【2020年10~11月】石川県加賀市 獅子舞取材11日目 桑原町・庄町・森町

2020年10月31日

今日もほとんど取材できていない地区を中心に回った。案内人は、山口美幸さん、吉野裕行さん、勅使町まちづくり会長の西川昌之さん。以下、伺った話を記す。

 

①桑原町

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区長の須磨広樹さんにご紹介いただいた青年団団長の上口真人さんにお話を伺う。高校一年生の時から現在(31歳)まで獅子舞を携わってきた(一時期県外に行ってた)。秋祭りは8月17日。獅子舞は朝4時半から始まり、夕方5時くらいまで。あとおき(飲み会)を含めて深夜一時くらいに撤収となる。前日16日には津波倉町も獅子舞を舞う。津波倉町は町内会としては一緒で、そちらに区長はいない。舞いは2曲あり、お花代は3000円と5000円が多い。毎年140軒くらい回る。お花代が5000円の場合は3分で2曲舞い、3000円の場合はその半分くらいで1曲舞う。曲の1つは自分たちで新しく作ったもの。凄い獅子を色々と見て参考にして作った。棒振り・笛・太鼓が1人ずつ、獅子舞2人。人が多い場合は笛を2人にする。16歳から24歳くらいまで青年団だったが、今では人がいないので31歳でも団長をやっている。メンバーは現在6人。4人は大阪2人、福井1人、金沢1人からの帰省メンバー。昔との舞いの違いもある。昔はお花代の値段によって棒が変わった。ジャンプしながら足の下くぐらせてポンて投げてキャッチするような凄い技もあったらしい。

 

練習は2ヶ月前くらいからやっていた。今は慣れている人が多いので直前の時もある。練習しなくても大丈夫なのに、3日前から太鼓の音を鳴らして本番が近づいていることを町内に知らせる。これは、住んでいる方々に祭りを意識してもらうため。雨が降ったら公民館、降ってなかったら神社で練習する。練習は夜7時から夜9時の2時間くらい。お祭り当日は、昔は神社から。最近は1日目に神社から、2日目に区長さんの家からスタートする。最後の締めは団長の家になる。昔は朝まで飲んでいたこともあったようだが、今はなんかあったらということであまり派手には飲まない。太鼓は、今3年目くらい。「たいこのもり」というような場所で作ってもらった。獅子舞の伝来経路は不明。獅子頭は昔から使っているもの。一昨年の総合文化祭の30周年記念で、庄地区7つの獅子が舞った。

 

詳しくお話を伺ってみると、団長さんは東京-石川を昨年歩いた時に、最後の宿泊でお世話になった高橋家の菜見子さんの弟!偶然の出会いに感動した。加賀の面白さは、動いているとどんどん繋がっていくこと。

 

②庄町

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区長の平石隆信さんにお話を伺った。この町は今年、なんと少しだけ獅子舞を実施したそう。コロナ禍でも実施するという、獅子舞への想いが強い地域である。鶴来の知田工房で作ってもらったそう。縦に長い獅子である。獅子頭は重い。カヤには3人入る。大体8月の第二土曜日に祭りをする。朝7時くらいから町や加賀自動車学校、小学校なども回る。お金によって舞いが違う。舞いの種類はめたちとおたち、かさのうら、てんまり、などがある。お花代は1万円を出してくれることもある。高校から青年団。棒振り、獅子、太鼓、笛がいる。基本の舞い方は8方位を一周して厄払いするイメージで行う(中国の陰陽五行を連想させるが関連性は定かでなはない)。獅子舞は能登半島から伝わった。北村政樹さんがお詳しいとのことで、後ほどインタビューする。青年の人を育てようということで、戦後の青年学校が盛んな時に、町を活気づける意味合いで始まったのかもしれない。

 

この地域の公民館は2つあり、町民会館と公民館と呼んでいる。大阪由来の住吉神社のところにあるのが、公民館で青年団の拠点にもなっている。獅子殺しの舞いをする。祭りの最後の記念撮影の際に、カヤ付きの獅子頭の前に槍(薙刀?)を2本前にクロスさせて撮影する。獅子退治の完成ということかもしれない。これは塩浜町と同じである。獅子頭には歯に鉄板がついており、目が後塗りである。目の色が禿げたか、後から塗ったのか。その経緯は定かでない。青年団は町にいると必ず入るものである。昔は楽しみがなかったので、獅子舞を追っかけていくのが子供の時の楽しみだった。町のスターのような感じである。女の子の追っかけもいただろうし、頑張っていると町で褒めて回った。それが今は少なくなったのは寂しい。高校生と社会人の数人で実施しており、保存会が立ち上がって実施している。昔、庄地区の文化祭で獅子舞を実施したこともある。地域の住吉神社には、戦後に拠出した青銅の馬や、戦前の天皇陛下のお参りに使われた奉安殿もある。これが残っているところは珍しい。

 

③森町

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地域の広報誌『さえぐさ』に獅子頭特集があり、他では見ない獅子頭があるということで、急遽取材のアポを撮らせていただく。区長の吉光隆是さんと、獅子頭を制作した方のご子孫の上出浩さん。獅子頭は2つあり、1つ目は獅子頭の制作は金沢別院通りで行なったとのこと。木彫りの獅子である。もう1つは明治時代ごろの獅子で、上出さんの祖父(上出兵太郎さん)が作ったものである。一時京都に行った時に、蝶々を獅子が追いかけるという舞い方を知って、それを地元の近所の子供らに教えるために作ったそう。なまはげを連想する素朴な面である。獅子舞自体は松山から伝わった。そっちの方が早くからやっていたので、習いに行った。お祭りは最近は8月20日。練習は小学校5年から参加。昔は白山神社だったが、今では公民館で行う。棒・薙刀・太刀の3種類の舞がある。子供が踊ると地域の人が集まってくる。でも、3年前くらいからもう獅子舞はやっていない。祭りが平日で、昔は会社を休んでもこれたのだが、今ではそういうわけにもいかない。参加できるメンバーが少なくなってしまった。何十年か前に、社会体育大会で各町の獅子舞が集まったことがあって、習った場所が同じでも少しずつ舞いが違うとわかった。昔の人からすると、町内でも舞いが少しずつ変わってきているようである。子供達は獅子を追っかけてきて、休憩時に小遣いやアイスやらがもらえることが楽しみだった。お花代は3000円か5000円だったが、子供が獅子に入っていると1万円出すこともあった。この地域の神社である白山神社は、白山比咩神社の第一番分所で、創立は江戸時代(約300年前)と推測される。動橋川の叛乱もあり、今の場所に移された。とても歴史のある神社である。