【87~88日目】中国雲南省入国!少数民族の市場や広場はとても刺激的だった。

僕にとっての中国は、

心に残るものとの出会いがテーマだ。

自分の手の届かないもの。

何十年たっても忘れないであろうもの。

そんなものに1つでも巡り会えたら幸せだ。

何かを形にしていこうとする時に、

そういうものとどれだけ出会えるか。

中国の秘境で「少数民族」の実態を

捉えるべく旅をした。

最初の2日間の記録。

いきなり濃密な旅となる。

 

 

2018年7月24日(火) 

中国雲南省昆明→南沙

 

僕は中国雲南省に降り立った。

午前6時。

眠い目をこすりながら、地下鉄に乗った。

市内への地下鉄が地上に頭を出したとき、

僕は目を疑った。

辺りは一面白い霧、いや排気ガスか、PM2.5か。

視界は曇り、何も見えなかった。

誰かが魔法でもかけたのだろうか。

同時に、自分は何者なのかもわからなくなった。

 

 

昆明から建水へは電車で約3時間ほどの道のりだった。

市街地まではバス。

辺りは次第に木造の立派な建築物が姿を表す。

中国という大きな国が紡ぎ出す弾かれた歴史。

500年時が止まったかのごとく存在する街。

木造街路樹石畳が紡ぎ出すハーモニーが美しい。

こういうデザインは好きだ。

その中で、トランプや昼寝や碁に明け暮れる人々。

中国語しか通じない観光地化されていない独自の文化圏が

まるでユートピアに思えてきた。

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建水から南沙まではバスで3時間ほどの道のりだった。

途中の道のりはガタガタできつかった。

タバコを平気で吸う人、

大声で叫ぶ人、

窓から何十回もゴミを捨てる人、

ラクションを鳴らしまくって見せつける運転手、

怒鳴り合いの喧嘩をする人、

もうバス内が激しすぎた。

全員の目がギラギラしていた。

誰1人かっこいいと思える大人はいなかった。

子供はこれを見てどう思うんだろう。

周りの美しい自然とは対照的なその情景は、

自然をも飲み込む気迫があった。

これこそが良くも悪くも、

中国の力だと思った。

 

 

南沙では宿を探した。

「酒店」か「住宿」と書かれているのが宿だ。

10件くらい回って一番いいところを選んだ。

人が暖かかった。

60元で手を打ってここに決めた。

何事も最後は「人」を見て決める。

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晩御飯は、近くの出店に行った。

例のごとくど田舎すぎて中国語しか通じない。

いままで食べた中で3本指に入るくらいに、

激激檄激激激檄激辛な食べ物を口にした。

それは、焼うどんのようなものだった。

見た目は普通なのだが、

胡椒を丸ごと口にしたかのような味がした。

唇の皮が破けると思ったので、

甘いジュースで流し込んだ。

その土地のものはなんでも胃袋に収める。

これが、僕にとっての「観光」だった。

どこでもいつでも

まずは「食べ物」から観光は始まる。

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2018年7月25日(火) 

中国雲南省・南沙→新街鎮→(名前不詳の村)→新街鎮

 

僕はこの日、

自分の核心的なものに2回ぶちあたった。

それは「人々の集合」「個性の発揮」

を満たすものであった。

1回目は南沙の早朝の市場。

2回目は新街鎮の夜の広場。

 

南沙の朝は早い。

6時に起きるともう市場は動いていた。

延々と続く人垣。

最初に目にしたのは牛の頭だった。

最終段階だった。

ナイフを持つ裸の男は牛の頭と対峙していた。

解体された牛の骨は、市場の人垣の足元に転がった。

人々は骨など気にせず平然と歩いていた。

肉は大きなテーブルに延々と並べられた。

そのほかにもアヒルやカエル様々な生き物が

食肉となっていった。

僕はそれを見て、

生き物と人間とが一体になったと思った。

牛=人間

ヒル=人間

カエル=人間

何も恐れることなく、

何気ない神聖なる日常に落とし込もうとした。

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ほとばしる血が物語る。

ほとばしる汗が物語る。

人々は生き生きとこの市場に集まり、

想い想いのメシを手に入れる。

半分は民族衣装を着た女性。

数限りなく様々な色とりどりの民族が、

この市場に集合する。

こんな生き生きとした「市場」は初めて見た。

改めて人々がきらめく、

心に残る「場」を作りたいと思った。

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ハニ族が集まるという新街鎮に行くことにした。

バスがないので、タクシーを拾って2時間。

やっとこさついた。

それから、ハニ族の本格的な田んぼが見たいと思って、

タクシーを拾って1時間。

方向が間違っていることを知る。

まあ、多少棚田の景色が見れたからいいか。

最近はストーリー中毒

別に結果なんてどうでもよくなってきている。

泊まりは新街鎮。

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新街鎮は坂の町だ。

山の斜面に作られている。

昇り下りは急峻で偏りがあるのか、

一部の通りが栄え、一部の通りが空き家街になっていた。

メインの通りの両サイドには商店街がずらりと並び、

ハニ族の衣装を売っている店が目立った。

どのように衣装を作っているのかがわかり、

伝統が大衆化されていると思った。

日本で着物を着るのは特別な時だけ。

でも、ハニ族は毎日着ているような感覚。

メインの通りはとある大きな広場へと続いていた。

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夜、面白いものを見た。

ハニ族の人々が広場に集まり始めた。

若者が歌を自然と歌い始めた。

女性は踊りを始めた。

子供は遊具で遊び始めた。

出店もちらほら。

踊りの質は大したことないけれども。

皆が自然とその場にいることを楽しんでいた。

これには本当に感動した。

なんで?

イベントを仕組んだわけでもないのに。

祭りの日でもないのに。

ここに集まろうと決めたわけでもないのに。

自然と皆が集まって楽しめるのだ。

こういう日常の豊かさと

場の吸引力の強さに感動した。

中国のど田舎の辺境に、

僕の作りたいもの一端を見た。

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市場も広場もそうだけど、

場によって、人々は幸せになると思った。

コミュニティでもなく、

サークルでもなく、

グループでもなく、

ここでは単なる場に対する面白さを感じた。

 

日本に帰ってからの

新しいアイデアも浮かんだ。

 

今日の自分は、昨日の自分よりもほんの少しだけ

発想の幅が広がった気がする。

 

 

 

 

 

 

<今回ご紹介したエリア>

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前回の中国旅はこちら

ina-tabi.hatenablog.com