【2020年10~11月】石川県加賀市 獅子舞取材17日目 天日町 大聖寺京町 大聖寺荒町

石川県加賀市での獅子舞取材。本日は3地域に伺うことができた。以下、お話を伺ったことをまとめておく。

 

①天日町

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天日町区長の小川津与志さんに天日神社の中腹にある倉庫へ案内していただき、お話を伺った。天日町の獅子舞の話を伺ったところ、何もわからないという。実は、今の区長さんのじいちゃんの代から途絶えており、かつてのことを話しができる人がいない。獅子頭を出したのも今までで初めてとのこと。獅子頭の箱はビニール紐できつく縛られ、中の獅子頭もプチプチの梱包材に包まれてかなり大事に保管されていた。中の獅子頭は、髪の毛が縮れており、顎が2つに割れてしまって、鼻も多少スレている。後、残っている道具といえば、尻尾とカヤと太鼓。カヤには少し焦げた跡がある。宴会でもした時に焦がしてしまったのかもしれないとのこと。笛や棒振りの棒は探せば出てくるかもしれないが、そもそも存在したのかよくわからないという。それにしても、なぜ獅子舞は途絶えてしまったのだろうか。謎に包まれている。

 

獅子が保管されているは天日神社の御霊は以前、作見小学校の方に移されていたことがあった。賽銭箱を守るためだという。それゆえ、拝殿の錠もかなり頑丈に作られている。神社の祭りはないが神事はあるそうで、服部神社の宮司さんに頼んでいるらしい。また、この地域は崖があるので、人が多く住めない。世帯数は13軒しかないので、祭りや獅子舞の担い手を確保できないという背景もある。それでも、かつての獅子を大事に保管されていることを想うと感慨深い。

 

Ps.天日町の獅子舞について

昭和61年に石川県教育委員会がまとめた『石川県の獅子舞 獅子舞緊急調査報告書』によれば、天日町の獅子舞は昭和35年にすでに途絶えていたという。始まりは明治初期に大聖寺敷地町から習った、と伝えられている。舞いの動作は、太鼓の音とともに左右前後に動き、豆拾いをして頭を持ち上げて終わるというものだったらしい。カヤの中には6~8人が入ったそうだ。昭和61年の時点でもわかっていることは以上のことだけである。

 

大聖寺京町

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京町区長の桶谷孝治さんにお話を伺った。送迎と取材の様子の撮影は山口美幸さん。この地域には町民会館がないので、PLUS KAGAが借りている町屋の隣にある倉庫に獅子頭や小道具が保管されている。獅子舞の運営は青年会で兄弟関係の繋がりもあり、5家族9人が行なっている。祭りの当日は、町内に加えて周辺の町も舞う。ご祝儀は2000円から5000円である。曲は1つのみで、「天下泰平」の文字を描きながら舞う。太鼓と獅子だけで舞い、棒振りはいない。ご祝儀によって長さを変えるということはしない。よその町でも舞うので、獅子舞が重複するところもある。祭り当日の流れとしては神社の奉納から始まり、朝9:00~17:00くらいまで獅子舞をした後に、栄楽寿しで打ち上げをする。獅子舞の練習は、祭りの1週間前から梅田畳店で行う。この地域には、日展作家が2点作ったうちの1点の飾り獅子がある。昭和38年(1963年)の獅子である。お話を伺った後に、梅田畳店の店内で獅子頭をじっくりと撮影させていただいた。とてもありがたい。

 

大聖寺荒町

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荒町区長の吉田昇一さんにお話を伺った。送迎と取材の様子の撮影は山口美幸さん。この地域の獅子舞は片山津から習ったものだ。日露戦争後、明治40年から始められたと言われている。戦争で一回途絶えたが、昭和24年から復活した。現在獅子舞は行われておらず、何十年か前に途絶えている。行われていた頃は、子供獅子で棒振りもいた。太鼓と笛は大人がやった。舞い方は三番叟1号(短棒2人)、三番叟2号(鉦2人)、チョウチョウトマレ(長棒1人)、コンコラコン(長棒1人)、チーコロ(長棒1人)、シャンシャン(長棒1人)の6つで、後半の2つは後ほど舞われなくなった。子供は1人1つ担当を決める形で覚えたので、人数もかなり必要だった。高校生の時は12クラスで1クラス50人以上いた時代である。高校生以上でも20人ほどメンバーがいた。太鼓は1人、笛は5~10人必要だった。ご祝儀の額について、平均的には500~1000円くらい出していた。収益は飲み会に使う一方で、子供に還元しようということで福井の三国や金沢などへ遊びに連れて行った。獅子頭は2代目と3代目のものが残っている。どちらもかなり綺麗で、保存状態が良い。平成22年6月にいずれかの獅子頭の髪の毛や塗装を修理した。昭和10年、昭和53年に獅子頭を制作したという記録がある。これは、1代目と3代目を制作したときのものかもしれない。

 

この地域の町民会館は水守神社の敷地にある。大聖寺の桜祭りの際には、御輿が一晩泊まりに来られるので、それを徹夜で番する。敷地内は駐車場になっているが昔は子供の遊び場で、サーカスが来たこともあった。問屋や織物など商人も周辺に住んでいた。獅子舞のことを聞いていると、もっと大きな地域の話まで知れるのが面白い。

 

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ps. 獅子頭の角

そういえば先日、大聖寺山田鍛冶町で何十年も前に獅子頭の角を新調したというお話を伺った。その角は出っ張りがあって変わった形をしていた。荒町の町民会館に今回行った時に、碁の盤の足がこれとそっくりで驚いた。もしかすると、サイズが同程度の碁の盤の足を獅子の角として使ったのかもしれない。