家の歴史は進化論で説明できる

家は家を淘汰する。

江戸時代は、日本全体の家を100とすると、ほぼ100が伝統工法であった。

明治に入ると、欧米の工法が、伝統工法のパイを10.20.30と奪っていった。

 

伝統とは保守のイメージがありながら、イノベーションの連続によって作られる。だから、革新的なものだ。

そんな革新的なものでさえも、欧米の工法に少しずつ淘汰された。

欧米の工法の方が優れた「種」であると認識されたからだ。

 

そんな中で、伝統工法の希少性は、高まった。そして、絶滅危惧種に指定された。だから、重要文化財や、伝統的建造物群保存地区重要伝統的建造物群保存地区のような概念が生まれた。古民家という概念ができ、昔ながらの住空間にスポットライトが当たるようになったのも、希少性が増したからだ。

 

A市では、空き家になる物件も、B市では、空き家にならないかもしれない。環境によって適応できる種とできない種があるように、家だって生息できる環境というものがあるのかもしれない。

 

進化の過程で、淘汰されゆくものに情けをかける。それが古民家活用や、空き家活用とするなら、それは何だか面白くない。自然選択に逆らっているかのようだからだ。古き良きものを取り戻したいという文脈で僕は古民家活用や、空き家活用を捉えていない。あくまでもイノベーションを繰り返してきたものとして、伝統を捉えたい。古民家は、自然の摂理や環境、気候などを踏まえた各地方で独自な造りをしている。それゆえ、生存競争に打ち勝ってきた過去がある。この素晴らしさを次のイノベーションをつくるための素材として捉えたい。

 

人口減少という目の前に迫った大きな課題。日本含め、世界の22コの国で、この問題に直面している。(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/国の人口増加率順リスト)

日本の歴史で考えてみれば、縄文時代鎌倉時代、江戸時代に続く4度目の人口減少。歴史的な出来事なのだ。

(https://www.recruit-ms.co.jp/research/2030/opinion/detail31.html)

その中で、様々な家という「種」が淘汰されていく。そして、空き家が増える。

家について考えることは、人口と密接に繋がっていて、選択と淘汰のなかで生かされている。

空き家問題は、人間の歴史的な課題へのアプローチでもあると感じる。

 

種は最初は同じ。そこから枝分かれして行く。これこそまさに、ダーウィンの「進化論」。

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