【2020年10~11月】石川県加賀市 獅子舞取材16日目 伊切町

2020年11月5日

本日は、伊切町の獅子舞を取材した。元伊切町区長の小蔵恵一さんに町や獅子舞の歴史や舞いのことなどについて詳しいお話を伺った。取材の様子の撮影の送迎は山口美幸さんにお願いした。

 

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伊切町の歴史について。まず福井の三国から来た人々が移り住み、塩づくりを始めた。伊切町と新保町は昔から助ける、助けられるという関係があった。昭和19年までは盆と正月に、役員や区長、区長代理がお互いの町を行き来して、どんちゃん騒ぎをして帰るという習慣があった。伊切町は新保町に対して、大きな恩を感じている。昔は伊切町と新保町で1つの小学校があった。また、砂の害で伊切町は2回移ったことがあった。新堀川を掘った時には畑をずらした。どんどん形を変えて移り住んでいく移民のような逞しい町民性があるのかもしれない。

 

次に、獅子舞の歴史について。昔、獅子舞は伊切町にはなかった。そこで、昭和33年に潮津町に習いに行った。潮津町は当時、地域の中心だった。その他にも、安宅や橋立にも習いに行った。一番最初に習いに行ったのは安宅だったという人もいるが、現在の獅子舞の太鼓の節は潮津町のものに近い。篠原町の節も潮津のものに似ている。当時、船大工の交流があった。地引網の船は橋立や安宅で作ってもらったので、それと同時に獅子舞も習わせてもらった。獅子舞を習いに行ったというのは、練習に混じらせてもらったという方が近い。

 

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獅子頭について。獅子頭は昔、白くて重たい橋立のような獅子だった。今では、赤い獅子に変わっており、新旧2体ある。古い方の獅子頭は金沢別院で昭和37に塗り替えてもらった時の署名が獅子頭の裏に書かれている。鼻が高くて目が大きいのが特徴だ。近くの柴山町の獅子頭も鼻が高い。また、家大工が作った練習用の獅子頭も2つある。

 

獅子舞について。舞いは壱番、弐番、参番、壱番から参番までの連続、アイボウ、シャンシャンという6種類がある。運営主体は青年団。今は昔より、太鼓や獅子の動作が早くなった印象があるが、メロディーに変わりはない。今はカヤの中に4人しか入っていないが、昔は6人入っていた。青年団は10人もいないので、OBが応援に入る。青年団の年齢は30歳くらいまでである。神社で舞う時と家を回る時で、舞の形態は同じである。お花代は区長は1.5万円、普通の家だと3000~5000円くらいである。区長さんの家では、壱番、弐番、アイボウ、シャンシャンの4つぐらいを舞う。壱番から参番までの連続は舞い手が疲れるから、めったに舞うことはない。弐番が一番舞う時間が短いので、踊る頻度が多い。昔、シャンシャンは最も格式がある舞いで、特別な家でしか舞わなかった。だが、今ではシャンシャンを舞う機会も多くなった。

 

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祭りの日程は、新保町は9月12.13日、伊切町は9月15.16日、柴山町は9月23日あたり。みんな祭りの日程がずれているから、お互いの祭りに出かけることができた。伊切町の祭りは9月15日だったが、10年以上前に15日近くの土日へ日程がずれた。祭りの当日は120世帯回る。昔は、1日目に町内を回って、2日目に伊切町の人が移り住んだ片山津の温泉街まで舞いに行ったこともあった。今では2日間かけて町内を回ることが多く、町外まで舞いに行くことは少なくなった。祭りの1日目は朝5時ごろに八幡神社の奉納舞いをすることから始まるが、最近は朝6:30~7:00頃に開始時間が遅くなっている。奉納舞の後は、区長さん、神社総代、神社総代に近いところという順番に回る。夜は19:00ごろまで舞っている。盆踊りをその後にやっていたが、最近はやることも少なくなった。2日目は朝8:00頃から舞い始める。また、伊切町の祭りでは小さい3mくらいの伝馬船の御輿があり、子供が持って町内を練り歩いた。