荒らすから閉じ込めたという言い伝えがある。

 

千葉や金沢の事例に関して、何れにしても海が荒れることや、田畑が食い荒らされることという生業にとっての予測できないダメージを鎮めるために、獅子頭というモチーフが登場したことに違いはない。推測するに、自然と生きる中で生じる災厄を具現化したのが獅子頭という芸術であり、それを封じ込めることによって精神的な安定や祈りを体現していたということだろう。