稲村行真 Yukimasa Inamura ブログ「旅してみんか」

「伝統文化の魅力」を広めています。日本の伝統的な木造建築の古民家とその街並み、山奥の少数民族の村、過疎地どこでもフットワーク軽く旅をしております。

文化人類学からみる、2020年のその先とは?社会と文化をどう前に進めていくのかを考える。

人類学はもともと、文化人類学(社会的文化的側面)と自然人類学(人類の進化や生物学的側面)に大別される。今回は、そのなかでも文化人類学について。

 

文化とは?

①後天的に獲得されたもので、遺伝由来でない。

②歴史的に形成され、維持変化してきた。

③集団のある成員からある成員に「記号」を通して伝えられるもの

④集団の中で個人的なものでなく多かれ少なかれ成員に共有されるもの。

⑤集団の成員と集団自体を維持形成し、生活様式と思考様式を含むもの。

 

文化人類学を学ぶことは、いま話題となっている「コミュニティ形成」「居場所作り」と極めて密接であり、資本主義社会への懐疑的な視点が増え先行きの見えない多様化する社会の中で、その上に新しいレイヤーを形成して、共生する暮らしの豊かさを追求する現代におけるじゅうような鍵となりうるのではないかと考え、そのヒントを探るために文化人類学の歴史を整理してみた。

 

 

文化人類学の元になった学問>

15世紀末の大航海時代に、西洋社会が人類の多様性を発見したのが大きな契機となっている。アダム・スミスの「国富論」で交易に対する関心は大いに高まり、のちに植民地主義帝国主義に発展することとなる。「民族知識の収集」は非西洋人への支配と知的ロマンや憧れの対象として映った。モンテーニュの「エセー」では未開人の統治されない気高さが描かれた。

 

<古来の文化人類学

西洋人の未開民族に対する空想と事実を分けることから、人間の原初の姿を理解しようとしたことが民族学(単なる記述)から人類学(全体的理論化)へと発展するきっかけとなった。当初、全ての頂点は西欧社会にあり、全ては未開から始まるという歴史主義的な考え方、類似社会では一方が他方に伝播したと考える伝播主義的な考え方がメインだった。

 

ルイス・ヘンリー・モーガン(1818-1881)

アメリカの文化人類学者。人間社会を、「野蛮」、「未開」、「発展」に分けた。支配階級である白人が野蛮な民族を開花させて進化させたという筋書きで支持された。マルクスエンゲルスに多大な影響を与えた。同時代にダーウィンの進化論が発表されたという歴史的背景は見過ごせない。

 

ジェームズ・フレイザー(1854-1941)

イギリスの社会人類学者。文献調査による事例収集がメインで、代表作は「金枝篇」。2種類の呪術を紹介している。雨乞いに代表される「類感呪術」と、恋人をへの想いを物から発想するような「感染呪術」である。死に対して危険を回避するためのタブーの存在があり、それを共同体のあらゆるところに配置して置くのが呪術ということである。「森の王が死に、金の枝を折って王を継承する」という行為に、「人間と自然の共通する死と再生の物語」を重ね合わせ、天と地の両界に力を持つ境目に金枝の存在を見出しているという組み立てとなっている。これはギリシャローマ神話北欧神話、「生贄」の議論などにも通じることとする。

 

 

 

<「近代文化人類学」の始まり>

進化論に対して、批判発展していったもの。

 

※イギリスにおける発展

ブロニスワフ・マリノフスキー(1884-1942)

「西太平洋の遠洋航海者」が有名。クラという交易に着目して、オーストラリア近くのトリアンダ諸島に2年間長期滞在生活の観察と現地語の収集によって、豊富な授受関係による経済圏の形成を明らかにした。フィールドワークの体系を確立し、データの体系的収集が可能となった。

 

ルフレッド・ラドクリフ=ブラウン「アンダマン島民」

マリノフスキーとともにイギリスの文化人類学を確立。デュルケームの社会理論に基づいた構造機能主義理論を展開。未開社会は、自然現象を自然法則ではなく儀礼的道徳的に解決を試みていた。それは現代人が宗教として理解しているものなどの漠然と分類していることを理解する一段階となりうる。法と同様に、人々が共同的に生活しうるための重要な部分を担っていて、それ自体の真偽にかかわらず社会進化や近代文明の発展に貢献してきた。

 

アメリカにおける発展

フランツ・ボアズ(1858-1942)

1920年代以降の主流の動きは、マリノフスキーの民俗誌の規範に改良を加えることが研究の主流となっていた。19世紀末の進化論を批判したことで有名で、進化論者は古くから伝わる風習や伝統など(フォークロア)を非合理的な俗信の残存とみなしたのに対して、ボアズは人間の無意識に起源を守った行為の合理化を助け社会統合の役目を担うものと唱えた。文化相対主義を唱え、文化に序列はないとしている。

 

ロバート・ローウィ(1883-1957)

豊富な民俗誌の資料を収集して、モーガンらの進化主義説に激しい批判を加えた。変異性や正確性の面で高い評価を受けた人物。例えば、狩猟採取民のような単純社会において、一夫一妻性に代表される単婚家族は見られず最終発展段階に発言するというモーガンに対して、すでに狩猟採集民には夫と妻の結合による基本家族が普遍的に見られると反論した。また、文化の実態を無視した人工的機能主義にも懐疑的な立場をとった。

 

※日本では戦前に書店を開いた岡茂雄や、文化人類学会を作った西村眞次が先駆者。

 

 

<自然と社会の2分法からの脱却> 

1976年 フィリップ・デスコラの議論

自然と文化を統合的にとらえるモデルを提唱。

「人間は自らと照らし合わせて、類似と異質の要素を取捨選択することで自らのアイデンティティを確立する」と説いた。

その過程で鍵を握るのは、「内面性(interiority)」と「身体性(physicality)」を識別することが重要であり、4つのスキームを提示して人類の文化の多様性を提示した。

アニミズム(Animism)

南米先住民の世界観がこれに当たる。人間とその他の動物が異なる身体性をもちつつ、同質の内面性を持つとする。

自然主義(Naturalism)

西洋近代の世界観。身体はその他の自然法則と同質だが、他方で人間のみが知性や精神を持っているとする。

③トーテミズム(Totemism)

ネイティブアメリカンやオーストラリアのアボリジニに顕著に見られる。人間と人間以外の間に共通の人間性と身体性を認めるもの。

④類推主義(Analogism)

古代中国や中世ヨーロッパの世界観。世界のあらゆる存在が個別的で特異的であり、類比や照応によって明らかにしようとしている。

 

※近代的2分法からの脱却を測る文化人類学者にブルーノ・ラトゥールなどがいる。これらの動きは主体の脱中心化に取り組む社会学者たちに極めて大きな影響を与えることになる。

 

 

 

ポストコロニアル理論>

1976年以降の文化人類学のフィールドである発展途上国の開発が進んで行き、ポストコロニアルの理論が台頭を始める。

 

エドワードサイードの「オリエンタリズム

ヨーロッパから見た東方(オリエント)を自分たち西側(オクシデント)と本質的な違いがあるという漠然とした考え方。「西洋」と「非西洋」を「支配する側」と「支配される側」として考えていることを指摘した。植民地の独立とともに、植民地主義負の遺産を明らかにしようという風潮の中で、ポストコロニアル理論が確立した。2016年にアジア系アメリカ人を「oriental」と表現することに対して差別用語として認定。

 

ジェームズクリフォード「文化を書く」

調査する西欧の人間とされる側の未開社会の人間との間に、書き手の情報選択などの問題から、不平等の権力関係があることを指摘する。この時代に、調査される側の迷惑と調査する側の倫理という問題も浮上することとなる。

 

クロード・レヴィ=ストロース構造主義

社会や文化の根底にある目に見えない構造を明らかにする。自分自身の意思で主体的な人生を作れることを否定し、「未開社会」には見えない社会的制約が存在すると考える。そこには、ヨーロッパ中心主義への批判が隠されている。

 

 

 

現代社会における役割>

グローバル社会が進む中で、内戦と殺戮、開発と環境破壊、移民と排除、貧困と感染症の蔓延など様々な問題が民族間の依存関係の元で生じてきている。もはや文化の境界が極めて不明確な現代社会において、2つの意見が対立している。1つは、 文化人類学の終焉を唱えるグループであり、もう1つは過去の研究手法を応用して「現代の文化現象」の分析と解釈に応用していこうというグループである。後者について、議論を進めてみることにする。

圧倒的に歴史の浅い文化人類学という学問は、ナショナルジオグラフィックの誌面を見ればわかるように探検家や写真家、または宣教師や、植民地行政官などの記述がわずかな灯火として残るのみである。文明に接してこなかった未開の文明に対しての記述というのはなかなか困難を極め、文明が入り込んだ地域に関しても元の姿の再構築が試みられてきた。ここには、時間軸の流れと発展というものに対して懐疑的な目が向けられるようになりつつある。それは、未開社会を非歴史的に捉えようとした文化人類学の特権領域という位置付けに対する批判でもあった。これは、現代の文化人類学に対する大きな課題である。

文化人類学者は伝統的なものが失われていくことに対する嘆きという文脈で登場することも多く、伝統から外れた現代人の文化を批判する立場を取っていると考えられやすい。とりわけ未開社会の観光化が真正性と逆行するという立場をとる。そんな中で、人々が生きていることをそのまま描き文化変容に着目する歴史的研究の動きが起こりつつある。

日本の人類学は、自国の文化よりも異文化研究に対して発展してきた点が世界的に見て特異であり、文科省含めた財団の林立によって調査費を工面する方法がその他の国に比べて恵まれていたという背景がある。ただし、英語で論文を書いて業績を認められた成果が少なく、海外で業績がなかなか認められていないのが現状。調査費のかからない貧しい研究と見られてきた自国の日本研究に注力することは、大きな発見の可能性があると言われている。また、欧州・米国の研究も異文化目線で行える数少ない国として日本が取り扱われている。これらの研究をどのような手法で行なっていくのかについてとても重要な論点である。

 

※現代のテクノロジー界隈の議論

人類が今日の道程を探ることを文化人類学が目的とするならば、アイデンティティは身体性の拡張によってもはや特定・確立しにくいものとなっており、人生の組み立ては自分のできることを徹底的に作り手としてやっていった先に確立していくものである。

 

 

僕個人としては、いわゆる日本の伝統的なもの、とりわけ木造の伝統建築物(古民家)伝統的な祭りや市場のような習俗とそこから生み出される集団やコミュニティに対して大きな関心があり、これらを通じて何を社会に対して還元するのかという視点が求められている。

旅行が好きな自分には「観光」という視点が不可欠であり、その地域を形成する社会の優れたものをみることを1つのエンターテイメントとして提示することに大きなワクワクを覚える。自然に由来する日本の伝統文化に心地よさを感じる自分にとって、観光という大きなニーズに対しての、開発や変容とどう向き合うのかが大きな論点となるであろう。その中で感じることは、伝統文化を残そうとするのではなく、新しく推し進めていく変容の立場をとりたい。新旧の融合や、歴史学の視点を加えた文化の変容に着目してアイデンティティに迫ろうとする変容の言語化と解明によって、文化人類学を超えた何かを目指すことができるのではないか。

また、人々が特定の場所に縛られず所有という概念から離れることを推し進めることを思考する。この旅行がライフスタイルになる、あるいは多拠点での生き方を選択するライフスタイルになる、あるいは頻繁に旅行にいくことが一種のライフスタイルになるという未来を当たり前にして、それを当たり前にするコミュニティ形成を推し進めることで、その場所の文化が流動的に変容していくという様を描くという役割を今自分の中に見いだしつつある。その変容の中に自然的、有機的な価値観が含まれることに対して、より多くの人が共感してくれることを願い、伝統とも向き合っていくコミュニティができたらと考えている。