文化人類学からみる、2020年のその先とは?社会と文化をどう前に進めていくのかを考える。
人類学はもともと、文化人類学(社会的文化的側面)と自然人類学(人類の進化や生物学的側面)に大別される。今回は、そのなかでも文化人類学について。
文化とは?
①後天的に獲得されたもので、遺伝由来でない。
②歴史的に形成され、維持変化してきた。
③集団のある成員からある成員に「記号」を通して伝えられるもの
④集団の中で個人的なものでなく多かれ少なかれ成員に共有されるもの。
⑤集団の成員と集団自体を維持形成し、生活様式と思考様式を含むもの。
文化人類学を学ぶことは、いま話題となっている「コミュニティ形成」「居場所作り」と極めて密接であり、資本主義社会への懐疑的な視点が増え先行きの見えない多様化する社会の中で、その上に新しいレイヤーを形成して、共生する暮らしの豊かさを追求する現代におけるじゅうような鍵となりうるのではないかと考え、そのヒントを探るために文化人類学の歴史を整理してみた。
<文化人類学の元になった学問>
15世紀末の大航海時代に、西洋社会が人類の多様性を発見したのが大きな契機となっている。アダム・スミスの「国富論」で交易に対する関心は大いに高まり、のちに植民地主義や帝国主義に発展することとなる。「民族知識の収集」は非西洋人への支配と知的ロマンや憧れの対象として映った。モンテーニュの「エセー」では未開人の統治されない気高さが描かれた。
<古来の文化人類学>
西洋人の未開民族に対する空想と事実を分けることから、人間の原初の姿を理解しようとしたことが民族学(単なる記述)から人類学(全体的理論化)へと発展するきっかけとなった。当初、全ての頂点は西欧社会にあり、全ては未開から始まるという歴史主義的な考え方、類似社会では一方が他方に伝播したと考える伝播主義的な考え方がメインだった。
ルイス・ヘンリー・モーガン(1818-1881)
アメリカの文化人類学者。人間社会を、「野蛮」、「未開」、「発展」に分けた。支配階級である白人が野蛮な民族を開花させて進化させたという筋書きで支持された。マルクスやエンゲルスに多大な影響を与えた。同時代にダーウィンの進化論が発表されたという歴史的背景は見過ごせない。
ジェームズ・フレイザー(1854-1941)
イギリスの社会人類学者。文献調査による事例収集がメインで、代表作は「金枝篇」。2種類の呪術を紹介している。雨乞いに代表される「類感呪術」と、恋人をへの想いを物から発想するような「感染呪術」である。死に対して危険を回避するためのタブーの存在があり、それを共同体のあらゆるところに配置して置くのが呪術ということである。「森の王が死に、金の枝を折って王を継承する」という行為に、「人間と自然の共通する死と再生の物語」を重ね合わせ、天と地の両界に力を持つ境目に金枝の存在を見出しているという組み立てとなっている。これはギリシャ・ローマ神話、北欧神話、「生贄」の議論などにも通じることとする。
<「近代文化人類学」の始まり>
進化論に対して、批判発展していったもの。
※イギリスにおける発展
ブロニスワフ・マリノフスキー(1884-1942)
「西太平洋の遠洋航海者」が有名。クラという交易に着目して、オーストラリア近くのトリアンダ諸島に2年間長期滞在。生活の観察と現地語の収集によって、豊富な授受関係による経済圏の形成を明らかにした。フィールドワークの体系を確立し、データの体系的収集が可能となった。
マリノフスキーとともにイギリスの文化人類学を確立。デュルケームの社会理論に基づいた構造機能主義理論を展開。未開社会は、自然現象を自然法則ではなく儀礼的道徳的に解決を試みていた。それは現代人が宗教として理解しているものなどの漠然と分類していることを理解する一段階となりうる。法と同様に、人々が共同的に生活しうるための重要な部分を担っていて、それ自体の真偽にかかわらず社会進化や近代文明の発展に貢献してきた。
※アメリカにおける発展
フランツ・ボアズ(1858-1942)
1920年代以降の主流の動きは、マリノフスキーの民俗誌の規範に改良を加えることが研究の主流となっていた。19世紀末の進化論を批判したことで有名で、進化論者は古くから伝わる風習や伝統など(フォークロア)を非合理的な俗信の残存とみなしたのに対して、ボアズは人間の無意識に起源を守った行為の合理化を助け社会統合の役目を担うものと唱えた。文化相対主義を唱え、文化に序列はないとしている。
ロバート・ローウィ(1883-1957)
豊富な民俗誌の資料を収集して、モーガンらの進化主義説に激しい批判を加えた。変異性や正確性の面で高い評価を受けた人物。例えば、狩猟採取民のような単純社会において、一夫一妻性に代表される単婚家族は見られず最終発展段階に発言するというモーガンに対して、すでに狩猟採集民には夫と妻の結合による基本家族が普遍的に見られると反論した。また、文化の実態を無視した人工的機能主義にも懐疑的な立場をとった。
※日本では戦前に書店を開いた岡茂雄や、文化人類学会を作った西村眞次が先駆者。
<自然と社会の2分法からの脱却>
1976年 フィリップ・デスコラの議論
自然と文化を統合的にとらえるモデルを提唱。
「人間は自らと照らし合わせて、類似と異質の要素を取捨選択することで自らのアイデンティティを確立する」と説いた。
その過程で鍵を握るのは、「内面性(interiority)」と「身体性(physicality)」を識別することが重要であり、4つのスキームを提示して人類の文化の多様性を提示した。
①アニミズム(Animism)
南米先住民の世界観がこれに当たる。人間とその他の動物が異なる身体性をもちつつ、同質の内面性を持つとする。
②自然主義(Naturalism)
西洋近代の世界観。身体はその他の自然法則と同質だが、他方で人間のみが知性や精神を持っているとする。
③トーテミズム(Totemism)
ネイティブアメリカンやオーストラリアのアボリジニに顕著に見られる。人間と人間以外の間に共通の人間性と身体性を認めるもの。
④類推主義(Analogism)
古代中国や中世ヨーロッパの世界観。世界のあらゆる存在が個別的で特異的であり、類比や照応によって明らかにしようとしている。
※近代的2分法からの脱却を測る文化人類学者にブルーノ・ラトゥールなどがいる。これらの動きは主体の脱中心化に取り組む社会学者たちに極めて大きな影響を与えることになる。
<ポストコロニアル理論>
1976年以降の文化人類学のフィールドである発展途上国の開発が進んで行き、ポストコロニアルの理論が台頭を始める。
ヨーロッパから見た東方(オリエント)を自分たち西側(オクシデント)と本質的な違いがあるという漠然とした考え方。「西洋」と「非西洋」を「支配する側」と「支配される側」として考えていることを指摘した。植民地の独立とともに、植民地主義の負の遺産を明らかにしようという風潮の中で、ポストコロニアル理論が確立した。2016年にアジア系アメリカ人を「oriental」と表現することに対して差別用語として認定。
ジェームズクリフォード「文化を書く」
調査する西欧の人間とされる側の未開社会の人間との間に、書き手の情報選択などの問題から、不平等の権力関係があることを指摘する。この時代に、調査される側の迷惑と調査する側の倫理という問題も浮上することとなる。
社会や文化の根底にある目に見えない構造を明らかにする。自分自身の意思で主体的な人生を作れることを否定し、「未開社会」には見えない社会的制約が存在すると考える。そこには、ヨーロッパ中心主義への批判が隠されている。
<現代社会における役割>
グローバル社会が進む中で、内戦と殺戮、開発と環境破壊、移民と排除、貧困と感染症の蔓延など様々な問題が民族間の依存関係の元で生じてきている。もはや文化の境界が極めて不明確な現代社会において、2つの意見が対立している。1つは、 文化人類学の終焉を唱えるグループであり、もう1つは過去の研究手法を応用して「現代の文化現象」の分析と解釈に応用していこうというグループである。後者について、議論を進めてみることにする。
圧倒的に歴史の浅い文化人類学という学問は、ナショナルジオグラフィックの誌面を見ればわかるように探検家や写真家、または宣教師や、植民地行政官などの記述がわずかな灯火として残るのみである。文明に接してこなかった未開の文明に対しての記述というのはなかなか困難を極め、文明が入り込んだ地域に関しても元の姿の再構築が試みられてきた。ここには、時間軸の流れと発展というものに対して懐疑的な目が向けられるようになりつつある。それは、未開社会を非歴史的に捉えようとした文化人類学の特権領域という位置付けに対する批判でもあった。これは、現代の文化人類学に対する大きな課題である。
文化人類学者は伝統的なものが失われていくことに対する嘆きという文脈で登場することも多く、伝統から外れた現代人の文化を批判する立場を取っていると考えられやすい。とりわけ未開社会の観光化が真正性と逆行するという立場をとる。そんな中で、人々が生きていることをそのまま描き文化変容に着目する歴史的研究の動きが起こりつつある。
日本の人類学は、自国の文化よりも異文化研究に対して発展してきた点が世界的に見て特異であり、文科省含めた財団の林立によって調査費を工面する方法がその他の国に比べて恵まれていたという背景がある。ただし、英語で論文を書いて業績を認められた成果が少なく、海外で業績がなかなか認められていないのが現状。調査費のかからない貧しい研究と見られてきた自国の日本研究に注力することは、大きな発見の可能性があると言われている。また、欧州・米国の研究も異文化目線で行える数少ない国として日本が取り扱われている。これらの研究をどのような手法で行なっていくのかについてとても重要な論点である。
人類が今日の道程を探ることを文化人類学が目的とするならば、アイデンティティは身体性の拡張によってもはや特定・確立しにくいものとなっており、人生の組み立ては自分のできることを徹底的に作り手としてやっていった先に確立していくものである。
僕個人としては、いわゆる日本の伝統的なもの、とりわけ木造の伝統建築物(古民家)や伝統的な祭りや市場のような習俗とそこから生み出される集団やコミュニティに対して大きな関心があり、これらを通じて何を社会に対して還元するのかという視点が求められている。
旅行が好きな自分には「観光」という視点が不可欠であり、その地域を形成する社会の優れたものをみることを1つのエンターテイメントとして提示することに大きなワクワクを覚える。自然に由来する日本の伝統文化に心地よさを感じる自分にとって、観光という大きなニーズに対しての、開発や変容とどう向き合うのかが大きな論点となるであろう。その中で感じることは、伝統文化を残そうとするのではなく、新しく推し進めていく変容の立場をとりたい。新旧の融合や、歴史学の視点を加えた文化の変容に着目してアイデンティティに迫ろうとする変容の言語化と解明によって、文化人類学を超えた何かを目指すことができるのではないか。
また、人々が特定の場所に縛られず所有という概念から離れることを推し進めることを思考する。この旅行がライフスタイルになる、あるいは多拠点での生き方を選択するライフスタイルになる、あるいは頻繁に旅行にいくことが一種のライフスタイルになるという未来を当たり前にして、それを当たり前にするコミュニティ形成を推し進めることで、その場所の文化が流動的に変容していくという様を描くという役割を今自分の中に見いだしつつある。その変容の中に自然的、有機的な価値観が含まれることに対して、より多くの人が共感してくれることを願い、伝統とも向き合っていくコミュニティができたらと考えている。
自分の社会における役割とは?~拡大or縮小~
人工と自然の境目のわからない世界を志向する。
<その先に行きつく社会>
マカオ化
【163日目】大阪にて「絆家シェアハウスhitotoki」に住んでみて感じた”人をつなぐ魔法”とは?
絆家シェアハウスhitotokiに2週間滞在した。
9月21日から10月5日まで。
インターンシップで大阪に行くことになり、住むところを探した結果、
たまたま友人のSNS投稿を見て、このシェアハウスに行き着いたのである。
「本と、旅と、珈琲と。」
3つとも、僕が好きなものだ。
迷うことなく、滞在希望の連絡を入れてみた。
フタを開けてみれば、
今までで最も濃い集団生活となったと言っても過言ではない。
研究者、世界一周した旅人、芸人、放浪者、アーティスト、経営者、モデルなど、それぞれがそれぞれの道を極める表現者。
個性豊かなメンツと話していると、自分の視野が四方八方に揺さぶられ、
知的好奇心の枚挙にいとまがない。
2週間が始まるワクワク感、
住民と交流する楽しい日々、
終わった後の夢のような喪失感。
この最高に充実したシェアハウス生活の魅力を、
この記事で端的にお伝えしてみようと思う。
絆家シェアハウスhitotokiとは?
絆家シェアハウスのテーマは、「第二の家族を作るシェアハウス」だ。
株式会社絆家のオーナー・平岡雅史さん(まーしーさん)を中心に、2011年から運営がスタート。現在東京や大阪を中心に約10棟ほど展開されている。
「アーティストがつながる」、「国際交流をする」、「就活をする」など、様々なテーマのシェアハウスがある。
その中でも僕が滞在した「絆家シェアハウスhitotoki」は、「本と、旅と、珈琲と」がテーマになっており、比較的旅人が多いシェアハウスだ。
リビングの中央にある木の周りに人が集まる「人と木」には、毎日の「一時」を大事にするという素敵な想いが込められている。
シェアハウスのメンバーは他のシェアハウスに無料で宿泊できたり、他のシェアハウスのイベントにも参加できたりと、交流が広がるのが特徴だ。
住人同士を結びつける魔法とは?
①テーマと空気感がハイセンス
「本と、旅と、珈琲と。」
本が好きな人、旅が好きな人、珈琲が好きな人、どことなく共通項があったからこそ、
会話が弾んだというのも少なからずある。
そして、これらのテーマに見合ったデザインにも注目してみると面白い。
本棚には旅の本がたくさん置いてあって、けん玉や古書やコップがレトロでおとぎの国に迷い込んだかのごとく遊び心があり、本当にめんこいのだ。
そして、ドライフラワーや、リビングの木や、木材の机と椅子のような心安らぐ自然の存在、キリンのぬいぐるみなどの癒しがあり日々のざわめきを落ち着かせる。
そして、明るいけど温かみのある照明が住人達の心を包み込む。
このようなおしゃれでハイセンスなデザインの中で、自分が面白いと思う人生を精一杯生きている魅力ある住人達が集まったというだけも、交流したくなるのに十分な理由があった。
②役割意識がある
まずシェアハウスに入居した時、何人かが積極的にコミュニケーションを取ってくれていたので、とてもシェアハウスに馴染みやすかった。
おかえり、ただいま、おやすみ、おはよう、行ってきまーす、日々の何気ない会話から住人としての第一歩が始まる。
今日どこ行くの?いつかえるの?パーティやるよ?どんどん会話が広がって行く。
そのほかにも、料理を作ってくれる人、ボードゲームを積極的に誘ってくれる人、掃除とか片付けを影でやってくれている人、ピノをさりげなく買ってくれている人(笑)、自分ができないようなことをみんなが補って精一杯こなしてくれていて、毎日毎日感謝の気持ちでいっぱいだった。
人の役に立つこと、人を頼ること、人と人との関わり合いが日常の豊かさをつくり出しているという、当たり前のことを気づかせてくれる場所だった。
③あだ名で呼び合う
普段何気なく使っているので気づかないかもしれないが、この「あだ名」というのがとても重要な役割を担っていたように思う。
年齢性別趣味興味、境界は何もなくて、シェアハウスという新しい家族の一員だと認識させてくれるのが、この「あだ名」であった。
ちなみに、僕のあだ名は「ぎょうざ」だった。
このあだ名の由来は、僕の下の名前が「行真」で、本当の読み方は「ゆきまさ」なのだが「ぎょうき」と読み間違えた人がいて、「ぎょうき」は読みにくいからということで「ぎょうざ」になったのだ。
餃子は個人的にあのヒレっぽい複雑な形と、モチっとした粉物の食感が好きなので、良いあだ名だなと勝手に思っていたのだが、ともかく、親しみのあるあだ名をつけてくれて嬉しい。やっぱりあだ名って重要だと思う。
シェアハウスに住んでみて感じたこと
ぼくはもともとシェアハウスなんて住めないと思っていた。
なぜなら、プライベートな空間がないとすぐに疲れてしまう人間だから。
でも、きちんと個室があるし、それ以上に「交流することがとても楽しいこと」だと思えてそれが自分自身の再発見につながった。
もっと人のことを知りたいし、みんながどんなことを考えているか知りたいし、
みんな個性豊かなメンバーだからこそ会話をすることが楽しかった。
たとえ会話するのが苦手な人も、自分と全く違う違うタイプの人がいると思っても、違いとか多様さを楽しめる土壌があると感じた。
それは旅人が多いシェアハウスならかもしれないとも思った。
また大阪を訪れる際にはこの「絆家シェアハウスhitotoki」にぜひ遊びに行きたい。
けん玉でも遊べる!
部屋は、個室タイプもドミトリータイプもどっちも選べる!(上記はドミトリー。きちんとプライベート空間は確保されています。)
僕はこのシェアハウスの魅力を発信する「SNSアンバサダー」でもあったので、
日々SNSでも発信していました!ぜひこちらもご覧ください🎵
チェキでとった写真いい感じ♫
— 稲村 行真 (@yukimasa3858) September 27, 2018
みんなのポーズかっこええ。
僕の写真は手が妙に強調されていてカニのようだ。
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▼ 「本と、旅と、珈琲と。」
絆家シェアハウスhitotoki ▼https://t.co/tyVMgi9NvM#絆家シェアハウス #シェアハウス留学 #シェアハウス
================== pic.twitter.com/YMQcZtHMcK
昨年、僕が運営していたシェアハウスに関する記事はこちら🎵
今はなき「ヒラヤマちべっと」が懐かしい。
今後またおもろい場づくりしていきたい!と再び決意した。
【160日目】建築に向いている人とは?〜大阪の事務所「dot architects」でのインターンを振り返る〜
2018年9月21日から2週間、大阪の北加賀屋というところにある
「dot-architects 」という事務所でインターンシップをしていた。
建築事務所でのインターンシップでは、今回がこれで2回目!
今回は、島根の時から比べるとまた全然違うインターンだったので、
その違いにも触れながら感じたことを書いていく。
前回のブログはこちら。
「dot architects」とは?
一言で言えば、「建築の界隈感」が垣間見れる、
とっても素敵な活動をされている建築事務所だ。
家成俊勝さん、赤代武志さんによって共同設立されたのが2004年。
それから、建築の設計にとどまらず、現場施工、空間デザイン、アートプロジェクトなど様々なプロジェクトを展開されている。
僕がこの事務所に惹かれたのは、まず共同代表の家成さんが法学部出身でありながら、卒業後建築の世界に入ったのが今の自分と重なり、何か今後のヒントになるのではないかという単純な想いだった。
体験させていただいた業務は、
①古道具販売のwebページの写真撮影
使われなくなった家具の意味を問い直し、買い手がそれを再び意味付けて購入するという手法だ。例えば、椅子が日本で普及していなかった時代に高いところのものを取るのに使われていた踏み台は、今では椅子などで代用できてしまう。だから、モノの機能を見直す必要があり、昔の踏み台としてではなく、椅子として使おう!とかそういう発想になるのである。無駄なものを排除して買い手が使うイメージを連想させられるようにwebページの写真を撮影するという作業はとても面白さがあった。
僕はこれを実際にやってみたときに、素材性の転換を発想せざるを得なかった。例えば、木材は「生き物を加工する」ということであり、木材それぞれに個性が存在する。一方で人工的なプラスチックには大量生産で無個性的な意味合いが強い。それぞれに対する素材性を交換すれば、家具作りの可能性が広がる。
このように意味づけを変えることによって、ものづくりの面白さというのは深みが出て、唯一無二のものを作りうるのだ。そういう脈々と流れる独自の血流を垣間見たことは、僕にとってインターン中で最も面白い事件と言えるだろう。
ちなみに、この古道具販売スペースにある雑誌は、サッカー選手のインタビューではなく、サッカーの審判へのインタビューが掲載されている。サッカーというものを角度を変えて審判の視点から見るとどうなるかを追求しているのだ。こういう視点の転換を大事にしていくことで新しいものや考え方が生まれていくのだ。
他にも様々な業務を経験した。
②模型作り
よくありがちな住宅模型から、舞台の装飾系の模型まで、さまざまな模型を作成した。
やはり、手がける物件の種類が多ければ多いほど、多様な模型作りをさせてもらえるので、とても面白かった。ミリ単位の世界なので、相変わらず手元にシビアな世界だと感じた。
③家具作り
木材でベンチ作りを行った。お祭りに使うものだったり、古民家の軒先に使うものだったり、目的は様々だった。「座りたくなるベンチ」が作れたかどうかを確認するために、試しに近くのバス停の横に置いてみるか!(笑)などという会話は、平安貴族が夜這いで相手を垣間見るかのごとく、脇の裏がくすぐったくなるような観察者の視点を呼び起こした。
④設計図面作り
飲食店の空間の家具の配置などをメインに図面を描いた。椅子の形、机の形、それぞれの配置を、色々な雑誌を参考にジタバタと図面上でこねくり回す作業は、感覚がピタッとあった瞬間の痛快さを誘導した。
⑤実測
使われていない空き家部分の図面作成のため実測を行なった。お化け屋敷のような建物だったので寒気がしてヤバかったが、探検をしているような面白さがあった。
⑥アートの展示づくり
使っていない倉庫を巨大なアート作品の保管場所として活用していて、一年に一回のギャラリーとしての公開も行なっている。今回は、アート作品の照明の付け替えなどを行なった。スイッチを押すと、証明がチカチカ光って、爆音が鳴らされ、家が踊り出すみたいな作品だった。めちゃくちゃなあり得ない出来事に出くわしたような錯覚に陥ったが、アートはぶっ飛んでた方が面白いし元気がもらえるものだ。
仕事内容を見ればわかるように、
建築事務所としては革新的なことをされていて、
なおかつ網羅的に建築の仕事に取り組んでいる感じがする。
印象に残っているのは2:8という比率。
2割は独自の観点、8割は一般的な観点を仕事に組み込むことで、
革新的なことをやっていても絶妙なバランス感を保っている。
それが、お客さんに受け入れてもらいやすい仕事作りにつながっているようだ。
文系から見た建築の世界!「モノへのこだわり」が肝。
インターン生の送別会で、飲み会をした時の話。映画の話で盛り上がった。dot architectsの事務所の皆さんは映画を見る時、プロポーション(画面の構成要素)に着目するようだ。例えば、映画に使われている小物、立ち位置、動きといった画面の一つ一つの要素に着目して、あの場面は美しかったとか、美しくなかったとかそういうことを議論して楽しむのである。必ずといっていいほど、文系学生はストーリーに着目するのでそこが全く対照的である。自分は今まで映画を見る時に、ここで想像した展開になったとか、ここで予想を裏切って来たとかそういう楽しみ方をしていたので、ものすごくびっくりした。
この違いはとても重要なことで、
建築という世界の「最も根底にある考え方」を顕著に表していると思う。
それは端的に表すとすれば、
「手元や身の回りに対するこだわり感」
「モノに対する強烈な執着」
であると感じた。
カッターの持ち方、切り方に感覚を研ぎ澄ませ、1ミリも妥協許さない正確さがあった。100分の1の図面を30分の1の図面にするとか設計図面の縮尺変換も早いし、どう計算したら効率が良いかも追求している。そして、このデザインは良いけど、このデザインは良くない!とか、そういうはっきりとした意見を持っている。だから、共同作業をする時は必ずといっていいほどそのこだわりがぶつかり合うのでヒヤヒヤする時もあるのだが、それが建築をやる上では寝食忘れるほど熱中できる情熱にもつながるのだと思った。
この事実に気付いた時、
自分は建築をストレートにやる人間ではないと思った。
数字の計算をしていると頭がこんがらがるし、正確に模型を切り取ろうとしてもすぐにずれてしまってやり直しになる。そして、最も欠陥的なのが
「モノに対する執着がない」
ということである。建築の世界に入ってみてわかったことだが、建築の世界の人に比べればモノに対する執着が少ないと感じた。知らない自分に気づくことができた。自分が古民家鑑定士を取って、古民家活用をして、その先にある建築との関わり方としての可能性を半年間探って来た中で、これはかなり衝撃的だった。モノを作っていると、その作り手が考えていることとか、生き方とか、概念の方に意識がいってしまい、手元のモノに対する意識が飛んでしまうのである。やはり、僕はどちらかといえば、建築の人を巻き込んで建築という箱の中で何かを仕掛けていったり、建築という世界を客観的に見て伝えていったりする立場の人間であることに気づくことができた。同時に、ブログで経験を積んで来た文章、たまに描いている絵、空き家活用の中で取り組んで来たコミュニティデザインなどをフルに活かせる環境を模索していきたい。
建築界隈って広く見ればいろんな仕事ある。
実質と物質の世界。
目の前のモノに対して、2つの捉え方をする人がいる。
目の前のモノに対して抽象概念やイメージを想起する実質的な捉え方をする人、モノを見たままのモノとして捉える物質的な捉え方をする人の2パターンだ。
前者は頭で完結するのが好きな人、後者は手を動かすのが好きな人とも似ている。
文系学生で多いのは前者、建築学生で多いのは後者とも言えるかもしれない。
自分はどちらかというと前者に近くて、後者は極力少なくしたい人間だ。
ただ前者の特徴として、現場視点が足りないと視野狭窄になるので、 手を動かす後者のようなことも必要になる。または、パートナーで補い合う必要がある。
自分には相互をどう両立するのかが考えられたことが今回の最大の収穫でもあった。
まとめ・演繹と帰納から見るキャリア
建築生は高専出身者も多く、早くからその世界に飛び込んだ人も多い。
目の前のことに対して取り組み、技術を身につけ、 仕事をつくる。
一方で、文系学生は、政治、法律、経済など制度とか概念的な広い視野を学んでから具体的な仕事におとしこんでいく場合が多い。
僕は、文系学生として法律や政治を大学で学んで、今具体的な仕事におとしこんでいく段階である。
文系と建築との接点としてコミュニティデザインや空間のデザインという領域、包括的に伝えて発信するメディア関連の領域が自分にとって近いのかもしれない。
このような気づきを与えてくださったdot architectsの皆さん本当にありがとうございました。これからも旅を続けて、建築との関わり方や進路について考えていこうと思います。
【147日目】島根県出雲市にて!文系出身者が建築に飛び込んで見えたもの
僕は今24歳で昨年の3月に法律系の大学を卒業した。
しかし、建築が学びたくなった。
しかも、建築の大学をすっ飛ばして無謀にも、
のインターンに3週間来てしまったのだ。
なぜ僕はこんなことをしたのか?
遡ること、4年前。
僕は大学2年生だった。
自然が好きで田舎ばかり旅行していた僕は、
ある時岐阜県の村人がおじさん2人しかいないという集落を訪れた。
そして、そのうち1人のおじさんの家に泊まった。
それが僕の「古民家」との最初の出会いだった。
囲炉裏を囲み、村の人々などと一晩中語り明かした僕は思った。
「古民家は人と人とを繋ぐ最高の空間だ!!!」
楽しいひと時を過ごした僕は、日本中の古民家を泊まり歩くようになった。
そして、「古民家鑑定士」という資格をとったり、
法学部なのになぜか「古民家」に関する卒業論文を書いたりした後、
大学を卒業した。
大学卒業後は、縁あって東京都日野市の古民家を借りて住み始め、
1年間ゲストハウスやシェアハウス、イベントスペースの運営を行なった。
その中で古民家の魅力を再確認するとともに、
自然に近くて有機的で、人が集まる空間に対して関心を持ち、
建築を学びたくなった。
そのほかにも多くのことが重なった。
①直島の建築にめちゃくちゃ感動した。
②自分の家は自分で建てたいというよくわからない鬼気迫る想いがある。
③建築家の方とお話ししていると話が弾む。
などの経緯から建築を学びたくなり、まず現場をみたい!と考えて、
古民家や木造建築で有名な1級建築士事務所「江角アトリエ」
でお世話になることになった。
実際のインターンの内容はどんなことをしたのか?
同じインターン生たちと一緒に、
おもに4つの業務を担当した。
①たたき
「たたき」とはコンクリートで作った土間のことである。門の前後の土を掘り返し、掘り返した土をふるいにかけ石を取り除く。サラサラになった土に石灰を1対2の割合で加え、にがりを少々加えて混ぜる。水を加えて、団子ができるまで硬くなったら、あらかじめ掘っておいたところに少しずつ生成物を撒いていく。その上から、タコという木製の道具、またはたたき板とハンマーを用いて、固めていく。最後に小さな石を飾りとして撒いて、1ヶ月ほど待てば完成だ。
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僕にとって、たたきとは「未知の作業」だった。
どこか小さい頃の泥んこ遊びを想わせ、心躍らせるものがある。
しかし、それは単なる遊びにとどまらず、
何十年もの歳月を蓄積するであろう「責任」と「機能性」を問うものであった。
配合する原材料の分量を正確に適度に投下して固め、塗り込むのだ。
単純に思えて実は、現実の宇宙の法則を理解するかのごとく緻密な作業なのである。
②障子張り
障子張りは、古い障子を水を含ませた雑巾で柔らかくしながら、障子の骨の部分(桟や組子)に残りカスがつかないように剥ぎ取る。水がついて湿気っているので、半日乾かす。そのあと完全に乾いたのが確認できてから、障子の骨の部分(桟や組子)に障子用ののりをつけて、まだ切っていない障子紙をその上からかぶせる。完全に乾いてから、ハサミやカッターではみ出し部分を切り取って微調整し、完成する。
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繊細さの意味を噛み締めた。
障子紙を糊付けすると今にも破れそうなか弱い存在になる。
時にカッターを入れれば紙はたちまち敗れ去る。
時に紙の色はのりの色を透過してしまう。
そんな繊細な素材を見ていると建築という領域の
手元に対する解像度の高さを思い知らされる。
③設計
設計図面を作るには、まず現地の現状を確認する。周りの土地利用で隣に家があるとか、田んぼがあるとか、崖があるとか、近くの民家のペットの鳴き声が聞こえるとか、肌感をまず掴んでおく。それから、住み手の希望条件を確認してコンセプトを決めて、土地に対して適応する形と面積の家を考える。それを図面におこしていく作業だ。上から建物を見たときの内部を表す平面図、建物の外観のデザインを表す立面図、見やすい部分で切断したときの内部状況を表す断面図といった主に3種類の図面を作る。イラストや色鉛筆などを用いてわかりやすくする時もある。
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ゼロからイチを生み出すというのは面白い。
土地に命を吹き込むようで、心踊る。
1人1人が自分なりに違うことを考え、図面を創造する。
それぞれのプランの集合を見ていると、
百花繚乱のごとく個性を放ち、
全てが輝いて見えた。
④模型作り
模型作りは、図面を見てそれを工作して立体的に作り、展示会やお客さんの前で見てもらうための作業である。家の構造などはスチレンボードや木の板を用い、中に配置する家具や人などは画用紙を用いてまず部品を作る。設計図を見てもわからない家具の扉の有無などは実際の写真などを確認して作る。作ったものは、ノリや木工用ボンドで貼り合わせて完成だ。
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定規とカッターとカクカクカクと格闘。
アリよりも小さいのりをちょこっとちょこんと乗せる。
より美しく、より正確に全神経は手元へと集中する。
その集中力と丁寧さは想像を絶するほどの快感があり、
一方で突き詰めればミリ単位の難しさがあった。
また、土日には周辺の観光地や建築見学に出かけた。
・石見銀山
・出雲大社
・出西窯
・荒神谷遺跡
・松江城
建築を学びながらこれらの建物や街を巡ると新鮮な視点が得られるのでぜひオススメしたい。
文系の視点から見て建築の世界はどう見えたか?
一言で言えば、
「目の前のことに対処する感覚が敏感ですごい!!!」
と感じた。
例えばこのようなエピソードがある。
建築学生は模型作りで、カッターを定規に当ててからきちんと合わせて板を切り出していたり、のりがはみ出さないようにのりの種類や出し方とか加減をきちんと考えたりしていた。また、椅子とか家具とかも正確な値を測って正確なサイズを模索していた。このことから、しっかりと丁寧に器用に目の前の物事をこなしている印象を持った。
日常生活でもそんな感じだった。まず料理を作り始める時、コロッケを揚げるにはどのような入れ物で揚げれば一番適切かを考える。そして、コロッケを揚げるにはこの油が一番良いとか、スープはこの順番で野菜を入れると一番火の通りが均等で良いとか小さな細かいことをきちんと考えている。焚き火の時には、このくらいに木を切ってこのように並べると一番良いということを考えている。そして、考えているだけではなく、きちんと意見を言って判断して物事を決めているように思われた。その感覚に圧倒されっぱなしだった。文系的視点でいくと曖昧にしていても成り立ちそうなところを、芸術家っぽく自分のこだわりを持ちながらも、正確に物事をこなそうと模索しているところは最も新鮮に映った。
かたやこんなエピソードもあった。
窓からハチが入ってくるとみんな揃って逃げたり、逃がそうとした。それはゴキブリやその他の虫でも例外ではなかった。その反応の仕方がとても敏感で、なかなかここまで危険察知能力持てるもんかなあと思うこともあった。
また、食事中ハエが入ってくると、こぞってビニールで捕獲し始めた。ハエにそろーりと近づいてゆっくり袋をかぶせて捕獲して行く姿が、なんとなく模型作りで糊付けしたパーツをくっつける動作に重なって、あの手元が揺らがない感じ一緒じゃん!などと妙に自分の中で納得してしまった。感覚が鋭敏というのがふさわしいのか。
世の中いろんな人がいるから建築の人はこうだ!ということは言うことはできないけれど、純粋に僕が建築事務所に来て新鮮だなと感じたことを素直に書いてみた。
まとめ
建築の世界に一歩踏み出して思うこと。
やっぱり家を1から作るってすごく面白い。
だから、もっともっと学んでみたい。
将来どんな形で建築に関わるかなんてわからない。
でも、文系を出て大半の人とは違う道を通って建築と出会ったのだから、
建築を身につけて自分にしかできないことをやりたい。
そう感じた3週間でした。
江角アトリエの社員の皆様、インターンの皆様、
建築の世界から見たら0歳児の僕を暖かく受け入れていただき、
本当にありがとうございました。
またどこかで皆様とお会いできる日を楽しみにしております。
※今回のブログの内容は、江角アトリエ内HPのインターン生ブログの僕が記事を書いたものと内容が重複します。
*筆者プロフィール*
稲村行真(いなむらゆきまさ)
1994年島根県生まれの千葉県育ち。
中央大学法学部卒業後、1年間古民家の管理人を勤めた後、
江角アトリエのインターンに参加。
一級建築士事務所
江角アトリエのHPはこちら。
他のインターン生のブログもあります。
【143日目】島根県出雲市にて!建築の世界を垣間見た記録〜知らない世界に一歩踏み出してみた〜
いつも自転車に乗っている。
田んぼの中を颯爽と走る。
秋の季節だから、田んぼの稲がまぶしく実る。
そこに紅の屋根の古民家が差し色を添える。
神々が集う場所でもあり山々は人が及ばないほどの威厳がある。
黄色、紅色、紫色、そんな色がよく似合う土地だ。
出雲の風は、暖かく心地よい。
頬を撫でるように僕を包み込んで通り過ぎて行く。
車輪をこぐ足取りは楽譜の上をリズミカルに
飛び跳ねるように快調。
さてこれからどこに行こうか。
僕にとって出雲は決意の場所だった。
前半と後半で見る景色が全く異なり、
どこか嘘みたいに景色が晴れ渡った。
その心情の変化と多くの学びについて、
書き綴っておきたいとおもい、
ブログの画面を久しぶりに開いてみた。
僕が9月1日からインターンシップをしているのは、
「江角アトリエ」という一級建築士事務所だ。
僕にとって、建築は未知の学問であり全くわからない領域だった。
最初の一週間は、自分がなぜ建築をやらねばならなかったのか?
という自問自答から始まった。
建築の大学を出たとか、学んでいるとか、そういう人しかいない現場だ。
いきなり建築を学んだことのない自分がこの世界に飛び込むとはどういうことか。
自分の根源にある理由を再度見つめ直し、
チャンスの後ろ髪はないことをわからせることが、
僕が建築という世界に生まれた最初の仕事だった。
9月3日「たたき」の作業
*「たたき」とはコンクリートで作った土間のことである。門の前後の土を掘り返し、掘り返した土をふるいにかけ石を取り除く。サラサラになった土に石灰を1対2の割合で加え、にがりを少々加えて混ぜる。水を加えて、団子ができるまで硬くなったら、あらかじめ掘っておいたところに少しずつ生成物を撒いていく。その上から、タコという木製の道具、またはたたき板とハンマーを用いて、固めていく。最後に小さな石を飾りとして撒いて、1ヶ月ほど待てば完成だ。
*どの程度の分量を作れば、きちんと人が通れるように水平に仕上がるかという「想像スル」視点や、どの程度の固まり具合になるまで水を入れるかという的確さとか、男が重い道具で固めて女が土を振り分けるという分業的な視点とか単純でも追求すれば奥が深い作業である。総じて体力が必要な作業だ。おもしろかった。
ところで、僕は最近自分の体の動かし方がハトのようだと感じることがある。どういうことかというと、草取りや掃除をしていると顕著なのだが、立ったり座ったりする動作が多いと動きが滑らかでないと感じる。例えば、ものを掴んで、それを的確な場所におくということがとても疲れるので、掴んだものを放り投げたくなるという性質である。仕事に慣れていないと、ハトのような動きが多くなる。このことから、つい最近まである仮説を立てていた。一般的に「体力がある」と言われる人々は、「体を動かしていても疲れないけど体の動かし方の効率が良くない棒人間」と、「体を動かしていたら疲れるけど体の動かし方が効率の良い枝人間」という性質が存在していて、自分は前者だと考えていた。しかし、この時は不思議とハトにも増して、滑らかな動きができたと思う。なぜだか非常に不思議だったが、自分の性質とは微々たるもので、その業務に対するモチベーションによる振れ幅がかなり大きいという結果にいきついた。たたきは自分にとって非常に面白いものに映っていたようだ。これは自分にとって大きな発見であり、アルキメデスが入浴中に「浮体の原理」を発見してエウレイカー!!!と叫んでフルチンで宮殿を走り回ったかのごとく大きな衝撃を受けた。よくよく考えてみれば、人々が当たり前で単純で白黒つけてしまいがちな物事や単純作業の裏側に、誰もが気づいていない大きな盲点があることを僕は人一倍噛み締めながら生きていきたいと改めて決意をした。
9月4日「障子張り」の作業
*障子張りは、古い障子を水を含ませた雑巾で柔らかくしながら、障子の骨の部分(桟や組子)に残りカスがつかないように剥ぎ取る。水がついて湿気っているので、半日乾かす。そのあと完全に乾いたのが確認できてから、障子の骨の部分(桟や組子)に障子用ののりをつけて、まだ切っていない障子紙をその上からかぶせる。完全に乾いてから、ハサミやカッターではみ出し部分を切り取って微調整し、完成する。
*これは比較的簡単な作業だが、例えばのりがはみ出た状態で乾かしてしまって、上部と下部で紙の張り付き具合が変わり、切りたかった部分が切れなくてもどかしいみたいなことが発生する。また、ノリをべったりくっつけすぎると、乾いてからもノリが張り付いているのが見え見えで美しくない。その加減が難しいところである。
僕は古民家に住んでいたので障子の張り替えはお手のものだ。こういうところで、建築の世界と、自分の今までやってきた古民家の活動のつながりを感じることで、今まで自分が経験してきたことがとても意義深く感じることができるのである。最近気付いたのだが、目の前の仕事に対して人は時に異なる捉え方をする。「想像スル」ことで自分の仕事を開拓していくコロンブスのような勇気ある挑戦者と、今まで積み重ねた50の経験の上に50の経験を上乗せするように着実に仕事の歩みを進め、山の頂上まで1km近づいたぞー!などと声を張り上げる積み木人間がいると思う。僕は多分今までの人生をフル活用しないと気が済まない後者の人間である。僕はこのことを考える時、前者をレディガガ、後者を秦基博などと音楽の好みに例えて考えることを何よりの楽しみにしているのだが、まあこのような分類論はあてにならないことの方が多い。最近気付いたことがもう1つあって、目の前の人間は唯一無二で本当に掛け替えのない存在で、喧嘩するとか笑い合うとか全力で向き合うことで深く理解し合えて、瞬時に人の本質を読もうとする大局観とは無縁の世界があることこそ、自然を生きている動物に重ね合わせ、涙が止まらないほどに美しいことだと感じるのだ。
基本毎日「模型作りの作業」
*模型作りは、図面を見てそれを工作して立体的に作り、展示会やお客さんの前で見てもらうための作業である。家の構造などはスチレンボードや木の板を用い、中に配置する家具や人などは画用紙を用いてまず部品を作る。設計図を見てもわからない家具の扉の有無などは実際の写真などを確認して作る。作ったものは、ノリや木工用ボンドで貼り合わせて完成だ。シンガポールの大学では、こういう作業は3Dプリンターなどで代用してしまうと聞いたことがあるが、現状日本ではこの模型作りという作業が大多数の建築学生の当たり前となっている。これは本当に意味あることか?個人的にはまだ疑問が残る。
*基本的にものすごく細かい作業で、小さな1ミリ単位の狂いも許されない。それが一日中なのでかなり集中力が必要である。なおかつ、指先の器用さと丁寧さと正確さが求められる。建築家が真面目と言われるのはこの工程が必要であるがゆえで、常にこの建物は機能するのか?という視点で全ての作業を見つめている。これが絵描きや小説との違いで、ある決まりや制約のもと現実世界の利用者に対して作品を長年使ってもらうという「責任」を感じながら仕事をするのである。とはいえ、作品を作るという意味ではその他の芸術となんら変わりなく、黙々と目の前の制作に集中するという側面を持つ。お客さんに対して使用イメージをきちんと持ってもらうために必要なのがこの模型作りという作業である。お客さんが使用感について疑問を持ちそうなところはどこかについて想像するということも必要な仕事である。
僕は自分のことを大雑把な人間だと考えていたので、この作業に適応できるのかいささか不安であった。しかし、なにかを始めると良くも悪くも周りが見えなくなるほどに集中できるので、その点では自信があった。直径数ミリほどの人間をハサミで切り出して、ピンセットで持って足の裏側にノリをつけて、建物の中に立たせるというのがとても難しかった。しかし、次第に慣れてきて例えばノリの量がほんの少し多いなとか、ほんの少し少ないなとかそういう加減がわかってきてからはうまく作ることができるようになってきた。たまにプロフェッショナル仕事の流儀とかを見るのだが、自分のプロフェッショナルな技能に関して大雑把な人はこの番組に出てこない。とことん追い込んで、すんなり行った時は逆に壊すとか疑うというくらいの心持ちでいる人の方が、良いものが作れる気がする。大雑把な性格は、とことん集中するべき時に集中できるという裏側の側面もあるのかもしれない。まあ結局やるかやらないかの世界でしっかりとやることを意識すればしっかりとできるものだと思う。さて、私達の生きる世界を作った最初の人物は、この模型作りで人や建物を配置するかのように、世界に必要であろうものを想像して配置していったのだろうか。何回も壊して、イメージを丁寧に正確に膨らませていったのだろうか。もしそうであるならば、この現実世界の「模型」とやらを見てみたい。世界という箱を利用する私たちにとっての「最も有効な箱の使い方」を知っているのかもしれない。
9月10日〜14日「設計図面づくり」
*設計図面を作るには、まず現地の現状を確認する。周りの土地利用で隣に家があるとか、田んぼがあるとか、崖があるとか、近くの民家のペットの鳴き声が聞こえるとか、肌感をまず掴んでおく。それから、住み手の希望条件を確認してコンセプトを決めて、土地に対して適応する形と面積の家を考える。それを図面におこしていく作業だ。上から建物を見たときの内部を表す平面図、建物の外観のデザインを表す立面図、見やすい部分で切断したときの内部状況を表す断面図といった主に3種類の図面を作る。イラストや色鉛筆などを用いてわかりやすくする時もある。
*まずどういうコンセプトにすればハッピーかを考えるという企画の側面が強い。シンプルなコンセプトから逆算して、面白い発想が広がっていくという無から有を生む仕事なのだ。建築の知識とか経験をフル動員して、細部まで自分の手で家を考えるからとても難しいし、センスがいる仕事である。
僕はもともと建築の知識が少ないので無から有を生み出すことに苦労した。しかし、この設計図面づくりが全ての業務のうち最もワクワクした。これこそが僕のやりたいことであると感じ、本当に僕は建築の世界に行くべきかという多くの迷いを消し去ってくれた。それは何もないところに何かを生み出すということであった。やはり、自分の力点は「個性の発揮」ということにあると感じた。自分で作品を作って、皆の作品と比較して百花繚乱のプランを眺めていると、自分が世の中に生きる意味が見出せ、自分に血が通っていることを再確認できるのである。ただ、まだ設計を身につけるには足りないものが多すぎてこまる。自分のプランは環境適合性が足りないと言われたが、そういう1つ1つの学びに丁寧に向き合っていこうと感じた。まず何から始めたらいいかもわからないので、色々な人に聞いた結果、すでにあるものを真似ることの重要性に行き着いた。既存の建物のデザインを絵にしてみたり、図面を真似して描いてみたり、家具を利用している時は寸法を測ってみたり、そういう既存の創作物をよく観察して、自分の中に取り込んで行く作業が必要だと感じた。
僕は真似るという行為について、「組織の中で均一化されながら習得するもの」と「自分の中で主体的に取り入れて習得するもの」があると考えていて、前者はコンビニ、後者は絵画のグループをイメージすることが多い。本当は、後者の学びをしたいのだけれども、前者の学びが意外と役に立つ時もあるし別に過剰に避ける必要もないと最近考えるようにもなってきた。何れにしても、真似るのは自分にとって今ものすごく必要なことであるという意識が高まってきて、どこかで修行したい!という想いが衝動として湧き上がることも多い。
まとめることもできないが。
建築は僕にとって古民家の延長線上にあるものだ。大学2年生以来、古民家鑑定士とか、古民家冒険家とか言って、古民家に住んで向き合った先に、木造とかの有機的な建物に対する探究心が湧き上がり、やはり建物について知りたいし深めたい!ということで今に至っている。自分が向かう先にあるものも少し見えていて、それに繋がるのは建築とも言える(空間デザイン〜建築士とかどのポジションを取るか考え中)。そういう必然性を感じ続けながら、知らない世界にまず一歩踏み入れてみた。建築界から見たら赤ちゃんのような僕に対して、丁寧に接してくれている事務所の皆さんや同じインターン生に本当に感謝したい。僕が今踏み出せるのは、暖かく迎え入れてくれている人々のおかげであることは最も強調すべき点である。
決めつけることもせず、多くの可能性を探りながらも、ひとまず一歩踏み出してみたのは自分の中では大きな一歩であった。なんだかんだ言って、職業に向いている向いてないとかそういうものは何もなくて、得意も得意じゃないもなくて、やるかやらないかで自分なりに方向が定まっていくという一面もあるなと。何もないところに対してあれこれ議論しても何も生まれないというかなにも喋りようがない空っぽの議論、何か議題があるところに対してあれこれ話してみて見えてくる収穫ある議論だったら後者が良い。さて、次なる大きな一歩はなんであろうか。今思索中だ。
ps.
ところで今日、出雲の神戸川を歩いていた時ふと絵を描きたくなった。
衝動で手元にあったスケッチブックに書きなぐってみたらこんなことになった。
大きな川と、川べりの草達、赤い屋根、田んぼ、周りを取り囲む山達。
朝見たトキのくちばしが妙に忘れられなくて、こんな生き物が誕生した。
これらの自然物は「縁」によってつながり、紡ぎ出されているのだ。
絵を描くことを通して感情を吐き出すという行為をこれからも大事にしていきたい。