稲村行真 Yukimasa Inamura ブログ「旅してみんか」

「伝統文化の魅力」を広めています。日本の伝統的な木造建築の古民家とその街並み、山奥の少数民族の村、過疎地どこでもフットワーク軽く旅をしております。

場づくりの意味について考えてみたのでメモ。

人は、人によって元気をもらい、生かされているのだと思う。

でも、肝心の人が日本は減っている。

人口が減っているので、家も空く。

隣も、またそのお隣も、どんどん人の声が街からなくなっていく。

やはり、それは地域にとってとても寂しいことで、どうにかしたい。

 

その地域に住む人が減ることはもはや止められない。

というか、そこよりも考えるべきは自分が頼ったり頼られたりと、必要な時に声をかけられるパートナーがいるか?友達がいるか?仕事仲間がいるか?ということだろう。

それが、オンラインの関係ではなくリアルに目の前にいるかということが大事で、もっと言えば、半径1m以内にいても不快感を感じない大事な人が最低でも5人はいるか、ということでもある。

 

オンラインで友達いればいいじゃん。

ロボットが人の代わりになってくれるじゃん。

という意見もあるだろう。

しかし、人間の体は自然そのもので、絶対的に複雑性が高い。

未来に確実はないものの、100%ロボットが人間をコピーするとしたら、それはとても想像が難しいことだ。

もし100%コピーが実現すれば、人間がロボットと共存するという概念がなくなり、ロボット由来の人間と自然由来の人間が対等に交流を始める。

そして、ロボット由来の人間と自然由来の人間が結婚して、子供が生まれる。

この瞬間に、「ロボット」という概念が淘汰される。

同時に、「人工物」という概念も淘汰されたことになる。

 

この瞬間になるまでは、少なくとも人間と人間がリアルに交流する価値というのは代替不可能であり、オンライン同士の会話などの人工物を介在したコミュニケーションには到達できない、深い領域のコミュニケーションが可能になる。

深いというのは、情報量の問題とも関連する。

例えば、SNSでのメッセージのやりとりで使うのは視覚。

電話でやりとりをする時に使うのは聴覚だ。

しかし、直接会えば、視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚をフルに使うことができる。

相手のことをより深く知り、相手を頼ったり頼られたりといった、いわば「交流」の水準が飛躍的に高まる。

交流数と貢献数は、コミュニティが健康であればあるほど比例すると考えているため、貢献の水準が高まり、そこに人が生きる意味があるんだと感じる。

 

ところで。

人が人たる所以は、「貢献」と考える人がいる。

 

人が4足歩行から2足歩行になったのは、一説によると自分が取った獲物を仲間に分けるため、獲物を運ぶための手が発達して、2足歩行になったと言われる。

つまり、貢献は人が生きる意味という文脈で語られるほど重要なことだ。

そして、それが行われるのがリアルな場である。

 

これが、「リアルな交流の場」を作る理由だろう。

そして、物理的・金銭的に行いやすい地域という文脈で交流が必要とされている理由でもあるだろう。

オンラインはあくまでもオフラインの場を増やすという意味合いで用いられると考えるのが良いのかもしれない。

 

 

※「リアルな場」と考えたときに

現在行なっているシェアハウスは、交流について考える上でとても大事な視点を含んでいる。なぜなら、交流が日常にもっとも溶け込んでいると捉えられるからだ。

「365日交流が行われる場」とはシェアハウスのことである。

だからこそ、シェアハウスという視点から、人が生きる意味や貢献するという根源的な欲求に迫ってみたい。

そして、シェアハウスがお金のない人が住む場所ではなく、隣部屋の愚痴を言い合う場でもなく、純粋に「交流の場」であると考えるのであれば、「交流」の価値を最大限高められる場にしたい。つまり、繋がりたい人と繋がれてそれが各個人にとってプラスになるようなテーマ型のコミュニティである必要がある。だから、交流の水準を上げるために多くの人を呼んでイベントも行うという今の形がある。

今後は、どうなるのか。

まずはシェアハウスを基軸として不動産を活用したコミュニティデザインを行い、今後を模索していきたい。