【2020年10~11月】石川県加賀市 獅子舞取材15日目 東山田町 奥谷町

石川県加賀市での獅子舞取材も残りあと1週間をきった。今日は東山田町と奥谷町の獅子舞を取材させていただいたので、伺った内容を以下に記す。

東山田町@東山田町町民会館 9:30~

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作見地区史編纂委員の角谷孝治さんに、かなり綺麗な公民館に案内していただいた。取材風景の撮影と送迎は山口美幸さんにお願いした。明治25年ごろに獅子舞が始まったと言われる。大聖寺の菅生町から伝わった。獅子頭をどこで作ったのかはわからない。小さめの鈴がついており、耳が垂れている。中学生から30歳まで、6~7人の青年団がいる。昔は、高校生からやっていたが、今では人数がいないので中学生からやってもらっている。また、厄のある数え年25歳までやっていたが、今では30歳までやる。昔は春祭りがあったが、今は秋祭りのみ。春分の日あたりの土日でやっている。昔は結婚式の時にお座敷獅子も少しやったらしい。

 

神社への奉納の意味を込めて、奉の字を書いて踊る。最初はゆっくりで後半激しくなる。また、豆拾いやのみ取りという動作もある。豆拾いは地上近くでパクパク獅子頭を動かす動作で、ノミ取りはそれを胸の前くらいまであげて同じ動作を行うことを言う。棒振りはいない。カヤには4人、あとは太鼓だけのシンプルな獅子。舞の種類は1つだけ。お花代によって舞の長さや本数を変えることはしない。お花代は3000~5000円。祭りの日は8時~15時まで、35軒を回る。それにしても、獅子頭の鼻の脇に縦線の傷ができるのは何故なのだろう。各地域を回っていて、この獅子頭の傷をよく見る。

 

2021年1月18日 追記

instagramでコメントをいただき、愛知県刈谷市に伝わる寄木獅子頭の名古屋型についての情報を教えていただいた。京都造形大学の卒業研究でこの型について研究した方がいるらしく、寄木獅子頭はいわゆる木を集めて付けて掘るタイプとのこと。作り方によっては軽さと強度が増すらしい。もしかすると、獅子頭の鼻の脇に見える縦線の傷は、木と木の継ぎ目かもしれない。石川県は一木造りが一般的なので、もし寄木獅子頭だとしたら珍しい。参考リンクも貼っておく。http://g.kyoto-art.ac.jp/reports/1963/

 

②奥谷町@奥谷町民会館13:00~

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奥谷町梨生産組合の岩山則生さんにお話を伺った。取材風景の撮影と送迎は、吉野裕之さんにお願いした。舞いは中能登から伝わったとのこと。先日伺った羽咋もそういえば天狗が出てくる獅子舞である。この地域は100年以上前にきこり(木挽きさん)がいた。家を作る時、製材所がなかったので職人さんを能登から呼んで地域の木を切って家を建てた。その人たちが獅子舞も伝えた。この獅子舞には天狗が出てくる。もともと天狗の話はこの地域にはないので、能登から獅子舞と同時に天狗も伝わったと考えられる。そういえば、大聖寺錦町も獅子の先導役として天狗が出てくる。関連性はわからない。

 

獅子舞は、奥谷町から三木町や周辺地域に伝えられた。三木地区内では現在、三木町と熊坂町しか獅子舞をしていない。奥谷町は平成30年が最後の獅子舞だった。その時の記念写真が町民会館に残っている。祭りをする神社は菅原神社。獅子舞のメンバーは棒振り1人、太鼓1人、笛1人、カヤ5人である。カヤの中に入るのは子供。舞いは三木町と似ていて、最後に天狗が出てくる。退治型の獅子である。棒振りの棒は先が槍になっている場合と、布がヒラヒラとついている場合がある。舞の種類は4種類ある。曲の名前は、宝達(能登の地名でもある)、山獅子、キュウブリなどである。

 

獅子頭は横幅が広い。目や眉毛は富山のデザインにも近いようにも見える。しかし、白山市鶴来で作ったとのこと。雌獅子である。今でもかなり綺麗な状態で保存されている。獅子頭の修理は作ってくれた人に頼んだそうだ。多分この獅子頭は2代目で、以前の獅子頭は残っていない。 大昔の事実は定かではない。