【2020年10~11月】石川県加賀市 獅子舞取材13日目 庄町・橋立3町ヒアリング

本日は、撮影なしで今まで訪れた地域の獅子舞をより深く理解するためのヒアリングを行った。訪れたのは庄町と橋立3町。山口美幸さんにヒアリングの様子の撮影をしていただく。以下、お話を伺ったことを記す。

 

①庄町@庄町民会館

f:id:ina-tabi:20201103072953j:plain

庄町獅子舞保存会の北村政樹さんと寺井章さんに地域の獅子舞の歴史について伺った。昔も今も獅子舞の運営に関わっているお二人。獅子舞の歴史をどう捉えてらっしゃるのだろうか。

 

まずは、舞いや当日の様子について。今は棒振りがない。昔は青年団が棒振りをした。青年団について歩く中学生は、太鼓を引っ張る者や、やかんにお茶を入れて持って歩く者、太鼓を叩いている人を扇ぐ者などがいた。子供達はこのようにして、徐々に青年団に親しんでいった。ついて歩いた小学生や中学生はアイスが食べられた。また、祭りのお昼は「ゆのくに食堂」で冷やしうどんを食べることが恒例だった。祭りの本番は朝8時から開始する。練習は3週間。お花代が5000円、区長であれば1万円とか。24歳までは青年団、25歳からは預金講、その後は町の区役や消防団が回ってくる。そのような町の繋がりや上下関係があった。

 

舞の種類は、以下のように整理できる。

・宮前:神社への奉納の舞

1番→玄関に獅子の顔を入れる

2番→棒振り2人で普通舞

※宮前の2番は8方位を意識して舞う

・道囃:笛や太鼓のお囃を鳴らしながら回る

・各家での舞い

1番→玄関に獅子の顔を入れる

2番→棒振り1人で以下を舞う

①普通舞:3000円くらいの時に舞う

②小太刀(おたち):~7000円くらいの時に舞う

③てんまり:派手な動き, 1万円以上のご祝儀で舞う

④かさのうら:地味な動き(①に動作を1つ加えただけ), 1万円以上のご祝儀で舞う

※ご祝儀の額と舞い方は必ずしも対応する訳ではない。

 

f:id:ina-tabi:20201103073148j:plain

 

明治43年(1910年)に現在の舞いが成立した。当時は北国街道があって、庄町は江戸の頃から絹織物が盛んだった。動橋からの海運もあった。七日市や八日市という地名が周辺にあるように、市も立っていた。集落としてもかなり大きかったと思われる。庄で盛り上がった絹織物は後に、大聖寺で作られることになる。それから、大火で周辺の家も焼けてしまった。その日が8月11日だったから、今の祭りは8月11日に行われることになった。つまり、弔いの意味が込められている。

 

江戸時代にも獅子舞があったと言われるが、かなり素朴なものだった。明治に入って梶井町の堤防整備が始まる。寺井の能美郡の人が来ていて、そこから獅子舞を習ってきた。でも、まだ太鼓も笛もなくて地味だった。明治43年に動橋と山代の間に電車を整備しようということで、富山の中田町から青年団の人が来ていて、その人から習った。それが八方位の獅子を舞っていて派手だった。新しい娯楽として、獅子舞が流行っている時期でもあった。その時に習ってきた時のメンバーで、荒川というじいちゃんがいた。その話が庄町の町史に載っている。

 

途中、人手不足のため棒振りがなくなったが、13年間のブランクの後に寂しいということで復活した。2014年から、人手不足で獅子舞の手伝いで声がかかった。2019年には、保存会にしようという声が上がった。ただ、青年団に人が入らないことがないように、あくまでも保存会は助っ人としてアドバイスや手伝いで獅子舞に関わっている。2020年は獅子舞をコロナ禍でも6~7人で4軒回った。今年辞めたら、来年もコロナだと言ってできない。それならば、保存会メンバーでやろう!ということになった。このように獅子舞実施の背景には、年配の人々が獅子舞に関わっていたことが大きいだろう。

 

庄町の獅子舞の歴史を教えてくださった北村さん曰く、「組織や踊りは借り物だが、形の伝統よりも組織が動いていて人が育っていることが重要なのではないか」とのこと繋がって盛り上がれる仕組みが大事だ。情報交換しあってどんな事が議論されているのかを共有していく必要があるかもしれない。僕自身、加賀の獅子舞は地域が個々に動いているが、それを集約する企画展や中心地の祭りのようなネットワーク、装置が少ないと感じている。より組織同士の交流が活発になれば、獅子舞についてもっと考える機会ができるだろう。

 

②橋立3町 @田尻町の山本吉弘さん宅

f:id:ina-tabi:20201103072844j:plain

約5年前から橋立3町(橋立・田尻・小塩)の獅子舞の魅力を伝えるべく、ポスターを制作をしているという山本さんにお会いしてお話を伺った。全てボランティアで制作されている。30軒ほどの場所でポスターを掲載。ポスターは主に3種類あって、北前船の里資料館前、橋立漁港前、両方で、それぞれの獅子が何時頃に見られるかを記載している。ではなぜこのような活動をされているのだろうか。ご自身は、小さい頃に獅子舞を舞ったことはないそう。お酒に強くないといけないし、当時は人が多かったから選ばれないと舞うことはできなかった。それでも地域の魅力として伝えていきたいと感じたという。残さなければいけないというよりかは、獅子舞が魅力的だから知ってほしいという方が近い。また、子どもたちが棒振りで楽しんでるのがとても嬉しいとのこと。後半は、2010年から撮影されている橋立3町の獅子舞の動画をたくさん見せていただいた。「金貨一千万両、御酒肴は,,,」という口上は、とても勇ましい。「どっこい、どっこい」という獅子が舞う時の掛け声が印象的だった。とにかく獅子頭やカヤは大きくて迫力があった。

 

Ps. 『明治12年江沼郡コレラ騒動記』を執筆した見附裕史さん電話ヒアリング(橋立町)

コレラが蔓延して漁業ができず、内灘から福井の三国と加賀の橋立へ移住した人がいる。その際に、若いうちに獅子舞の経験があった人が橋立に移住してきた。北前船は明治の中頃から衰退して、それから漁港へ発展していくことになる。『内灘町史』『橋立町史』を読むと詳しいことがわかる。また、現在住んでいる橋立の80~90歳のうち半分は内灘出身である。その方々に伺えば、獅子舞についてさらに詳しいことがわかるかもしれない。