自分の社会における役割とは?~拡大or縮小~

最近考えていることメモ、ざっくり両極に。
多様化する社会においてなんとなく違和感感じる人もいるだろうが。
この2択は行動決定に対しての強烈な判断軸ともなりうるのでは。
 
①拡大派
人工と自然の境目のわからない世界を志向する。
キーワード:IT、ベンチャー、大企業、仮想通貨、資本主義、億万長者、織田信長豊臣秀吉徳川家康エジソン、フォード、ビルゲイツスティーブ・ジョブズ孫正義、落合陽一。
 
<これからの社会>
落合陽一の議論を参考に。
・コンテンツ+プラットフォーム
コンテンツがプラットフォームをこえることはない。
すなわち、youtubeの動画がyoutubeをこえることはない。
であるならばコンテンツとしてのアートがプラットフォームをどう乗り越えるか
物質かアートかわからない再現性あるホログラムの領域に到達する。
 
洞窟壁画からの流れ
2次元の絵や写真の先にどう行くか
のぞき絵、キネトスコープ(映像)、スマホ、、。
これでもつまらない。
フレームに捉われているので、3次元化をどう行うか。
超音波で。より強い音、光。より弱い音、光。
人間の耳や目にわからないものを使う。
イルカは目に見えない相手に、超音波で信号を送れる。
 
作った人にしかわからない世界、魔法。
どう自然から人間を読み解くかではなく、
コンピューターの中に便利な答えがある。
だから、身体と精神を切り離して考えることを主張。
サードプレイスや共同住宅というハードにソフトのつながりをもたらす
シェアハウスも必要になってくる。

<その先に行きつく社会>

マカオ

基本、娯楽サービスだけで回り、生活に必要なものはオートメーション化される。
 
アート化
クリエイテブな作品が徹底的につくられる。
 
 
②縮小派
人工と自然を別物としたい。
キーワード:田舎、地域社会、地域通貨、反資本主義、社会主義、ソーシャルデザイン、コミュニティデザイン、ラダイト運動、手仕事、二宮尊徳大塩平八郎シートン、山崎亮、辻信一さんなど。
 
自然主義者からみると、魔法化された社会は信頼できない。
人類や人間とは何か?から発想する。
スモールで見える化していかないと、貧富の差は拡大。
プロセスを明らかにしないと、大きな問題が後からのしかかる。
石油の獲得競争、森林の大規模伐採、CO2の増加など地球環境問題。
食品添加物、肥満、建築基準ミス、不当な労働で作られたファストファッション放射線原発、精製水の毒化、遺伝子組み換え種子、電磁波など。
便利な社会は1つ間違うと、受動的な人間を増加させるので、自分の感情把握に苦労する。
いずれ心を可視化できるくらい確実性のある世の中ができるのかもしれないが、果てしない向上心はさらなる確実性を求めるので、その過程に犠牲がでる。犠牲は永遠に出続けるので、そろそろ下降して腰を落ち着けてみては?
いやそれだとつまらないという人間がいる。であるならば、せめて綱引きして危険を可視化する存在がいることは意味あることだ。
お金ではなく、繋がりに価値を置く。
合言葉は、シンプルに、小さく、ゆっくりと。
 
結局最終的には分断ではなく、ゆらぎの部分や繋がりをつくるのも大事だから、
両極の中間も少なからず存在するだろうが。
 

【163日目】大阪にて「絆家シェアハウスhitotoki」に住んでみて感じた”人をつなぐ魔法”とは?

絆家シェアハウスhitotokiに2週間滞在した。

9月21日から10月5日まで。

インターンシップで大阪に行くことになり、住むところを探した結果、

たまたま友人のSNS投稿を見て、このシェアハウスに行き着いたのである。

 

「本と、旅と、珈琲と。」

3つとも、僕が好きなものだ。

迷うことなく、滞在希望の連絡を入れてみた。

 

フタを開けてみれば、

今までで最も濃い集団生活となったと言っても過言ではない。

研究者、世界一周した旅人、芸人、放浪者、アーティスト、経営者、モデルなど、それぞれがそれぞれの道を極める表現者

個性豊かなメンツと話していると、自分の視野が四方八方に揺さぶられ、

知的好奇心の枚挙にいとまがない。

2週間が始まるワクワク感、

住民と交流する楽しい日々、

終わった後の夢のような喪失感。

 

この最高に充実したシェアハウス生活の魅力を、

この記事で端的にお伝えしてみようと思う。

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kizunaya-s.com

 

絆家シェアハウスhitotokiとは? 

絆家シェアハウスのテーマは、「第二の家族を作るシェアハウス」だ。

株式会社絆家のオーナー・平岡雅史さん(まーしーさん)を中心に、2011年から運営がスタート。現在東京や大阪を中心に約10棟ほど展開されている。

「アーティストがつながる」、「国際交流をする」、「就活をする」など、様々なテーマのシェアハウスがある。

その中でも僕が滞在した「絆家シェアハウスhitotoki」は、「本と、旅と、珈琲と」がテーマになっており、比較的旅人が多いシェアハウスだ。

リビングの中央にある木の周りに人が集まる「人と木」には、毎日の「一時」を大事にするという素敵な想いが込められている。

シェアハウスのメンバーは他のシェアハウスに無料で宿泊できたり、他のシェアハウスのイベントにも参加できたりと、交流が広がるのが特徴だ。

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住人同士を結びつける魔法とは?

①テーマと空気感がハイセンス

「本と、旅と、珈琲と。」

本が好きな人、旅が好きな人、珈琲が好きな人、どことなく共通項があったからこそ、

会話が弾んだというのも少なからずある。

そして、これらのテーマに見合ったデザインにも注目してみると面白い。

本棚には旅の本がたくさん置いてあって、けん玉や古書やコップがレトロでおとぎの国に迷い込んだかのごとく遊び心があり、本当にめんこいのだ。

そして、ドライフラワーや、リビングの木や、木材の机と椅子のような心安らぐ自然の存在、キリンのぬいぐるみなどの癒しがあり日々のざわめきを落ち着かせる。

そして、明るいけど温かみのある照明が住人達の心を包み込む。

このようなおしゃれでハイセンスなデザインの中で、自分が面白いと思う人生を精一杯生きている魅力ある住人達が集まったというだけも、交流したくなるのに十分な理由があった。

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②役割意識がある

まずシェアハウスに入居した時、何人かが積極的にコミュニケーションを取ってくれていたので、とてもシェアハウスに馴染みやすかった。

おかえり、ただいま、おやすみ、おはよう、行ってきまーす、日々の何気ない会話から住人としての第一歩が始まる。

今日どこ行くの?いつかえるの?パーティやるよ?どんどん会話が広がって行く。

そのほかにも、料理を作ってくれる人、ボードゲームを積極的に誘ってくれる人、掃除とか片付けを影でやってくれている人、ピノをさりげなく買ってくれている人(笑)、自分ができないようなことをみんなが補って精一杯こなしてくれていて、毎日毎日感謝の気持ちでいっぱいだった。

人の役に立つこと、人を頼ること、人と人との関わり合いが日常の豊かさをつくり出しているという、当たり前のことを気づかせてくれる場所だった。

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③あだ名で呼び合う

普段何気なく使っているので気づかないかもしれないが、この「あだ名」というのがとても重要な役割を担っていたように思う。

年齢性別趣味興味、境界は何もなくて、シェアハウスという新しい家族の一員だと認識させてくれるのが、この「あだ名」であった。

ちなみに、僕のあだ名は「ぎょうざ」だった。

このあだ名の由来は、僕の下の名前が「行真」で、本当の読み方は「ゆきまさ」なのだが「ぎょうき」と読み間違えた人がいて、「ぎょうき」は読みにくいからということで「ぎょうざ」になったのだ。

餃子は個人的にあのヒレっぽい複雑な形と、モチっとした粉物の食感が好きなので、良いあだ名だなと勝手に思っていたのだが、ともかく、親しみのあるあだ名をつけてくれて嬉しい。やっぱりあだ名って重要だと思う。

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シェアハウスに住んでみて感じたこと

ぼくはもともとシェアハウスなんて住めないと思っていた。

なぜなら、プライベートな空間がないとすぐに疲れてしまう人間だから。

でも、きちんと個室があるし、それ以上に「交流することがとても楽しいこと」だと思えてそれが自分自身の再発見につながった。

もっと人のことを知りたいし、みんながどんなことを考えているか知りたいし、

みんな個性豊かなメンバーだからこそ会話をすることが楽しかった。

たとえ会話するのが苦手な人も、自分と全く違う違うタイプの人がいると思っても、違いとか多様さを楽しめる土壌があると感じた。

それは旅人が多いシェアハウスならかもしれないとも思った。

また大阪を訪れる際にはこの「絆家シェアハウスhitotoki」にぜひ遊びに行きたい。

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けん玉でも遊べる!

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部屋は、個室タイプもドミトリータイプもどっちも選べる!(上記はドミトリー。きちんとプライベート空間は確保されています。)

 

 

僕はこのシェアハウスの魅力を発信する「SNSアンバサダー」でもあったので、

日々SNSでも発信していました!ぜひこちらもご覧ください🎵

 

www.facebook.com

 

 

 

昨年、僕が運営していたシェアハウスに関する記事はこちら🎵

今はなき「ヒラヤマちべっと」が懐かしい。

今後またおもろい場づくりしていきたい!と再び決意した。

ina-tabi.hatenablog.com

 

 

 

【160日目】建築に向いている人とは?〜大阪の事務所「dot architects」でのインターンを振り返る〜

2018年9月21日から2週間、大阪の北加賀屋というところにある

dot-architects 」という事務所でインターンシップをしていた。

建築事務所でのインターンシップでは、今回がこれで2回目!

今回は、島根の時から比べるとまた全然違うインターンだったので、

その違いにも触れながら感じたことを書いていく。

 

前回のブログはこちら。

ina-tabi.hatenablog.com

 

 

「dot architects」とは?

一言で言えば、「建築の界隈感が垣間見れる、

とっても素敵な活動をされている建築事務所だ。

 家成俊勝さん、赤代武志さんによって共同設立されたのが2004年。

それから、建築の設計にとどまらず、現場施工、空間デザイン、アートプロジェクトなど様々なプロジェクトを展開されている。

僕がこの事務所に惹かれたのは、まず共同代表の家成さんが法学部出身でありながら、卒業後建築の世界に入ったのが今の自分と重なり、何か今後のヒントになるのではないかという単純な想いだった。

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体験させていただいた業務は、

①古道具販売のwebページの写真撮影

使われなくなった家具の意味を問い直し、買い手がそれを再び意味付けて購入するという手法だ。例えば、椅子が日本で普及していなかった時代に高いところのものを取るのに使われていた踏み台は、今では椅子などで代用できてしまう。だから、モノの機能を見直す必要があり、昔の踏み台としてではなく、椅子として使おう!とかそういう発想になるのである。無駄なものを排除して買い手が使うイメージを連想させられるようにwebページの写真を撮影するという作業はとても面白さがあった。

僕はこれを実際にやってみたときに、素材性の転換を発想せざるを得なかった。例えば、木材は「生き物を加工する」ということであり、木材それぞれに個性が存在する。一方で人工的なプラスチックには大量生産で無個性的な意味合いが強い。それぞれに対する素材性を交換すれば、家具作りの可能性が広がる。

このように意味づけを変えることによって、ものづくりの面白さというのは深みが出て、唯一無二のものを作りうるのだ。そういう脈々と流れる独自の血流を垣間見たことは、僕にとってインターン中で最も面白い事件と言えるだろう。

 

ちなみに、この古道具販売スペースにある雑誌は、サッカー選手のインタビューではなく、サッカーの審判へのインタビューが掲載されている。サッカーというものを角度を変えて審判の視点から見るとどうなるかを追求しているのだ。こういう視点の転換を大事にしていくことで新しいものや考え方が生まれていくのだ。

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他にも様々な業務を経験した。

 

②模型作り

よくありがちな住宅模型から、舞台の装飾系の模型まで、さまざまな模型を作成した。

やはり、手がける物件の種類が多ければ多いほど、多様な模型作りをさせてもらえるので、とても面白かった。ミリ単位の世界なので、相変わらず手元にシビアな世界だと感じた。

 

③家具作り

木材でベンチ作りを行った。お祭りに使うものだったり、古民家の軒先に使うものだったり、目的は様々だった。「座りたくなるベンチ」が作れたかどうかを確認するために、試しに近くのバス停の横に置いてみるか!(笑)などという会話は、平安貴族が夜這いで相手を垣間見るかのごとく、脇の裏がくすぐったくなるような観察者の視点を呼び起こした。

 

④設計図面作り

飲食店の空間の家具の配置などをメインに図面を描いた。椅子の形、机の形、それぞれの配置を、色々な雑誌を参考にジタバタと図面上でこねくり回す作業は、感覚がピタッとあった瞬間の痛快さを誘導した。

 

⑤実測

使われていない空き家部分の図面作成のため実測を行なった。お化け屋敷のような建物だったので寒気がしてヤバかったが、探検をしているような面白さがあった。

 

⑥アートの展示づくり

 使っていない倉庫を巨大なアート作品の保管場所として活用していて、一年に一回のギャラリーとしての公開も行なっている。今回は、アート作品の照明の付け替えなどを行なった。スイッチを押すと、証明がチカチカ光って、爆音が鳴らされ、家が踊り出すみたいな作品だった。めちゃくちゃなあり得ない出来事に出くわしたような錯覚に陥ったが、アートはぶっ飛んでた方が面白いし元気がもらえるものだ。

 

仕事内容を見ればわかるように、

建築事務所としては革新的なことをされていて、

なおかつ網羅的に建築の仕事に取り組んでいる感じがする。

印象に残っているのは2:8という比率。

2割は独自の観点、8割は一般的な観点を仕事に組み込むことで、

革新的なことをやっていても絶妙なバランス感を保っている。

それが、お客さんに受け入れてもらいやすい仕事作りにつながっているようだ。

 

 文系から見た建築の世界!「モノへのこだわり」が肝。

 インターン生の送別会で、飲み会をした時の話。映画の話で盛り上がった。dot architectsの事務所の皆さんは映画を見る時、プロポーション(画面の構成要素)に着目するようだ。例えば、映画に使われている小物、立ち位置、動きといった画面の一つ一つの要素に着目して、あの場面は美しかったとか、美しくなかったとかそういうことを議論して楽しむのである。必ずといっていいほど、文系学生はストーリーに着目するのでそこが全く対照的である。自分は今まで映画を見る時に、ここで想像した展開になったとか、ここで予想を裏切って来たとかそういう楽しみ方をしていたので、ものすごくびっくりした。

 

この違いはとても重要なことで、

建築という世界の「最も根底にある考え方」を顕著に表していると思う。

それは端的に表すとすれば、

手元や身の回りに対するこだわり感

モノに対する強烈な執着

であると感じた。

 

カッターの持ち方、切り方に感覚を研ぎ澄ませ、1ミリも妥協許さない正確さがあった。100分の1の図面を30分の1の図面にするとか設計図面の縮尺変換も早いし、どう計算したら効率が良いかも追求している。そして、このデザインは良いけど、このデザインは良くない!とか、そういうはっきりとした意見を持っている。だから、共同作業をする時は必ずといっていいほどそのこだわりがぶつかり合うのでヒヤヒヤする時もあるのだが、それが建築をやる上では寝食忘れるほど熱中できる情熱にもつながるのだと思った。

 

この事実に気付いた時、

自分は建築をストレートにやる人間ではないと思った。

数字の計算をしていると頭がこんがらがるし、正確に模型を切り取ろうとしてもすぐにずれてしまってやり直しになる。そして、最も欠陥的なのが

モノに対する執着がない

ということである。建築の世界に入ってみてわかったことだが、建築の世界の人に比べればモノに対する執着が少ないと感じた。知らない自分に気づくことができた。自分が古民家鑑定士を取って、古民家活用をして、その先にある建築との関わり方としての可能性を半年間探って来た中で、これはかなり衝撃的だった。モノを作っていると、その作り手が考えていることとか、生き方とか、概念の方に意識がいってしまい、手元のモノに対する意識が飛んでしまうのである。やはり、僕はどちらかといえば、建築の人を巻き込んで建築という箱の中で何かを仕掛けていったり、建築という世界を客観的に見て伝えていったりする立場の人間であることに気づくことができた。同時に、ブログで経験を積んで来た文章、たまに描いている絵、空き家活用の中で取り組んで来たコミュニティデザインなどをフルに活かせる環境を模索していきたい。

 

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 建築界隈って広く見ればいろんな仕事ある。

 

実質と物質の世界。

目の前のモノに対して、2つの捉え方をする人がいる。

目の前のモノに対して抽象概念やイメージを想起する実質的な捉え方をする人、モノを見たままのモノとして捉える物質的な捉え方をする人の2パターンだ。

前者は頭で完結するのが好きな人、後者は手を動かすのが好きな人とも似ている。

文系学生で多いのは前者、建築学生で多いのは後者とも言えるかもしれない。

自分はどちらかというと前者に近くて、後者は極力少なくしたい人間だ。

ただ前者の特徴として、現場視点が足りないと視野狭窄になるので、 手を動かす後者のようなことも必要になる。または、パートナーで補い合う必要がある。

自分には相互をどう両立するのかが考えられたことが今回の最大の収穫でもあった。

 

まとめ・演繹と帰納から見るキャリア

建築生は高専出身者も多く、早くからその世界に飛び込んだ人も多い。

目の前のことに対して取り組み、技術を身につけ、 仕事をつくる。

一方で、文系学生は、政治、法律、経済など制度とか概念的な広い視野を学んでから具体的な仕事におとしこんでいく場合が多い。

僕は、文系学生として法律や政治を大学で学んで、今具体的な仕事におとしこんでいく段階である。

文系と建築との接点としてコミュニティデザインや空間のデザインという領域、包括的に伝えて発信するメディア関連の領域が自分にとって近いのかもしれない。

このような気づきを与えてくださったdot architectsの皆さん本当にありがとうございました。これからも旅を続けて、建築との関わり方や進路について考えていこうと思います。

【147日目】島根県出雲市にて!文系出身者が建築に飛び込んで見えたもの

 

僕は今24歳で昨年の3月に法律系の大学を卒業した。

しかし、建築が学びたくなった。

しかも、建築の大学をすっ飛ばして無謀にも、

島根県出雲市一級建築士事務所「江角アトリエ」

インターンに3週間来てしまったのだ。

 

なぜ僕はこんなことをしたのか?

遡ること、4年前。

僕は大学2年生だった。

自然が好きで田舎ばかり旅行していた僕は、

ある時岐阜県の村人がおじさん2人しかいないという集落を訪れた。

そして、そのうち1人のおじさんの家に泊まった。

それが僕の「古民家」との最初の出会いだった。

 

囲炉裏を囲み、村の人々などと一晩中語り明かした僕は思った。

古民家は人と人とを繋ぐ最高の空間だ!!!

楽しいひと時を過ごした僕は、日本中の古民家を泊まり歩くようになった。

そして、「古民家鑑定士」という資格をとったり、

法学部なのになぜか「古民家」に関する卒業論文を書いたりした後、

大学を卒業した。

 

大学卒業後は、縁あって東京都日野市の古民家を借りて住み始め、

1年間ゲストハウスやシェアハウス、イベントスペースの運営を行なった。

その中で古民家の魅力を再確認するとともに、

自然に近くて有機的で、人が集まる空間に対して関心を持ち、

建築を学びたくなった。

そのほかにも多くのことが重なった。

①直島の建築にめちゃくちゃ感動した。

②自分の家は自分で建てたいというよくわからない鬼気迫る想いがある。

③建築家の方とお話ししていると話が弾む。

などの経緯から建築を学びたくなり、まず現場をみたい!と考えて、

古民家や木造建築で有名な1級建築士事務所「江角アトリエ」

でお世話になることになった。

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実際のインターンの内容はどんなことをしたのか?

同じインターン生たちと一緒に、

おもに4つの業務を担当した。

 

①たたき

「たたき」とはコンクリートで作った土間のことである。門の前後の土を掘り返し、掘り返した土をふるいにかけ石を取り除く。サラサラになった土に石灰を1対2の割合で加え、にがりを少々加えて混ぜる。水を加えて、団子ができるまで硬くなったら、あらかじめ掘っておいたところに少しずつ生成物を撒いていく。その上から、タコという木製の道具、またはたたき板とハンマーを用いて、固めていく。最後に小さな石を飾りとして撒いて、1ヶ月ほど待てば完成だ。

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僕にとって、たたきとは「未知の作業」だった。

どこか小さい頃の泥んこ遊びを想わせ、心躍らせるものがある。

しかし、それは単なる遊びにとどまらず、

何十年もの歳月を蓄積するであろう「責任」と「機能性」を問うものであった。

配合する原材料の分量を正確に適度に投下して固め、塗り込むのだ。

単純に思えて実は、現実の宇宙の法則を理解するかのごとく緻密な作業なのである。

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②障子張り

障子張りは、古い障子を水を含ませた雑巾で柔らかくしながら、障子の骨の部分(桟や組子)に残りカスがつかないように剥ぎ取る。水がついて湿気っているので、半日乾かす。そのあと完全に乾いたのが確認できてから、障子の骨の部分(桟や組子)に障子用ののりをつけて、まだ切っていない障子紙をその上からかぶせる。完全に乾いてから、ハサミやカッターではみ出し部分を切り取って微調整し、完成する。

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繊細さの意味を噛み締めた。

障子紙を糊付けすると今にも破れそうなか弱い存在になる。

時にカッターを入れれば紙はたちまち敗れ去る。

時に紙の色はのりの色を透過してしまう。

そんな繊細な素材を見ていると建築という領域の

手元に対する解像度の高さを思い知らされる。

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③設計

設計図面を作るには、まず現地の現状を確認する。周りの土地利用で隣に家があるとか、田んぼがあるとか、崖があるとか、近くの民家のペットの鳴き声が聞こえるとか、肌感をまず掴んでおく。それから、住み手の希望条件を確認してコンセプトを決めて、土地に対して適応する形と面積の家を考える。それを図面におこしていく作業だ。上から建物を見たときの内部を表す平面図、建物の外観のデザインを表す立面図、見やすい部分で切断したときの内部状況を表す断面図といった主に3種類の図面を作る。イラストや色鉛筆などを用いてわかりやすくする時もある。

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ゼロからイチを生み出すというのは面白い。

土地に命を吹き込むようで、心踊る。

1人1人が自分なりに違うことを考え、図面を創造する。

それぞれのプランの集合を見ていると、

百花繚乱のごとく個性を放ち、

全てが輝いて見えた。

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④模型作り

模型作りは、図面を見てそれを工作して立体的に作り、展示会やお客さんの前で見てもらうための作業である。家の構造などはスチレンボードや木の板を用い、中に配置する家具や人などは画用紙を用いてまず部品を作る。設計図を見てもわからない家具の扉の有無などは実際の写真などを確認して作る。作ったものは、ノリや木工用ボンドで貼り合わせて完成だ。

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定規とカッターとカクカクカクと格闘。

アリよりも小さいのりをちょこっとちょこんと乗せる。

より美しく、より正確に全神経は手元へと集中する。

その集中力と丁寧さは想像を絶するほどの快感があり、

一方で突き詰めればミリ単位の難しさがあった。

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また、土日には周辺の観光地や建築見学に出かけた。

石見銀山

温泉津温泉

出雲大社

・出西窯

荒神谷遺跡

松江城

島根県立美術館

建築を学びながらこれらの建物や街を巡ると新鮮な視点が得られるのでぜひオススメしたい。

 

 

文系の視点から見て建築の世界はどう見えたか?

 

一言で言えば、

目の前のことに対処する感覚が敏感ですごい!!!

と感じた。

 

例えばこのようなエピソードがある。

 建築学生は模型作りで、カッターを定規に当ててからきちんと合わせて板を切り出していたり、のりがはみ出さないようにのりの種類や出し方とか加減をきちんと考えたりしていた。また、椅子とか家具とかも正確な値を測って正確なサイズを模索していた。このことから、しっかりと丁寧に器用に目の前の物事をこなしている印象を持った。

 日常生活でもそんな感じだった。まず料理を作り始める時、コロッケを揚げるにはどのような入れ物で揚げれば一番適切かを考える。そして、コロッケを揚げるにはこの油が一番良いとか、スープはこの順番で野菜を入れると一番火の通りが均等で良いとか小さな細かいことをきちんと考えている。焚き火の時には、このくらいに木を切ってこのように並べると一番良いということを考えている。そして、考えているだけではなく、きちんと意見を言って判断して物事を決めているように思われた。その感覚に圧倒されっぱなしだった。文系的視点でいくと曖昧にしていても成り立ちそうなところを、芸術家っぽく自分のこだわりを持ちながらも、正確に物事をこなそうと模索しているところは最も新鮮に映った。

 

かたやこんなエピソードもあった。

 窓からハチが入ってくるとみんな揃って逃げたり、逃がそうとした。それはゴキブリやその他の虫でも例外ではなかった。その反応の仕方がとても敏感で、なかなかここまで危険察知能力持てるもんかなあと思うこともあった。

 また、食事中ハエが入ってくると、こぞってビニールで捕獲し始めた。ハエにそろーりと近づいてゆっくり袋をかぶせて捕獲して行く姿が、なんとなく模型作りで糊付けしたパーツをくっつける動作に重なって、あの手元が揺らがない感じ一緒じゃん!などと妙に自分の中で納得してしまった。感覚が鋭敏というのがふさわしいのか。

 

世の中いろんな人がいるから建築の人はこうだ!ということは言うことはできないけれど、純粋に僕が建築事務所に来て新鮮だなと感じたことを素直に書いてみた。

 

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まとめ

建築の世界に一歩踏み出して思うこと。

やっぱり家を1から作るってすごく面白い。

だから、もっともっと学んでみたい。

将来どんな形で建築に関わるかなんてわからない。

でも、文系を出て大半の人とは違う道を通って建築と出会ったのだから、

建築を身につけて自分にしかできないことをやりたい。

そう感じた3週間でした。

江角アトリエの社員の皆様、インターンの皆様、

建築の世界から見たら0歳児の僕を暖かく受け入れていただき、

本当にありがとうございました。

またどこかで皆様とお会いできる日を楽しみにしております。

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※今回のブログの内容は、江角アトリエ内HPのインターン生ブログの僕が記事を書いたものと内容が重複します。

 

*筆者プロフィール*

稲村行真(いなむらゆきまさ)

1994年島根県生まれの千葉県育ち。

中央大学法学部卒業後、1年間古民家の管理人を勤めた後、

江角アトリエのインターンに参加。

 

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一級建築士事務所

江角アトリエのHPはこちら。

http://www.esumi-atelier.com/

 

他のインターン生のブログもあります。

http://eatelier.jugem.jp/

 

 

 

【143日目】島根県出雲市にて!建築の世界を垣間見た記録〜知らない世界に一歩踏み出してみた〜

いつも自転車に乗っている。

田んぼの中を颯爽と走る。

秋の季節だから、田んぼの稲がまぶしく実る。

そこに紅の屋根の古民家が差し色を添える。

神々が集う場所でもあり山々は人が及ばないほどの威厳がある。

黄色、紅色、紫色、そんな色がよく似合う土地だ。

出雲の風は、暖かく心地よい。

頬を撫でるように僕を包み込んで通り過ぎて行く。

車輪をこぐ足取りは楽譜の上をリズミカルに

飛び跳ねるように快調。

さてこれからどこに行こうか。

 

僕にとって出雲は決意の場所だった。

前半と後半で見る景色が全く異なり、

どこか嘘みたいに景色が晴れ渡った。

その心情の変化と多くの学びについて、

書き綴っておきたいとおもい、

ブログの画面を久しぶりに開いてみた。

 

僕が9月1日からインターンシップをしているのは、

「江角アトリエ」という一級建築士事務所だ。

僕にとって、建築は未知の学問であり全くわからない領域だった。

最初の一週間は、自分がなぜ建築をやらねばならなかったのか?

という自問自答から始まった。

建築の大学を出たとか、学んでいるとか、そういう人しかいない現場だ。

いきなり建築を学んだことのない自分がこの世界に飛び込むとはどういうことか。

自分の根源にある理由を再度見つめ直し、

チャンスの後ろ髪はないことをわからせることが、

僕が建築という世界に生まれた最初の仕事だった。

 

 

9月3日「たたき」の作業

*「たたき」とはコンクリートで作った土間のことである。門の前後の土を掘り返し、掘り返した土をふるいにかけ石を取り除く。サラサラになった土に石灰を1対2の割合で加え、にがりを少々加えて混ぜる。水を加えて、団子ができるまで硬くなったら、あらかじめ掘っておいたところに少しずつ生成物を撒いていく。その上から、タコという木製の道具、またはたたき板とハンマーを用いて、固めていく。最後に小さな石を飾りとして撒いて、1ヶ月ほど待てば完成だ。

*どの程度の分量を作れば、きちんと人が通れるように水平に仕上がるかという「想像スル」視点や、どの程度の固まり具合になるまで水を入れるかという的確さとか、男が重い道具で固めて女が土を振り分けるという分業的な視点とか単純でも追求すれば奥が深い作業である。総じて体力が必要な作業だ。おもしろかった。

ところで、僕は最近自分の体の動かし方がハトのようだと感じることがある。どういうことかというと、草取りや掃除をしていると顕著なのだが、立ったり座ったりする動作が多いと動きが滑らかでないと感じる。例えば、ものを掴んで、それを的確な場所におくということがとても疲れるので、掴んだものを放り投げたくなるという性質である。仕事に慣れていないと、ハトのような動きが多くなる。このことから、つい最近まである仮説を立てていた。一般的に「体力がある」と言われる人々は、「体を動かしていても疲れないけど体の動かし方の効率が良くない棒人間」と、「体を動かしていたら疲れるけど体の動かし方が効率の良い枝人間」という性質が存在していて、自分は前者だと考えていた。しかし、この時は不思議とハトにも増して、滑らかな動きができたと思う。なぜだか非常に不思議だったが、自分の性質とは微々たるもので、その業務に対するモチベーションによる振れ幅がかなり大きいという結果にいきついた。たたきは自分にとって非常に面白いものに映っていたようだ。これは自分にとって大きな発見であり、アルキメデスが入浴中に「浮体の原理」を発見してエウレイカー!!!と叫んでフルチンで宮殿を走り回ったかのごとく大きな衝撃を受けた。よくよく考えてみれば、人々が当たり前で単純で白黒つけてしまいがちな物事や単純作業の裏側に、誰もが気づいていない大きな盲点があることを僕は人一倍噛み締めながら生きていきたいと改めて決意をした。

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9月4日「障子張り」の作業

*障子張りは、古い障子を水を含ませた雑巾で柔らかくしながら、障子の骨の部分(桟や組子)に残りカスがつかないように剥ぎ取る。水がついて湿気っているので、半日乾かす。そのあと完全に乾いたのが確認できてから、障子の骨の部分(桟や組子)に障子用ののりをつけて、まだ切っていない障子紙をその上からかぶせる。完全に乾いてから、ハサミやカッターではみ出し部分を切り取って微調整し、完成する。

*これは比較的簡単な作業だが、例えばのりがはみ出た状態で乾かしてしまって、上部と下部で紙の張り付き具合が変わり、切りたかった部分が切れなくてもどかしいみたいなことが発生する。また、ノリをべったりくっつけすぎると、乾いてからもノリが張り付いているのが見え見えで美しくない。その加減が難しいところである。

僕は古民家に住んでいたので障子の張り替えはお手のものだ。こういうところで、建築の世界と、自分の今までやってきた古民家の活動のつながりを感じることで、今まで自分が経験してきたことがとても意義深く感じることができるのである。最近気付いたのだが、目の前の仕事に対して人は時に異なる捉え方をする。「想像スル」ことで自分の仕事を開拓していくコロンブスのような勇気ある挑戦者と、今まで積み重ねた50の経験の上に50の経験を上乗せするように着実に仕事の歩みを進め、山の頂上まで1km近づいたぞー!などと声を張り上げる積み木人間がいると思う。僕は多分今までの人生をフル活用しないと気が済まない後者の人間である。僕はこのことを考える時、前者をレディガガ、後者を秦基博などと音楽の好みに例えて考えることを何よりの楽しみにしているのだが、まあこのような分類論はあてにならないことの方が多い。最近気付いたことがもう1つあって、目の前の人間は唯一無二で本当に掛け替えのない存在で、喧嘩するとか笑い合うとか全力で向き合うことで深く理解し合えて、瞬時に人の本質を読もうとする大局観とは無縁の世界があることこそ、自然を生きている動物に重ね合わせ、涙が止まらないほどに美しいことだと感じるのだ。

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基本毎日「模型作りの作業

*模型作りは、図面を見てそれを工作して立体的に作り、展示会やお客さんの前で見てもらうための作業である。家の構造などはスチレンボードや木の板を用い、中に配置する家具や人などは画用紙を用いてまず部品を作る。設計図を見てもわからない家具の扉の有無などは実際の写真などを確認して作る。作ったものは、ノリや木工用ボンドで貼り合わせて完成だ。シンガポールの大学では、こういう作業は3Dプリンターなどで代用してしまうと聞いたことがあるが、現状日本ではこの模型作りという作業が大多数の建築学生の当たり前となっている。これは本当に意味あることか?個人的にはまだ疑問が残る。

*基本的にものすごく細かい作業で、小さな1ミリ単位の狂いも許されない。それが一日中なのでかなり集中力が必要である。なおかつ、指先の器用さと丁寧さと正確さが求められる。建築家が真面目と言われるのはこの工程が必要であるがゆえで、常にこの建物は機能するのか?という視点で全ての作業を見つめている。これが絵描きや小説との違いで、ある決まりや制約のもと現実世界の利用者に対して作品を長年使ってもらうという「責任」を感じながら仕事をするのである。とはいえ、作品を作るという意味ではその他の芸術となんら変わりなく、黙々と目の前の制作に集中するという側面を持つ。お客さんに対して使用イメージをきちんと持ってもらうために必要なのがこの模型作りという作業である。お客さんが使用感について疑問を持ちそうなところはどこかについて想像するということも必要な仕事である。

 僕は自分のことを大雑把な人間だと考えていたので、この作業に適応できるのかいささか不安であった。しかし、なにかを始めると良くも悪くも周りが見えなくなるほどに集中できるので、その点では自信があった。直径数ミリほどの人間をハサミで切り出して、ピンセットで持って足の裏側にノリをつけて、建物の中に立たせるというのがとても難しかった。しかし、次第に慣れてきて例えばノリの量がほんの少し多いなとか、ほんの少し少ないなとかそういう加減がわかってきてからはうまく作ることができるようになってきた。たまにプロフェッショナル仕事の流儀とかを見るのだが、自分のプロフェッショナルな技能に関して大雑把な人はこの番組に出てこない。とことん追い込んで、すんなり行った時は逆に壊すとか疑うというくらいの心持ちでいる人の方が、良いものが作れる気がする。大雑把な性格は、とことん集中するべき時に集中できるという裏側の側面もあるのかもしれない。まあ結局やるかやらないかの世界でしっかりとやることを意識すればしっかりとできるものだと思う。さて、私達の生きる世界を作った最初の人物は、この模型作りで人や建物を配置するかのように、世界に必要であろうものを想像して配置していったのだろうか。何回も壊して、イメージを丁寧に正確に膨らませていったのだろうか。もしそうであるならば、この現実世界の「模型」とやらを見てみたい。世界という箱を利用する私たちにとっての「最も有効な箱の使い方」を知っているのかもしれない。

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9月10日〜14日「設計図面づくり」

*設計図面を作るには、まず現地の現状を確認する。周りの土地利用で隣に家があるとか、田んぼがあるとか、崖があるとか、近くの民家のペットの鳴き声が聞こえるとか、肌感をまず掴んでおく。それから、住み手の希望条件を確認してコンセプトを決めて、土地に対して適応する形と面積の家を考える。それを図面におこしていく作業だ。上から建物を見たときの内部を表す平面図、建物の外観のデザインを表す立面図、見やすい部分で切断したときの内部状況を表す断面図といった主に3種類の図面を作る。イラストや色鉛筆などを用いてわかりやすくする時もある。

*まずどういうコンセプトにすればハッピーかを考えるという企画の側面が強い。シンプルなコンセプトから逆算して、面白い発想が広がっていくという無から有を生む仕事なのだ。建築の知識とか経験をフル動員して、細部まで自分の手で家を考えるからとても難しいし、センスがいる仕事である。

僕はもともと建築の知識が少ないので無から有を生み出すことに苦労した。しかし、この設計図面づくりが全ての業務のうち最もワクワクした。これこそが僕のやりたいことであると感じ、本当に僕は建築の世界に行くべきかという多くの迷いを消し去ってくれた。それは何もないところに何かを生み出すということであった。やはり、自分の力点は「個性の発揮」ということにあると感じた。自分で作品を作って、皆の作品と比較して百花繚乱のプランを眺めていると、自分が世の中に生きる意味が見出せ、自分に血が通っていることを再確認できるのである。ただ、まだ設計を身につけるには足りないものが多すぎてこまる。自分のプランは環境適合性が足りないと言われたが、そういう1つ1つの学びに丁寧に向き合っていこうと感じた。まず何から始めたらいいかもわからないので、色々な人に聞いた結果、すでにあるものを真似ることの重要性に行き着いた。既存の建物のデザインを絵にしてみたり、図面を真似して描いてみたり、家具を利用している時は寸法を測ってみたり、そういう既存の創作物をよく観察して、自分の中に取り込んで行く作業が必要だと感じた。

僕は真似るという行為について、「組織の中で均一化されながら習得するもの」と「自分の中で主体的に取り入れて習得するもの」があると考えていて、前者はコンビニ、後者は絵画のグループをイメージすることが多い。本当は、後者の学びをしたいのだけれども、前者の学びが意外と役に立つ時もあるし別に過剰に避ける必要もないと最近考えるようにもなってきた。何れにしても、真似るのは自分にとって今ものすごく必要なことであるという意識が高まってきて、どこかで修行したい!という想いが衝動として湧き上がることも多い。

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まとめることもできないが。

建築は僕にとって古民家の延長線上にあるものだ。大学2年生以来、古民家鑑定士とか、古民家冒険家とか言って、古民家に住んで向き合った先に、木造とかの有機的な建物に対する探究心が湧き上がり、やはり建物について知りたいし深めたい!ということで今に至っている。自分が向かう先にあるものも少し見えていて、それに繋がるのは建築とも言える(空間デザイン〜建築士とかどのポジションを取るか考え中)。そういう必然性を感じ続けながら、知らない世界にまず一歩踏み入れてみた。建築界から見たら赤ちゃんのような僕に対して、丁寧に接してくれている事務所の皆さんや同じインターン生に本当に感謝したい。僕が今踏み出せるのは、暖かく迎え入れてくれている人々のおかげであることは最も強調すべき点である。

決めつけることもせず、多くの可能性を探りながらも、ひとまず一歩踏み出してみたのは自分の中では大きな一歩であった。なんだかんだ言って、職業に向いている向いてないとかそういうものは何もなくて、得意も得意じゃないもなくて、やるかやらないかで自分なりに方向が定まっていくという一面もあるなと。何もないところに対してあれこれ議論しても何も生まれないというかなにも喋りようがない空っぽの議論、何か議題があるところに対してあれこれ話してみて見えてくる収穫ある議論だったら後者が良い。さて、次なる大きな一歩はなんであろうか。今思索中だ。

 

ps.

ところで今日、出雲の神戸川を歩いていた時ふと絵を描きたくなった。

衝動で手元にあったスケッチブックに書きなぐってみたらこんなことになった。

大きな川と、川べりの草達、赤い屋根、田んぼ、周りを取り囲む山達。

朝見たトキのくちばしが妙に忘れられなくて、こんな生き物が誕生した。

これらの自然物は「縁」によってつながり、紡ぎ出されているのだ。

絵を描くことを通して感情を吐き出すという行為をこれからも大事にしていきたい。

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【127日目】京都最終日!どうしても見たかった琳派のデザインに触れて、今後の活動のヒントを得た!

最近江戸時代の絵画グループの「琳派」に触れる機会があってので、

そのことについて書きます。

琳派?????

はてなマークがつく方もいらっしゃると思いますが、

江戸時代の狩野派、土佐派に並ぶ3大グループの1つです。

日本史の教科書には、俵屋宗達の『風神雷神図屏風』という絵画が掲載されていますが、これも琳派です。

調べていくうちに、驚きの事実がたくさん見つかったので、

ぜひシェアさせていただきたいと思い書きました。

 特に芸術系の方には読んでいただけたら幸いです。

 

 

琳派とは?

主に江戸時代に活躍した絵画の流派の1つ。

俵屋宗達本阿弥光悦が創始し、尾形光琳・乾山、酒井抱一らによって発展した。

江戸時代の初期、元禄中期、文化・文政の後期と3段階で盛り上がりを見せたのち、技法は明治時代の他の流派に引き継がれていった。

 

 

特徴は、

①世界のデザインは琳派に由来!?実は黒幕的存在。

琳派のデザインに最も影響を受けた海外の人物の一人として、グスタフ・クリムトがよくあげられる。また、琳派から変化した浮世絵はゴッホルノワールセザンヌなどの印象派に大きな影響を及ぼした。琳派の美学はいまや浮世絵にとどまらず、日本画、小袖などの衣装、茶道などの思想といった芸術全体の共通認識を支える存在となっている。いわば文化伝播の大元の一つだと考えられている。これは、琳派が芸術分野横断型のコラボレーション(例えば書道×絵画で作品を作るとか)によって発展したからであること、または庶民目線で発展したことが要因だと考えているが、まだ詳しい分析が必要なところだ。現代の「クールジャパン」という価値観や、アニメや漫画の「カワイイ」という美学も琳派にたどり着くという人もいる。まさに現代の芸術や文化の大きな原点とも言える琳派について詳しく見ていきたい。 

 

②デザインの発想の幅がめちゃ広い

絵画を中心としながらも、屏風、襖絵などのインテリアから扇絵から陶芸蒔絵、着物小袖まで「生活美術」をメインにしたため、デザイン性が豊か。日本のダヴィンチと呼ばれた本阿弥光悦の能力がそのまま流派の特徴として現れている。背景に金銀箔を用い、大胆な構図や壁紙、たらしこみ技法などが特徴。

 

③コミュニティと働き方に対して革命的な仕組みを持つ

琳派は基本的に家系での存続や、師匠と弟子という関係が存在しない。どういうことかというと、入門して絵を習うのではなく、先人の画風を見て自分で取り入れていくという独学による継承の仕方をとっている。これを「私淑(ししゅく)」の関係という。この証拠として、俵屋宗達だけでなく、尾形光琳酒井抱一もかの有名な「風神雷神図屏風」を描けたという。しかし、それぞれが少しずつ違っていて、自分のオリジナリティを大事にしたようだ。より自由度があり、個人の個性が生かされるこの流派は、技術の継承や発展のためのつながりを持ちつつも、お互いの距離感が保たれることで、個人が尊重されるようなコミュニティ形成につながった。まだまだ現代は縦関係でものを教える職人や絵画などのコミュニティ、広く括れば教育システムが存在していて、それはもちろんメリットもあるのだが、それらのデメリットの部分を取り除くためにこの「私淑」という考え方が生かせるかもしれない。狩野派、土佐派、琳派といった江戸時代の主要な絵画集団の中では、唯一家系での縦関係の継承をしていないのが、琳派と言えるだろう。 

 

8月31日京都。

時間ができたので、琳派関連の名所を観光してみた。

 琳派は、他の絵画のグループとの比較により、立ち位置が見えてくる。

とも思ったので、狩野派の襖絵がある西本願寺に立ち寄った。

早朝6:00に出向いたが、法要の日でなかったので、

狩野派の絵は公開していないらしく残念。。。

室町時代から江戸時代は、幕府の襖絵を描き続けた狩野派と、朝廷の襖絵を描き続けた土佐派という2つの絵画の流派が主流だった。

そんな中で、琳派は主に江戸時代に民衆に近いところから発生し、

民意の目線で発展を遂げたという特徴をまず押さえておく必要がある。

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琳派は、本阿弥光悦俵屋宗達の出会いから始まる。

宗達が下絵を描き、光悦が上から書を書いた。

その舞台が京都の金閣寺の北に位置する鷹ヶ峰という土地だった。

本阿弥光悦が57歳のときに芸術村を体現しようとした鷹ヶ峰

79歳でなくなるまで、20年あまり創作ざんまいの日々を過ごしたと言われる。

金工、陶工、蒔絵師、画家、筆屋、紙屋、織物屋、豪商、武士、公家、僧など広範な人々に呼びかけて、村の賑わいを作り出したと伝わる。

これは村づくりの手がかりがあるに違いない。

 

その本拠地となったのが、光悦寺(光悦村)と呼ばれる場所だ。

早速行ってみることにした。

美しい緑にかこまれた石畳が入口となっている。

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緑の絨毯は本当に美しい。

心が洗われた。

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途中から、村の境界に柵が出現する。

光悦垣と呼ばれる垣根だ。

とても美しい。

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こちらが、最奥にある本阿弥光悦がいたと言われる庵だ。

縁側に腰掛けて目を閉じると、風の音のみが残る。

自分の体が風に誘われて、心洗われる。

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光悦が作りたかった村は、まさに洗練された村だった。

とにかく美しさを徹底的に追求して作った最善の美がそこにあった。

ジブリの森のような自然のワクワク感と、

静けさが今はなき住人の生き様を思い起こさせた。

お堂に手を合わせた時、

自分が何か特別なものに対峙しているかのように感じ、

畏敬の念をどう表現すべきか自然と体に訴えかけていた。

 

ゆかりの寺をあと2つ訪れた。

こちらは源光庵。

「迷いの窓」と「悟りの窓」が有名なところで琳派とも関わりがある。

迷いの窓は四角くて、生、老、病、死の四苦八苦から人間の生涯を表現。

悟りの窓は丸くて、善と円通の心を表し、大宇宙を表現。

禅の境地が込められているという。

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こちらは常照寺。

本阿弥光悦が土地を寄進し、その子の光嵯(こうさ)の発願で、日蓮宗の寂照院日乾上人を招じて開創されたと言われる。

日乾上人に帰依した吉野太夫が寄進したとされる吉野門が美しい。

もみじと色合いがぴたりと合っていた。

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次に向かったのが、建仁寺だった。

建仁寺には、琳派に準ずる絵画が展示されている。

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この絵画はみなさん見覚えあるだろうか?

俵屋宗達の最高傑作「風神雷神図屏風」。

琳派の人々は、この風神雷神を皆描いたそうだ。

ただし、それぞれ少しずつ描き方に違いがあったらしい。

金箔でシンプルな背景と中心の三角の余白、左右非対称は大きな特徴としてあり、

雲のたらしこみ技法は共通の部分と言えるだろう。

たらしこみ技法とは、絵の具が乾かないうちに、他の色を垂らすことで2色が絶妙な加減で混ざること。簡単にいうと、芸術表現レベルの「にじみ」のことだ。)

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庭を見た瞬間、

あまりのすごさに息を飲んだ。

赤、黄、緑、色とりどりだ。

しかし、優しく押し付けがましくない。

僕の根底に眠っていた感性が奥底から研ぎ澄まされ、

これこそが自分の求めている、

自然から湧き出た美であると感じた。

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最後に見たのが、雲龍だった。

天をも切り裂くほど力強い龍は見る者を圧倒する。

日本画家の小泉淳氏の作品だ。

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琳派のデザイン性は、

私たちに大きなメッセージを残している。

既成の概念とか、

組織のルールとか、

縦社会などに縛られ逃れられないものもあるけど、

よりよく学び、よりよく表現する術を

必ず知っているはずだ。

鍵になるのは、コミュニティやコラボレーションと行った概念を

どう作っていくかだと思う。

基本的には目線を合わせた水平関係を築くことは大事だと思った。

そして、デザインの根底には全て自然(nature)が存在していて、

最も美しいものに到達する鍵を握っていると感じた。

 

 

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ps.「荘子」と「琳派の共通性」

日本の琳派の考え方は個人的には、中国の荘子の考え方である『老荘思想』に近い部分もあると思う。老荘思想の特徴は、何ものにも束縛されない絶対的な自由を求める。制度や罰則、管理や競争といった中央集権的な考え方を否定し、物事の美醜や善悪、好悪に本質的な違いはないとする。とても哲学的で小説家的な発想だとも思う。幸せは他人が定義するものではない。今東京の一極集中から、地方への流れが加速して、人口減っている地方をどうにかしなきゃという議論がおこっている現代において、各地方が自治の力を強めていくかまたは、自分たちの城を持ってコミュニティつくって、中央集権的な大きな力とは別の意思決定や経済を回す仕組みが必要になってきているはずだ。より最小単位で意思決定して、自由度と個人の最適性を高めていく考え方は今後必要だと思う。琳派にせよ、荘子にせよ、歴史は繰り返すと言うし、こういう歴史から学んでこれからの自分の活動のロジックを組み立てていくのは、とても有意義だと感じた。

 

 

 

 

 



 

【121日目】福井にて!千年未来工藝祭の運営スタッフをやる!

8月24~25日で京都のバイトが休みだったこともあり、

福井で開催されている工芸品のイベントのスタッフをやってきた!

 

イベントの名前は「千年未来工藝祭」。

www.craft1000mirai.jp

今まで千年受け継がれてきた伝統工芸品の

新しい千年を作っていこうという壮大な祭りだ。

千年続くであろう祭りの記念すべき第1回。

2018年8月25~26日で開催された。

ステージ責任者のとやまさんのお誘いで、

今回機材運び等のボランティアスタッフとして、

準備の24日、本番の25日のみ参加させていただいた。

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約100店舗もの作家さんのブースが立ち並ぶ。

1500年もの歴史を誇る「越前和紙」

700年もの歴史を誇る「越前打刃物」

江戸時代から伝わる「越前箪笥」

などが代表格だ。

 

こちらは、和紙で作った入れ物。

すぐ破れそうと思いきや、丈夫で柔らかいデザインが特徴的だ!

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こちらは、加賀でお世話になっている篠崎さんと藤永さんのNCLのプロジェクト「現代版北前船」の企画!お椀かと思いきや、なんと玄関などでキーボックスなどにも使える入れ物だそう。乾燥した草花とのコラボレーションがとても美しい!

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竹で作られたスピーカーかっちょいい!!!

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体験型の企画も続々登場!!!

 土で、陶器の作り方を軽く学べるコーナーも。

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石岡くん(石岡興喜 )の折り紙コーナーもすごかった。

福井=恐竜=恐竜の折り紙?

OrigamiDesignerと名乗っていて、本人はおたくと呼ばれたくないようだが、

1つの領域でも得意があると客観的に見て絶対強い!

足の角度、翼の角度、カクカクカク。

型作って、それをどんどん応用すれば創作になる。

話が理系っぽくて面白くて、同年代なので一層刺激を受けるなあ。

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ステージも豪華!!!

音楽が刻むビートは、血流が脈打つように

自分の体の中に染み渡っていった。

 

25日の出演者は、工藤シンクさんと、Aki-Ra Sunriseさん。

工藤シンクさんは、グアテマラとか世界各地で映像とラップミュージックを駆使したライブを展開されている。

僕個人としては、軽快なノリと深みのある音楽の共存が心地よくて、

作家っぽくてかっこよかった!!!

熊本の三角エコビレッジ・サイハテの発起人でもあり、ぼくもコミュニティ研究で今度訪問したいと考えていたので、今回お話ができて本当によかった。

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Aki-Ra Sunriseさんは、阿修羅っぽくてやばい!!!

100個くらいの世界の楽器が次々と飛び出してきて、こんなに様々な楽器を器用に的確に演奏する人を初めて見た。クライマックスの激しさとか、演奏家にしかわからないような境地を垣間見た。僕にはこういう瞬間的、刹那的動きができる瞬発力はうらやましい限りだ。

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ステージの背景の植物のようなランプは夢宙屋さんの作品だ。

お話しした際は、

「機材の無機的な素材に対して、有機的なものを作りたかった」

とおっしゃっていたのが印象的だった。

まさに、空間に自然的な癒しや心地よさを生み出していた。

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26日には、パリコレで流す音楽とかを作ったり、AKBとかともコラボしている一平さんのピアノ演奏があったみたいだが、今回はいられなくて残念!またの機会に!

 

 

「世界的に有名」な人とたくさん出会えて本当に良かった。

スタッフの立ち位置はとても貴重な経験だった。

本物から学んだこととしてはやはり、

考えてこねて最善を紡ぎ出す。

地味なことでもとことん追求しまくる姿勢に感化された。

僕もおもしろい!って思ったものはとことん追求してみようと思った。

 

 

 

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ps.

今回のイベント当日、8月25日は実は大阪で他の予定が入っていた。

しかし、前日準備の段階であまりにも面白い本番が予感できてしまって、

当日も残ることに決めた。

全ては、今に宿る。

今に急激なスポットライトを!

面白いか面白くないかは今の自分が知っている。

予定をこなすのではなく、

正直に楽しいものに飛びつく!!!

今を生きるを大事に日々歩んでいこうと気持ちを新たにした。

イベントに誘ってくださったとやまさんを始め、今回のイベントで出会った方々、いつもお世話になっている方々本当にありがとうございました。

今後ともよろしくお願いいたします。