【2020年10~11月】石川県加賀市 獅子舞取材1日目 山代温泉 市之瀬神社 服部神社

2020年10月21日

今回の加賀市への滞在は11月上旬まで。適宜ブログを更新していくこととする。初日は山代の獅子舞を取材。山代温泉は1区から25区まであるが、獅子が置いてあるのは服部神社と市之瀬神社のみだ。服部神社の宮司をされている野尻さんのご案内で、その2地区の獅子舞取材が実現した。

①山代20区

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まずは、山代20区。獅子頭が保管されている公民館横の市之瀬神社は、天照皇大神(あまてらすすめおほかみ)、大穴持命(おほあなもちのみこと)、山代日子命(やましろひこのみこと)が御祭神。山代日子命は「山代」の語源とも言われ、大国主命(おおくにぬしのみこと)の子供である。境内にある樹齢600年のシイの木の御神木が非常に神秘的だ。この辺りは前田利家の時代に用水工事を行ったらしく、その際に神の助けが多かったことから、市之瀬灌漑の20あまりの村の総社として神社が祀られている。この地域の獅子舞の由来としては金沢まで習いに行ったとも言われていて、横のつながりで広まったとのこと。武芸鍛錬と獅子殺しが特徴である。また、この地域の獅子頭(1体)は神社ではなく村の人が管理をするという形体を取っている。獅子は井波で作っているそうで、蛇の目や二重の眉毛といった富山の獅子の特徴が所々に感じられる。

山代温泉

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一方で、山代温泉の獅子舞は2回目で、服部神社で取材をさせていただいた。服部神社は和銅年間(708~714年)に筑紫国宗像大神のの工女が山代に来て、機織りや裁縫の技術を伝え、天羽鎚雄神(あめのはづちをのかみ)を祀った所だ。服部神社の社務所の2階倉庫に獅子頭3体が保管されている。白木彫りが2体あり、酒をかける習慣があるため1体は色があせてカビが生えてしまい、もう1体は新調したものである。目や舌が動く仕組みになっているのが香川の獅子舞を彷彿させる。一方で、風貌は橋立の獅子に似ている。この地域の最後の1体は犬のような面をしていて、下ひげが生えており異形である。おそらく、修行僧が伝えた行道の獅子を少しずつ修繕・新調を繰り返して使っているのかもしれない。また、狛犬の系譜とも近い獅子だろう。獅子頭の内部にはビスが打たれていた。山代温泉の3体の獅子はいずれも白山市鶴来で製作されたものだ。

 

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最後に、しめ縄づくりの仕事場を見学させていただいた。藁は市場価格だと1束300円くらいで売られていることもあるが、農家からみると高いと感じることがあるという。しめ縄は、藁の外側のわらしべを取って、3本の藁を絡ませながら製作する。1本1本は時計回りにねじるが、3本を絡ませる際に反時計回りにねじることによって丈夫に作ることができる。短いものから長いものまでしめ縄の種類は様々。短いものは個人宅の神棚などに使用される。しめ縄がそもそも何を意味するかについては3つの説を教えていただいた。1つ目はしめ縄を雲・紙垂を雷とする説、2つ目は五穀豊穣や自然への感謝であるという説、3つ目は神様の領域を分ける結界をつくるという説である。

 

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夜は、PLUS KAGA5期生2人のプレゼンテーションを聞きにいった。預金講の話を加賀で聞いたことがなかったので知らない世界を知ることができた。講といえば、伊勢講のように旅行やお参りという目的に向けて、みんなで貯蓄するようなイメージがあったのだが、飲む口実を作ったり気軽に集まったりするための講もあるそうで多様性を感じた。また、映画を撮るというワクワクする提案もあった。映画を撮るとなると、いろいろ出演者や協力者の名前がポンポン出てきて、地域の人が関わりやすくて盛り上がれる企画だと感じた。また、ルロワさんがフランスパンや種類豊富なチーズなどを差し入れてくれて、フランスパンにも様々な種類があることを知れた。

 

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<追記  山代の獅子舞について>

参考文献①:かが風土記 加賀市総合民俗調査報告書, 加賀市, 2013年3月

服部神社の獅子舞の獅子頭は4人がかりで演じる。囃子方の演奏を「獅子がうなる」と呼ぶ。また由来としては「半兵衛流」の棒振り獅子がもとになっており、獅子退治役は舎熊(しゃんが)を被り、棒、長刀、槍、十手などを用いて、獅子と戦う。旅館がたまに御神酒を出さないときは「獅子、走れ」の掛け声とともに獅子が暴れ、旅館の高張提灯を壊したり土足で旅館の中に踏み入ったりすることもある。

 

参考文献②:やましろ街事典, やましろ街事典編集委員会, 1996年6月

服部神社には獅子舞文庫という仕組みがある。これは八朔祭り(はっさくまつり)の獅子舞で集まったお金を、山代小学校の児童の図書購入に役立てるための寄付制度で1986年に始まった。また、獅子舞の始まりは1930年に金沢(大野)から田中半兵衛流を習い、翌年に重さ10kgの桐の獅子頭を制作したことに始まる。運営主体は青年団→獅子舞保存会→山代倶楽部と変遷している。舞いは「渡辺流」と呼ばれており、トンボの図柄の袴を履くため「トンボ流」とも呼ばれている。獅子頭が老朽化したため、平成7年に鶴来の知田清雲さんが新しいものを制作し、重さ9kgで桐の一木造り、初代と同様に目が動く仕様となっている。

 

(2020.11.5 追記 :金沢から山代に住んだ人がいた。金沢に神田神社というところがあり、そこから獅子舞が伝わったと言われる。八朔祭の始まりと獅子舞の始まりは同じである。昔、春と秋に祭りがあったが、今では秋の八朔祭だけ残った。)