稲村行真 Yukimasa Inamura ブログ「旅してみんか」

「伝統文化の魅力」を広めています。日本の伝統的な木造建築の古民家とその街並み、山奥の少数民族の村、過疎地どこでもフットワーク軽く旅をしております。

インドの少数民族「花の民」の3年に1度の祭り「ボノナー」の取材に成功!

こんちには、世界の少数民族の独自の地域コミュニティや、その個性的な文化に興味のあるイナムラです。今回は、2019年10月4~5日にかけて行われていたインドの少数民族「花の民」の3年に1度のお祭り「ボノナー」を取材してきたので、そのことについて書きます。

 

▼「花の民」の方と撮っていただいた

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●なぜ、花の民なのか

どうして、今回僕が花の民を取材しようと思ったかというと、いくつか理由があります。半年前くらいから、旅人数人の数少ないブログを読んで、花の民という民族がインドの奥地に住んでいることを知りました。そのブログによると、花を育てている民族が、頭に花の飾りをつけて生活しており、その華やかさといったら類を見ないというようなことが写真などから読み取れました。現在、僕は「極彩色」や「独自の文化」というのが写真の作品づくりの大きなテーマとなっており、まだ日本人がほとんど訪れたことのない未開の民族のうえに、今年3年に1度の祭りを実施するということで、かなり興味をそそられました。ボノナーの祭りは周囲の村(ガルコン、フンザ)と持ち回りで、花の民がこの祭りを開催する番になるのが、3年に1回だけなのです。

 

花の民の祭りを訪れるのは難しい

花の民が住んでいるのは、インドの北部のヒマラヤの麓、だいたい4000mくらいの高さのところに集落を構えており、人口はおそらく1000人もいないのではないかと思います。日本からだと、インドのニューデリー経由で、ラダックのレーという地域まで飛行機でアクセスできますが、その後が大変です。現地の旅行代理店を通して、花の民のいる「ダー」という名前の村まで入る許可証を取る必要があるのです。しかも、2人以上でないと原則許可が下りず、僕のように1人で入ろうとする場合は、現地ガイドやドライバーを高額で雇う必要があります。そのうえ、最近ではパキスタンとの国境紛争地域で、軍の取り締まりも厳しいとあって本当に許可が下りるのかヒヤヒヤしていました。

そして、村人が1人でも亡くなったら祭りの日程は1~2週間後ろ倒しになり、また、赤ちゃん が村に誕生したら日程は1週間後ろ倒しになるようです。確実にこの祭りを見るためには最低でも2週 間以上の休みを確保せねばなりません。これらの過程が必要なため、日本を出発したのが10月1日で、実際にダーの村についたのが10月4日だったため、かなり時間もお金もかかるなかなか訪れることのできない場所に花の民は住んでいるのです。

 

では、早速どのような過程を辿って、この村を訪れたのか、どのような取材ができたのかをご紹介していきます。

 

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●乗り継ぎのバンコクで八十川さんに会う

バンコク乗り継ぎで、インドのニューデリーに入ったのが、10月2日。途中のバンコクで、50歳くらいの男性・八十川(やそがわ)さんという日本人に出会い、とても興味深いお話を聞いたので触れておく。この方、僕と同じように文章を書いたり、写真を撮ったりしていて、もとは新聞記者だ。手に傷を負っており、これは昔インドのレーをバイクに走っていた時に、盗賊のような人々に銃で狙われた時にできた傷だという。

「!!!!!!」

「僕、今からそこにいくんですけど.....」

というかなり恐怖感を感じる出来事であった。しかし、八十川さんは関西人で話し上手で陽気な方なので、その後は楽しく一緒に2時間ほどお酒を飲んでラオスに向かうというので別れた。

 

●レーの街にたどり着いたのが10月2日

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レーの街はインドの北部に位置する標高3500mくらいの街だ。すでに、富士山くらいの高さがあると思うと、恐ろしい。30分歩いただけで、高山病のような感じで頭がクラクラしてきて、休み休み歩きながら町歩きを楽しんだ。レーの街は一般的なインドのイメージとはまるで異なり、人々は穏やかでとても優しく微笑みかけてくれて、騙されるとか物を盗まれるとか、そういうことは一切なかった。芸術的にも優れており、とりわけ織物や仮面、仏具などがよく見かけられ、チベット仏教特有の僧院やマニ車なども見られた。

 

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路地を一本入ると、このような世にも恐ろしい形相の仏具を販売しているお店などが点在しており、想像を絶する底がない感覚もあり、マーケット巡りはとても楽しい。

 

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そして、ラッキーなことに、10月2日はレーの街でもお祭りがあり、レーの有名な歌手とかが集まって、歌ったり踊ったりしていた。日本のフェスみたいな感覚なのだろうが、結構ゆるくて、声出し練習とか舞台でやっていたり、最初はあまりうまくないけど、後半本領を発揮してくる歌手とかがいて、なかなかゆるさがあって面白いイベントだった。しかも、このフェス入場無料であった。どうやってお金が回っているのかは気になるところで、そういえばレーの外れにあったこじんまりとした遊園地も入場無料だった。(ミッキーをパクったようなキャラの滑り台とかあった)

 

●10月4日にいよいよ花の民の村へ!

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レーの街で許可証が取れたのが、10月3日だった。閑散期ということもあって、旅行者1人のために車を出して、許可証を発行してもらえるような旅行代理店などほぼ皆無で、10軒くらい回って、ようやく1軒だけ承諾してもらえた。それが、「Weatern Tibet Expedition」という会社だった。許可証発行に1550ルピーと、タクシー代で1泊2日換算(ドライバーもダーに宿泊)の8000ルピーで、合計9550ルピーをはらわなくてはならないとのこと。日本円にして約15000円くらい。あとは、ダーの村に到るまでの食費と宿泊費を自分の分とドライバーの分まで払わねばならないので、合計2万円以上を支払ってやっとこさタクシーを手配できたのである。それでも、タクシーでダーの村に向かう道中は圧巻の景色で、こんな壮大な風景が地球にはあるのか!と驚きを隠せなかった。

 

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途中、カルツェという街で車を止められ、

「なぜここに日本人が1人で来ているんだ!」

と軍に問い詰められた。

 

基本的に、外国人は2人以上でないと許可証が下りない。

ドライバーの人を指差して、

「この人がガイドなのです!この人も人数に含めてください!」

と頭を下げて、通してもらえた。

 

なかなか軍の人と対峙するというのは緊張したが、基本的にこの地域の人々は根は優しく穏やかな気質を持っているので、5分も経たずに通してもらえたのでよかった。

 

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レーの街を出発したのが、朝の6時ごろ。ダーの村についたのが午前11時ごろだったので、5時間ほどで快調なペースでたどり着くことができた。ダーの村は、乾いた茶色い大地が広がる周辺区域に比べて、一段と緑に溢れ、水が懇々と湧き出て道路を濡らし、小鳥がさえずり、生命の息吹を感じるような美しい村であった。

 

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ダー村の入り口には、意味ありげに小さな祠がたち、大きな棒が2つ立ち並び、木には色とりどりの旗が絡みついていた。ここから、何か聖域が始まるような雰囲気を醸し出している。道のあちこちでは湧き水が溢れ出し、道路をひたひたに濡らしている。木々は黄緑に光り輝き、高く高くそびえ立つという雰囲気であった。

 

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家は、木を土台にして、泥や石で固めていくという方法をとっている。庭には花を植えている家庭も多く、さすが「花の民」と呼ばれる民族である。家によっては、かなり大きな花畑も持っている。

 

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また、ヤギなどの家畜を買っている場合も多い。多くて5~10頭飼っている場合もある。メエ〜と元気の良いヤギたちが多かった。

 

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お祭りまで少し時間があったので、近くの丘の上にあるチョルテンのような仏塔のような祠を見に行った。花の民にとっては、村を見守る神様のような存在なのかもしれない。周囲は静寂に包まれ、誰も訪れるものは見かけなかったが、異様に強いエネルギーを放っていた。

 

●花の民の祭りは17時頃に開始した。

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伝統的な衣装に身を包み、花の民が姿を表したのは、夕方の17時頃だった。現地の英語のできる村人に祭りを解説してもらいながら、撮影を進めていった。もともと、この祭りは昔この土地を治めていたアレクサンダー大王を祀るために、今から400年前に始まったという。まず、男たちがラッパや太鼓をかき鳴らし、天から「ラー」という神を呼び寄せるらしい。そうすると、村のテッペンにある岩に鎮座して煙を炊いている僧侶(あまりに尊かったのでまじまじと写真で写せなかった)の元に神が舞い降りて、祭りが開始される。その後、僧侶が煙を持って、村の少しだけ低い位置に移動して、岩の上にそれを納め、それを囲みながら村人たちは踊り出す。男たちだけがその周りを回る。

 

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その後、なぜか全員の男の花の冠に紙が挟まれていき、盛り上がりはどんどん高まっていく。歌を歌い踊りながら、これらの動作がスムーズに行われていくのだ。

 

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全員の冠に紙が挟み終わったところで、僧侶を先頭にして村の男たちが総出で、村全体を練り歩き始める。山の斜面に作られている村なので、道はかなり険しく、すっ転んで少し転落して怪我をする者もいた。村の上部を全部歩き終えたところで、徐々に下の山の麓に向けて歩いていく。

 

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山の麓、目指すべき場所はこの2本の神木が鎮座する大きな広場であった。見た目的にはそこまで木の高さや太さはないものの、実際に木の幹の皮などに触れてみると、手が震えゾクゾクするほどエネルギーを感じる木である。

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この木の目の前で男たちをで迎えるのが、この目を見張るほど派手に飾り付けをした女の集団であった。女たちは、花を手に持っているほか、松の木のような形をした木に火をつけ、あたり一面に煙を立ち込めさせ、男たちが通る道の両サイドにたち、男たちを出迎えていた。

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男たちと女たちは入り混じり、広場に円を作り出す。祭りは絶頂の盛り上がりをみせ、文明の夜明けのようなイメージの太鼓とラッパの音が響き渡る。音楽のリズムは至ってシンプルで、「ター(高い)ラッ・ター(低い)」という音の繰り返しだ。踊りは、右向き、左向き、正面手合わせ、正面手広げという4パターンが基本であり、どことなく日本の盆踊りを連想させるような踊り方だった。15分くらい踊って休憩を繰り返しまくり、休憩の時は男女楽しく話すという光景も見られた。2本ある木のうち、一本の木の根元に大きな石を置いて、終始火を炊くようにしており、広場一帯が煙に包まれてものかなり神々しい雰囲気に包まれていた。

 

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広場での踊りは、18時頃に始まり、終わったのが21時前だった。踊りのアンコールの連続でなかなか終わりが見えなかった。男たちは円になってその都度何かを話しているような雰囲気だったが、言語が全く独自のものを使うため、理解ができない。このような祭りを約4~5日間続けるそうだ。夜は近くの家に泊まらせてもらった。

 

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次の日の朝、夜が少しずつ明けてくる5時ごろにラッパの音で目覚めた。耳をつんざくほどに大きな音だったので、何事かと思って、昨日の広場に行って見たところ、ラッパと太鼓の男数名、手に松の煙を炊いた皿を持った女数名が立っており、なにやら儀式のようなものをやっていた。1人の男が火を根元に炊いている木の幹に松の葉のような形の葉を数枚乗せ、その後女が供え物を備えるように松を火に投じて、各々の家に帰って行った。どのような意味が込められているのか解読不可能だが、厳粛な空気が流れており、自分が横で見学しているというのが場違いな感じであった。

 

●花の民という存在の可能性

僕がこの祭りを取材していて思ったのは、この祭りの民俗行動を記述しているものは世界的にも少ないだろうということだ。日本の国立国会図書館にも、「花の民」について記述している文献は1つもなかったし、僕がこの祭りの行動の一つ一つを文章として残すことには大きな意味があるだろう。民族の固有の文化が廃れて消えてしまったり、忘れ去られたりしてしまう中で、例え時間的にも、お金的にもかなり厳しいハードルを乗り越えてでも、このような祭りを取材しておくことは意味がある。その土地で暮らして、豊かさを千年単位で探ってきた生物、生命、民族の営みがそこにはあって、遠い果ての人々の行動からも人間の原点のようなものを学びとることができるであろうと考えている。あまりにも尊すぎて、写真も出し惜しみしてしまい、このブログで全てを語ることはできないが、それでもその一端を垣間見ていただけたらと思う。

 

ニューデリーに戻り「田舎の尊さ」感じる後半の旅

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ダーの街を10月5日に後にした、僕とドライバーはレーの街へと帰路に着いた。帰りは、軍隊にあれこれ言われることなく、すんなりとドライブを楽しむことができた。途中、車をおりて休憩している時、ドライバーのハックさんと一緒に写真を撮った。ハックさんは、ドライバーを雇った僕がお金を出すからとガンガンお茶飲んだり、たくさん食べ物をお代わりしてきたが、機械音痴だったり、たまに愛嬌込めて声が大きくなったり、さすがプロと呼べるくらいに運転がうまいがスピードめっちゃ出したりという、なるなかに憎めないおじさんだった。

 

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レーから、ニューデリーは飛行機に乗るのは味気ないと思ってローカルな人々に混じって、3日間かけてジープとバスで移動した。途中、5200mの峠を越え、氷点下の気温で雪にはまり、チェーンをつけながら、デリーに向けて頑張って走って行った。途中、車がぶっ壊れて、寒さに凍えながら、ドラーバー達が車を直している姿をみて感動した。車をぶっ壊れているのを見守りながらも、空を見ると満点の星空が広がっていた。今までに見たことのないほどに美しく精彩な星空だった。星ってこんなにたくさんの数があったんだって初めて知った。詰め込まれた車の中で、インド人達と身を寄せ合って寒さを凌いだのは良い思い出だ。

 

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ニューデリーにさあいよいよつくという最後のバスに乗った時、都会の狂気を知ることとなる。やっぱり、どこも人口爆発が進んでいるところの人間は大きな権力の元に歪められてしまうものだと思う。バスの隣に座った通路側のインド人の男性は、窓側の僕の席の方向に唾を履き続けた。窓の外から吐くことができたときは良いのだが、たまに僕の太ももに唾を吐いてくる。11時間もバスに乗っていたものだから、あまりにも辛すぎると思って、途中で席交代しますか?と持ちかけてみた。うん、とうなづいて席を交代してくれて唾を吐くことはなくなった。唾は少し黒ずんでいることもあったので、僕はてっきり、薬物中毒かタバコの吸いすぎで黒いタンが喉に詰まっているのかと思っていたが、唾を吐かなくても良いという状況があり得るということは、これは日本人が1人だからといじめてきたに違いない。席を交代してからも、席を占領してくるなどの行為は続いた。基本的に、公共交通機関の乗り降りなど、列というものを作らず、追い越し追い抜かすというのが当たり前の世界だ。

 

また、こんなこともあった。自動販売機で飲み物を買おうとしたら、横に人が立っていて、自販機の表示は20ルピーと書いてあるのに、30ルピーを要求してきた。なんで30なんだ!と怒ってみるが、30だから30なんだと言い張る。呆れるばかりだ。日本人だというと鼻で笑われたり、提出した税関書類が少し見にくいからというだけで追い返されたり、もう疲れ呆れ果てるほどにいろんなことがあった。

 

やはり、人口が多くて貧富の差が激しすぎるニューデリーという場所において、人は他人を顧みる余裕はなく、物乞いが溢れ、人が栄養失調でバタバタ倒れ、自分が自分を守るのに必死であるように思えた。悲しかった。

 

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唯一、市場で出会った軍隊の男が「我らのインドは誇りだ!」と僕に自信満々に、でも紳士的に語りかけてくれて、心に響いた。インドはどこまでも荒々しく、粗雑に、でも壮大なエネルギーのタンクを積んで未来へと一歩一歩進んでいるように思えた。

 

素晴らしい出会いをありがとう。その後、タイとベトナムに滞在して、10月10日には日本に帰国した。今後も、大きな権力に捨てられた世界の小さな村々の独自の民俗風習文化に焦点を当てて記録していくとともに、人間が本来どのような生き物でどうしたら幸せになれるかを考えながら、写真作品を残していけたらと考えている。今回の「花の民」に関しても、近々写真集を作ってお披露目する。最後まで長々と読んでいただきありがとうございました。