台北は、蒸し暑い快晴。
セミはミンミン。
電車はガタゴト。
ゆっくりとある村へと向かった。
台北から2時間。
僕が目を覚まし窓を覗くと、青々とした緑。
サワサワと川が音を立てる。
森を被ったゴツゴツとした山々が僕を出迎えた。
まもなく駅に降り立つ。
その駅の名は猴硐(ホウトン)駅。
人々はこの土地を「猫村」と呼ぶ。
人間がネコと暮らし始めたのは、約9500年前と言われる。
狩猟において、ネコは常に人間の敵だった。
獲物に対して競合するからである。
ところが、人間が農耕を始めると関係性は急変する。
ネコはネズミは食べる。
人間にとって、穀物を食い荒らすネズミを退治してくれることは
この上ない喜びだった。
そこで、人間はネコを飼い始めた。
人間は穀物は欲しいけど、ネズミはいらない。
ネコは穀物はいらないけど、ネズミはほしい。
人間とネコの利害は見事に一致したのである。
この村でも、同じだった。
ネコは非常に合理的な理由で、人間と共生していた。
猫村は日本統治時代、炭鉱の村だった。
炭鉱の設備で使われる木の柱などをネズミが食うのを防ぐために、
村人はネコを飼いはじめた。
後に、世界的に名だたる猫の村になるとは誰も思わなかっただろう。
この村の構造は、面白い。
駅から伸びる一本のトンネルが、ネコの村へと人々を誘う。
異世界の入り口に見えてきて、どことなくワクワクするのである。
しかし、トンネルを出ると、そこは異世界ではなかった。
僕が思っていたほど、ネコはそこらへんにいなかったのである。
ただの田舎の村だった。
村を一周して見たネコはざっと10匹程度。
こんなん、近所の公園見渡せばいるだろと思った。
しかし、猫村の本質は「ネコが多い」ことではない。
まず、ネコがたくさんいる場所なんていくらでもある。
個人的に「猫カフェ」なるものを立ち上げる人もいる。
でも、それは個人レベルの話である。
『ネコの村』として、文化を根付かせようとしたことについて僕らは着目するべきではなかろうか。
例えば、これ。
町の様々なところに、餌が売っている。
猫に餌をあげようという村民の意識が根付いているということだ。
しかも、一種類じゃなくて、いろいろと種類があるらしい。
お店のレジ。
さもネコを触ってくださいと言わんばかりに、ネコを置いている。
ストレスはないのか。
でも、気持ちよさそうに寝ている。
人とネコとの距離が近いのだ。
招き猫のグッズがずらりと並ぶ。
験担ぎで観光客を呼ぼうとしている感じは中国系らしい考え方。
この発想は、台湾のどの観光地に行っても感じることだ。
そこらへんの家々には、ネコが描かれている。
そしてだいたい中が猫カフェみたいになっていて、ケーキとか、パフェにまでネコがデザインされている。
とにかくネコが愛されている!!!
雰囲気として賑やかになっているのも、どこか楽しげである!!!
ただ、僕は少し猫村の中心から離れた飲食店でお昼を食べた。
地元の人が通うごく普通の飲食店だ。
もっと暮らしに近いところに面白さがあるのではないか。
あとから作られた、おしゃれでかわいいケーキやパフェにも魅力はもちろんある。
ただ、一方で炭鉱で働いていた人が食べていた飯に近いものを求めていた。
炭鉱夫は毎日長時間汗水流して働いていただろう。
もう倒れそうになった時にやっと口にできたものはなんだったのか。
それを観光客に見せようとしたものではなくて、ごく自然な形で食べてみたかった。
パクッと一口、感じてみたかった。
炭鉱の味というものを。
猫村として文化作りをして、可愛いデザイン、おしゃれなデザインであふれる村にした方が人は来るだろう。
ある意味、過疎の村を包括的によりよくする優れたブランディングかもしれない。
猫好きの人に来てくださいね!っていうメッセージがシンプルでわかりやすい。
でもコテコテな感じの印象を持ってしまった部分もあった。
ぼくは考えすぎなのだろうか。
なあネコ!君にとって、猫村は楽園なの?
ゴリゴリマッチョなネコという存在に対して、
僕は多視的にクエスチョンマークを投げかけてみた。
まあいろいろ問いをネコにぶつけてみたが、
答えが出るわけでもない。
総じて猫村は面白かった。
辺境の地とか、未開の地とか、過疎の地域とか。
そういうところはどうやって経済回していこうかひたすら考えている。
交通アクセスが不便だったり、資源が乏しかったり、様々な要因で人が集まりにくい。
だから、今あるリソースに大きなレバレッジをかける。
割り箸で車を持ち上げるかのごとく、神業が炸裂する。
それがたまらなく刺激的である。
これからの日本、これからの世界。
大きなヒントはこういう最小単位の村に潜んでいるのかも。
だから、過疎&秘境巡りはやめられない。
そこまで大きくもなかった猫という地域の資源が、
文化づくりの過程でどんどん再考されていった。
いつの間にか、世界的に有名なネコの村になっていた。
そのストーリーを噛みしめることだけでも十分面白い。
建築もデザインも、全ては文化を内包して、村や街へと続くもの。
まちづくり視点で、色眼鏡をかけてみるのもたまには面白いものだ。