【岩手県遠野市・釜石市】 しし踊りと猟師取材 1日目 ~外山鹿踊・猟師・お山かけ~

 12/1(火)は岩手県釜石市遠野市に滞在して取材を行った。主に取材対象としているのは、しし踊りの運営者や猟師など。人口減少が進む中で、担い手の少なくなっている文化の担い手を取材して、冊子を制作する予定だ。今年7月に参加した遠野市クリエイターインレジデンスで出会った方々のご協力により、スムーズに取材を進めることができた。伺ったお話を匿名で以下に記す。

 

 ▼釜石の外山への道

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釜石市 猟師取材

釜石の猟師の方にお話を伺った。獣を獲る目的は料理する楽しみのため。地域として必要性に駆られるから獲るという認識ではない。焼肉のたれとか塩を振るだけとかシンプルなもので食べることも多い。熊は内臓が一番美味しい。熊汁を500人鍋で作り、地域の人にお正月に振る舞うこともある。昔であればクマの皮を買いたい人も多かったが、今ではそういう人が少ないので捨ててしまうことが多い。クマの頭は盛岡のコロナのPCR検査を行うところに研究材料として提供する。

毎週日曜日に狩りに出かける。11月1日から狩猟が開始され、それ以前は有害駆除。狩猟だけでなく有害駆除でも美味しそうな獲物は食べる。今年は既に1ヶ月間(11月?)で12頭の熊を2人で獲ったとのこと。去年は有害駆除だけで170頭,今年は117頭を獲った。釜石は一頭あたり8000円の値がつく。尻尾や顎とか統一して獲った個体数を管理する。周辺地域から見たら安い金額なので、他の町に売られることが懸念される。ジビエにしようと思ったら、綺麗に食肉加工場に引き渡さねばならないのでハードルが高い。熊は今年は特に多いが、小さい子熊をよく見る。鹿、熊、ヤマドリ、キジ、イノシシなどを獲っている。釜石は鹿が多いから、県外から捕りに来る人も多い。慰霊碑を拝む際には和尚さんが来る。

▼熊の爪

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ヒアリングの後、りんご、くま油、熊肉、熊の爪のキーホルダーなどたくさんの貴重なものをいただいた。とてもありがたい。熊の爪は福をかき集める意味があるという。お正月の熊手と同じ意味だ。釜石はりんごの産地の印象はなかったが蜜がぎっしり詰まっていて美味しかった。 

釜石市 外山鹿踊り取材

鹿踊りの撮影風景

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集会場にて、お話を伺った。鹿踊鹿踊保存会が運営を行なっている。男性が踊るもので女性は踊るものではなかったが、今では女性も一緒に踊るようになった。現在、保存会のメンバーが50人くらいで、30人が踊り手である。20歳以下の子供の割合は3分の1強くらい。現状は人数不足。村の人数は100人以上いたのに、今では50人もいない。かつては村人だけでやっていた。兄弟が多くて担い手に困らない時代もあった。でも、現在は釜石の中心部の街の方から保存会のメンバー来るなど、他地域の協力のもとで成り立っている。釜石市は、かつて盛岡についで人口が多かった。製鉄所があったことが大きな要因だ。やはり、産業があり仕事があると人口も多くなる。担い手には、太鼓と笛と頭をかぶる人、刀などが含まれる。太鼓と頭は別で、幕踊り系の鹿踊である。

 

鹿踊りの演目

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村のお祭りの当日は9月中旬過ぎ。練習は土日に行う。茨城や岩手の北上から依頼された時など、市外で踊ったこともある。地域の神様はお不動さん。鵜住神社の例祭で踊るのがメイン。この例祭はほぼ4年に1回の頻度で行われ、「オリンピックみたい」と言われていた。奉納の神事とも結びつきが強い踊りとなっている。祭りの当日の流れは、先人たちのお墓参りをして、氏神を拝み、カドガケをして、集会所の前で踊る。昔は家の前で踊ったが、今は集会所の前にて踊りを集約している。演目は基本的に大量のオスが1頭のメスを奪い合うというもの。その演目を見て盛り上がる。

 

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踊りの始まりは昭和29年。外山から嫁をもらった田郷地区の人が外山地区に鹿踊を伝えた。また、その前だと、房州(今の千葉県)のタダキデンジという人が沢田地区に泊まってわらじを脱いだという記録がある。その人が鹿踊を伝えたとされ、350年前の話である。この人の職業は木こりだった。鹿踊りの頭の表情は、普通であれば優しい顔をしていることが多いが、ここでは厳しい顔をしている。昭和29年に鹿踊を伝えた人が、この頭を制作した。

 

しし踊りのお話を伺った後は、近くの稲荷神社をご案内いただいた。鳥居が3つあり、少し曲がった素朴な木でできている。これは遠野でよく見る鳥居の形で、都市部は綺麗に整えられすぎているので、なかなか見ることはない。

 

さて、僕が写真や文章でできることは、地域の方々から聞いたことを次の世代の人々に伝えること。地区内では、鹿踊の概要をまとめた冊子は既にある。釜石まちづくり株式会社などとも何か連携してできるかもしれないとのこと。ひとまず、祭りの撮影、猟への同行など、今後も取材を継続できたらと考えている。その中から、成果物(冊子など)のアイデアを練っていきたい。

遠野市 早池峰山お山かけ等ヒアリング

遠野市に移動して、早池峰山に登る「お山かけ」の文化を体験するイベントを実施している方に聞き取りを行なった。お山かけは戦後までやっていたが現在は途絶えている。もともとは山伏の文化で、早池峰山は自分達の帰る場所とされた。岩手県の海岸部の人は漁に出た時、陸に帰れないと当然生き延びられないので、早池峰山灯台のような目印だった。そのため、早池峰山を信仰の対象として登っていた。江戸時代の人がお伊勢参りをするような感覚に近いだろう。今は観光で来た場合、車で山頂近くまで行ける。しかし、昔は海の方から歩いていかねばならなかったから一大行事になった。

 

興味深かったのは、石川県の白山には池があって、早池峰山の「池」の字と対応しているという話。どちらも修験道の山だ。自分は両地域に濃い関わりがあるので、もっとこの点は深掘りしていきたい。海外ではブータンのガンガプンスムを始めとして、信仰の対象となっている山は登山道がなくて足を踏み入れてはいけないところも多い。そういう場合は里から拝むという場合がほとんど。しかし、日本では、あえて山に登り一回死んで再生する修行をすることが山伏の文化なのだ。

 

死者との対話という意味では、早池峰の麓の大出の初盆のしし踊りに位牌褒めという演目がある。神楽は勿体なくて繋げたいという意識が強い。形というよりも取り組んでいる人の心、覚えようと努力することが美しい。人が人に伝えてきたもので、ビデオで記録するというのも良し悪し。型は繋いでいった方が良いが、人から人に正確に繋がるということはない。ステップが重要で、大地とコミュニケーションしていく感覚。アイヌイヨマンテは熊の毛皮をかぶることで、神様が自分と一体化する。神楽の権現舞も、途中から衣装を被る。神楽の目は空から俯瞰するタカとかワシの目を表す。人間が自然と対話していく中で、神楽が生まれたのだろう。そのほかにも、建築、林業、自然農法、療法、クワオルト、話題は多岐に及び、とても興味深いお話を伺った。

 

本日のまとめ

1日目からとても濃い取材ができた。人口減少が進む中で、失われゆく文化は少なからず非経済的であり非効率的な側面がある。しかし、取材させてもらった方々の表情は笑顔にあふれていた。今まで地域が受け継いできた文化には受け継がれる理由がきちんとあって、それだけ過去の蓄積もある。それを学びと捉え、持続可能な暮らしを考えるヒントを少しずつ頂いているように感じる。自分はどういうコンセプトで冊子を作るべきか。少しずつ考えていきたい。