【長野県】古民家の宿場町(妻籠、奈良井、木曽平沢)の素朴な暮らしの魅力とは?

長野県の古民家の宿場町を巡る

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長野県の中央西線沿いには、江戸時代に整備された宿場町(※)がある。前々からブータンを連想する桃源郷のような懐かしい街並みと谷に惹かれて、いつか訪れたいと感じていた。先日、8月24日に取材で訪れることができたので、その特徴と感じたことをまとめておく。実際に訪れたのは、妻籠、奈良井、木曽平沢という3つの宿場町だ。南アルプスに囲まれた谷と川の恩恵を受けながら、その桃源郷のような美しい集落の人々はどのように暮らしているのだろうか。

 

※主な宿場町に、中津川宿、馬籠宿、妻籠宿、三留野宿野尻宿須原宿、上松宿、福島宿、宮ノ越宿藪原宿奈良井宿贄川宿などがある。

 

①街並み保存の最先端地域「妻籠宿」

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ここは、日本全国でも最も早い時期(1968年)に集落保存に着手を始めた場所である。生活と保存を一体化させ、住民、行政、学者の三者一体となり進めたところに特徴があった。寺下地区を中心に26戸を解体復原工事。その後、国指定の重要伝統的建造物群保存地区に指定された(1976年)。

 

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このエリアには多くの神様が祀られており、寒山拾得(かんざんじっとく)や叶ぴんころ地蔵などが見られる。前者は道祖神の一種で、禅僧を模した石仏であり、寒山智慧、拾得は行動を意味する。後者は長寿地蔵尊とも言われ、この地域は長寿の人が多いようだ。地産地消の素朴な食生活、勤勉さ、信仰の深さなどがその要因とされている。

 

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このエリアで印象に残ったのは花を生ける習慣だ。多くの家の格子戸に木をくりぬいて作られた花瓶のようなものが結わえつけられており、そこに花が挿してある。これを見たとき、インドのパキスタン国境にいる少数民族・花の民の村を訪れたことを思い出した。生活文化に花を添える、とても美しき文化を持った人々であると感じる。

 

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あとは、食文化も豊富だ。五平餅とおやき、蕎麦が定番メニューである。他の宿場に比べると、食べ物の値段が安く、漬物やお茶を出してくれるなどサービス精神が旺盛だ。山間部とあって味噌が美味しい。あと初めて食べたのだが、赤飯饅頭。饅頭の皮で赤飯を包んだもので、甘いわけでは無い。南木曽駅の観光案内所の方が、「あれはおやつではなく、ご飯がわり」という話をしていた。

②計画性と賑わいを感じる「奈良井宿

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戦国時代に武田氏が定めた宿駅で、江戸時代に中山道が通った。南北両端に神社があり、街並み背後の山裾に5つの寺院が配置されている。しかも一本道の宿場町であることから、非常に計画的に設計されているように感じる。この点が妻籠との違いかもしれない。なぜ、奈良井が賑わったかというと、中山道最大の難所・鳥居峠に向かう人が休む場所だったからだ。

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家は低い2階建てで、屋根勾配が非常にゆるく、奥行きが長いという特徴を持つ。昔は石置き屋根が多かったようだが、現在は鉄板葺きが主流となっている。二階正面に袖壁(※)を持つ家もある。昔、中津川宿に行った時に見たウダツとは防火構造が少し違う。

※上記写真の丸印の部分で、建物の外部に付きだした壁のこと。防火上の目的で設けられることが多いが、構造耐力を負担する壁にすることもできる。 外壁が建物本体からベランダへと延長されるときの、ベランダ部分の壁。ウダツも同様に防火構造だが、装飾性が強い。

 

③静かな漆器の街並み「木曽平沢宿」

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奈良井宿からは徒歩40分ほどで到着する。奈良井川が大きく歪曲した河川敷に発達した集落で、成立は1598年の周辺地域を結ぶ道の整備時と考えられる。この地域にはとても多くの漆器屋さんが見られる。近世前期は「木曽物」という漆器奈良井宿で生産されていたが、近世後期はこの地を舞台に「平沢塗物」が非常に盛んになったとのこと。現在でも日本有数の漆器の産地として名高い。

 

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この地域の家は街路と一定の空地(アガモチ)をとって配置される。山加荻村漆器店の方に、家の作りを詳しく教えてもらったところ、基本的に「間口は狭くして税金を安くしてもらう」とのこと。京都の町屋のように、土間が奥に長くて中庭がある。奥には漆職人の作業場であるヌリグラや納屋、物置があり、山加荻村漆器店の場合はギャラリーもある。ヌリグラは漆器生産に適した形で開口部を広く取り、湿度や温度を保ちやすい設計となっている。中二階建てで、切妻平入りが伝統的な形式だ。昔は板葺き石置き屋根だったとのこと。

 

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また、山加荻村漆器店に漆器生産の現場についても伺った。現状は後継者不足で厳しいとのこと。世襲で行なっている店が多く、若い人が経済基盤を求めて都会に出てしまう傾向があるようだ。もともと木曽平沢漆器は旅館やホテル、料亭むけに、大きなサイズの漆器生産を行うことで有名だったという。基本的に営業はせず知り合いの繋がりの中で仕事がまわり、他の店が入っているところには手出しをしないという縄張り意識の元で成立しているそうだ。昔はどの店も伝統的なものを作っていたが、最近は店ごとに個性も出始めており、料理人とコラボして制作した現代風の漆器も見せていただいた。また、変わったものとしてはセミ型の花挿しや蒔絵の入った兜形の作品もあった。

 

▼山加荻村漆器店のHP

www.yamaka-japan.com